第12話【第三章】

【第三章】


「ん……」


 僕は意識を取り戻した。

 不良の暴力で気を失ったわけではない。凛々子が手配してくれた病院の個室で、鎮痛剤と栄養の点滴を打たれたのだ。その副作用で、僕は深々と眠りに就いていた。


 薬品臭の漂う中でひらめく、薄桃色のカーテン。ゆっくりと上半身を起こそうとしたが、上腕と腹部に鈍痛が走った。


「イテッ」


 すぐに身体を水平に横たえ、深呼吸をする。息をするのに支障はないが、どのくらいで日常生活に戻れるかは分からない。ううむ。

 ひとまず気になったのは、今が何時かということだ。寝っ転がったまま左右に視線を巡らせるが、時計は見当たらない。


「何時なんだろう、今……」


 そう呟いた時、唐突に、場違いなイメージが僕の脳裏に描かれた。


「やっぱりお見舞いには来てくれないのかなあ、父さんも母さんも」


 悲しくはなかった。こんなこと、慣れっこだ。ただ、僕が一つ思ったのは、僕が結婚して子供が出来たら、決してこんな思いはさせまい、ということだ。

 ハネコの能力で感じたところでは、小さな子猫でさえ、仲間の存在を意識していた。人間なら尚更だ。


 凛々子の猫を救うことはできたけれど、僕自身は何も変わらな――。


「ん?」


 ふと天井から目を逸らすと、カーテンがさわさわと揺れるのが確認できた。


「あの、誰かいるんですか?」

「ギクッ!」


 おいおい、見つかった瞬間に『ギクッ!』なんて言う人、初めて会ったぞ。

 だが、こっそり顔を覗かせたのは、初対面でも何でもない、いつもの幼馴染だった。夕日が逆光になって、やや見づらかったけれど。


「ゆ、優孝、大丈夫?」

「大丈夫そうに見える、愛奈?」

「……意地悪。人が心配してあげてるのに」

「ごめんごめん、悪かったよ。身体の節々が痛むけど、苦しいってほどじゃない。ところで、今何時だい?」

「午後五時過ぎ。優孝、あんたは六時間も眠ってた計算になるね」

「そっか」

「そう」


 愛奈は肩を竦めてみせた。


「ところで、秀平と凛々子は?」

「あの二人は、今凛々子の家に行ってる。『俺たちで猫の誘拐犯をとっちめるんだ~』なんて言ってたよ、秀平」

「ふむ」


 確か、不良たちの言葉に『庭師』というのがあったな。一応伝えてはおいたが、役に立つだろうか? まあ、大丈夫だろう。あれほどの戦闘力を誇る秀平がいれば。


「僕、入院するのかな」

「そうみたい。今日が金曜日でよかったね、明後日の日曜日には退院できるって聞いたから」


 僕は安堵のため息をついた。これ以上学校を休んではいられない。

 顔を天井に戻し、二、三度瞬きをする。

 あ、そう言えば。ハネコと、彼女の住まいである水晶玉はどこに行った? 彼女の正体がバレるとまずい。


「そ、そうだ愛奈、僕が握ってた――」

「水晶玉でしょ? お守りにでもしていたの?」

「あ、うん、そうなんだ。すごく大事なもので」


 すると愛奈は、分かっているとばかりに手を振って、ベッドわきのキャビネットから水晶玉を取り出した。


「はい、これでしょ?」

「あっ、うん! よかった、これがないと――」

「これがないと?」


 おおっと、自分から水晶玉の性能を暴露するところだった。『水晶玉があれば、僕は他人の心が読めるんだ!』なんて豪語する人間がいたら、そりゃあ誰だって引くだろう。


「これがないと……そう、落ち着いていられないんだ」

「へぇ、変なの」


 愛奈には言われたくない。と思ったが、今は黙っておくことにする。


「あっ、それでね、優孝」


 自分の座っていた丸椅子の上で、身を捻る愛奈。


「これ、切ってみたんだけど、食べる?」


 差し出されたのは、八等分された球形の果物だ。だが、それが何なのかよく分からない。赤い皮が残されているのだが、身が茶色みがかっている。お世辞にも、美味しそうとは言えない。


「愛奈、これ、何?」


 すると、愛奈の表情は目まぐるしく変化した。

 意表を突かれた! という驚きの顔から、怒りを帯びた表情、そしてどこか諦めのこもった顔つきへ。

 少なくとも、よい変化ではない。


「……ご」

「え? 何だって?」

「だから林檎! 兎さんの格好してるでしょ! どっからどうみても、お見舞い用に切った林檎じゃない!」

「あ、そういうことか」

「そういうことか、って……。ふんだ! あたし一人で食べてやる!」


 次々と手掴みで、林檎を頬張っていく愛奈。お年頃の女子っぽさなど感じられない。それとも、僕がそこまで鈍感ということなのか?

 だが、一つ合点のいったことがある。この果物、林檎が茶色くなったのは、切り分けられてから酸化し始めて、相当時間が経っていたからだ。と、いうことは。


「ねえ、愛奈」

「もがもが!」

「もしかして、ずっと僕が目を覚ますのを待っててくれたの?」

「もぐっ!」


 愛奈は手を止め、首の下あたりをどんどんと叩いた。

 皿を置き、片手を口に当てて噴出を防ぐ。


「げほっ! むぐっ! けほ……。な、何よ、悪い? あんたの心配してちゃ悪い?」

「ありがとう」


 すると、唐突に愛奈の顔が紅潮し始めた。制服の襟元から耳の先まで真っ赤っかだ。


「ひっ、卑怯者!」

「あ、え、僕?」

「そっ、そうよ! どうしてそういう不意打ちをしてくるかなあ! あーあ、安心したらお腹空いちゃった! あたし帰る!」


 言いたいことは言った。そんなオーラが、水晶玉なしでも感じられる。

 そして、乱暴に鞄を振り回しながら、愛奈はあっという間に病室を出ていった。


「……何だったんだ、今の?」


         ※


 翌々日、日曜日の午前中。


「どうもお世話になりました、皆さん」


 僕は医師や看護師たちの前で頭を下げていた。

 しかし、僕の治療を担当してくれた女性医師は、いえいえと頭を下げ返してこう言った。


「片峰様は凛々子お嬢様のご友人でいらっしゃいますから、当然です」


 ん? 少し引っ掛かる。まるで、凛々子の存在あってこそ、僕が厚遇されたかのようではないか? 僕は、良かれ悪かれ差別されたということだろうか。


「あの」

「さあ、お受け取りください!」


 僕がそれを言おうとしたら、豪華な花束を手渡された。治療スタッフ一同、とのプレートが垣間見える。


「エントランスに凛々子様と、えーっと、ご友人がいらっしゃってます。どうぞエレベーターの方へ」


 こうまで言われたら、最早場の雰囲気に流されるしかない。僕は治療スタッフに包囲されるようにして、大型エレベーターに乗り込んだ。


 一階で降りると、スタッフがさっと両脇にどけた。何かしらの空気を読んだように。


「ああ、優孝様! こんなお姿になって、大変な思いをなさったでしょうに!」

「う、凛々子――うわあっ!」


 僕は花束を取り落としてしまった。凛々子に正面から思いっきり抱き着かれたのだ。


「優孝様、こんなボロボロになられても、わたくしは――」


 凛々子はいろんな言葉をかけてくれているようだが、それに付き合ってはいられなかった。

 まあ、服がボロボロなのは仕方がない。不良たちに暴力を振るわれてからそのままなのだから。しかしそれを遥かに凌駕する大問題が起こっていた。


「り、りり……ぐるじ……」

「え? 何ですか、優孝様?」

「それに……む、胸……」

「はい? 何を仰っておいでなのですか?」

「ちょ……離れ……」


 抱き着かれる直前、僕がさっと掲げた掌。そこに、凛々子の胸がすっぽりと収まっていた。しかも両方である。

 僕の脳内はとっくにオーバーヒートしている。凛々子に同伴していたのであろう、秀平の姿が見えたが、やれやれとかぶりを振るばかり。


「誰か、だ、だずげ……」


 僕は勢いよく鼻血を噴出させて、凛々子に押し倒される格好で横たわった。後頭部を強打せずに済んだのは、治療スタッフの手が床との間に滑り込んでくれたから。

 そのスタッフの手首が損傷したのは言うまでもない。


         ※


「おい凛々子、あれじゃあ『ミイラ取りがミイラになる』ってまんまじゃねえか!」


 一昨日同様、僕は目を開けた。今度はすっと上半身を起こす。あ、僕は寝かされていたのか。


「何を仰いますの、秀平さん! わたくし共のスタッフは、あのくらいではへこたれませんわ!」

「物理的な怪我の話をしてんだよ! 退院間近の患者を助けて自分が手首骨折って……。優孝だって、危うく頭をぶっつけるところだったんだからな!」

「そ、それは……」

「あのー、ふ、二人共?」


 僕はそっと声をかけてみた。

 相変わらず学ラン姿の秀平と、清楚なパステルカラーのワンピースを纏った凛々子が舌戦を繰り広げている。


「あっ、お気づきになられたのですね! 優孝さ――ぐえっ!」

「だからな凛々子、お前はそうホイホイ人に抱き着くなっての!」

「ホイホイとは聞き捨てなりませんわね! わたくしが抱擁するのは、運命のお相手だけですわ!」


 僕は寝かせられていたソファから足を下ろし、どちらにともなく問いかけた。


「あのさ、ここどこなの?」

「凛々子の家。実家通いだからってことで、あたしたちがお邪魔したの」


 そう答えたのは、ソファの後ろにいた愛奈だった。


「うわっ!」

「うわっ! じゃないわよ。全く節操がないんだから、あんたって人は……」

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