第13話
僕はソファの上で複雑に身体を捻ったまま、声を捻り出した。
「あ、愛奈、いつからそこに……?」
「さっきからずっといたわよ。あんたが目を覚ましたから、鼻血が止まったか確認してあげようと思ったのに、ずっと秀平と凛々子の夫婦漫才観てるんだもの」
「何だって?」
僕は大いに驚いたが、同時に喜びに胸を打たれた。
「ってことは、二人は結婚するのかい? 僕の退院よりめでたいじゃないか!」
愛奈は腰に手を当て、思いっきり大きなため息をついた。心底呆れたという空気だ。何を思ったのだろう。
あ、そうだ。今僕のジーパンのポケットには、水晶玉とハネコが入っている。愛奈の心境を読んでみようか。
そっとポケットに手を入れようとした僕は、しかし躊躇いを覚えた。何だか、愛奈に対して申し訳ない気がしたのだ。
愛奈は僕の幼馴染。ずっと心のどこかにいてくれた。そんな彼女の胸中を、他力本願で計ろうとするなど、愛奈の存在を軽んじるような行為ではあるまいか。
「ちょっと、どうしたのよ? 急に黙り込んで」
「えっ? いや、黙り込んだのは愛奈の方じゃないか」
「そう?」
僕は軽く肩を竦めた。
「あら? 何かしら? ご結婚の相談?」
うげっ、凛々子の耳に入ったか。
「許しませんわよ、愛奈さん。優孝様は、わたくしの許嫁なんですから!」
「嘘つけ!」
「嘘つけ!」
僕と愛奈は、期せずしてハモった。
「おーいお前ら、日常会話に戻ってこーい」
半ば泣きそうな声音で、秀平が嘆いた。そうか、これがいわゆる『蚊帳の外』というやつだな。秀平には悪いことをした。
僕はようやく落ち着きを得て、周囲を見渡した。
さっきは『凛々子の家』とだけ紹介されたが、なるほど、確かに大した家である。
全体的なイメージは、典型的な洋館だ。由緒ある石造建築。
ここは客間の一つなのだろうが、広さが学校の教室の倍はある。高そうな絨毯、ソファに加え、上品な造りの木製テーブルがあり、フルーツが盛られた皿がある。そのそばには重箱のような黒い箱も。
僕の寝かされていたソファの反対側の壁には、暖炉が設置されていた。今は着火していないが、冬場は相当活躍するに違いない。
出入口に向かい合う壁面は全面が窓ガラスになっていて、燦々と日光が降り注いできている。石造建築にしては明るいな、と思っていたが、それはこの窓のお陰らしい。
きょろきょろとあたりを見回す僕を、横向きのソファに腰かけながら、凛々子がにこにこしながら眺めている。
そしてその背後では、じとっとした目で秀平が僕を睨んでいた。
「ど、どしたの、秀平?」
「気にするな。これは俺自身の葛藤だ。お前は、自分の信じる道を行けばいい」
……何を言っているのかよく分からない。
「さあ、優孝様もお目覚めですし、お昼ご飯にいたしましょう! わたくし、手作りしてみたんですけれど」
僅かに緊張の色を浮かべながら、凛々子が立ち上がる。テーブルに歩み寄り、黒い重箱に手をかけた。
「はい! はい! は~い!」
重箱を開く度に、声を上げる凛々子。何故だか僕は、幼稚園児扱いされているような気になった。
凛々子は、本当はどんな目で僕を見ているのだろう? 今度こそ僕はハネコの助力を得ようとしたが、すぐに突っぱねられた。
(そんくらい自分で察しろよ。乙女心は複雑なんだ)
人間ではない君に言われても、とツッコミを入れようとして、僕は慌てて口に手を遣った。独り言にしては長すぎる。
するとその所作をどう勘違いしたのか、凛々子は
「あら優孝様、そんなに驚かれるほど美味しそうに見えますか?」
と、一言。
それと同時に、何故か愛奈には後頭部をどつかれる。全くわけが分からない。
秀平に至っては、立ったまま地団駄を踏んでいた。埃が立たないように注意を払いながら、である。凄まじい高等テクだ。
僕は、事態の理解を諦めた。
「はいっ! 一段目は和風、二段目は洋風、三段目は中華ですわ! 皆さんのお口に合うといいんですけれど」
未だに緊張気味の凛々子の言葉に、重箱を覗き込む僕たち。真っ先に口を開いたのは、秀平だった。
「り、凛々子、これ、本当にお前が作ったのか?」
「しっ、失礼な不良さんですわね! そりゃあ、シェフに手ほどきはしていただきましたけれど、手掛けたのは全部わたくしですわ!」
ああ、やっぱりいるんだ、専属のシェフが。だよなあ、こんな豪邸だもの。
『お食べなさ~い』と舞い踊る凛々子に促され、僕たちはいそいそと箸をつけた。凛々子に見惚れていた秀平を、再び蚊帳の外にして。
※
結論から言うと、実に美味だった。
使っている素材がいいのかもしれない。しかし、トリュフだキャビアだフォアグラだといった高級食材が出てきたわけではない。飽くまでも、料理自体は普段見かける庶民的なものだ。
卵焼き、ハンバーグ、エビチリなど、見た瞬間に正体が分かる一般料理。だが、味は冷凍食品のそれとは一線を画すものがある。
「ちょ、このカキフライ美味しい! 優孝も食べてみなって!」
「愛奈こそ! こっちのローストビーフ、凄いよ!」
「むぐむぐむぐむぐ!」
何やらむぐむぐ言っているのは秀平だ。どうやら、いかに美味しいのかを凛々子に伝えようとしているらしい。しかし、むぐむぐでは通じないだろう――。
「あら秀平さん、お目が高いわね! そのサンドイッチ、わたくしの密かな自信作でしてよ! ちょっぴり見直しましたわ!」
通じた! 冗談みたいだが、確かに今、二人の間で何らかの意志疎通があった。
が、問題はその先だった。秀平の動きが、停止してしまったのだ。かと思いきや、口内のサンドイッチを一気に咀嚼し、ごくりと飲み込む。そしてこう言った。
「凛々子、あんたの料理の腕は最高だ。この調子で、毎朝俺のためにビーフシチューを――」
と言いかけて、何かが彼の側頭部を直撃。サングラスが無様に宙を舞う。そして反対側へと、秀平はぶっ倒れた。
「もういいよ、あんたらの夫婦漫才には飽きたから」
そう言って、空の容器を投擲したのは愛奈である。彼女の投げた容器が軽いものだったのは、秀平にとっては僥倖だったと言える。
「うっせーな愛奈! 漫才じゃねえ、俺は真剣に凛々子に婚約をだな!」
「あら、こんにゃくですの? ほら、和食の膳の煮物に入ってますわ」
「……いただきます」
秀平は何故か床に正座し、丁寧に箸を持ち直して、煮物を突き始めた。
あ、そう言えば。まだ謎のことがある。誰かが言ってくれたような、言ってくれなかったような……。
僕もまた、口内のものを飲み込んでから、一つ問いを放った。
「ところで、なんで今日はホームパーティなんてやってるんだい、皆?」
ピシリ、と室内の空気が固まった。何だなんだ?
(優孝、屈め!)
久々に伝わる、ハネコからのテレパシー。『え?』だか『は?』だか、間抜けな声を上げながら腰を折る。すると、僕の頭部があったところを何かが猛スピードで通過していった。
「なっ、何が起こって――?」
さっと振り返る。そこには、必殺回し蹴りを決めた姿勢の愛奈の姿が。
どうやら愛奈は、わけあって僕に回し蹴りを喰らわそうとしたらしい。しかし僕に回避されたことで、驚いて固まってしまった。
――よりにもよって、スカートが捲れ上がった状態で。
秀平は煮物を夢中で掻っ込んでいる。
凛々子はその様子をにこにこしながら見つめている。
これらの事象から導き出される結論。
それは『愛奈のパンツが紺色であることに気づいたのは僕だけ』ということだ。
(優孝! しっかりしろ優孝! 鼻血を垂らしてる場合じゃねえ、二段目が来るぞ!)
「こんのド変態があああああああ!」
今度こそ、愛奈の足が僕の頬にめり込んだ。スリッパが柔らかいもので助かったが、それでも意識が点滅した。
ひぃ、危ない危ない。って、思いっきり当たっているのだけれど。
※
「そうかあ、僕の退院祝いに、凛々子さんが僕たちをもてなしてくれたんだね」
「そうそう、仰る通りですわ! 不肖この塔野凛々子、全身全霊を以て優孝様を祝福いたします!」
「ど、どうも……」
僕はそっと目を逸らした。凛々子のワンピースの襟元から、見えてしまうのだ。その……谷間が。
居心地の悪い沈黙は、しかし唐突に破られた。
コンコン、と扉がノックされ、『失礼致します』という声と共に、長身のメイドさんが入ってきたのだ。
和風に言うところの押し車に手をあてており、『食後のデザートでございます』と言ってテーブルに一枚の大皿を置いた。
その皿の上にあるもの。それは、綺麗に皮を剥かれた林檎だった。やや黄色みがかった白色の表面から、果汁が滲み出ている。
「うお! 美味そうな林檎だな!」
「そうそう、農家さんから直接買い付けておりますのよ。高級品ですわ! 酸素に触れて変色しないよう、塩水に漬けておきましたからね!」
林檎? 変色?
それらのワードから、僕ははっとさせられた。
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