Ⅳ 地下の楽園

「――不思議だ……すっかり痛みが消えてしまった。もうなんともないぞ……」


「よく効くでしょう? それは先程、話に出てきた光の神にして万能神でもあるルーが伝えた〝治癒の豚皮〟というものです」


 湿布のように四角く切った皮を全身のあちらこちらに貼られ、半裸の姿でベッドから起き上がると目を見張っているハーソンに、傍らに立つウオフェは微笑みを湛えながら自慢げに嘯く。


 魔法剣を見に行くよりも前に、神殿を取り巻く巨大な列柱の並んだ回廊を少し進むと、そこに併設された診療所でハーソンは打ち身の治療を受けた。


 意外とその部屋は広く、整然と並べられたベッドには怪我をした者達の姿もちらほらと見え、やはり白のチュニックを着た下級の神官と思しき若い女性達が甲斐甲斐しく治療に当たっていた。


 ハーソンがまたも少し驚かされたのは、その神官の女性達がウオフェを見るや、こぞって平伏して挨拶をすることだった。


 彼女達の交わす会話を聞いているに、どうやらウオフェはその若さにして、この神殿の最高位の聖職者であるらしい……。


 自分で〝巫女〟だと言っていたが、巫女とは〝神をその身に降ろす者〟――ハーソン達のプロフェシア教世界でいうところの〝預言者〟のようなものだ。その特別な力ゆえに、そんな高位の立場にいるのかもしれない。


「あるいは、我らが預言皇同様、その血筋・・が所以の名ばかりの巫女なのか……」


 だが、〝神の御言葉を預かる者〟という本来の性格に反し、今や名門出身者のみが独占するただの俗権力と化している教会の最高位〝預言皇〟のことを思い出すと、女性神官にぐるぐる包帯を巻かれながらハーソンは思わず小声で呟く。


「え? 何かおっしゃいました?」


「ああ、いや、なんでもない。伝説に聞いていた通り、ダナーン人は魔術、医術、建築…と、あらゆる面でやはり優れていたのだなと思っただけだ。さて、痛みも引いたし、いよいよしおの魔法剣とやらにご対面させていただくとしよう」


 幸い内容までは聞き取られなかったらしく、聞き返すウオフェにそう言って誤魔化すと、慌ただしくシュミーズ(※シャツ)を羽織って、ハーソンはベッドから立ち上がった。


 それからウオフェに案内されてまた回廊を戻り、神殿中央に位置する巨大な円形ドーム内へ足を踏み入れると、石灰岩のような白い石でできた緩やかカーブを描く丸天井を見上げ、ハーソンは無意識にも感嘆の声をあげる。


「これが、ダナーン人の神の神殿か……海の神と言っていたが、確かに海神には相応しい、海の底にある宮殿を思わすような造りだ……」


 いつの時代に造られたものかはわからないが、自分達プロフェシア教徒の大聖堂にも匹敵する…否、それ以上のものともいえる高い建造技術である。


 それに青空の映る石塚全体の天井同様、このドーム内も窓がないのに不思議と明るく、香でも焚いているのか? 爽やかな南洋の海を思わす匂いが仄かに鼻腔をかすめる。


「マナナーン・マク・リールは海を司る神であるとともに、神々の族長を務めたこともあるお方です。光の神ルーを養子として育てたりもしていますよ? あちらにある魔法剣もマナナーンがそのルーに貸し与えたこともあるものです」


 その見事な造りと荘厳さに見惚れていると、ウオフェはそう言って、樫の木の杖で正面の祭壇の方を指し示す。


「あれがそのマナナーン・マク・リールか……」


 彼女の言葉にハーソンが正面へ目を向けると、そこには古代イスカンドリア帝国時代の白い大理石像にも似た、小舟の上に立って両手を広げる、髭面の美丈夫な男性像がそびえている。高さは人の二、三倍くらいはあるだろうか?


 また、その前に設置された供物を奉げる台の他にも、神像の左右には瀟洒な絹織物の敷かれた台座が置かれ、その上には燃え盛る炎の飾りが付いたあかがね色のヘルムや、金銀の見事な細工が施されたゴブレット(※脚と台座のある大きな杯)がうやうやしく置かれている。


 そして、神像の斜め後、祭壇の左奥には、特徴的な十字型のヒルトを持った一本の剣が、なぜか拘束されるかのように鎖で壁に飾り付けられていた。


「他の二つもマナナーンの神宝、〝炎の兜〟と〝真実のゴブレット〟です……さ、どうぞ、こちらへ」


 ウオフェはそう説明を加えると神像へ一礼し、その脇を登って魔法剣の方へとハーソンを誘う。


「さすが、魔法の武器を作り出すのに長けたダナーン人の神といったところだな……それにしても、魔法剣だけなんとも変わった供え方だな。盗まれないための備えなんだろうが、まるで暴れるから鎖で縛りつけているようにも見える」


 彼女に倣って一礼するとハーソンも祭壇へ登り、やはりそれだけ特殊な演出のなされている魔法剣を訝しげに見つめる。


「よくおわかりになりましたね。その通りです。盗難防止ということもありますが、この魔法剣〝フラガラッハ〟はこうしておかないと、勝手に飛び回って手が付けられなくなるのです」


執拗なまでに巻き付けられている鎖の様に、冗談半分にも口を突いて出たハーソンのその言葉であったが、するとウオフェは我が意を得たりという様子で、予想外にもそれを肯定してみせる。


「なっ…!? ほ、ほんとにそうなのか?」


「はい。〝フラガラッハ〟はひとりでに鞘走り、投げつければ宙を舞って自ら敵を斬り裂く意思を宿した剣……ですが、持ち主以外の者が用いれば言うことを聞かず、一度ひとたび鞘を抜ければ、自らの意思に従って勝手気ままな振る舞いをなすのです。今は神殿の奉納物なのでマナナーンのものということになりますが、実際にはぎょすことのできる持ち主がいないも同然。ですから、いたずらに鞘を抜け出すことのないよう、こうして壁に縛り付けて安置しているのです」


 またも驚いた顔を振り向かせるハーソンに、特に不思議でもなんでもないというような素振りでウオフェはその理由を語って聞かせる。


「まさか、そのようにこの世の理を覆す剣が存在するとは……信じ難い話だが、もしそれが本当なら、ぜひにもひとりでに宙を飛び回っている姿を見てみたいものだな……」


 古い時代のものにしては錆一つない、柄や鞘に美しい渦巻き模様の施されたその剣をまじまじと見つめ、軽い気持ちでそんな台詞を呟いてみるハーソンだったが。


「いいですよ。お見せしましょうか?」


 またしてもウオフェは、さすがに許されないだろうと思ったその願いにあっさりと首を縦に振ってくれる。


「えっ!? い、いいのか? で、でも、言うことを聞かずに手が付けられなくなると……」


「持ち主であるマナナーンの巫女のわたくしでしたら、なんとか鞘に戻すことはできるので大丈夫です。まあ、別にそこまでして見たくないというのであれば、あえて危険を冒すこともないですけれど……」


 せっかく願いを聞いてくれるというのに、逆に心配して二の足を踏むハーソンであるが、そんな彼の消極的な態度を見ると、ウオフェもまたあっさり話を引っ込めようとする。


「い、いや! 待ってくれ! そういうことなら話は別だ! だったら是が非にも見せてくれ!」


 その反応にハーソンは慌てて手を前に伸ばすと、彼女を引き留めるかのようにして改めてその観覧を頼み込んだ。


「あら、そうですか? そこまで言われるのでしたらお見せしましょう……」


 すると彼女は、またもケロリとした顔ですんなり了承し、さっそく壁に縛りつけられた魔法剣の鎖を解き始める。


 この特殊な環境に置かれているということもあるのだろうが、毎回、予想外の反応を返してくれるウオフェには、普段、冷静沈着なハーソンもなんだか妙に振り回されてしまう。


「ちなみに、この他にも水陸の区別なく走れる名馬〝アンヴァル〟や、行き先を告げれば勝手に向かってくれる〝静波号〟という船なんかもマナナーンの神宝としてこの島にあるんですよ? さ、神聖な神殿内でというのもなんですし、もっと気がねなく〝フラガラッハ〟が飛び回れる・・・・・広い所へ場所を移しましょう」


 調子を狂わされるハーソンにそんな説明を加えながら、どこから取り出したのか? 金色に輝く古めかしい鍵で鎖を繋ぎ留める南京錠を外すと、戒めを解かれた魔法剣を両の腕に携え、今度は屋外へとウオフェはハーソンを誘った。


「――しかし、聖ブランディンの伝説に云われる通り、ここは本当に楽園のような場所だな……地下世界というよりむしろ天国・・だ」


 神殿の建物を出て、ウオフェについて隣接する未舗装の道を進む途中、ハーソンは周囲を見舞わして思わず呟く。


 道の傍らには真っ赤に色づいた美味しそうなリンゴのる果樹園が広がり、その向こうには立派な馬や豚が伸び伸びと戯れる緑の牧場に、黄金こがね色の穂が風にたなびく麦畑なども覗うことができる。


 また、耳をすませばどこか特から楽しげな音楽が聞こえてきていて、神殿内とはまた違う、深い森の中にいるかのような芳しい匂いも漂っている。


「あのリンゴも豚も麦も、いくら食べても自然とまた増えるんですよ。それに〝ゴブニュの饗宴〟と呼ばれる儀式で供される麦酒を飲んだ者には永遠の若さが授けられ、老いることも病気になることもけしてありません。ダナーンの神々が創ったこの〝マグ・メル〟の島は、確かに楽園と言えるかもしれませんね」


 ハーソンの零した感嘆の言葉に、謙遜するでも照れ笑いを見せるでもなく、自身も心底そう思っているかのように、ウオフェも自慢げにそう答えてみせる。


「勝手に食料が増えるのか!? それもまた驚きだな……ん? 永遠の若さが授けられるということは、君は今、実際には何歳になるんだ?」


「女性に歳を尋ねるのは失礼ですよ? さあ、着きました。ここで〝フラガラッハ〟の力を披露いたしましょう」


 今日何度目になるのか? 今度も驚かされるハーソンであるが、ふと抱いた疑問を思わず尋ねてしまうと、ウオフェはツンと澄ました顔でそう返し、誤魔化すかのようにして前方を杖の先で指し示した。

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