第59話 過去と向き合う始まりの物語

 女神が放ったマナの塊と、ノルドの持つ白銀のメイスが弾かれるように相殺された。


「……馬鹿な」

「うおおおおお!!!」


 メイスが弾かれてもなお、すぐさまに肩に担いだノルドはそのまま女神に向かって走る。その光景を、女神は苦虫を嚙み潰したよう表情で迎え撃つ。


「――」


 マナの塊が女神の手から放たれる。

 それをノルドは……つまりは上流側へと回避した。


「やはり」


 ノルドの動きを見て女神はその光景を受け入れがたい衝動に襲われるも、それでも目の前のありえない事実を受け止めるしかなかった。


(彼は……この根元世界を自由に歩ける)


 本来ならそれはありえないことだ。


 女神を含めた根元世界に立っている存在は、この世界を自分たち含めて三次元的な世界として見えている。

 つまりは奥行を感じ、空気を感じ、どこまでも広がる白銀の空間に自分たちが生身のままでいると感じている。


 だが本質は違う。


 ここはある意味二次元的な世界なのだ。実際に見えている光景が三次元ではあるが、実際には紙の上に書かれた点のようなもの。

 紙に書かれた点が勝手に動かないように、この根元世界にいる誰もがその場から動くことは出来ない。


 根元世界に流れるマナラインもそうだ。


 過去である上流から未来である下流へ。

 その『可能性』と呼ばれる蒼の川と『現在』と呼ばれる翠の川が混ざり、変色し、またお互いの色へと変わる光景もまた、実際の光景ではない。

 あくまでイメージとしてそこに存在するだけなのだ。我々に理解しやすいよう、あのような光景として見せているだけに過ぎない。


 全ては『理解したい』という人々の思いを具現化させたマナの力。それが今いる根元世界という光景の正体。


 ――だがこのノルドという男はなんだ?


(ここが概念的な世界なら、縦横無尽に動き回るこの男はなんです?)


 立っているこの場所が『現在』なら『現在』から『過去』へ、あるいは『未来』へは行けないはずだ。


 ならば。

 ならばこの男は。


(『過去』『現在』『未来』にこの男が存在している――?)


 時間的に連続している存在ではなく、どの時間にも存在しているということだろうか。『現在』を中心に成長していくノルドが全ての時間に対しアップデート共有していくようなそんな意味不明な考えだ。


 例えば、もし今この瞬間に時間遡行を行えるとしたら、過去へ飛んだ先にも現在のノルドが存在している光景に出くわすのではないだろうか。


(……いえ、何を馬鹿なことを考えているのです)


 先ず、あり得ない考えだ。

 気が狂っていると言っていい推論だ。

 だが目の前の動き回るノルドを見れば、得られる推測が上記のような頓珍漢な考えになるのも当然のことだろう。


「はぁっ!」

「おりゃあっ!!」


 そしてそれ以上に、ここまでの攻防で女神の発するマナの塊がノルドによって幾度も相殺されている事実に頭を悩ませてくる。


「……面倒ですね」


 マナによる影響が少なすぎるのだ。

 ダメージや衝撃を与えれても確殺レベルので死に至ることはないのはいったい何の冗談だろうか。


「……いえ」


 しかし、ここで女神の脳裏にある可能性が過った。


「……そうですか、『マナの塊』」


 その単語を呟くと共にニヤリと笑みを浮かべる。


「ならば問題ありませんね」

「!?」


 ここで女神の攻撃の質が変わった。

 確かに今までの攻撃はかなり強力だったもののまだ対処できる範囲ではあった。しかしそれは女神という上位存在にしては対処できるという矛盾だ。その時点でノルドは女神のよる攻撃は『様子見されてる』と感じていた。


 そしてその想像は当たっていた。


「くっ!?」


 ただマナの塊を放つだけの女神が、その攻撃に指向性を持たせたのだ。点から線へ。線から面へと。範囲が広がり、ノルドの逃げ場が狭まっていく。


「本質が何であろうと貴方がただ一つの生命であることには変わりない」

「がっ!? なんだ、これ……見えない壁!?」

「未知が既知に変われば、どうとでも対処できる」


 ノルドを潰すように女神は己の手を閉じる。

 その瞬間、ノルドは自身の周囲が急速に狭まっていく感覚がした。いや、事実として見えない壁がノルドを押し潰すように圧縮を始めたのだ。


「ぐ、ああああああ!!?」

「生まれにどういう経緯が起きたのかは分かりませんが、正体が分かればこうも容易い」

「正体、だと……っ!? 何、言ってんだ……!」


 ノルドは女神が突然何を言っているのか理解できない。そんなノルドに侮蔑を込めるような眼差しで口を開く。


「人間を模した、人間のまがい物」

「っ、はぁ?」


 それが自分に対し向けられた言葉であるのは分かる。だがその言葉の意味は分からない。この女神は何を自信満々に言っているのだろうとノルドは一瞬呆ける。


「何が言いたいんだアンタ……!!」

「そんな貴方にサラは渡さないと言っているのです!」

「ふざ、けんなよお前ぇ!!」


 力を込めて圧死させようとする壁に抵抗する。

 抵抗、


「!?」

「人間とか人間じゃないとか関係ないだろうがよ!!」


 透明な壁が押し返される。マナに満ちた根元世界という女神の力そのものが、たった一人の人間に押されている。


「今大事なのは――」


 白銀のメイスが爆発し、ノルドの体が輝きに包まれる。透明な壁が一瞬のうちに膨張し、中からの圧力によって破壊された。


「――サラの気持ちだろうがッッ!!」

「っ!?」


 光の中からノルドが飛び出てすぐさまに女神の懐へと入る。振り上げられたメイスを目にした女神は、このまま己が白銀のメイスによって潰される未来を幻視し――舌打ちをした。


「『空間拡張』」

「!?」


 その言葉によって女神に振るわれるはずだったメイスが空を切る。気が付けばノルドと女神の間にある空間が広がり、距離を取らされていた。

 ノルドは苛立たしげ顔を歪める。

 しかし、よく見れば女神の顔も屈辱に顔を歪んでいるのが見える。


「……人間に、それも貴方のような間男に……」


 通常であれば、ホームである根元世界で女神の体を傷付ける存在などいない。マナライン接続者ですら遠く及ばない、人類史上マナラインに最も近い存在である女神に、ありとあらゆる攻撃は効かない。

 それはまるで海に対し塗料を一滴垂らすような無駄な行為。全ての生命がマナで出来ているが故に、実質マナそのものと化している女神にあらゆる干渉を行うことが出来ないのだ。


 そんな女神が。


「この私が、回避のための行動を取った……」


 ただの人間に危機感を抱いてしまったのだ。


「……はぁ」


 ため息を吐く。

 どうにもこうにも、何もかもが上手くいかない。

 たった一人の人間を消すのにどうしてこんなにも労力を使わないといけないのか。


 全てはサラのため。

 娘の幸せのため。


 後、少しだというのに。


「……あ、ああ」


 大切なあの子の笑顔を見たくて、頑張っているのに。


「――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 吠える。

 神であるというのに大切な存在すら守れず、その幸せを与えてやることすらままならないこんな力と、世界の理不尽に苛立ちを声にして吐き出す。

 

 ――もう、何もかもが面倒であった。


「……死んで」


 その瞬間、女神の癇癪が殺意となって世界に顕現する。


「なんだよ、これ」


 白銀の世界に色が混じり、ノルドを害さんがために襲い掛かる。

 女教皇サラシエルの『世界』すら霞む『地獄』が牙を剥く。


「ぐ、がぁ!?」


 攻撃の密度がサラシエルの聖術を超えている。そもそもサラシエルでさえも長い詠唱が必要な聖術を女神は無詠唱で行っている時点で格が違う。

 火、水、風、土の四大属性による物理的な攻撃。単純なマナの力による不可視で必殺の攻撃。移動を妨害し、攻撃のタイミングを失くし、圧倒的な暴力の嵐による波状攻撃でノルドの体を削っていく。


「死になさい死になさい死になさい死になさい死になさい!!」


 まるで玩具に乱暴する赤子のように滅茶苦茶だった。


「う、ぐぅ……!!」


 逃げ場はない。

 攻撃を吹き飛ばしても次々に襲い掛かる。

 まるで目の前の津波を木の枝で抵抗するような光景。


「がぁ!?」


 槍のように伸びた何かがノルドの脇腹を抉る。

 血を吐き、意識が朦朧し、メイスに振り回されている始末。


 それでも、まだ死なない。


「……何故?」


 気が付く。

 そして冷静になる。


 見れば抉れた脇腹も、折れた両足も、奪った眼球でさえ元に戻っている。そして女神は、ようやくノルドに向かってマナが伸びていることに気付いた。


 そのマナの先には。


「ヴィエラ・パッツェ……!」

「『聖術・教導王の円環』……!!」


 ラックマーク王国の女騎士ヴィエラ・パッツェがノルドの体を治していた。


「お生憎様――」


 ヴィエラの放つ『聖術・教導王の円環』がノルドの体を治療し、彼に莫大な力を付与する。失ったノルドの目は再び未来を見据えることが出来る。折れた両足はちゃんと戦うために支え、女神の『地獄』を振り払うための体が動けている。


「――私もね、アンタの頬に用があるのよ」


 握りこぶしを見せつけながら言い放ったヴィエラに、女神が顔を歪ませた。


「そもそも言いたいことがあるのはノルドだけじゃないぞ!」


 その言葉と共に巨大な暴風がノルドに迫る『地獄』を僅かに吹き飛ばす。もしかしなくともノンナの『神なる暴嵐の災罰をサラ・カラエスト・アー・マギカ』だ。だが悲しいかな、やはり女神の放つ聖術の方が上で、大した効果は出なかった。


 それでも僅かなりにノルドの助けになれたことは事実だ。

 その事実が女神を苛立たせた。


「サラの歪さは見るに堪えんものじゃった! それなのに幸せを願っとるとかどの口が言っておるんじゃこのクソ女神!! 数千、下手すれば数万年生きておる癖に五十年の童にすら倫理観で負けるとかおかしいじゃろ!!」


 その言葉に女神の目がヒクついた。


「足は動かないし武器も投げられない――それでも、マナだけは届く!」


 勇者ノエルが剣先を女神の『地獄』へと照準を合わせる。

 そして。


「『魔断桜炎』!!」


 白銀色の光線が聖剣から解き放たれ、女神の『地獄』を抉っていく。


「勇者……貴女まで……!」

「サラの母親が貴女でも、どんなに悪いことをしたとしても……悪いのは全部貴女だ。そんな貴女に、僕の大切な友達を任せたくない!!」


 ノエルは呆然と仲間を見上げるサラに言葉を紡ぐ。


「訣別の時だ、サラ」

「ノエル……?」

「僕はお父様の人形だった。あの人の願いで僕の人生は決められていた」


 内なる性別から目を隠し、勇者として研鑽する毎日。理想の勇者として、そして理想のアークラヴィンスの嫡子として振る舞う、そんな人生。


「でも、僕の人生は僕のものなんだ」

「っ!」

「逃げてもいい、否定してもいい。それが例え血の繋がった親だとしても、悪い人から逃げるのは当然の権利だ!!」

「私、は」


 杖に、力が入る。


「絶望しなくていい! 罪悪感なんて抱かなくていい! 僕はもう僕の幸せを見つけた! 君はどうなんだ! サラ、君の気持ちは!」

「私、は……!!」


 立ち上がる。

 その瞳に決意を宿し、叫ぶ。


「『あなたに愛は訪れない』!!」


 その瞬間ノルドを襲っていた女神の『地獄』が、一瞬にして霧散した。


「なっ……!?」

「貴女の気持ちは良く分かった……! それだけ私のことを思ってくれてることも痛いほど分かった! それでも、それでも!!」


 瞳に涙を滲ませて、決意を露わにする。


「私の幸せは私が見つける!! みんなと、そしてノルドと一緒に!!」


 サラの言葉と共に根元世界が震えた。

 それは女神の特権であったマナラインをサラも掌握出来ていることに対する証であり、その事実こそがサラの決意の表れ、そして――。


「そんな……」


 ――決して女神の思い通りにさせないという証明であった。


「は、はは」

「っ、ノルド……!!」

「どうだ……? サラってば……強いだろ?」


 度重なる暴威に晒されてフラフラになろうとも、ノルドの目は真っ直ぐと女神を射抜いた。


「親なら信じてやれよ。てめぇの都合だけ押し付けんな。もっと子供をちゃんと見て、見守れよ」


 それでもその言葉に、女神は反論する。


「……だからこそ、です」

「……」

「前世のあの子がどのような末路になったか分かっているから願うのです……見守った結果が、あの悲劇だった……!」


 女神の瞳に宿るのは悲しみに怒り、そして後悔。


「二度と繰り返してはならないのです! 孤独のまま死んだあの子の無念を晴らすために私は……!!」


 空間が震える。

 誰もが女神の力によって齎されていると感じる。


 しかし、違った。


 ――ピシ。


「!?」


 女神は目を見開き、何もない空間へと見やる。

 そこには。


「いったい、何が――」


 ――ピシピシ。


 その時だった。

 目の前には信じられない光景があった。


「そんな、馬鹿な」


 ――空中に、黒いひびが広がっている。


『!?』


 女神を含め、誰もが言葉を失う。

 何故ならそのひび割れた中から『瘴気』が僅かに漏れ出しているからだ。


「『瘴気』じゃと!? この根元世界にか!?」


 あまりの光景にノンナが悲鳴を上げる。

 ひび割れは遅く、それでも確かに白銀の世界を侵食していた。


「根元世界に何が……いや、もしくは現世で何かが……?」


 その事実に流石の女神も戦いを中断せざるを得ないらしく、ノルドたちに対する敵意も薄れて、姿も徐々に消えていく。


「待て! どこに行くんじゃ女神!」

「……流石に、この世界を放っておくわけにはいきません」

「待って!」

「あなたたちへの対処は、また後です」


 ノルドたちの意識が段々と遠ざかっていく。

 気を失う、というわけではなくまるで目を見開いたまま視界が暗くなっていくようなそんな感覚に襲われながら、サラは女神に向かって手を伸ばす。


 そんな彼女に女神は一瞥して。


「サラ……また、お会いしましょう」


 最後にそう発したのだった。

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