Ⅹ 夢の址(1)

「――若旦那……ハーソンの若旦那! 」


 どこからか、自分の名を呼ぶ男の声が聞こえる……なんだか聞き憶えのある声だ……誰の声だったろうか?


「ハーソンの若旦那、いい加減、起きてくださいよお! こんなとこで寝てると風邪ひいちまいますよお?」


 この、船乗りなんかによくみる豪快なべらんめえ口調……そうだ。この声はティヴィアスだ。デーンラントで雇ったあのヴィッキンガーの末裔だという船乗りの男だ……なぜ、彼は自分の名を呼んでいるんだろう?


 ……あれ、そういえば、一緒に船に乗っていたはずなのに、長らく彼に会っていないような気がする……ああ、そうだ。俺達はダナーン人の遺跡の島を発見して、それで上陸するとその石塚の上に登って……。


「……ハッ! ティヴィアス! 痛っっ……」


 混濁する夢現ゆめうつつの意識の中、不意にすべてを思い出したハーソンは、勢いよく上体を起こすと体の背面に鈍い痛みを感じる……なんだか既視感デジャヴュを覚える痛みだ。


「ああ、あんまし急に体を動かさない方がいいっすよ? あれだけの高さから落ちたんだ。骨でも折れてるといけねえ」


「ティヴィアス、今までどこにいた? 心配していたぞ!」


 その大きなドングリまなこでこちらを見つめているティヴィアスに、心配していたと言いながらもすっかりその存在を忘れていたハーソンは、今さらながらにそのことを慌てて尋ねる。


「どこもなにも、若旦那と同じにとなりで伸びてましたよ。俺も今気がついたところでさあ。なんです? なんか夢でも見てたんすか?」


 だが、訊かれた彼はその質問の意味からしてわからない様子で、訝しげな顔をしてそう尋ねる。


「夢? ……な、なんだこれは!? いったいどうなっている?」


 その言葉に周囲へ目を向けたハーソンは、愕然として思わず声をあげた。


 いや、相変わらず自分がいるのは、あの巨大な石塚のドーム内にある街らしい……。


 しかし、まるで別の場所であるかのように、その様相は一変している。


 まず、頭上を覆う石のドームはいまだ健在であるが、そこに青空が映ることはなく、薄暗い闇の中に暗灰色の湿った岩肌を見せている……唯一空が見えるのは、その頂部分にポッカリと空いた穴――突然崩れ、自分達が落ちて来たあの穴からだけだ。


 そういえば、あの日の光のようなものに照らされていないためか、春の日の如くだったそれまでの陽気も、薄暗くなった今のドーム内ではやけにひんやりとしていて肌寒い。


 今度は視線を下に移せば、あれだけ豊かに生い茂っていた草木も畑の作物もすっかり枯れ果て、完全に乾燥しきった枝や枯れ草のようなものが所々残るばかりである。


 綺麗な水の流れていた川もカラカラに干上がり、整然と並んでいた石造りの家々も、枯れた蔓が絡みついていたり、あちこち崩壊しているものがほとんどである。


 中でも神殿は天井も壁も崩れ落ち、祭壇に立つマナナーン像も外から覗えるようにまで荒れてしまっている。


「もしやあの爆発で……い、いやしかし、この荒れようは何百年もそのまま放置された遺跡のように見えるが……」


「驚いたでしょう? こん中、こんな遺跡になってたんですぜ? 神様の像みてえのが立ってるし、ありゃあ、古代人の神殿か何かですかねえ?」


 その変わりように譫言のように呟くハーソンの言葉を拾い、それを違う意味に捉えてティヴィアスはそんな感想を口にする。


「ああ、そうだ。ダナーンの海の神マナナーン・マク・リールの神殿だ……」


 するとハーソンは、無意識に口を突いて出たというような感じで、朽ちた神殿を見据えたままそれに答えた。


「お! わかるんですかい? さすが、若旦那。遺跡巡りの旅をしてるだけのことはありますね」


「いや、俺はここ数日、あそこで寝泊まりしていたんだ……傷の手当もしてもらったし、料理もご馳走になった……それに、彼女には……」


 またもや勘違いをし、ハーソンの見識を褒めはやすティヴィアスであるが、彼は再び独り言を呟くかのように、先刻までの美しい神殿の光景を脳裏に浮かべながらそう返した。


「なんだ、夢の話ですかい? もう、いつまでも寝ぼけてないでシャキっとしてくださいよお〜」


「夢……だったのだろうか……」


 だが、まだ寝ぼけているのだと思い込み、太い眉を「ハ」の字にするティヴィアスのその言葉に、そう言われるとあれが実際の出来事であったのかどうなのか? ハーソン自身もわからなくなってきてしまう。


「……あれ? いつの間にか剣が一本増えてやすね。その手にしてるやつはどうしたんですかい?」


 だが、不意に不思議そうな表情をティヴィアスは浮かべると、なぜかハーソンの手元にじっとその視線を向ける。


「ん? ……あ! これは……」


 すると、その右手にはウオフェより譲り渡された、あのダナーンの魔法剣が確かに握られていた。


「フラガラッハ……やはり夢じゃなかったんだ……俺は確かにこのマグ・メルで、ウオフェからこの魔法剣を託されたんだ……」


「ふらが? ……いったい、どういうことですかい?」


 フラガラッハを顔の前に掲げ、その古風な渦巻き模様を見つめながら確信を強めるハーソンに、事情を知らないティヴィアスはいたく怪訝そうな顔でそう尋ねた。


「――なるほど。それじゃあ、若旦那はダナーン人の幽霊に会ったってわけっすね。で、あの神殿の巫女からその魔法剣をもらったと。地元の衆に聞いた幽霊の噂は本当だったか……」


 ハーソンは自身の経験したことのあらましを、掻い摘んでティヴィアスに話して聞かせた。


「幽霊か……とても幽霊には思えなかったがな。もっとこう現実感があった。もちろん夢とも思えん」


「まあ、夢でも幽霊でもどっちでもいいですがね、そいつらに聞いてたら教えてください。この島の出口ってどこにあるんすかねえ? 見た感じ、どこにもそれらしいもんは見当たらねえですが……あの穴は高すぎて届かねえし、ここから出られなきゃ二人とも飢え死にですぜ?」


 幽霊だといわれても、そんな実感は湧かずに反論を口にするハーソンであるが、それをティヴィアスは軽く受け流すと、立ち上がってドーム内をぐるっと見回す。


 確かに石のドームには、天頂部の穴意外どこにも切れ目がなく、この空間はすっぽり覆われてしまっているように見える。


「出口……ああ、そういえば、島を出るための船があるとか言ってたな……ついて来い。こっちだ」


 だが、ボヤくティヴィアスにウオフェの言っていたことを思い出すと、まだ多少残る痛みを堪えてハーソンも起き上がり、魔法剣を手にして歩き出した。

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