第20話

「こんの野郎! 凛々子には近づけさせねえぞ!」


 秀平の怒号が飛ぶ。見れば、怪物は翼を大きく広げ、両足を湖の淵にかけて、今にも飛び上がろうとしていた。


「待ってくれ、秀平! 君の機動力では……!」

「ぐぅおっ!」


 鈍重な装備の秀平は、呆気なく吹っ飛ばされた。怪物の頭突きによって。

 秀平の身体は宙を舞い、僕たちのすぐそばまで放られてきた。なんとか拳を地面に着き、落下の衝撃を減衰させる。

 だが、やはり負傷したのだろうか、立ち上がることができずにいる。

 それでも秀平は顔を上げ、怪物の方に向かってこう叫んだ。


「塔野凛々子は、俺が守る! てめえには鱗一枚触れさせねえぞ!」


 その時、僕ははっとした。最近感じていた、愛奈と話す時の違和感。それは、僕の心の中に、こんな強い気持ちが潜んでいるからではないだろうか? 愛奈を守りたい……とか。

 いや、それは後で考えよう。今は怪物が凛々子に迫るのを防がなければ。


 しかし、怪物からすれば、接近する必要すらなかった。全身からぶわり、と熱波を放ち、頭部をぴたりとこちらに向ける。そして、今までにないほど眩い火球を、口内で作り始めたのだ。


「皆、来るぞ!」


 そう叫ぶ僕。しかし、振り返って気がついた。

 秀平は満身創痍、愛奈は気絶、凛々子は呪文詠唱中。戦えるのは、僕しかいないではないか。


「ぐっ……」


 恐怖という名の蔦に、足元から絡め取られていくような感覚。刀の切っ先を怪物に向けるも、火球を斬ることができるという保証はない。ここまでか。

 ――そう、ここまでだった。


 怪物が、火球の生成を止めたのだ。何事かと、僕も怪物の視線を追う。そこには、右手を高々と掲げ、ぱちりと目を見開いた凛々子の姿があった。呪文の詠唱が終わったのだ。咄嗟に僕は、その場に伏せた。

 そして、凛々子は叫んだ。


「アルティメット・ボンバー‼」


 直後、凛々子の右手の先にも火球が出現した。しかし、色が黒い。そして、紫色の稲妻のようなものを纏っている。

 凛々子はそれを、容赦なく投げつけた。


 黒い火球は怪物の首の付け根に直撃した。ぴたり、動きを止める怪物。しん、と静まり返る湖畔。


 沈黙が破られた時、怪物は甲高い悲鳴を上げた。先ほどのドスの効いた唸りとは大違いだ。

 後ろ向きに倒れ行く怪物に対し、無数の稲妻が纏わりついた。怪物を中心にして取り囲むようにして、球状の稲妻のフィールドが展開される。

 怪物は苦し気に身をよじる。しかし、稲妻は容赦なく、その光量を増していく。そして、凛々子が思いっきり右腕を振り下ろした。


 直後、怪物を中心に大爆発が起こった。それは火薬による爆発というより、雷の直撃に近い轟音を伴って、怪物の全身を包み込む。

 暴風が吹き荒れ、僕たちのところにまで水滴や木々の枝葉が舞ってくる。僕はさっと三人の前に出て、風から皆を守ろうと試みた。


 やがて、一際鮮やかな極彩色の輝きを放ち、アルティメット・ボンバーの光球は消え去った。怪物は、その鱗一枚たりとも、残されてはいなかった。


「勝った……のか……?」

「そのようですわね」


 やけに落ち着き払った凛々子の声。魔法を行使した本人がそう言うのなら、安心していいだろう。


「どうだ、凛々子……。ちゃんと、守ってやったぞ……。鱗一枚……」

「は? 何を仰ってるんですの、秀平? 鱗一枚って?」

「あーーっ! 凛々子お前! 俺が命懸けでお前を守ろうとしたこと、覚えてねえのか⁉」

「覚えるも何も、呪文の詠唱に集中していたんですもの。優孝様、秀平が何か申しておりましたか?」

「言ったよな、優孝! 俺が凛々子を守るって、言ったよな⁉」


 先ほどまでのダメージはどこへやら、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる秀平。しかし僕もまた、彼とは別な方に注意を向けていた。


「愛奈、大丈夫か? 愛奈?」


 愛奈は気を失ったまま、ぴくりとも動かない。怪物の三つ目の瞳に睨まれ、弾き飛ばされたからだろうか。

 救急車でも呼べれば少しは落ち着けたのだろうが、ここはどことも知れない、いわば異世界だ。こんな場所に一番詳しい人間と言えば。いや、厳密には人間ではないのだけれど。


「ハネコ、助けてくれ! 愛奈が気絶してるんだ! 助けてやってくれ!」


 どこにいるとも知れないハネコに向かい、喚き散らす僕。せっかく怪物を倒したのに、それで愛奈が気を失ったままになってしまったら、何のための戦いだったのか分からない。

 いや、そもそもどうして僕たちが戦う羽目になったんだ? 何かの陰謀だろうか?


 静まり返った湖畔に、いくつもの白い光球が下りてきたのは、まさにその時だった。


         ※


「愛奈は? 愛奈は助かるんですか⁉」

(ご心配なく。わたくし共と凛々子さんの魔法を以てすれば、無事回復されるでしょう)

「そう、ですか……」


 安堵のため息をつく僕。

 誰と話しているのかと言えば、僕たちの周囲を漂っている光球とだ。


 ここは、先ほど怪物を倒した湖畔ではない。そこから少し離れた、丸太小屋の中である。

 どうしてこんなところにいるのかと言えば、件の光球――攻撃の意志がないことは、直感的に理解できた――にいざなわれたからだ。

 光球の正体は不明だが、ハネコと同じ感覚を得た僕たち四人は、僕が愛奈を背負うような形で誘導に従った。


 小屋の中は、実に清潔だった。塵一つ見受けられない。

 手狭ではあるが、四人が椅子に座るぶんには十分なスペースがあったし、愛奈を横たえられるベッドも配されていた。

 今その傍らには凛々子がいて、回復魔法と思しき呪文の詠唱を行っている。また、三、四個の光球がその周囲を飛び回り、凛々子を支援しているようだった。


 プロテクターを外され、無防備な姿で回復を施される愛奈。彼女の横顔を見つめているはずが、いつの間にか胸元に視線が向かっているのを察し、僕はかぶりを振った。

 凛々子ほどではないけれど、十分――って、何を考えてるんだ、僕は。


「で、あんたらの正体は何なんだ?」


 口火を切ったのは秀平である。すると、僕たち全員に伝わるテレパシーで、光球は答えた。


(ここ数日、あなた方のお住まいの地域で、未確認飛行物体が捕捉されたという事実はご存知ですかな?)


 お屋敷の執事のような口調で、光球が尋ねてくる。

 僕と秀平は顔を見合わせた後、頷いた。


(その飛行物体は、わたくし共の意識をこの星に投影させるための、発信機のようなものです。あなた方がハネコと呼んでいるのは、その飛行物体のオペレーター、唯一生身で搭乗している乗組員です)

「つまり、あなた方の身体は、どこか遠い別の星にある、と?」

(そうとも言えますし、言えないかもしれません。優孝様、わたくし共は隠し立てするつもりはございませんが、なかなか説明が難しいのです)

「何だよ、まどろっこしいな」

「静かに、秀平」


 がちゃん、と甲冑の兜をテーブルに置いて、秀平は椅子の背もたれに寄りかかった。


(厳密には、わたくし共に肉体は存在しません。意識だけの生命体なのです)

「何だって?」


 これには僕も驚いた。反射的に立ち上がってしまう。


(驚かれるのも無理はありません。わたくし共の星では、疫病や食糧不足、災害に対する対抗策が、長らく議論されてきました。この星、地球の時間に換算しますと、ざっと三千八百五十二万年ほど前からです)

「そ、それは……」

「おいおい、あんたら一体何世代前からそんな議論をしてるんだ?」

(わたくし共の、親の世代からです)

「え?」

(わたくし共の寿命は、地球に住まう方々とは比較にならないほど長いのです。肉体を有していた時でさえも)


 僕は再び驚いて、今度は座り込んでしまった。


(しかし、何の中継地点もなしに、意識だけを飛ばすことができるわけではありません。そこで、宇宙探査のために、ハネコという個体に身体を与え、宇宙船の操縦を任せたのです)

「それがどうして、地球に落ちてきたんです?」

(あれは単なる事故でしょう。あなた方のおっしゃるスペース・デブリ、宇宙ゴミと接触した可能性が高いと、わたくし共は分析しております)

「その事故が起こったのが、地球時間で五年前……」

(左様です。ようやくハネコのシグナルをキャッチし、わたくし共は彼女を回収すべく、もう一隻の宇宙船を派遣しました。こうしてあなた方と意識的な交流ができているのは、その新型の宇宙船に搭載された水晶玉のお陰です)


 僕は顎に手を遣った。分からない話ではない。宇宙など謎に満ちているのだし、地球外知的生命体の存在を否定する根拠もない。

 その新型宇宙船が、僕たちの街の上空に出現し、ハネコを回収しようとしている。それに対して、父さんたち航空自衛隊が警戒を強めている。こんなところか。

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