第6話【第二章】
【第二章】
翌日。入学式開始まで、あと三十分。
僕は教室入り口で、なかなか足を踏み入れられずにいた。ここから見るだけでも、不良チックな秀平、それを横目でにらむ凛々子の姿が見える。
この期に及んで、僕は自らを呪わんばかりに嫌悪した。
どうして愛奈と同じように、『普通に』『明るく』振る舞うことができないのだろう。生まれつき? 何かのトラウマ? だとしたら原因は、両親の離婚……なのだろうか。
記憶の中では、両親が喧嘩をしている場面は存在しない。それだけ両親は、知性ある人物だったということか。
しかし、それでも僕は寂しかった。いや、今だって寂しい。僕の父は高給取りだけれど、そんなことはどうでもいい。昔から家族仲のいい愛奈が羨ましい。本気でだ。
「あのー、片峰くん?」
「……」
「片峰くん、どうかしたのかい?」
「……」
「ちょっと悪いんだけど――」
「うわっ!」
唐突に、自分が声を掛けられていたことに気づき、僕は仰天した。その場で三十センチは跳ね上がったと思う。慌てて振り返ると、そこには見知った顔があった。
そうだ。昨日の自己紹介大会(という名の晒し者大会)でトップバッターを務めた、長谷川くんだ。
「は、長谷川くん、どうかしたのかい?」
「ああ、いや。通してもらおうと思って……。ごめん」
「い、いや、こちらこそ」
僕は急に緊張したためか、ポケットの中の水晶玉をぎゅっと握りしめていた。僕がわきにどけたのを確認し、前を通っていく長谷川くん。どこか浮かない表情をしているが――。
と、その時だった。視界が、歪んだ。
「ッ⁉」
すぐに歪みは元に戻る。しかし、僕の目には、今までにない新たな視覚情報が追加されていた。
長谷川くんの背中をじっと見つめる。すると、彼の横に、縦長の棒が現れたのだ。色は青か紺色かといったところで、長谷川くんの身長からするに、恐らく四十センチほどだろう。
それを認めた時、僕には直感できる事柄が二つあった。
一つ。その青い棒は、長谷川くんの今の心理状態を視覚化したものだということ。
二つ。青、紺といった色は『落ち込み』を表しており、四十センチというのは重傷だということ。
何故こんなものが見えるようになったのか? さっぱり分からない。昨日は、いや、今まではこんなことなかったのに。
もしかすると、今右手の中にある水晶玉の影響だろうか。いやいや、そんな不思議な物体が、僕の所有物であるはずがない。
だが、昨日と今日の違いと言えば、この水晶玉の存在くらいだ。
僕は、教室の最前列で廊下側の長谷川くんの席を見遣った。彼は背中を丸め、肩を落とし、深いため息をついている。
そんな彼を見つめていると、更にもう一つの直感が僕の脳裏に舞い降りた。
長谷川くんは、話相手を求めているのだ。相談したいことがあるらしいが、話せる相手がいない、といった模様である。
僕は我ながら自然な調子で長谷川くんの背後に立ち、軽くその肩を叩いていた。
「長谷川くん」
「ああ、片峰くん……」
げっそりとした、生気のない顔をこちらに向ける長谷川くん。
「大丈夫かい? 悩み事があるように見えるけど」
「えっ?」
驚かれても仕方あるまい。突然心を読まれたようなものだ。
僕は半ば興味本位で、彼のお悩み相談に乗りたいと思った。本当に今の僕に、他人の心が読めるとしたら。これはぼっち生活脱却の鍵となるに違いない。それを確かめたい。
「まだ入学式開始まで、二十分以上ある。よかったら話相手になるけれど。僕なんかでよかったら」
すると、長谷川くんの顔に明確な変化があった。目が潤い出したのだ。
「き、聞いてくれるのかい、僕の話を?」
「あ、ああ。昨日初対面の、僕みたいな人間でよければ」
「ありがとう、じゃあ、場所は――」
「中庭なんてどうだい? 今はあんまり人がいないみたいだから」
長谷川くんは立ち上がり、大きく頷いた。
※
中庭は、形としてはよくありがちなコの字型をしている。だが、学校の規模同様に広大だ。芝生の上にはベンチや自販機が数ヶ所に設けられ、地面に固定されたパラソルの柱が、朝日を反射している。
きっと昼食時には、弁当持参の生徒たちで混み合うのだろう。だが、今日は上級生は休みだ。それに、新入生は各クラスの中で、どの派閥に身を置くべきか、悩んでいる模様。
つまり、今この中庭は、僕と長谷川くんのフリースペースというわけだ。
僕は辺りを見回しながら、最寄のパラソルの下へ長谷川くんをいざなった。
椅子に腰かけ、両手をそっとテーブルに載せて、僕は切り込んだ。
「それで、どんな話をしたいんだい?」
「あ、ああ。恥ずかしい話なんだけれど……」
恥ずかしい話? どうってことはなかろう。恥ずかしい思いすら与えられなかった僕のようなぼっちはそう思う。
長谷川くんは、口元をもごもごさせた後、すっと息を吸ってこう言った。
「中学時代から付き合ってる人がいるんだ」
「ほう」
「でも、中学卒業と一緒に僕はこの街に引っ越してきて、一ヶ月も会ってない。LINEで遣り取りはしてるんだけど、やっぱり会わないと、その……。気持ちが揺らいじゃうんじゃないかと思って」
「ふむ」
「僕はずっと、彼女のことが好きなんだ。でも、相手はどう思ってるか分からない。見限られちゃうかもしれないと思うと、寝付けない日もあるくらいなんだ」
別に、リア充爆発しろとは思わない。大体、僕ほど色恋沙汰から無縁な高校生もいないだろうし。
それはいいとして、つまりはどういうことだろう?
僕が身を引き、腕を組むと、ちょうどタイミングよく長谷川くんが身を乗り出してきた。
「僕、彼女の気持ちが知りたいんだ! ……って、分かるわけないよね、ごめん、片峰くん」
「う、うん」
僕はその彼女さんとやらに、会ったこともなければ話したこともない。素性が全く分からないのだ。僕にできることなど、やはりないだろう。
「ああ、いいんだ。ごめんよ、片峰くん。変な話に付き合わせちゃって。……片峰くん?」
何故長谷川くんが疑問符をつけたのか。答えは簡単で、僕があまりにもじっと、真剣に彼の目を覗き込んでいたからだ。
目を通して、僕は長谷川くんの脳と連携が取れたのを感じた。他人の脳と自分の脳が、かっちり繋がるような感覚。
それに止まらない。僕の感覚は彼の脳を経由して、どこか遠くへと延びていた。
これは、僕でも長谷川くんでもない、第三者の感覚だ。では、それは一体誰だ? 僕の、そして長谷川くんの感覚の背後にいるのは誰なんだ?
(こいつの彼女っしょ)
「ん?」
僕の頭の中で声がした。幻聴?
(幻聴じゃねえよ、アホ! 今はあたいの話を聞きな)
「はっ、はい!」
思わず立ち上がる僕。長谷川くんが怪訝そうな目で見上げてくるが、そちらを構ってはいられない。
(今あんたが覗いてるのは、長谷川の彼女の頭ん中だ。そこから長谷川に関する記憶を探しな。プライバシーは保護してあるから安心しろ)
これまた不思議な直感だが、僕にはその謎の声が、信頼に足るものだと判断できた。
僕はぎゅっと目を閉じ、両耳を手で塞いで、長谷川くんの彼女さんの頭の中を感覚、いわば第六感で泳いだ。
流石に、パソコンのファイルを操作するように上手くはいかない。だが、彼女さんの考えの端緒は掴めた。そこから芋づる式に、脳内を辿っていく。すると唐突に、温かいもの感覚に全身を包まれたように思われた。
同時に浮かんでくる、彼女さんの姿。肩ほどまでの髪をツインテールで結わった、眼鏡の似合う女子だ。かわいらしいというより、理知的で美しいと言った方がいい。
そして、彼女さんはこちらを振り返り、素敵な笑顔を浮かべた。
「片峰くん? 片峰くん、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ」
「い、いや、突然芝生に倒れ込んだから……」
僕はのっそりと上半身を起こした。あ、本当だ。って、それよりも大丈夫なのは。
「長谷川くんの彼女さん、今でも一途に君のことを想ってるみたいだ。心配要らないよ」
こういうことだ。
すると、長谷川くんはぱっと目を見開いた。
「ほ、本当に? いや、でも根拠は?」
「根拠は……説明しづらいな」
何も隠し立てしているわけではない。実際に説明できないのだ。感覚的すぎて。
「じゃ、じゃあ、今日確認してみてもいいかな? その、今でも僕のことを好いてくれてるか、って……」
僕はさっと立ち上がり、長谷川くんの肩に手を載せ、『大丈夫だ!』と大きく頷いた。
すると長谷川くんは、ぱあっ、と顔を明るくした。
「そうなのか! あ、ありがとう、片峰くん! 占いの才能があるんだね!」
「い、いやあ、僕は何も……」
後頭部に手を遣る僕。
「もうすぐ入学式だ! あ、背中、草がついてる」
パシパシと背中を叩いてくれる長谷川くん。
「さ、行こうか、片峰くん!」
先ほどと一転、元気一杯といった様子で教室に戻っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます