第17話

「あ、すすすすみません、先輩! 大丈夫ですか?」


 岳人先輩は、その場で伸びていた。壁にぶつかった拍子に、照明のスイッチに触れてしまったとみえる。


 僕がその人物を岳人先輩だと即断できたのは、特徴的な髪型と眼鏡のためだ。

 今は白衣姿ではない。何故か迷彩服に身を包んでいる。手元には水鉄砲が転がり、頭部にはバケツを被っている。


「あ、あの、先輩、一体どうしたんですか?」


 しゃがみ込んで肩を揺さぶると、ロボットが起動する瞬間のように目を光らせた。


「伏せたまえ、少年! ここはこの国の最重要機密を扱っている! いつ何時、宇宙人の攻撃を受けるとも分からんのだ!」


 再び細長い腕が伸び、僕の頭部を押さえつけた。しかし、あまりに非力だ。僕でも払い除けることができる。


「暴れるでない、少年! まさか尾行されてはおるまいな?」

「あ、それは大丈夫だと思いますけど」


 理由は違うが、僕も人に見られないよう注意を払ってきた。だが先輩は、


「いや、念のため我輩が確認しよう」


 と言って水鉄砲を拾い上げ、両手で構えて廊下の方をコソコソと盗み見た。バケツがゆらゆら揺れている。被っているというより、被せられていると言った方がいいくらいだ。


 僕は水晶玉を握ってみた。感情を可視化するバーが出現する。その色を見て、僕は呆気に取られた。


「金ピカだ……」

(ああ、それな。いわゆる中二病ってやつだ。ナルシシストを測定する時も、そんな色にある)

「へえ」

「ん? 誰と話をしているのだ、少年?」

(あたいだよ)

「ああ、申し遅れました。僕は新入生の片峰優孝、こっちの妖精みたいなのはハネコ――って、お前!」


 驚いた。ハネコが水晶玉から抜け出し、僕のそばでふわふわ浮いている。


「何やってんだ! 隠れてる手筈じゃなかったのかよ!」

(いや、今は岳人との駆け引きが必要だ。ちなみにこのテレパシーは、岳人にも聞こえているからな)


 ハネコの方が、現在の状況を読んでいる。そんな結論に至り、僕は黙り込んだ。


「しょ、少年! これはどういうことだ! この者は一体……?」

(まあ落ち着けよ、岳人とやら。状況を説明するから。それから、ちょっとした相談事がある。まずは、あんたたち二人に、だな)


 ハネコはふわふわと気ままに飛び回りながら説明を始めた。


(ついさっき、岳人は言ったな? 未確認飛行物体のこと。それで思い出したんだけどな、あれ、あたいの家なんだわ)

「は……?」

(あたいは帰らなくちゃならない。でないと、アイツら操船を間違えそうだからな)

「アイツらって?」

「そうか、分かったぞ! 君は宇宙人の一派だな! でかしたぞ少年! 宇宙人を連れてくるとは!」


 相変わらず非力な長い腕で、僕は肩を叩かれた。

 あれ? この人、さっきまで宇宙人にビビッていたんじゃなかったっけ?


 それはさておき、ハネコの説明は続く。

 曰く、彼女は宇宙人の移動手段である、宇宙船のナビゲーターを担っていたらしい。

 しかし五年前、事故が起き、その拍子に水晶玉に入ったまま地球に落着してしまった。それを拾ったのが僕だったというわけだ。


「じゃあ、さっき先輩が言ってた未確認飛行物体っていうのは……?」

(あたいの仲間だねえ。きっとあたいのことを探してるんだろうさ)

「そう、なのか」


 僕が真っ先に考えたこと。それは、『ハネコを仲間の下へ帰してやらなければならない』ということだった。

 僕もずっとハネコの力を頼りに生きていくわけにはいかないし、彼女の仲間たちだって、ハネコがいなければ困るだろう。


 しかし、事態は差し迫っている。岳人先輩の言う通り、宇宙人たちは、既に大まかなハネコの位置を掴んでいるのだ。


「ハネコ、君はあとどのくらい地球にいられるんだ?」

(ま、緊急じゃねえぜ。てめえが学校に慣れるまで、そうさな、一週間くらいはいてやってもいい)

「一週間……」

「まっ、待ちたまえ諸君!」


 実験用の耐火性テーブルに両手を着き、岳人先輩が身を乗り出してきた。


「我輩も、宇宙人とやらについていろいろ尋ねたい! ついてはハネコくん、今晩泊まっていかないかね?」

「え? 先輩、ご自宅に帰らなくてもいいんですか?」

「構うものか! そもそも一人暮らしの身だ、どこに寝泊まりしようが関係あるまい!」


 いや、あると思うけど。

 そんなツッコミを胸中に封じ、僕はハネコに向き直った。


「ハネコはどうなんだ? 僕はあと帰宅するだけだから、君の力がなくても大丈夫だけど」

(ほう? だったらあたいは、今日は岳人とやらの世話になるかな)

「おおっ! では早速質問だが――」

(それより、喉が渇いた。岳人、何か買ってきてくれ)

「承知!」


 すると、ハネコの希望も聞かずに、先輩は小躍りしながら全力疾走で部室を出ていった。


(ああそうだ、優孝)

「ん?」

(明日の放課後に来てもらえばいいんだけどよ、あいつらも連れてきな。愛奈と秀平と凛々子だ)

「それはまた、どうして?」

(上手くすれば、互いのいいとこ取りでウィンウィンなことになるかもしれない。でもてめえ一人じゃ手に負えねえから、仲間を連れてこい、ってことだよ)

「ふむ」


 ハネコがそう言うなら、反対する理由はあるまい。


「分かった、三人には声をかけておくよ。あんまり来たがらないかもしれないけど」


 実験器具とも発明品ともつかないものが、壁際に積み重なっている。それを見て僕はそう言ってみたのだが、


(そこはてめえの人望次第だ。うまいこと三人をまとめてきな。でなけりゃ一人で、まあなかなか苦労してもらうことにはなるけどよ)


『苦労』か。具体的にどんな、と尋ねても意味はないだろうと、僕は直感した。すると、唐突に扉が開き、先輩が帰ってきた。スポーツドリンクのボトルを二本、手にしている。


「さあ妖精くん! 我輩と語り合おうではないか!」

(へいへい。そんじゃ優孝、てめえは気をつけて帰れよ)

「あ、ああ」


 どこからどう見ても楽し気に、先輩は『では早速だが』と口火を切った。

 一体何がどうなっていくのやら。僕は静かにため息をついて、化学部室を辞した。

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