第7話


         ※


 僕と長谷川くんが教室に戻った時、既に担任教諭が教卓に手を着いて皆を見回していた。


「あっ、片峰くん、長谷川くん! 間に合いましたね」


 にこやかに迎えられる。勝手に教室を離れていたことに関しては、お咎めなしということか。


「では皆さん、廊下に整列してください。ああ、整列と言っても、順番は適当で構いませんよ? 皆さんの自主性にお任せします」


 そんな指導方法があったのか? しかし、思いの外皆の動きは迅速だった。

 特に何のこだわりもないようで、教室前後の出入口からぞろぞろ出ていく。

 僕は試しに、水晶玉を握りしめて、クラスメイトたちの背中を見遣った。


 すると、ああ、やっぱりだ。長谷川くんの時と同様に、彼らの横に縦長のバーが表示される。その色は、今は灰色が多かった。つまらないだとか退屈だとか、あまり動きのない感情の表れなのだろう。


「おい、行こうぜ優孝」


 そう声をかけてくれたのは秀平だ。その声だけで、周囲の生徒たちのバーに青色が混じる。ああ、やっぱり怖がられているんだな、秀平。

 彼本人は、意外なことに、バーは白一色だった。極めて落ち着いていて、それでいて退屈でもないという、理想的な状態を表している。しかし、


「ったく、この歳にもなってまだ式なんてやんのか。なんだかなあ」


 と、明らかに飽き飽きしている様子である。ということは、それを相殺できるだけのワクワク感が伴っているはずだが――あ、そういうことか。

 

「おっ、塔野凛々子嬢! ご機嫌麗しゅう」

「なっ、何を言い出すんですの、風戸秀平! わたくしには、そんな喋り方をされる謂れはありませんわ!」

「そうピリピリしなさんな。なあ、優孝?」

「え? あ、うん」


 適当に首肯する僕。ちなみに、凛々子のバーはやや黄色みがかっていた。警戒心を抱いているということなのだろう。


「今時、自分を『わたくし』なんて呼ぶ人間は、そうそういやしねえ。きっとどこかのご令嬢なんだろう?」

「あなたのような粗野な人間にお話することではありませんわ! さっさと行きますわよ!」

「へいへい」


 秀平の橙色(興味・関心)と凛々子の黄色(注意・警戒)の変化を見つつ、僕は改めて疑問を抱いた。

 一体どうして、僕は他人の心理を視覚化して理解することができるようになったのだろう?


 やっぱり、水晶玉のお陰なのだろうか。僕は試しに、水晶玉から手を離そうとしたが、止めた。心細かったのだ。

 小さい頃から、『お前には他人の気持ちなど分からないんだ』と言われ続けてきた僕。それがようやく克服できそうなのだ。今手を引くわけにはいかない。


 かと言って、このまま学校関係者の祝辞やら何やらを聞くわけにもいくまい。ポケットに手を突っ込んだままでは失礼だろう。

 僕は水晶玉を取り出し、左手に握りしめた。


         ※


 体育館には、千人近い生徒が並んでいた。一学年だけでこれだけいるのか。聞いてはいたが、随分と規模の大きな学校である。そのわきに並ぶ教職員の人数も、中学校の時とは桁が違うようだ。


 僕はそのまま、ぞろぞろと秀平の後について行った。秀平はしきりに凛々子をからかっていたが、凛々子も凛々子である。無視すればいいところを、いちいち突っかかっていく。

 仲裁すべきか迷ったが、彼女のバーに怒りの色がなかったので、そのままにしておいた。


 やがて、入学式は始まった。小・中学校の時と変わらず、淡々と。校長先生、市議会議員といった人物の地味な話が続き、皆の感情表現バーも、どんよりと灰色に曇っている。

 

 しかし、その間に何もなかったわけではない。水晶玉を握りしめた僕の左手が、だんだん熱くなってきたのだ。

 一度水晶玉を取り出して状況を確認したいが、もし破裂やら発光やらしたら大変である。しばらくはこのままでいなければ。


 式も終わりに近づき、新入生・在校生それぞれの言葉が交わされる段となった。まずは在校生、すなわち先輩からである。

 どうせ真面目そうな、エリート路線の人物が登壇するのだろう。そう思っていると、周囲の空気が揺らいだ。何やら、予想外のことが起きたらしい。


 僕も顔を上げ、壇上を見遣る。そこに立っていたのは、全く以て奇妙奇天烈な人物だった。

 長身痩躯。その身体は、デコピンで折れてしまうのではないかというほど細い。

 分厚い眼鏡をかけ、髪は黒のオールバック。極めつけは、制服の上から羽織っているものだった。


 一瞬、前衛芸術か何かと思われるような、カラフルなコート。いや、それにしては焦げ跡が目立つ。何をやっているんだ、彼は?


《えー、新入生諸君! よくぞおいでなさった! 我輩は生徒会長、学究岳人である!》


『がっきゅう・がくと』……? 分かりづらい名前だな。そして無駄に声がでかい。


《我々在校生・教職員は、諸君らを心から歓迎する! 学問を究めたい紳士淑女の諸君においては、必ずや充実した三年間を送ることができると、我輩が命を懸けて約束しよう!》


 中二病全開である。しかし、僕は自分の目の異常を察知した。

 皆の盛り上がりが半端ではない。前方を見回すと、テンションの上昇具合を示す金色のバーが、あちらこちらで立ち上がっている。

 皆、この学究岳人なる先輩の言葉に酔いしれているのだ。


 僕が呆然としていると、唐突に左手が熱を帯びた。


「熱っ!」


 慌てて手を離し、ポケットから引っこ抜く。すると同時に、


(ったく、あたいをこんな狭いところに閉じ込めやがって……)


 と、音波によらない声が脳内に響いた。そして、僕は我が目を疑った。

 ズボンの左ポケットが膨らみ、中から小人が出てきたのだ。


「どうわっ⁉」


 僕は絶叫を上げたが、周囲の歓声に掻き消された。


(ちょっと! 静かにしな!)

「はっ、はい!」


 壇上では、学究先輩の演説が続いている。今ならいろいろと誤魔化せるだろう。


「あ、あなたは……」

(あー、体中凝っちまったぜ! この星の基準で言うと、五年くらい経ってるんだな?)


 こくこくと頷く僕。僕のポケットから出てきたのは、小人と言うより妖精に近かった。背中から羽が生えている。体長は二十センチほどで、身体を縮めてあの水晶玉に籠っていたようだ。


(さっさと船に戻らねえと……。皆が母星に帰れねえ)

「船? 母星?」

(おおっと、あたいは身分を隠してるんだ、今のは忘れてくれ)

「は、はあ」


 見かけた直後こそ『妖精』というイメージを抱いたが、よくよく見るとだいぶ様子が違う。

 ばっさりとしたショートヘア。胸を強調するへそ出しシャツに、丈の短い革ジャン。これまた丈が極端に短いジーンズ。丈夫そうな厚底ローファー。

 これにカウボーイハットを被っていたら、まさにアメリカ中西部の出で立ちであるといえるだろう。


「ぼ、僕が他人の感情を読めるようになったのは、君のお陰なのか?」

(まあね~)


 最も気になることは確認した。と同時に目を上げると、学究先輩が段を下りるところだった。マズい。


「ちょっ、取り敢えず今は隠れてくれ! 水晶玉に戻るんだ!」

(え? あ、てめえ、どこ触ってやがる! 後で覚えてろよ!)


 という悪役じみた台詞を残し、妖精もどきは水晶玉に戻った。

 慌てて左右を見回すが、誰にも悟られなかったらしい。


「ふう……。何だったんだ、今の?」


         ※


 その日は、それ以降新たな異常事態が発生することはなかった。

 まあ、秀平と凛々子、あるいは凛々子と愛奈の睨み合いを『異常』と見做さなければの話だが。

 今日もまた、秀平に誘われて懇親会に同伴した。しかし昨日よりもだいぶリラックスして臨むことができたように思う。他人の心が、表層的にとはいえ読めるようになったからだろう。


 その時の話し合いでは、凛々子は早速、生徒会役員に立候補する意志を固めたらしいと聞いた。今頃は、早速生徒会室でレクチャーを受けているはずだという。

 一方の愛奈も、部活動見学に勤しんでいるとか。空手でも柔道でも剣道でも、何でもできてしまうような気がするが。


「そうだ優孝、お前は部活、何かやんのか?」


 サングラス越しに、興味深く目を輝かせる秀平。


「僕は、そうだな……。化学部に興味があるかな」


 地味だろうかと思ったが、誰もそんなことは言わなかった。ふむふむと興味深く頷く者もいる。それだけ部活動は細かに分かれているのだ。

 部活動に限らず、自分で実験器具を借りて研究を進めたいという者もいた。流石にそこまで頭が回っていなかった僕は、そんなスタンドプレーができることを羨ましく思った。


 今日もまた、たっぷりと時間をかけて様々な話をして、僕たちは各々帰路に就いた。

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