第4話 希望と絶望

 アルビオン帝国の領地内にあるマグヌス平野。

 見渡す限りの雄大な砂地が広がっているその平野は、帝国が領土として治めるまでは数多あまたの魔族が蔓延はびこる危険地帯だった。

 だが勇者ルクルースがこの地に巣食う魔族のほとんどを打ち滅ぼした事で、周辺国との往来が出来る程、のどかな平野に様変わりしていた。


 しかし今では、人の行き来どころか生物の痕跡すら見つけるのも難しい。


 というのも数日前、勇者ルクルースと凄惨たる魔王が一騎打ちを行った場所と言えば記憶に新しいだろう。荒れた地表や地面に草ひとつ残っていないことが、あの戦いの激しさを物語っている。


 そんな場所に、錆びれた鉄製の胸鎧プレートアーマーを装備した数名の兵士達が彷徨ほうこうしていた。

 人の気もない荒んだ平野をアテもなくぶらぶらと歩く姿は不気味とも言える。だが兵士達がこんな場所に足を運んだのには、ある理由がある。


 勇者ルクルースとの一騎打ち――あの戦いの後、行方知れずとなった凄惨たる魔王、その動向に関しての現地調査を命じられたからだ。

 その勅命を下したのは、サール皇子。アルビオン帝国皇帝であるフェイエン=ファン=ラドノーアの長子であり、次期皇帝陛下との呼び声も高い人物である。


 兵士のような身分の低い者にとって、雲の上の存在に近い皇子からの勅命を拒否できるわけもない。しかし、魔族との争いで疲弊しきった兵士達はすぐには動けない。

 そこで目がついたのが、今ここで調査をしている出世コースから外れた身なりの悪い兵士達だ。


 兵士達が上半身に装備している古びた鉄で造られた鎧が、絶え間なく降り注ぐ日光をギラギラと反射する。

 重量感のある鎧の隙間からチラ見えするだらしのない腹が、その兵士達が屈強な兵士のたぐいではない事を示していた。


 その中の一人、お世辞にも立派とは言えない顔つきに皺のある皮膚、口周りと顎先に無精ひげを生やした兵士――ムクムは、数人の同僚と共に早朝からマグヌス平野の端で調査に勤しんでいた。

 

(俺はやってやる……! やってやるんだ……!)


 ムクムは他の兵士とは違い、妙に意気込んでいた。その理由は実に単純である。

 この平野で、僅かでも魔王に関する手掛かりを持ち帰ったとあれば、サール皇子から直々に盛大な褒美と栄誉が与えられるとムクムは踏んでいる。


 (もしかすると、俺みたいなしがない兵士には一生かかっても手に入る事のない、夢のような大金を手にする事だってあり得る……。その為に俺は、この場所で手柄をあげて人生を変えるんだ! こんないつ死んでもおかしくない糞みたいな仕事とはおさらばだ!!)


 自己欲にまみれたムクムは晴れ渡る空の下、帝国とマグヌス平野を隔てる城壁を出てかれこれ数時間は働いている。だが一向に魔王の痕跡は無い。

 それどころか、この地には一切と言っていいほど何も無い。時より吹く乾いた風が、地面の砂を巻き上げるだけだ。


 (このままじゃ駄目だ……また無能扱いだ……。そんな評価だけは絶対に避けないといけない。なぜなら俺は、人生を変えるからだ……!)


 ムクムはより一層、意気込む。

 その意気に反して、周りの兵士は気怠そうにトボトボと歩くだけだ。ムクムとの温度差に、同僚の兵士達は苦笑いを浮かべながら冷ややかな視線を注ぐ。


「へへっ、どうしたムクム。そんなにやる気出しちゃってよぉ。お前らしくねぇぞ?」

「うるせぇ! 喋ってる暇があるなら動け! 人生が懸かってんだ!」

「へいへい……」


 汲々きゅうきゅうとするムクムに対し、他の兵士達は呆れ顔を見せる。

 だが、サール皇子からの命令ともあれば無下にもできない。仕方なしにムクムに付き合っているのだった。



 そして、現在の場所を一通り捜索し終えたムクムは、同僚の兵士達に声をかける。


「この辺りは何もないな。よし、少し場所を変えるぞ」

「お、おう、わかった」


 額に滲む汗を太い腕で拭い、ムクム達は別の場所へ歩き出そうとする。

 その矢先、後方から一瞬のまばゆさを感じた。直後、大きな呻き声が聞こえてくる。


「い、一体なんだ!? どこだ!?」


 けたたましい野獣のような太い声。その声がする方へ、ムクム達は慌てて振り向く。


 そこには、四体の巨体が存在していた。

 赤褐色の肌に、太く逞しい四肢。大きく裂けた口は、半開きのまま白く尖った齒を見せている。鬼のような醜い顔面からはその表情を読み取る事はできない。


 唖然とした表情のムクムが、その存在の名を口にする。


「オ、オーガ……!?」


 オーガのその異常なまでに発達した腕は、肥大した筋肉によって自身の胴体程の大きさに膨れ上がっている。

 殴られただけでも致命傷で済むかどうかわからない。鍛錬の積んでいない兵士では歯が立たない魔族だ。


 目の前に突如現れた魔族オーガに、ムクム達は狼狽える。


「さ、さっきまであんな魔族はいなかったぞ!?」

「あ、ああ……! まるでどこかから飛んできたみたいだ!」

「まずは助けを……! 助けを呼ぼう!!」

「よし、俺が詰所まで行く! お前らは逃げながら気を引いておいてくれ!」


 同僚に指示を出し、ムクムは詰所のある城壁の方角へ走り出す。その見事なまでの走りっぷりは、先程までの疲れを全く感じさせないものだ。

 ムクムは、こんなに走れるものなのか、と自分でも不思議に思う。人間というのは命の懸かった時に底知れぬ力を発揮するのかもしれない。


(はぁっ、はぁっ……! 悪いな、お前ら……! 俺は、まだ……死にたくねぇんだ……!)


 ムクムはひたすら前だけを向いて走る。後ろは振り向かない。

 もうそこには同僚がいないかもしれないからだ。例え短い付き合いでも、同僚は同僚だ。そんな奴の死ぬ所なんて見たくない。

 齒を食いしばり、ただ前だけを見て足を動かす。

 無我夢中で走った。

 

 己が、生き残る為に。



 * * *



 ムクムの視界の先に、立派な城壁がそびえている。

 角張った薄灰色の石材が隙間なく積まれた城壁は、遠目でも確かな存在感を放っていた。

 アルビオン帝国とマグヌス平野を隔てるその城壁のすぐ側に、ムクムの目指す詰所がある。


(はぁ、はぁ……もうすぐだ。なんとかここまで来れたぞ、ひひっ……)


 汗だくで汚い笑みを浮かべながら詰所まで駆け寄る。

 ムクムは既に十分な達成感を得られていたが、肝心な事を忘れていた。


(おっといけねぇ、助けを呼びに来たんだったな……ちっ、必死な感じでも見せておくか)


 大袈裟に息を切らしながら、石造りの建屋の前まで駆けつける。

 そこでちょうど詰所から出ようとしていた衛兵長と鉢合わせになった。


「はぁ、はぁ、はぁ……平野の、端に……はぁ、オ、オーガが……!!」

「何? オーガだと? たかがオーガくらいで何をそこまで慌てているんだ」

「い、いや……そ、そうだ! 急に、急に現れたんですよ!」

「急に? どういう事だ? 説明しろ」


 真剣な顔で問い詰められたムクムは、さきほど平野で身に起きた出来事を語る。

 ただ一つだけ真実を隠して。同僚を置いて自分だけ逃げた事を。


「ふむ……お前の話を聞く限りでは、それはただのオーガではないかもしれないな。オーガぐらいの魔族であれば帝国兵士団に出動を要請するところだが……」


 そう言うと、衛兵長は顎の先を触りながらしばし考え込む。

 そして考えが固まったのか、表情を険しいものにすると詰所に待機している衛兵に大声で指示を出した。


「急ぎアルキュミー様たちを呼べ! 火急だ!」


 その一声で、場の空気は一変する。

 指示を受けた衛兵は急ぎ足で宮殿に向かい、詰所に待機している数人の兵士はそわそわと身なりを改めだす。

 まるでこれからいくさが始まるかのような緊張感。


 もしかして自分が原因でこの状況が生まれたのだとしたら……そう考えると、ムクムは全身から冷や汗が噴き出す。

 しかし、何事も命あってのもの。自分の仕事はやり切ったと思い、半ばヤケクソになりながら崩れるようにその場に沈み込む。


 (仮に……本当にただのオーガじゃなかったなら、俺は相当な手柄をたてた事になる。そうなりゃ何かしらの褒美だって少しは期待できるだろう。ひひっ、俺はツイてるぜ……)


 薄ら笑い隠すようにムクムは地面に突っ伏した。

 もう自分には関係ない、とでも言うかのように周囲の喧騒を無視する。

 その状態のまま、幾分か過ぎた。



 ようやく辺りが落ち着きを取り戻してきた頃、ムクムは地面に伏したまま夢の世界に入りかけていた。

 しかし、頭の辺りに蹴られたような激しい痛みを感じ、現実に呼び戻される。

 ムクムはしかめっ面で頭を押さえながら身体を起こした。


(ってぇ……一体誰だ!? もう俺の仕事は終わったんだ……後は勇者でも誰でもいいから、あのオーガ共をぶっ殺してくれりゃあいいんだよ……)


 ムクムは怪訝な顔で見上げると、そこには四人の人間が見下すように立っていた。人目見ただけで、自分とは生きる世界が違う者なのだと、ムクムは本能で感じ取る。


 半開きの口を小刻みに震わせたムクムの瞳に映ったのは、アルビオン帝国が誇る勇者一行だった。


 あの凄惨たる魔王に打ち勝ったとされる、勇者ルクルース。

 魔法使いにして、国中の兵士達を虜にする美貌を持つ、アルキュミー。

 たおやかな美しさと気高さを誇るハーフエルフの神官、クラルス。

 なんかやたら筋肉が凄い男、フェなんとか。


 ムクムが頭の中で勇者とその仲間達の紹介をしていた時、その中の一人が口を開いた。


「貴様が、オーガを発見した兵士だな?」


 他を圧倒する威圧感、残酷なまでに冷ややかな瞳。

 白金の鎧を纏った人物は、汚物を見るように蔑んだ視線をムクムに浴びせる。


(これが……あの、勇者なのか……!)


 ムクムは勇者の眼差しに戦慄するが、咄嗟にぎこちない笑みを表情に作り出した。

 もしかしたら勇者から褒美が与えられるのかもしれない、そんな期待を抱いたからだ。

 となると、一刻も早く質問に答えなければならない。

 ムクムは声を裏返しながら、勇者の問いに答える。


「そ、そそそ、その通りでございますが!」


 その返事を聞いた勇者は表情を一切変えることなく、ふんっ、と小さく鼻息を吐く。

 そして、一言。


「案内しろ」


 ムクムは、勇者が放ったその言葉に絶望した。

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