第33話【エピローグ】

【エピローグ】


(優孝、本当にいいのか?)

「ああ」


 心配げなハネコに向かい、僕は大きく頷いてみせた。

 手には自分のスマホがあり、ショートメッセージの画面が開かれている。

 父からだ。『明日の午後には任務を引き継ぎ、夕方には帰宅できる』とのこと。


(でもなあ、お前も不安じゃねえのか? あたいのテレパシー能力なしで――つまりは感情バーの表示なしで、たった一人で親父さんにいちゃもんをつけるってのは)

「高校に入ってから、そしてハネコと出会ってから、いろんなことがあった。いろんな人と話をした。だから大丈夫だよ。僕にとってこの数日間ほど、密度の高い日々はなかった」

(ふぅん……)


 しばしの間、ハネコは沈黙した。


(で、でもよ、あたいはまだ五、六日はこの星にいられるんだぜ? ちったぁ頼りにしてもらっても――)

「くどいよ、ハネコ」


 僕は少しばかり、睨みを利かせてみようとした。しかし、結局笑ってしまった。

 他人の心配をするなんて、ハネコらしくもない。その、いつもの態度とのギャップが可笑しかった。


「ハネコだって暇じゃないんでしょ? クロコを回収したり、テロリストたちの身柄を安全に警察に引き渡す手伝いをしたり」

(そりゃ、まあな)


 後頭部を掻くハネコ。

 そんな彼女の前で、僕はベッドから下りて正座をし、土下座をするような感覚で深々と頭を下げた。


(お、おい優孝、一体どうし――)

「今まで本当にありがとう。お世話になりました」


 僕がゆっくりと顔を上げると、そこには顔をニヤつかせ、奇妙な表情を浮かべるハネコの姿。

 始めは、僕の気真面目さをからかおうとしているのかと思った。しかし、ハネコの目元にきらりと光る何かがあるのを認めて、僕はすっと目を逸らした。


(じゃ、じゃあな! 精々達者で暮らせよな、馬鹿!)


 そう言って、ハネコは真っ白い光に覆われ、消えた。


「……馬鹿はどっちだよ。僕だって寂しいよ」


 しかし、ここから先は僕自身の戦いだ。

 はあ、と大きなため息をついて、再びベッドに腰かける。するとちょうど、布団の上に投げ出していたスマホが鳴っていた。LINEが来たらしい。


「凛々子から?」


 明日、早めに教室に来てほしいとのことだ。何だろう。

 いやいや、きちんと考えるんだ、片峰優孝。何の考えもなしに突撃しては、今までの自分と変わらない。


 凛々子は、僕を巡って愛奈とライバル関係にある。先手を打つつもりだろうか?

 では、その『先手』とは何だ? まさか――告白?


 その考えに至り、僕は頭頂部に落雷を喰らったかのような衝撃を受けた。

 どうしよう。僕には、誰かを恋人にするだけの余裕も覚悟もない。そもそも僕が、他人を幸せにすることなどできるのか? 


 だが、ここで逃げ出す、というのも癪だ。自分で自分を許せない。

 まだ告白されると決まったわけではないし、凛々子がどんな言葉を使ってくるかも気になるところ。

 今は慌てず騒がず、明日に備えるべきだ。

 まあ、ここまで考えを詰めてしまうと、結局突撃するしかなくなってしまうのだけれど。


         ※


 翌日、午前五時。スマホのアラームが鳴る前から、僕は覚醒していた。いや、そもそも寝ついていたかどうかさえ怪しいところだが。

 僕はさっさとアラームを停止し、朝食を準備すべくキッチンへ下りた。


 そうだ。事件がどのように扱われているか、確かめなければ。卵をフライパンに落とし、スクランブルエッグを作る。その片手間に、テレビのリモコンを手に取った。

 今日は快晴、という天気予報に続いて、ローカルニュース番組に移る。


《本日未明、町内で不穏な動きをしていた武装集団が逮捕――首謀者は戸沢隆一、三十八歳――付近の空き倉庫にて、部下と思しき男たちと共に――現在は市内の警察署で取り調べに――》


 ふむ。この件は大丈夫か。


《次に、先日より目撃された未確認飛行物体――月の裏側にまで遠ざかり――NASA、アメリカ宇宙軍、及び航空自衛隊は警戒を解除――》


 こっちも大丈夫らしい。

 僕は、今度は小さく吐息。もうハネコとは会えないんだな。寂しさが再び込み上げてきたが、これは僕が、自分で決めたことなのだ。


「さて、と」


 考え事をしている間に、少しだけ卵が焦げてしまった。まあ、味は変わらないか。

 僕は黙々と朝食を終え、今日の授業内容を確認し、必要な教材を鞄に入れて、玄関を出てから入り口を施錠した。


 学校に着いて、真っ先に目に入ったのは運動部。

 まだ人数は少ないが、朝練のためにグラウンドを整備しているところだった。腕時計を見遣ると、時刻は午前六時。


「こんな早くから、大変だな……」


 幸い、日が伸びてきて寒くはない。新入生の入学早々、風邪でもこじらせたら大変だろう。先輩としての面子が立たない。


 僕はグラウンドを囲むように配された桜の木々に視線を移す。ちょうど七分咲きといったところか。今週末あたりは見頃だろう。


 などなど考えながらも、気づいた時には昇降口を抜け、自分の教室の前に突っ立っていた。

 僕は後ろの出入口から、教室全体を一度見渡す。人の気配はない。


「凛々子?」


 小声で呼びかける。しかし、やはり教室は沈黙を保ったまま。

 取り敢えず席に着こう。そう思って、中央列最後尾の自分の机に腰を下ろした、その時。


「ん?」


 一通の封筒が、僕の机に入っていた。薄水色の、上品な封筒だ。

 ゆっくり封を切って中身を取り出すと、そこには、実に丁寧な文字で、このような文章が書かれていた。


         ※


 片峰優孝様


 突然のお手紙、失礼致します。塔野凛々子です。

 いつもいつも、わたくしたちを助けてくださり、ありがとうございます。この度は、一つお伝えしたいことがあって、こうしてお手紙を差し上げる次第です。


 昨日、帰宅してからよく考えました。わたくしが添い遂げるべき相手について、です。

 そして、わたくしは一つの結論に至り、そして一人の殿方を選びました。

 

 風戸秀平さんです。

 あの方は、いつもわたくしのことを気遣い、救いの手を差し伸べてくださいました。

 もちろん、優孝さんも愛奈さんもそうです。しかし、わたくしに好意を抱き、その確固たる意志の下、わたくしを守ってくれたのは秀平さんです。

 

 大変なわがままであることは承知しております。しかし、わたくしは秀平さんに報いたい。あの方の好意という、温かい光の差す場所で生きていきたいと思ったのです。


 優孝さんには、無礼を承知で大変なご迷惑をおかけ致しました。わたくしとしたことが、殿方に対して、あまりにも安易に好意を示し過ぎたと、反省しております。


 こうして優孝さんにお詫び申し上げることで、わたくしは過去の自分から脱却し、今日中にでも秀平さんに自分の気持ちをお伝えするつもりです。


 全く以て、自己中心的な女だと思われるでしょう。その責めを受けることは、わたくしも覚悟しております。二度とあなた様が、わたくしに口を利いてくださらないほどにわたくしを嫌うことも。


 しかしそれは、あなた様から受けたご恩を忘れることとは違います。優孝さんに恋していたことは事実ですし、そもそも、『恋愛とは何なのか』を教えてくださったのは、他でもない優孝さんです。


 これからも仲良く、などとは申しません。ただ、遠くから優孝さんのご多幸を、心より祈念致しております。

 それでは。


 塔野凛々子


         ※


 奇妙なことだが、僕の心は温かさに満たされていた。

 実質、これは別れ話、離別の手紙ということになるのだろう。

 しかし、凛々子が本当に、真剣に僕という人間と向き合ってくれたのは事実だ。最善の礼儀を尽くしてくれたことも。


 僕同様に、彼女も自分の道に歩み出そうとしているのだ。一体、彼女のどこに非があるというのだろう?


 僕はそっと手紙を封筒に戻そうとして、一つ違和感を覚えた。

 この手紙は、いつ僕の机に入れられたのか?


 精神世界での戦いが終わってから、僕たちは真っ直ぐに帰宅した。

 昨日準備された可能性は低い。ということは、手紙が配されたのは今朝か。


 ふと左隣を見る。凛々子の机だ。そこには、凛々子が愛用しているポシェットが机に入っていた。やはり、今朝登校してからこの手紙を入れたらしい。


 なあんだ、面と向かって言ってくれればいいのに。

 そうは思ったものの、そんな考えは僕のデリカシーのなさから生まれたものだろう。

 きっと凛々子は、緊張の極致にあったに違いない。そんな彼女に『口頭で述べろ!』というのは酷だろう。


 違和感が解けて、僕は封筒を鞄にそっと入れ込んだ。

 その直後のことだ。何者かが猛ダッシュでこちらに近づいてくるのが聞こえたのは。

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