第60話 「消えたくない」

 時刻は深夜二時頃。

 ラルクエルド城のとある一室。

 室内は明かりを付けていないのか暗く、唯一輪郭を照らしているのは窓から差し込む月明りのみ。そんな部屋の中で、外から聞こえる僅かな喧噪を耳にして二人は月を見ていた。


「……」

「……」


 ノルドとサラ。

 久しぶりの二人きりの空間。ノルドはサラを後ろから抱き締めるように、フカフカなカーペットの上に座っていた。それでいて互いの息遣いが良く聞こえる。温もりも鼓動もこの距離だと隠し通せないでいた。


「……その」


 ノルドの声が緊張で声が震えているのが分かる。


「いつまで……やればいいんだ?」

「……嫌?」


 サラはギュッと、僅かに力を入れてノルドの腕を抱き締める。

 いつもと違う幼馴染の様子に、どうしてかノルドは落ち着かない。


「嫌じゃ、ないけど」


 発した声は随分と小さくて戸惑いを感じた。


「なんか……恥ずかしいな……」

「……そーだね」


 いつになくしどろもどろな幼馴染にサラは微笑んだ。


「でももうちょっとだけ……こうして欲しいな」

「……お、おう」


 これまで見せたことのない甘えるような願いにノルドの心臓が高鳴る。

 ノルドは普段から好意を露わにしている癖に、いざサラとこのような甘い雰囲気になるとまるで遅い思春期がやってきたように困惑してしまう。


「……っ」

「……っ!」


 だがそんな感情もサラの体の震えに気付いた瞬間には吹き飛んでいた。


「……サラ」


 やはりサラはまだ整理出来ていなかったのだとノルドは思った。


 女教皇サラシエルとの戦い。

 そして、色々な事実が判明した女神ラルクエルドとの戦い。

 根元世界での戦いから無事帰還したノルドたちは、その戦いの傷が癒えていないまま、各々自分が出来る後処理に奔走したのだ。


 ノエルやその姉であるヨルア、ノンナといった政治に関われる頭脳陣はサラシエルの後処理をするための行動を。

 ヴィエラは今まで自身の妹であるヴィエナの世話を見ていたナレアというエルフの女性と共に、人工勇者になった子供たちの保護を。

 ノルドとサラ、そしてライといった残りの面々は街の復興を。


 サラのことを誰もが心配していたが、当の本人は国の人々のことが先決であると周囲に説得したことで、周囲はこれを受け入れざるを得なかった。

 復興活動による忙しさで現実逃避を図っていると分かっていても、いや、分かっているからこそ、受け入れたのだ。


(勇者を想う呪い、か)


 サラの心にはまだ、己の魂に刻まれた『呪い』に恐怖を抱いている。


 勇者を慕う心や勇者と結ばれたいと願う心。だがそれは捻じ曲がった上で植え付けられた心であり、偽りのモノだったのだ。


 それだけではない。


 勇者以外に関心を行かせなくして、例え恋愛感情を抱いたとしてもすぐにその想いも消えるという徹底ぶり。

 人の心に干渉し、抱くはずだった想いすら捨て去る『呪い』。


 ――悍ましいに尽きる。


 加えてこの一連の元凶は他でもない。

 世界の守護神。愛と調和を司る神。

 ……女神ラルクエルド。

 サラの母親と名乗る存在が、全ての元凶だった。 


「私ね、怖いんだ」


 その声ははっきりと分かるぐらいに震えていた。


「……サラ」

「あの人の言葉が本当なら、私のこの想いは私のじゃない」


 勇者と結ばれる夢は幼い頃から抱いてきた想いだ。

 日常の一部であり、自分の一部のはずだった想い。疑いようもなく、ごく自然に存在していたその想いは、他者から強制されたモノだった。


「いったいどこまでが自分の想いなのか分からないんだよ」


 全部がまやかしでもおかしくない。

 ここにいるサラという存在はもしかしたらからっぽの人形なのかもしれない。外付けの想いによって動く操り人形。それが本当の自分なのではないかと。


「違う」


 だがそれをノルドは認めない。


「ずっと一緒にいたから、俺はサラがサラだってことが分かる」


 目蓋を閉じれば、今でも思い返せるのだ。サラと笑いあった日々。悲しかった日々。共に戦った日々。そして幸せだった日々の全てが。


「今までが全部偽物のはずがない。優しくて、食いしん坊で、子供思いで、友達思いで……俺が好きになった人は、ずっと本物なんだよ」

「……っ」


 びくりと体が震える。

 本気の言葉だからこそ心が揺れる。

 この心が本物だからこそ、揺れるのだ。


「……やっぱりだ」


 体を包み込む力強い腕も。背中から感じる太陽のような温かさも。二人きりになり、こうしてノルドに自身の苦悩を吐露したのも彼の温かさを求めていたから。ノルドの言葉だから、自分は自分であると自信を持って言えるのだ。


「私ね、ノルドと一緒にいると安心するの」


 だからきっと、この想いは偽物じゃない。


「きっと今までも感じてたと思う」


 何気ない笑顔に目が行き、何気ない言葉が心地よかった。太陽のように明るく、誰かを照らすその生き方が眩しく輝いていた。

 

 だからそう。


 きっと。


 きっと、これまでの自分も同じ想いを抱いていたのだ。

 今のこの気持ちと同じ想いが、過去の自分たちにも宿っていたのだと。だから、言うなら今しかないのだ。かつての自分たちが言えなかったその言葉を。


「ノルド――」


 あとはたった一言。

 そのたった一言だけが、とても重い。

 まるで時が止まったかのような時間が永遠のようにも感じられて、僅かな聞こえていた喧噪ですらもう耳に入らない。

 だがそれでも。

 それでもサラは、前に進むしかない。


 その一言でサラはようやく自分の心に会えると確信して。




「――好きだよ」




 静かに、そして確かにそれを言葉にしたのだ。


「――……え」


 サラからの予想外で予想以上の言葉を聞いたノルドは目を見開いた。幻聴によって齎された都合のいい言葉とも疑った。

 だがその考えは彼女の態度によって否定される。


「……へへ、凄く恥ずかしいねこれ」


 サラの言葉に、表情に、彼女の背中から感じる鼓動の速さに、これが幻でもないだと示してくれている。


「サ、ラ……?」


 紛れもなくサラは彼女の口で告白をした。好きというノルドが待ち望んでいたその言葉を確かに、はっきりと発したのだ。


 だけど。


「……消えたくないなぁ」

「――」

「消えたくないよ」


 最初は小さく。だけどその声は次第に嗚咽と共にはっきりとノルドの耳に届く。


「消えたくない」


 絶望と共に発せられるその言葉はノルドの胸を締め付けた。


「ようやく口に出せたのに……ようやくこの想いを自覚したのに」


 きっとこの想いも、記憶も、発した言葉も全て消える。

 いや、


 他ならぬ自らの母親が施した呪いによって、今のこのサラは死ぬ。


「……っ」


 ここまでノルドに対する想いを自覚できているのは彼女が真実を知って自覚したからだ。自覚できたからこそ、自らに掛けられた『呪い』に抵抗できていた。


 だが女神の力は強く、ずっと抵抗できるわけじゃない。


 そして一度、想いが消えてしまえば。

 この想いを殺すように『呪い』が発動すれば二度と抵抗できない。きっと女神から知らされた真実や『呪い』のことまで全て消えて彼女は『新しいサラ』になる。


 ノルドのことを好きと言ってくれた彼女はもう、消えていなくなるのだ。


「……そんなわけないだろ」

「ノルド……?」

「消えるわけがないんだ。消えるわけがないんだよサラ」


 ゆっくりと念を押すその言葉には、不思議と説得力があった。


「消えてたらサラが俺に好きって言えるはずがない」


 恋とは、愛とは、今までの積み重ねによって育まれていく感情だ。育まれたからこそ人に好きと言える。好きな人に愛していると言える。

 もしその積み重ねが消えてしまうなら、どうしてサラは好きと告白ができたのか。ただの幼馴染であるノルドにどうして好きと言えるほどの感情を抱いているのか。


 自惚れが無ければそれは。


「俺は……サラにとってただの幼馴染じゃないんだろ?」


 緊張と不安をないまぜにしたその問いにサラは一瞬呆けた。

 そして、笑みをこぼす。


「うん……ずっと、ずっと昔から、大切な人だよ」


 消えてはいない。

 ただ歪められただけ。

 あるいは封じ込められただけ。


 確実なことは言えないがしかし、ノルドに対する想いは消えていない。サラのノルドに対する積み重ねは、消えていないのだ。


「好きだサラ……今度は笑って言おうぜ」


 その言葉は安心するように約束を交わし。


「好きだよノルド……絶対、また会おうね」


 その言葉は覚悟の表れのよう。


『……』


 二人はただ互いの温もりを胸に刻むように抱きしめ合う。永遠に続くかと思ったそれは、ふとサラの方から動いたことで終わりを告げた。


「……随分二人で話し込んじゃったね!」

「……あぁ」


 優しくノルドの腕を解いて、サラは立ち上がる。

 元気な足取りで出口の方へと歩くサラ。

 そんな彼女の背に、ノルドは声を掛けた。


「なぁサラ!」

「ん~? なーにノルド?」

「……っ」


 ノルドの方へと振り向いた彼女の顔を見て、ノルドは息を飲む。

 腫れた目を気にせずに、あるいは気付いていない様子で笑うサラにノルドはゆっくりと、まるで確かめるように言葉を綴る。


「……好きだ、サラ」


 そんなノルドの言葉にサラは目を見開いて――。


「――」


 いつものようにで……答えたのだ。

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