第9話
※
翌日。
今日から通常授業である。皆、だんだんと学校やクラスに馴染んできたようだ。喜びや楽しさを表す淡い桃色のバーが、そこかしこに見受けられる。
しかし、何やら暗い色彩のバーがある。
「ん?」
そのバーの主は、秀平だった。こちらに背を向け、机に手を着いている。自分の机ではない。凛々子の机に、だ。
二人の間でトラブルでもあったのか? 僕は急に不安に囚われたが、怒りを表す赤いバーは出現していない。凛々子にも。
すると、何を考えていたのか愛奈までもが駆け寄って来た。こちらも、表示されるのは心配の色。
僕はそっと水晶玉に力を込めた。すると、ハネコからすぐに反応があった。
(どうやら、凛々子の家で飼っていた猫がいなくなったらしいな)
「それが心配で、秀平や愛奈がやって来た、と?」
(ああ。あたいの力が貸せそうだけど、どうする?)
「決まってるよ、助けるさ」
小声でハネコとの遣り取りを終えた俺は、神妙な顔を作ってゆっくりと凛々子の席に近づいた。
「あ、おはよう、優孝」
「おう」
笑顔を見せる愛奈に対し、短く答えるだけの秀平。
今の彼は、『意中の人が心配事を抱えている』という状況だ。他者に対して不愛想になってしまうのも仕方がない。
すると、愛奈が僅かに身を引いた。僕にも、このトラブル解決に一役買うよう訴えているらしい。望むところだ。
わざとらしく『何かあったのかい?』と尋ねてみる。肝心の凛々子は俯いたまま、時折ハンカチで目元を拭っていた。
秀平の方を見ると、ハネコの察知した通りの言葉が返ってきた。
「凛々子のうちの猫がいなくなったらしい。それで、俺たちはどうしたいいか、考えてたとこ――」
「探そう」
「は?」
唐突に切り込んだ僕の言葉に、秀平は目を見開いた。愛奈が僕に問うてくる。
「探す、って……。優孝、探す当てがあるの?」
「まあね、日本国内の範囲なら、僕と――どわっ!」
僕は慌てて、左手をポケットから抜き取った。突然、水晶玉が高熱を帯びたのだ。
ああ、そうか。確かに、やたらめったら話すべき内容じゃないよな。僕がハネコの助力で、いろんな事態を察知できるようになったのだということは。
僕は左手の手首から先をぶらぶらさせ、ふうふうと息を吹きかけた。いやあ、本当に熱かった。
「何一人で慌ててんだよ。まあいいや、で、優孝は凛々子の猫を探してやるってことに賛成なんだな?」
「うん」
「俺は、猫が帰ってくるまで待っていた方がいいんじゃないかと思ってたんだが……。えっと、豊崎さん?」
「あ、あたしのことは『愛奈』でいいよ」
「そうか。愛奈は、探しに行くのと家で待つのと、どっちがいいと思う?」
「そうだね……。凛々子、こういう時の対処法って、インターネットとかで調べてみた?」
ふるふると首を左右にやる凛々子。
「じゃあ、あたし調べてみる」
颯爽とスマホを取り出して、愛奈は情報収集を開始した。だが、そんな時間すら惜しい。ハネコの能力を以てすれば、一発で居場所が分かりそうだというのに。
それに、事態は一刻を争うかもしれない。危険な動物に襲われたり、誰か別の人に拾われたりしている可能性だってある。
僕は、秀平と愛奈の間のスペースから、ぐっと身を乗り出した。
「すぐに探すべきだよ、凛々子。僕には分かるんだ」
「お、おいちょっと待て。優孝、お前いつから占い師になった?」
訝し気な声を上げる秀平に、僕は真顔でこう言った。
「昨日、からかな」
※
かくして、『塔野家の猫ちゃん捜索作戦』が開始された。
僕、秀平、凛々子、愛奈の四人は、早速授業をサボることになった。しかし、この学校の自由気質の中では、サボることなど減点対象には入らない。
僕は念のため、長谷川くんから後でノートを貸してもらうことにして、早速校門を出た。
さっさと他の三人から離れた僕は、ちょっとした路地の隙間に身体を滑り込ませた。
「で、どうだい、ハネコ?」
(うーん、今、凛々子の脳を経由して、猫ちゃんの居所を探してる。そうさね……)
「分かるの? 分かんないの?」
(そう急かしなさんな。大まかにでもいいから、近づいてもらった方がいいな。この通りを直進だ)
「ってことは、駅の方面か」
(もしかしたら、駅の反対側まで行くかもしれねえ。ま、そこまで行ってもらえれば、後は具体的にナビゲーションできると思うぜ)
「了解」
僕は歩き慣れた道を、大股でずんずん進んでいった。
もうしばらくしたら、スマホで他の三人を呼び寄せ、一緒に捜索すればいい。多少は僕の貢献度を下げておかなければ。僕が極端に活躍しすぎると、ハネコの存在が露見しかねない。
「取り敢えず、猫の安全を確保しよう。それから、僕にだけ分かるところに置いて、四人で捜索するフリをする。そして一番最初に僕が見つければ、『皆で頑張りました』ってことになる。それで一件落着だ」
(へえ~、あんた、少しは頭が回るんだんねえ)
「一言余計だよ、『少しは』なんて」
(るっせぇな、キビキビ動け! 捜索の網を張ってるのはあたいなんだからな!)
「はいはい」
ハネコの言葉を適当にいなしつつ、僕は歩幅を大きくする。
偶然、僕たちは東西南北に別れて猫探しにあたっていた。やや移動距離があり、もったいない。だが今は、僕がハネコという切り札を手にしていることは知られない方がいい。
などなど考えながら、僕は駅前大通に入った。平日の午前中だからか、やや閑散とした印象を受ける。歩いているのは、スーツを着込んだサラリーマンがほとんどだ。営業というやつだろうか? 僕にはとても務まりそうにない職種である。
いつの間にか、高層ビルが通りの両側を占拠していた。しかし、通りの中央分離帯には桜の木が植えられており、殺風景には見えないようになっている。
地方にしては力を入れた再開発地区だけあって、道行く人に好印象を与えられるように工夫がなされているのだろう。
それはさておき。
「どうだい、ハネコ?」
(まだ遠い。駅裏だな)
「東口から出た方がいいんだね? 了解」
僕が高架橋の下を通り、久々に駅の東側に出た、その時だった。
(ッ!)
「ど、どうしたんだ、ハネコ?」
(いや、ちっとノイズがな……)
「ノイズ? 何のことだい?」
ハネコはやや言い淀んだ(伝え淀んだ?)後、こう言った。
(……悪意の気配がする。もしかしたら凛々子の猫、逃げ出したんじゃなくて、最初っから盗まれたんじゃねえかな)
「何だって⁉」
人の往来も気にせずに、僕は叫んだ。
(チッ! 静かにしやがれ! とにかく、あー、あれだ。早めに皆で合流するか、警察に連絡を……って、優孝? おい、何考えていやがる⁉)
僕はハネコの存在すら無視して、一気に駆け出していた。
もし僕の心理をモニターできる人物がいたとしたら、僕の横には縦長の真っ赤なバーが展開されていることに気づいただろう。そのくらい、僕は焦燥感に囚われていたのだ。
そもそも、猫が失踪するということ自体、おかしな話なのだ。猫というのは犬と違って、普通は屋内で飼われている動物ではないか。それが失踪? 違和感がある。
それに、その猫は高級な純血の猫で、高価で取引されているらしい。皆で別れる前に、凛々子が言っていたことだ。売買自体は問題ないが、それが盗まれた猫であるとしたら、当然警察沙汰である。
そして、僕を最も焦らせたこと。それは、その猫がまだ小さな子猫であり、母猫に愛情深く接されていたということだ。
「ハネコ、僕の心も読めるだろう?」
(あ、ああ。……そうか、三歳の時に両親が離婚、か)
「僕の場合、父さんとも母さんとも、会おうと思えば会える。けど、僕は無理やり引き離されたんだ。人間と猫じゃ勝手が違うだろうけど、そんな寂しい思いを、その子猫にさせたくない!」
(まあ落ち着けよ、優孝)
「これが落ち着いていられるか!」
(じゃあ走りながらでいいから聞きやがれ。事は警察が扱うべき案件に移された、とは思わねえか? 高価な盗難猫の売買ときたら、いろんな犯罪組織が絡んでいる可能性がある。子供の手に負えるとは思えねえ)
「どうせ警察は相手にしてくれないよ、そんな理屈で!」
(だったらせめて、今すぐ集合の号令をかけるんだな。今回、スタンドプレーを貫くのはリスクが高すぎるってもんだ)
その言葉に、僕ははっと我に返った。
「そ、それもそうだね……」
(分かりゃあいいんだよ、分かりゃあ。ほらよ、スマホだ)
左ポケットから、ぬっとスマホが出てくる。僕は躊躇いなくそれを手に取り、他三人に連絡した。
凛々子の猫は、駅東口の近くにいて、盗難に遭った恐れがある、と。
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