第2話 娘を娘と呼べるように……

 校門の前で清花を車に乗せて、あてもなく車を走らせ始める。

「清花はどこか行きたいところとかある?」

「特にはないかな。お姉ちゃんの行きたいところでいいよ。でも強いていえば楽しげな場所かな」

「うん、わかった」

 朱雀の清花に対する口調さえ、今だに覚束ない中、楽しげな場所を必死に思い浮かべる。

「お姉ちゃん、今日誘ったのは迷惑だった?」

「えっ! どうして」

「だって楽しそうじゃないっていうか、難しそうな顔してるから。迷惑だったのかなって」

「……そういうわけじゃないの。ただ、こういうときにどこに行けばいいのかがわからなくて」

「変なお姉ちゃん。二人だったらどこでも楽しい、でしょ? 少なくとも私はそうだよ。お姉ちゃんもそうでしょ」

「ええ。もちろん」

 どこでも楽しい。そんな風に思える相手が私にもいただろうか。デートをしても、いつしか相手に合わせてあげている感覚になって、結婚生活でもそう。

 別れるのは必然だった。今は娘がいるおかげで、辛うじて連絡をたまに取り合えているだけ。養育費をもらって、何かの記念日には一緒に四人で会う。

 そんな薄い関係だから、事故の後は清花のことで精一杯で連絡も出来ていない。こんな時にくらい頼ればいいんだろう。だけど自分の弱さをさらけ出せるほど、私は強くない。

「……不謹慎だって言われるかもしれないけど……だけどずっと俯いてたって、仕方ないよ。だから楽しもう。ね?」

 そう言って微笑む清花を見て、そんな想いは一層強くなる。

 最初はいくら大切な人が死んだからって、ここまで壊れるとは、なんて心が弱いのだ、と蔑む気持ちがあった。

 だけど、朱雀の遺品を調べたり、清花がお姉ちゃんに向ける想いを引き受けているうちに、そうした気持ちに変化があった。

 私はただ人を避けていただけだったのかもしれない、と。

 こんな時に相談する相手もいない私は、ただ一人である程度なんでも出来たから、一時的に家庭を築けただけで。

 失うことばかりを、離れて行くことばかりを恐れて、朱雀や清花のように、自分の存在以上に大切な相手を作ってこなかっただけではないかと。

 努力をして朱雀らしく振る舞えるようになったとは思う。その過程で朱雀の想いが乗り移ったみたいに、清花のことを娘というだけでなく、妹として、恋人として愛おしいと感じる時もあった。

 だけど、自分の中でそうした感情がぴたりとはまらない。

 そうした感情は京香という自分とは別の人格が産み出した、借り物の感性に思えた。


 車を走らせてやってきたのはショッピングセンターだった。ここならとりあず服を買ったり、ゲームセンターにいったり、ご飯を食べたり、とにかく何かすることはあるはずだと思った。

「意外とこういうところって来たことなかったよね」

 中心部にある吹き抜けの広場を歩きながら、清花は興味深そうに辺りを観察している。

「そうだね。二人で来るなんてちょっと新鮮かも」

「ふふっ。お弁当作って、見晴らしのいい丘に登って、寝転んでるだけで楽しくて仕方なかったんだから。わざわざ来なかったんだよね」

 朱雀の写真フォルダだけではわからない二人の足跡。それがほんの少しだけ見えてくる。日記とか予定表を朱雀はつけていなくて、わからないことばかりだ。もっとも、つけていたとして、清花のことだと側からわかるようにはメモをしてはいないだろうけど。

「ゲームセンター行ってみたかったの。行こう、お姉ちゃん!」

 清花が私の手を引いて駆け出す。朱雀と清花。二人の関係がどんなだったのか、その輪郭が少しだけ見えたような気がした。


※※※


 ゲームセンターで清花はたくさん景品をゲットした。私は惨敗だった。清花が、お姉ちゃんは相変わらずだね、と言って笑っていたのが印象的だった。

 軽くファミレスでご飯を食べて、帰る前に近くにあった観覧車に乗る。

「遊園地で乗ったのとはまた違った景色が見えて綺麗だね」

 年甲斐もなくはしゃぐ清花。朱雀なら携帯を取り出して、写真を撮ったりするのだろうか。私にはそこまでの情熱は生まれてはこなかった。

 だけど、半ば衝動的に携帯を取り出して、清花の横顔を撮る。私ではなく、あくまで朱雀の代わりに。

 思い返してみると今日みたいに清花と家族らしいことをした記憶はほとんどない。だから、子どもと遊びに行ったら記念写真を撮るって、当たり前の習慣さえ自然に出来やしないのだ。

 朱雀らしく以前に、家族への愛情表現の仕方がそもそもよくわからない。そんな風にも思えてくる。


「……お姉ちゃんって呼べばいいのかな。お姉ちゃん、お姉ちゃんじゃないよね」

 ゴンドラがゆったりとした速度で、頂点に差しかかろうとしている。

 突然清花がこれ以上ないってほど、真剣で寂しそうな眼差しと共に、自分で組み立てた虚構を崩すような言葉を言い放った。

「なに言ってるの清花。そんなことあるわけ……」

「確かにそんなことあるわけないんだよ。確かにお姉ちゃんなんだよ。だけどなにかが違うの」

 清花が私の顔を両手で撫でる。それはいつものように、愛情が込められた優しい触れ方ではなく、暗闇の中、指先の感覚だけで出口を探るような手つきで。

「記憶の中にあるお姉ちゃんと同じ肌触りなの。声も顔も。だけど、それだけじゃ私を騙せないよ。表面的なところだけがお姉ちゃんなわけじゃないもん」

「清花。変なこと言わないで。お姉ちゃんはちゃんとここに……」

「お姉ちゃんの写真を見ようとしたり、事故のことを考えると頭が痛くなって……だけどわかるよ。本当のお姉ちゃんはもう手の届かないほど、遠くのどこかに行っちゃったんだって」

 清花の瞳には、強い悲しみと、真実に向き合おうという強い意思が宿って見えた。

 虚構に溺れていたのはどちらか。思い知らされたような気がした。嘘に甘えていたのは私の方だ。壊れた清花と向き合うことを、支えることを放棄して、住み心地の良い嘘に甘えていた。

 清花は自分を守るため嘘で塗り固めた世界の中でさえ、朱雀を、お姉ちゃんを探していた。真実に向き合おうとした。

 ただ壊れた娘と向き合うことから逃げ出した私とは違って。

「ここ、本当はお姉ちゃんと来たことあるんだよ」

「え……」

「二人でキャンプしようって、テントを買いに来たんだよ。お姉ちゃんがそんな大切なこと忘れるはずないよ。それ以外にも、お姉ちゃんは変なところばっかり」

 言い返す言葉もない。朱雀ならどれだけ偽物を並べられても、そこから本当の清花を見つけ出すだろう。清花も同じことが出来るはずだ。

 本物の朱雀が今の私に乗り移れたなら、そんな状態からでも清花を信用させられる。だけど、私にはそんなこと出来ない。ただ黙っていることしか。

 本当はあなたの母だと、一言伝える勇気さえない。

「今までこんな私と一緒にいてくれたってことは、愛してくれてるのはわかるよ。そしてあなたは私の大切な人。嘘でもお姉ちゃんって呼べたくらいだから。でもやっぱり、私はお姉ちゃんと一緒がいい」

 小さなゴンドラが頂点に着くと同時に、清花は扉を……開けた。

「ちょっと! 清花! なにしてるの!」

「よくわかんないけど、こうしたらお姉ちゃんと同じところに行ける気がするの」

 愛する娘を立て続けに失う。そんなの耐えられない。ちゃんと向き合えてはいなかったけど、大切なのは本当だから。それだけは本当だから。

「バイバイお姉ちゃん。この一ヶ月、けっこう楽しかったよ」

 そう告げて、清花が外に身を投げた。腕を掴もうと手を伸ばすが……届かない。

 意味があるかなんてわからない。だとしても体は勝手に動いていた。

 私もゴンドラから飛び出して、宙を舞う清花を捕まえる。

「お姉ちゃん! どうして!」

「娘のためだったらこれくらいするでしょ!」

 映画とかだったら、こうしてかばえば相手の方を救えたりする。

 現実もそうなるように祈りながら、清花をより強く抱きしめる。

 その瞬間、全身を衝撃が走り抜け、意識が途切れた。

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私は娘の恋人でお姉ちゃん 神薙 羅滅 @kannagirametsu

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