第21話

「ところでよ」


 がしゃがしゃと音を立てて、秀平が頬杖を着いた。


「あんたら、どうして俺たちをあんな怪物と戦わせたんだ? 危うく死にかけたんだが」

(それに関しましては、釈明の余地もございません)

「どういうことですか?」

(あれは、わたくし共のような精神生命体の天敵です)

「天敵?」

(左様です。あの怪物――あなた方の星ではドラゴンとでも呼ぶのでしょうか――、あれは、肉体を脱したわたくし共に食らいつく『精神捕食生物』です。草木を腐らせる害虫とでも思っていただければ)

「おいおい、あんな虫がいるかよ! 火を噴いたんだぞ!」


 今度は秀平が腰を上げかけた。僕は手を差し出し、何とか宥める。


「説明を続けてください」

(これはご無礼を。地球の方々は、未だに身体を有して生活しています。精神捕食生物に対抗するには、身体の感覚を持っていた方が対抗しやすい。わたくし共では相手にできない精神捕食生物の元締めを、あなた方に倒していただいたのです)

「僕たちに断りもなく、ですか」

(申し開きの余地もございません。時間がなかったのです。わたくし共には……)

「時間?」

(あのドラゴン型の怪物が出現したのは、ちょうど五年前。わたくし共の寿命からすると僅かな期間ですが、それだけでこれほど多くの同胞を失うことになろうとは思いもよりませんでした。一刻も早く、それこそ一分一秒を争うところでして)


 沈黙が、小屋中に降って来た。きっと、僕の胸中で怒りが膨れ上がるのを相手が察したのだろう。


「あなた方と敵対するつもりはありません。でも、あなた方のために戦った結果、愛奈が気を失ったままでいるのは納得できません」


 ぎしり、といって秀平が身を引いたのが分かった。僕らしくもないことだが、目の前の光球に対する憎悪の念が湧き上がってくるのを感じる。どす黒い感情が、どろどろと。秀平はどうやら、そんな僕を見て怯んだらしい。


 ふと横をに目を遣ると、凛々子と目が合った。


「ゆ、優孝様……」


 蚊の鳴くような声を上げる。愛奈を救うべく尽力してくれている様子だが、愛奈は未だに目を覚ましてはいない。


「愛奈が目を覚まし次第、僕たちを地球に帰してください」

(それはもちろんです。先ほども申しましたが、あなた方の倒してくださった個体こそが、我々が捕食されることになった元凶でありますから。わたくし共の種族は、しばらくは安泰でしょう)


 再び沈黙があった。これは僕ではなく、光球の生み出したものだ。


「まだ何か?」

(はい。あなた方がハネコと呼称するわたくし共の同胞の身柄を帰していただきたいのです)


 今度は僕が怯む番だった。

 ハネコを帰す。ということは、僕は周囲の人間の気持ちが読めなくなる、ということだ。覚悟はしていたが、最も避けたかった事態である。

 ハネコだって、記憶喪失で『自分はいずれ帰らねばならない』ということを忘れていたのだから、寝耳に水とはまさにこのことだ。


「期限は?」

(地球時間でざっと一週間といったところです)


 光球が返答した、次の瞬間だった。別な光球が、テレパシーに割り込んできた。


(緊急事態! 本船に向かって、敵味方不明の飛行物体が急速接近中! 映像を出します!)


 何もないところに、唐突にスクリーンが現れた。そこに映されたものを見て、僕はごくり、息を飲む。


「F-15……」


 航空自衛隊の主力戦闘機であり、日本の制空権防衛の要である。

 父さんのことを調べようと、自衛隊について調べていたことが役に立った。

 いや、まだ『役に立った』とは言えないな。何らかの対抗策を打ち出すことができなければ、知識があってもなくても結果は同じだ。


(どうします、司令?)

(うむ。愛奈様の意識が戻り次第、現在の空域を全速で離脱。月面前線基地まで一時退避)

(了解)


 部下と思しき光球に語りかけた、司令官の光球。僕たちには、光球一つ一つの区別はつかないけれど、彼(?)が司令官として直々に僕たちとの意思疎通を図ってくれていることは分かった。

 って、今はそれどころではない。


「ちょ、ちょっと待って! 愛奈の意識が戻らなかったら、どうなるんです?」

(我々が、愛奈様の意識を一時的にお預かりすることになります)

「そんな、他人事みたいに言わないでください!」


 愛奈のいない生活を想像してしまい、ぞくりとした。心臓を鋼鉄の槍で貫通されたような思いだ。不安と憎悪が混ざり合い、ジリジリと正気が削られていく。


「凛々子! 愛奈はまだ目覚めねえのか!」

「無茶言わないでくださいな、秀平! 魔法を使うなんて、わたくし今日が初めてなんですのよ!」

「あーもう分かった! とにかく急げ!」

「あなたに命令されたくはありませんわ!」


 すると、先ほど割り込んできた通信係の光球が、再びテレパシーを発した。


(司令官、現在接近中の飛行物体から、明確な警戒の意識が捉えられました! 加えて、攻撃の意志が僅かながら……)

(そうか、敢えて洋上に出たのが失策だったか)


 自衛隊は、民間人の残っているところでは戦わない。光球たちはそれを理解し、あくまでフェアであるようにと、人口密集地を避けて海上に出たのだろう。

 僕たちの街の住人を人質に取るようなことは避けたわけだ。

 しかし、今はそれが裏目に出ている。詳しい交戦規定は知らないが、機関砲くらいは撃ってくるかもしれない。


 僕は居ても立ってもいられず、愛奈のそばに歩み寄った。


「目を覚ましてくれ、愛奈! 早く元の世界に帰ろう!」

「……」

「頼むよ愛奈、今は意識を身体に戻さなくちゃならないんだ!」


 僕は愛奈の両肩に手をかけ、軽く揺すった。自分でも、随分と大胆なことをしているなとは思ったものの、気にしている余裕はなかった。


「僕が自腹で林檎を買う! 名産品を取り寄せる! だから、君が切り分けてくれ! 毎日だって大歓迎だ、僕は愛奈の切ってくれた林檎が食べたいんだ!」


 僕は愛奈の手を取って、握りしめながら自分の額に押し当てた。

 この期に及んで、僕は気づいた。僕の瞼の端から零れた水滴が、ぽつぽつと愛奈の頬に落ちている。


「……優孝?」

「ああ、愛奈……」

「優孝、あたし、一体……」


 そこまで聞こえてきて初めて、僕ははっとした。愛奈が意識を取り戻したのだ。


「あ、あっ……」

「どうしたの、優孝? 確かあたしたち、怪物と戦って――」


 全てを言い切る間を与えることもなく、僕は愛奈の両頬を両手で挟み込んだ。


「ふみゅ! さっきから何がどうなってんのよ、優孝!」

「目覚めて……目覚めてくれたんだね、愛奈! よかった、本当に……」

「ちょ、放しなさいよ! な、なんか恥ずかしいじゃない」


 涙のベール越しにではあるが、愛奈が顔を真っ赤に染めるのが分かった。

 この感情は何なのだろう。愛奈が僕に好意を抱いてくれていることは、ハネコから聞いていた。しかし、僕の胸中について語ることを、ハネコはしなかった。


 愛奈が助かってくれたという安堵感。もし、今横たわっているのが秀平や凛々子だったら、僕の心はこんなに揺さぶられることはなかったかもしれない。

 幼馴染だから? 僕を好いてくれているから? 否、僕が愛奈を好いているから、なのか?

 その結論に、僕は少なからず動揺したが、今は自分たちの世界に戻る方が先決だ。


「司令官、愛奈が意識を取り戻しました!」

(把握しております。ハネコ!)

(あいよ、司令官。あんたまであたいを気安く『ハネコ』だなんて、いい度胸してんじゃねぇか)

(すぐにこの四人の精神を、身体に戻したまえ)

(よーしお前ら、意識を身体に戻してやる。そのままじっとしてろ)


 そう言うが早いか、ハネコの声はハウリングしたかのようにぐわんぐわんと鳴り響いた。

 ハネコの声、というか念波。久々に聞いた気がする。

 しかしすぐさま、湖畔に投げ出された時と同様、視界が暗転した。耳も聞こえなくなり、落下していく体感もなくなる。


 切り替わりゆく意識の中で、僕が思ったこと。それは、『眠れる森の美女』のことだった。

 まさか林檎を食べたからといって、毒林檎が現実に登場することはあるまい。でも王子様のキスはあってもよかったのではないか。


 いやいやいやいや、何を考えてるんだ、僕は。まるで自分が、その、愛奈と……キス、したがっているみたいじゃないか。相手の意識がないうちにそんなことをするなんて、汚らしいことだ。


 高速でかぶりを振る。しかし、意識しか存在していない今の状態で、それを実感することはできなかった。

 ただ、その意識の中で、僕が身悶えしていたことは確かだと思う。


(よーし、もうちょいだ。今意識を身体に戻してやるぞー)


 どこか間延びしたハネコの念波が僕たちの意識に流れ込んできて、やがて暗闇が晴れ渡った。

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