第3話

 ウニだ。人間の身体を首から生やしたウニがいる。ただし、そのトゲトゲは黒ではなく、目も眩むような黄金の輝きを放っている。

 ああ、そうか。これは人間だ。刺々しい髪型を金色に染めた人間なのだ。


 それを察して、安心したのも束の間。その金ぴかウニ男子は、ちょうど僕の隣席だということが分かってしまった。僕から見て、右の廊下側。

 僕は、足が竦んだ。フォックススタイルのサングラスをかけ、心底退屈している様子のウニ男子。


 生で見たことはないが、これって暴力団とかヤクザとか、そういう人種の格好ではあるまいか。


「よっと」


 軽く声を立てながら、後頭部で腕を組む。極め付きは、両足を組んで机の上に載せたこと。

 間違いなく不良である。凶暴である。僕の精神を苛む要因になるに違いない。


 僕は教室後方の入り口に貼りつき、もう少し様子を見ることにした。

 何やらぺんぺん草のようなものを咥えている。学ランのボタンは全開。長い足や上背から、かなりの高身長だと見受けられる。

 だが、決して華奢な印象は受けない。シャツの上からでも分かるくらい、腹筋が盛り上がっていたのだ。細マッチョというやつか。

 もし彼が咥えているのがぺんぺん草ではなく煙草だったとしたら(正直、その方が似合う気がするのだけれど)、間違いなく危険な人種である。


 だが、こうして教室の出入口で震えているわけにはいかない。僕は両足膝の外側を叩き、続いて頬を自分で引っ叩いて、気合いを入れた。件のウニ男子から、距離を取るようにして自席に腰を下ろす。音のないため息が漏れた。


 できるだけ自らの気配を殺し、大人しく縮こまる。甲高い怒鳴り声が響いたのは、まさにその直後である。


「ちょっとあなた!」

「わひっ! ご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」

「その服装は一体どういうことですの? ちゃんと学ランのボタンをお閉めなさい!」

「す、すいません! すぐに閉めて――って、あれ?」


 僕は学ランのボタンなど外していない。どういうことだ?

 ようやく、その怒鳴り声のした方、僕の左隣を見ると、そこに立っていたのは、


「ウニの次は鬼⁉」


 思わず口に出してしまったが、誰も問題にしない。皆、その女子に釘付けになっていたのだ。彼女の纏うオーラが、何故か鬼を連想させる。新たなる脅威だ。

 

 ガタン! と勢いよく立ち上がった鬼女子。

 女子にしては背が高い方だろう。セーラー服をきっちり丁寧に、しかし優雅に着こなしている。

 三つ編みにされた二本の髪をふわりと揺らしながら、その女子は僕の方に言葉を発し続けた。


「制服の礼節ある着用は、高校生の義務ですわよ! きちんとなさい! それに何なのよ、その髪の色は! すぐに黒に戻しなさい!」

「ううっ、す、すみません……」

「ちょっと、聞いてるの、あなた!」

「お願いです、命だけは――」


 すると、鬼のような女子はすたすたと僕の前に来た。そして、通り過ぎた。


「お金なら用意します! だから殺さな――あれ?」


 僕はきょろきょろと周囲を見回す。そして、ようやく状況を把握した。

 鬼女子は、ウニ男子の机に両手を着き、切れ長の瞳でサングラスを射抜かんばかりに睨みつけていた。


「ああん? それ、俺に言ってんの?」


 低く、ドスの効いた声が、ウニ男子から発せられる。地鳴りを伴うような重低音に、僕は竦み上がった。しかし、鬼女子はお構いなしだ。


「あなた以外に誰がいるのよ! ほら、隣の彼をご覧なさい! きっちりしていてとても凛々しい! 皆、きちんとこういう着こなしをすべきなのですわ!」

「え、あ、僕?」


 僕は自分で自分を指差した。二人の視線が、こちらに集中する。


「え、えーっと、僕は……」


 そう言いかけた時、鬼女子の頭からポン、と煙が上がった。顔は既に真っ赤である。な、何だ何だ?

 しかし、そんな彼女の様子に構わず、ウニ男子は呟く。

 

「そうだなあ」


 僕を一瞥して、顔を正面に戻すウニ男子。あれ? 意外と怖くなかった?


「で? 何だよ、あんた? 俺に文句があったんだろ?」

「あっ、そ、そうでしたわ!」


『そうでしたわ』って、今の煙の噴出は何だったんだ。そんな僕の疑問を無視して、鬼女子は僕の方へ手を差し伸べた。ウニ男子に見せつけるように。


「ほうら、ご覧なさい! きっちりしていてとても凛々しい!」

「それはもう聞いたよ」

「だからあなたもしっかりボタンを――」

「生徒心得身だしなみの欄、生徒手帳の二十七ページ」

「えっ?」


 な、何だ? 突然何を言い出したんだ、ウニ男子?


「開いてみな」


 慌ててスカートのポケットから生徒手帳を引き出す鬼女子。僕も何故か、それに倣う。


「第一項、生徒は基本的に制服を着用し、風紀を乱さないよう努めること」


 鬼女子が読み上げる。


「あら、これじゃああなたは違反者ですわね! 生徒会に報告するわ!」

「まあ待ちな。第五項、読んでみろ」


 ページを跨ぎ、第五項を参照する鬼女子。


「第五項、本校は自主自学の精神を培うため、制服の着用の仕方については、その大半を生徒個人ごとの裁量に任せるものとする……」


 すると、ウニ男子は立ち上がり、鬼女子を見下ろした。


「俺は教室の最後尾だ。授業中に誰かの目に入ることはほとんどねえ。風紀を乱しやしねえよ。それに俺、暑がりでな。学ランってのは、どうも性に合わねえ。自分の勉強しやすいスタイルを取るのに、何か問題があるか?」

「そ、それは……」


 僕は言葉の鍔迫り合いを見せつけられ、恐怖感とはまた異なった緊張感に包まれていた。

 しかし、今優勢なのはウニ男子だ。何せ、生徒手帳の内容を暗記していたのだから。流石の僕も、そこまでは気が回らなかった。


「でっ、でもですわ! 第八項には――」

「周囲の生徒に不快感を与えないように注意すること、だろ?」


 これまた暗唱してみせるウニ男子。


「ま、俺の格好はそう褒められたもんじゃねえ。けどな、自分が授業を受けやすい服装でいること、ってのが第七項に載ってんだ。番号的に、数字が先の方が優先されやすいし、それを考えりゃあ俺の方が理に適った服装をしてるわな」

「しっ、しかしっ」


 だが、鍔迫り合いもここまでだった。担任教諭が入ってきたのだ。女性の教諭。まだ若いが、堂々と、しかし明るいオーラを放っている。

 しばらくは、生徒心得のようなことが面白おかしく語られた。どうやら担任教諭には恵まれたらしい。何だかいろいろ相談しやすそうだし。


 が、しかし。

 そんな安堵感は、教諭の一言を以てして、一瞬で消し飛ぶことになる。


「それでは皆さん、自己紹介いってみましょうか!」

「なっ!」


 僕は短い悲鳴を上げた。誰にも聞かれなかったのは幸いである。

 そうだ。当然ながら、自己紹介というイベントは必ず存在する。ああ、何と呑気にしていたのだろう。僕の苦手なものトップ3に入っているじゃないか。


 いいや、怖くない。名前を告げて、よろしくお願いしますと頭を下げれば、それで済む話だ。しかし、事態はそう単純ではなかった。


 席順はランダムに配されていたらしく、『あ』行の名字の生徒から始まる、というわけではなかった。それが災いした。

 一番最初だった男子生徒、長谷川辰雄くん。彼は、氏名の後に、自らの夢なんぞを皆に語って聞かせたのだ。宇宙工学者になりたいのだとか。

 

 それはいい。実際、彼の話は面白かったし、人間性がよく伝わって来た。だが、問題はそこからだ。

 最初の自己紹介がこれでは、次の人もそれなりに面白いことを言わねばならないではないか。

 ドミノ倒し的に、全員が『話の面白さ』『会話の実力』が問われることになる。


 僕は胸中で、『余計なことを!』と非難の気持ちが湧いてくるのを止められなかった。

 その間にも、どんどん順番は巡り、迫ってくる。うう、胃袋からすっぱいものがこみ上げてくるぞ。


 耐えろ、耐えるんだ優孝。って、耐えてばかりではこの自己紹介大会を乗り切れない。何を言えばいい? どう語ったらいい? 皆目分からない!


 混乱の極致にあった僕。それを現実に引き戻したのは、右隣から聞こえた音だ。ガタン、と椅子が引かれ、ウニ男子が立ち上がった。


「えーっと、風戸秀平っす。中学生ボクシング全国大会三位を取ったんで、推薦枠でこの学校に来ました。よろしくっす」


 短めではあったが、皆の印象に残る自己紹介だった。そうか、彼はボクシングが強かったのか。シャツの上からでも筋肉質であるのが分かったのは、そのためだろう。


 一度現実に引き戻されてしまうと、今度は頭が回らなくなった。ウニ男子、もとい風戸秀平くんのように、さっさと言ってさっさと終われるようなことが言えればいいのだが。

 ああもう、全然思い浮かばない!


 僕が両肘を机について頭を抱え、半泣きの状態でいると、唐突に知人の名前が耳に飛びこんできた。


「豊崎愛奈です!」


 そうか。彼女は僕と同じ列の前の方だったな。何と自己紹介するのだろう?


「全国中学校空手大会の準優勝で、推薦されて来ました! 誰かに恨みを抱いてる人がいたら、いつでも声をかけてください! あたしがその相手をコテンパンにしてやります!」


 おおっ、というどよめきが起こった。あの小柄で愛嬌のある愛奈が、こんなことを言い出したら、確かに驚かれるだろう。

 だが、その驚きはすぐさま収束し、最後には賑やかな拍手で終わった。


 その時、僕に一つのアイディアが浮かんだ。

 これだ。これでいくしかない。

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