第8話
※
帰宅すると、やはり玄関は施錠されていた。昨日の父の多忙ぶりからして、今日は一人で過ごすことになるだろう。普段なら寂しさを覚えるところだが、しかし、この日に限ってはちょうどよかった。
僕は、水晶玉と妖精(?)について、きちんと状況を把握せねばならない。場合によっては他人の目から隠さなくてはならないから、一人で過ごせるという意味では、まさに最高のタイミングだ。
僕は階段を上がって自室に入り、念のため鍵をかけた。学ランをハンガーにかけ、机上の教科書やテキストをどけて、椅子に腰かける。窓の方を見て、カーテンが閉められているのを確認する。
それから一つ息をついて、水晶玉をズボンの左ポケットから取り出した。
机に置いて、じっと眺める。内側から発せられる、七色の光。しかし、肝心の妖精の姿は見えない。
僕は軽く、指先で水晶玉をつついた。
「おーい、もう出てきて大丈夫だよ」
反応なし。僕は水晶玉を摘まみ上げ、左の掌に載せてみる。その上で転がしてみたが、やはりリアクションは見られない。こうなったら。
僕は水晶玉をぎゅっと握りしめ、思いっきり左腕ごとぶんぶん振り回した。すると、何とも剣呑な言葉が吐き出された。
(うおっ! ちょ、待てよ! あたいが寝てる間に何しやがる! ぶっ殺すぞ!)
「わあ! ごめん!」
すぐに腕を止め、水晶玉を机の上に戻す。すると、水晶玉の光が失せて、同時に妖精がするり、と抜け出してきた。
(ふあ~あ、人がせっかくいい気分で寝てたのに……。どう責任取ってくれんだ、ああん?)
「だからごめん、って謝ってるじゃないか」
(謝って済むなら警察はいらねえんだろ? 自衛隊も軍隊も用済みだ)
何だか話の飛躍が大きすぎる気がしたが、まあいいか。自衛隊が用済み、という部分は、気位の高い父にはとても聞かせられないが。
「それで、君は何者なんだ?」
(おっと、単刀直入、ってやつだね。まあいい。あたしは――あれ?)
口を動かさず、頭に直接言葉を送り込んでくる妖精。だが、すぐに言い淀んでしまった。
「どうしたんだ?」
(あれぇ? あたいの名前……何だっけ?)
「僕に訊かないでくれ!」
(だよなぁ、うーむ……。きっと、この星に落着した衝撃と五年間の睡眠で、記憶が薄れたみてえだ)
五年間の睡眠? さっきも寝ていたくせに、何を言うんだか。僕は不信用を表現すべく、ジト目で妖精を見遣った。それに構わず、彼女は続ける。
(名前がねえとこの先面倒だな。似合いのもんがあればつけてくれ)
「つけてくれって……。じゃあ、ハネコ」
(分かった。あたいはハネ――はあ⁉ 何だよそのやっつけ感漂うネーミングは!)
「いや、だって羽生えてるし。分かりやすいでしょ?」
(だからってハネコってのは……はあ、まあいいや。これからはハネコって呼んでくれ)
妖精、もといハネコは、俯いて肩を竦めてみせた。
(で、質問コーナーだな。さっさと問題を寄越せ)
その横暴な物言いに、僕は正直ムッとしたが、僕だって知りたいことだらけなのだ。我慢我慢。
「ハネコ、一体君はどこから来たんだ?」
(こことは違う星だ)
「つまり、宇宙人ってこと?」
(まあ、そういうことになるわな)
「どこの星なんだ? 君たちの言葉で、何て発音するんだ?」
(あー悪い。記憶喪失。さっきも言ったろ、記憶が薄れてるって。覚えてんのは、この星に落っこちたことと、落着寸前に制動をかけたことだな)
「落下速度を落とした、ってこと?」
(さもなきゃてめえの眉間には穴が空いてた、いや、顔ごと吹っ飛んでたはずだぜ。五年前にな)
「そ、そうなのか……」
僕は背筋がぞっとした。思わず眉間に手を当てる。今は傷跡も後遺症もない。それが、ハネコが速度調整をしてくれたからだったとは。
ハネコは細かく羽を震わせ、僕の机の上を飛び回りながら、次の質問を促した。
「君はあの水晶玉に宿っているのか?」
(まあ、この国の言葉ではそう言うね。寝てる間は『宿ってる』って言うより『籠ってる』って言った方が正確だろうけどな)
「今朝から僕に、他人の心が見える能力を授けてくれたのは君なのか?」
(そうだねえ。あんたに恩を着せてるのさ。あたいが記憶を取り戻すこと、そして無事宇宙船に戻ること。この二つが達成できるように)
「ふむ……」
(ちょうどよかったんじゃねえの? えーっと、『入学式』だっけか。その式典? に合わせて、お前、他人の心が分かればいいのに、って結構本気で願ってたろ?)
「うん、まあ」
(恩着せがましくするにはバッチリだったわけだな、タイミング的に)
「むう」
ところどころムカつく部分はあるが、まあ、仕方あるまい。
(あたいの記憶はそのうち戻る。それまでの間、お前に協力してやるよ。クラスメイト、っていうのか? そいつらに馴染めるように)
その言葉に、僕はぱっと目を見開いた。
「ほ、本当に⁉」
(ああ。今朝学校でやったみてえに、あたいのテレパシー能力で、人生相談とか占いとか、やってみたらどうだ?)
「人生相談……占い……」
僕の心は揺れた。昨日までの僕には、想像もつかなかったことだ。他人の心を読んで、その後の展開を把握するだなんて。あまりにも自分に不似合いすぎて、考えが回らなかった。
しかし実際、僕には一度、実績がある。今朝、入学式の前に、長谷川くんと彼女さんの仲を占ってみせた。
いや、待てよ。それだけでは、占いとして成立していない。当たっているか否か、確かめねば。
幸い彼とは連絡先を交換している。僕はスマホを手に取ってLINEを展開、長谷川くんとの会話を試みた。
《もしもし?》
「あっ、もしもし、長谷川くん? 僕、片峰だけど」
《ああ、片峰くん!》
なっ、何だ何だ? 縋りつくような声音だ。
《君が言ってくれた通りだ! 僕の彼女、ちゃんと僕のことを想ってくれてるって! ゴールデンウイークに実家に帰るから、その時に会おうって!》
「そ、そうか!」
僕は自分の心が、温泉にでも浸かったかのような感覚を得た。温かく、穏やかな気持ちだ。
こうして、ある意味『あからさまに』僕の言葉が人の役に立ったとは、実感が湧かない。しかし、長谷川くんが喜んでくれたのは紛れもない事実だ。流石に電話の向こうの相手の心を読むことはできなかったが。
僕が通話を切ってスマホを置くと、ひらり、とハネコが視界に入って来た。笑っているような怒っているような、変な顔をしている。
(ほう~ら、端からあたいを信じりゃよかったんだ)
「そうだね、疑って悪かった」
(ありゃ? 殊勝じゃん)
「それはそうだよ、ハネコのお陰で僕は長谷川くんと仲良くなれたんだ。君がいてくれたら、僕はもっとたくさんの友達を作れるかもしれない!」
(じゃあ、一つ共同戦線といこうじゃないか)
「共同戦線?」
訊き返した僕に向かい、ハネコは『おうよ!』と言って胸を張った。唐突な色気に打たれてドギマギしてしまったのは、僕だけの秘密である。
(あたいがクラスメイトの心を読んで、占い師としてのあんたの株を上げてやる。その代わり、あんたはあたいが記憶を取り戻すまであたいを匿う。どうだ?)
「それはいいけど、どうして匿う必要があるんだい?」
(いいか? あんたらにとって、あたいは宇宙人だ。それがバレたら、宇宙人のサンプルとして捕まっちまうかもしれねえ。そいつぁ勘弁だぜ。そんなことになったら、あんただって寝覚めが悪いだろう?)
「ま、まあね……」
(よし! じゃあ、あたいがどんな力で他人の心を読んでいる、そしてそれをあんたの目に映しているのか、教えてやるよ)
ハネコ曰く。
単純に機嫌を把握するだけなら、僕が相手を一瞥するだけでいいらしい。僕の視覚情報を捉え、水晶玉の中に籠ったハネコが分析。相手の機嫌を、バーの長さと色彩の両方で僕の網膜上に示す。
問題は、その場にいない人間の心を捕捉する時だ。
例えば、長谷川くんの彼女さんの場合。彼女の心を読むには、まず長谷川くんの心情を把握する。そして、彼の脳を中継して、標的となる彼女さんの脳内を読むらしい。
この過程で、目の前の相手に『脳内を見られている』と気づかれる心配はないらしい。ハネコの言葉を借りれば、『相手の心を外から覗く』だけだから、だそうだ。
(ま、なんのかんの言って、重要なのはあたいのテレパシー能力だ。距離は、大体この国――日本、だっけ? そのくらいならカバーできる。相手は人間じゃなくてもいいんだ。物探しでも人探しでも、自由にあたいの能力を使ったらいい)
「そうかあ……。ありがとう、ハネコ。これからよろしく!」
(馬鹿、手がでけえよ!)
「じゃあ、人差し指で」
(ん)
僕の右手の人差し指を、ハネコは仏頂面で握りしめた。
(ふあ~あ、喋りまくったから疲れたぜ。あたいは寝る。じゃあな!)
それだけ言い残して、ハネコは水晶玉の中にするり、と戻っていった。水晶玉の七色の光が復活する。
僕も、嬉しいやら緊張するやらで、なかなかに疲れていた。
「お風呂、入ろうかな」
そう呟いて、僕は制服からホームウェアに着替えを始めた。
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