第2話 自覚
テネブリスは魔王たる威厳を放ちながら、右手を横にさっと払いのける。まるでその身にマントでも羽織っているかのような所作だ。
しかし、実際にはマントなどどこにもない。身に纏っているのは汚れ一つない真っ白なローブのみ。
従って、払いのけた右手は何にも触れずに虚しく空を切る。
しかしテネブリスは魔王たる風格を保ったまま、ピクリとも動じない。
「魔王……テネブリス……!?」
アルキュミーら三人は、テネブリスの口から告げられたその名に驚愕し、恐れ慄いた様な表情を見せる。
それもそうだろう。人間の仇敵、魔族の首領にして冷酷無残の魔王。それが眼前にいるのだから。
テネブリスは今にも破顔しそうな表情を必死に堪えると、引きつった笑みになりながらそう思う。
しかしテネブリスの目論見をよそに、アルキュミーは手を額の辺りに置きながら、悩めかしい仕草を見せる。
そして隣にいるクラルスにそっと近寄り、小声で確認した。
「クラルス、これって……」
「ええ、そうですね。……恐らく魔王との戦いのダメージで記憶が……」
「やっぱり……」
クラルスが同じ判断を下した事に、アルキュミーはふっと肩を落とす。
それと同時に出た小さなため息が、アルキュミーの複雑な心情を吐露しているようだった。
「でも……この言葉遣いの変化……昔、文献で見たことがあります。確か、遠く辺境の地で『チュウニビョウ』と呼ばれる重い病だとか……」
クラルスが発したその聞き慣れない言葉。
もしかすると、この状況を作り出した原因に辿り着くかもしれない。
テネブリスはそんな淡い期待を膨らませる。
(そのチュウニビョウなるもの……詳しく調べる必要がありそうだ)
テネブリスは目を細め、厳しい視線を送る。
チュウニビョウ、その単語の出処であるクラルスに対してだ。
「ハーフエルフの女。その話、詳しく聞かせてもらおうか」
「えっ……す、すいません……私も文献で見ただけなので、詳しくは……」
期待していた答えが返ってこない事に、テネブリスは憤慨する。
腕を組み、鼻息をフンッと一息。
厳しい視線はそのままに、辛辣な言葉を吐き捨てた。
「ふん、使えぬ女だ」
テネブリスが放った勇者らしからぬ冷酷な言動に、クラルス達は言葉を失う。
しかしただ一人だけ、感情を剥き出しする人間がいた。
「おい、ルクルース! いくら記憶がないとはいえ、仲間に対してそんな言い草はないんじゃねぇのか!」
そう言ったのは、筋骨隆々の鋭い目をした男、剣士フェルム。声を荒げながらテネブリスの眼前にぐいっと顔を近づける。
一触即発の空気が二人の間に漂う。
しかしその空気に意図して触れたのは、テネブリスの方だった。
(筋肉しか取り柄のなさそうな男が、一丁前にイキりおって……!)
間合いを取る為、テネブリスは半歩後ろに身を引き、そのまま流れるような動作で右手を前に向ける。
そして手を向けた先にいる男――フェルムに向かって、冷たく怒りを染み込ませた声を浴びせた。
「言葉に気を付けるのは貴様の方だ、男!」
フェルムは仲間から向けられた敵意に、咄嗟に身を構える。
これから起こる何かに備えるような動き。歴戦の経験と生存本能が、フェルムの身体をスムーズに防御姿勢に移行させた。
直後、魔法の詠唱が部屋に響き渡る。
「霊位魔法――
「………………!?」
しかし、何も起こらない。
この部屋はおろか、フェルムの体にすら変化はない。ただ静寂のみが訪れた。
一つ言えるのは、この魔法は静寂をもたらす魔法ではないということだ。そしてその結果に一番驚く人物がいた。
(なっ……どういうことだ!? 魔法が……いや、それどころか一切の魔力が出ん……だと……!?)
自身の身に起きた未曾有の事態に、テネブリスは驚きを隠せない。
魔法を放つ為に前方に向けた右手は、動揺のせいか小刻みに震えている。その震えを抑えるように、左手で肘の辺りを強く握りしめた。
愕然とするテネブリスに対して、フェルムは安堵の苦笑いを浮かべる。
向けられた敵意は本物だった。しかし、蓋を開けてみれば結局ただの脅し。
しかし、仲間が見せた心臓に悪い演技に、フェルムは密かに勇者との力量の差を痛感したのだった。
「な、なんだよ〜、驚かすなよ……勇者のルクルースが霊位魔法なんて出せる訳ないよな、はは、はははっ……」
「そ、そうよね! これもチュウニビョウってやつの症状なのかもしれないわね!」
部屋に流れる珍妙な空気をどうにかしようと、フェルムとアルキュミーは取り繕ったような笑みを振りまく。
だが、それに一切釣られる事なく、怪訝な顔つきで事態を冷静に分析する人物がいた。
ハーフエルフの神官、クラルスである。
「アルキュミー、まだルクルースは体が十分に回復できていないようです。しばらく療養が必要かと」
「そ、そうね! じゃあしばらくは私が責任持って看病するわ、任せて頂戴」
「貴様、勝手に話を……!」
「ルクルース、気持ちはわかるけど、まずは体を休めないと!」
およそ女とは思えぬ力で腕を捕まれると、ベッドに向かって引っ張られる。抵抗しようと試みるも、目覚めて間もない身体は言う事を聞いてくれない。
強引に引きずられながら、テネブリスは口先だけでも抵抗する。
「なっ、アルキュミーとか言ったか、貴様! 不敬であるぞ!」
「はいはい、わかったから。さあ、休みましょう」
「くっ……」
駄々をこねる子供をあやす様に、もしくは寝付けない子供を諭すように、アルキュミーはテネブリスの抵抗を軽く受け流す。
そしてなされるがまま、テネブリスはベッドへ縛られた。
目覚めてすぐの無理が祟ったか、次第に身体の力が抜けていく。
薄まる意識の中、最後に目に入ったのは聖母の如く柔らかな微笑みを浮かべる魔法使いの女の横顔だった。
眠りについたテネブリスを見つめ、アルキュミーは小さく呟く。
「おかえりなさい、ルクルース」
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