第23話
いつも通り、ハネコとの連携を試みる。しかし、ハネコからの返答はない。
「ハネコ、どうしたんだ?」
安藤さんに気づかれぬよう、こっそりハネコに呼びかける。いつもなら、ハネコはすぐにターゲットの脳を覗いて、現在の位置や状況を僕の頭に展開しれくれるのだが。
「ハネコ?」
(あー、こいつはお前の手には負えねえな)
「どういうことだよ?」
(安藤とやらには残念だが、この子犬はもうこの世にいない)
「えっ……」
「優孝くん、もう目を開いても?」
「ちょ、ちょっと待って、安藤さん!」
僕は水晶玉を握る手に力を込めつつ、唾を飲んでハネコに語りかける。
「もうこの世にいないって、一体どういう――」
(野良犬に食い殺されている)
僕ははっと息を飲んだ。
(子犬の脳にアクセスできねえから、近くの野良犬や野良猫の脳にリンクしてみた。そうしたら一発で分かったよ。安藤、だっけ? 彼女には悪いが――)
「安藤さん、目を開けて」
彼女はぱっと目を見開き、僕と眼鏡越しに目を合わせた。
「うちの子犬は? リリーはどこにいるんです?」
「残念だけど、逃げ出した後に他の犬に襲われて、殺されちゃったんだ」
しまった、と思った。安藤さんの悩みに答えるのに、これではあまりにも残酷ではないか。
左の太腿が痛い。どうやらポケットの中で、ハネコが暴れ狂っているらしい。
(この馬鹿! ちったぁオブラートに包むってことをしねぇのかよ!)
時既に遅し。覆水盆に返らず。
それこそ安藤さんは、頭から冷水を浴びせられたかのようだった。
目は見開いているが、眼球が振動している。全身が震えていて、口元では呼吸がどんどん荒くなっていくところだった。
「あの、安藤さ――」
「ッ!」
僕の呼びかけにも関わらず、安藤さんは立ち上がって踵を返し、涙を拭こうともせずに飛び出して行ってしまった。
呆然とそれを見ていると、左側頭部に鈍痛が走った。ハネコに蹴っ飛ばされている。
「何するんだよ、ハネコ!」
(それはこっちの台詞だ、馬鹿アホ間抜け! 彼女の感情バーを見たか?)
「い、いや、そんな余裕はなくて……」
(滅茶苦茶黒に近い紺色だったぞ! 色もバーの長さも最悪の状態を示してる)
「最悪っていうのは……」
(絶望ってやつだな。ま、あたいもあんたの世渡りの下手さ加減には絶望を覚えるが)
確かに、その子犬が無事だ、と嘘をつくことは許されないだろう。
しかし、そこを押さえつつささやかな嘘をつく、くらい融通を利かせてもよかったかもしれない。
例えば、食べるものがなくて、あるいは今日の寒さで死んでしまった、くらいのソフトな言い方だったら。
(占い師なんて、とんでもねぇレッテルを貼られちまったな。取り敢えず一週間は援護してやるから、その間に訓練しとけ)
「うん……」
※
教室に戻ると、安藤さんが机で泣き崩れていた。もう号泣である。
数名の女子が彼女を取り囲み、励まそうとしている。その中には、愛奈の姿もあった。
こちらを見つけると、愛奈はキッと鋭い目で僕を見返してきた。
彼女だけ、感情バーの色が真っ赤っか。怒りを表している。きっと、ハネコと同じことが言いたいのだろう。
僕は頭を抱えつつ、何とか自分の席に着いた。
「ホームルームまでまだ時間があるな……」
そう呟いて机に突っ伏しようとした、その時だった。
「ゆ、優孝くん、だよね?」
のっそり顔を上げる。そこには、ぽっちゃり目で背の低い、愛嬌のある男子が立っていた。
「ぼ、僕、佐藤佳っていうんだけど、えっと、初めまして」
「うん、初めまして。どうかしたのかい?」
と尋ねつつ、嫌な予感しかしない。
「もしよかったら、僕のことも占って……っていうか、相談に乗ってもらえないかな……?」
彼の言葉遣いは標準語だったが、ところどころ訛りが垣間見える。どこの訛りなのかは分からないけれど。
安藤さんの泣きじゃくる声が聞こえる。気まずいことこの上ない。
佐藤くんのことも、傷つけてしまうかもしれない。だが、彼の頼みを無下に断っては、僕の訓練にならない。
僕は彼に向かって一つ、大きく頷いて、再び空き教室へと足を踏み入れた。嫌な緊張感を振り払うべく、僕は早々に切り込むことにする。
「それで、佐藤くんの相談事って?」
「いじめの、ことなんだ」
「いじめ……?」
僕は思わずリピートしていた。いじめって……。
「まさか、今いじめられているのかい?」
「いや、違うんだ。ただ、中学校の時に酷いいじめにあってね……。高校でも同じ目に遭うんじゃないか、って思ったら、食事は喉を通らないし、眠ろうにも眠れないし」
僕は佐藤くんの感情バーを見た。濃い目の灰色。大きな不安を抱いている証拠だ。
だが、現在のところ危害を加えられている気配はない。いじめられるかも、というのは彼の考え過ぎ、だろうか。
念のため、僕は彼に目を閉じるよう促し、安藤さんの時同様に脳のリンクを形成した。
高校での生活について、ざっと概観する。うむ。確かにいじめらしきことは起こっていない。
問題は、彼の中学時代の記憶を覗いた時だった。いじめられていた時の記憶。そのあまりの凄惨さに、僕は息を飲んだ。
登校して、教室に入る。誰も佐藤くんを気にかけない。
いや、本当にそうか? ところどころで、橙色のバーが伸びている。何某かのトラブルを期待している様子だ。こいつら、何のつもりだ?
佐藤くんが自分の席に就こうとした、まさにその直前。椅子の上で、何かがギラリ、と輝いた。
画鋲だった。二、三の画鋲が、針を上にして椅子の上に鎮座している。
「おう、佐藤!」
大柄な男子生徒が声をかけてきた。佐藤くんとは親しいらしいが、そこに嘲りの色があるのを、僕ははっきりと認めた。
「わりぃ、宿題また見せてくれよ」
「あっ、うん……」
画鋲を取り払った椅子に腰かけ、鞄を置いてノートを取り出そうとする佐藤くん。すると全く唐突に、頭上から何かが降り注いできた。
「あーーーっ! メロンソーダ零しちまった! 悪いな、佐藤! 大丈夫か?」
感情バーを見るまでもない。これは、わざとだ。
突然の出来事に、固まってしまう佐藤くん。
「宿題濡れちまったなぁ、これじゃあ見せてもらっても読めねえや! 悪かったな、佐藤!」
ゆっくり顔を上げる佐藤くん。彼の視線が巡らされるのに従って、僕も周囲の人間たちを観察した。
多かれ少なかれ、誰しも心の中に負の感情を抱えているようだ。橙色の嘲り、紫色の哀れみ、褐色の罪悪感。その他識別できない色の、不気味な感情が佐藤くんの下へ注がれている。
多くの視線、多くの敵意、四方八方から迫りくる心の闇。
はっとした。つい最近、僕は似たような境遇に囚われたことがある。あの怪物、ヤマタノオロチと対峙した時のことだ。
怪物は、大きなプレッシャーを僕たちに叩きつけてきた。それはそうだろう、僕たちからしてみれば、伝説にしか存在しない、未知の怪物なのだから。
だが、それと同じプレッシャーが、佐藤くんの周囲から感じられる。
「そんな……」
おかしいじゃないか。だって今回の場合、相手は怪物じゃなくて人間だぞ? それも日本人で、同じ土地で育った者たち、言ってみれば同族だぞ?
にも関わらず、どうして未知の怪物と同じプレッシャーを感じるんだ?
まさか、人間の心は、それほど理解し難い、醜いものだとでもいうのか?
半ば喚起されたトラウマを振り払い、僕は意識を現在に戻した。クラスメイトが全員着席していた時の様子を思い出し、誰かが佐藤くんを敵視していないかスキャンする。
もちろん、全員の姿を思い出せたわけではない。しかし、そのあたりはハネコが補正してくれた。
その結果――。
「佐藤くん、目を開けて」
ぱっと小さな瞳を見開く佐藤くん。
「今のところ、君に危害を加えようとする輩はいないよ」
「ほ、本当に?」
「それにここは、志の高い生徒が集まっているから、他人を蔑んだり、馬鹿にしたりするような、程度の低い連中はいない」
「じゃあ、僕も安心して生活できる、ってことかな?」
僕は無言で大きく頷いた。
「ありがとう、優孝くん! ああ、助かったよ! 本当にありがとう!」
佐藤くんは立ち上がり、僕が手前で組んでいた両手をぎゅっと握りしめた。それから、心の底から安堵した様子で空き教室を出ていった。
佐藤くんが出ていってから、数秒後。
「……だはっ!」
僕は思いっきり息をついた。肺の底から口内までの空気が、一気に排出される。
佐藤くんの過去。あれは、かつて僕が自分の身に起こるのではないかと、心のどこかで危惧していた事態だ。
高校入学早々、まさにあんな過去を持つ人物と出会ってしまうとは。
(ご苦労さん、占い師殿)
机に突っ伏する僕の背中を、ハネコがそっと撫でてくれた。一人でいたら、危うく泣き出していたかもしれない。
しかし、人間の心の奥底に、あれほどの悪意が潜んでいようとは。
「くっ……」
くそっ、どうにかならないのか? どうすれば立ち向かって行ける? 僕はぐっと奥歯を噛み締めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます