第58話 「サラの幸せを考えるなら!」
――お腹を痛めて産んだ?
「……え?」
女神ラルクエルドが、誰を?
女神の言葉にサラは困惑を隠せないでいた。
サラは捨て子だ。
ノルドと同じタイミングで養父であるカラクに拾われ、育てられた子供だ。実の親が誰かなど、思ったことはあってもそこまで
そんなサラに、実の母だと思われる存在が現れた。
それも天上の存在。
女神ラルクエルド。
その女神が、溺愛の笑みをサラに向けていた。嘘偽りのない、正真正銘親としての顔を、サラに向けていたのだ。
「貴女の幸せのために、私は貴女の魂をこの身に宿しました」
「……は、は」
息が苦しい。目の前の存在から向けられる好意がどうしようもなく受け入れがたい。今すぐ耳を塞いで閉じ籠っていたい衝動に駆られる。
「現世に受肉し、貴方を産んだのです。初めて子供を産みましたが、子を持つという感覚はこういうものであると知り得ました」
自分の親が人々の人生を踏みにじるきっかけを作った存在という事実に、サラの心に強烈な罪悪感が生まれていく。
「生まれた貴女はとても可愛く、愛しかった。あぁ我が子よ、女神の子よ……今度こそ私は貴女を幸せにします」
「……っ」
「勇者と結ばれれば貴女はきっと幸せになれる。そのためなら私はなんでもしましょう――」
――例えそれが全てを犠牲にしてでも。
「――あ」
理解した。理解してしまった。
この母は邪悪な願いや利己的な考えで事を成し遂げようとしたわけじゃないことを。全ては自分の娘であるサラの幸せを願っての行動だったと。
ノエルを苦しませ。
ヴィエラたちを悲劇に陥れ。
ノルドの想いを踏みにじった全ての理由は。
「全部、私のため……?」
サラという存在が中心だったのだ。
彼女がこの世に生まれてきたことを境に、全てが始まったのだ。
「……」
「っ!? あ、あぁ……! どうして、どうして泣くのです!? どこか痛むのですか!? 何か悲しいことでも!?」
サラの涙に、女神はここに来て初めてその神々しい姿を潜め、まるで泣く子供に狼狽える母親のような反応を見せた。
驚くことに、その姿に演技のようなわざとらしさは見当たらない。本当に母親として子であるサラを心配しているのが分かる。
「……」
――それが余計に、癇に障るのだ。
「ふざけんなよ」
「……」
静かで、そして確かに、怒りを込めた声音に女神の動きが止まる。女神の視線は真っ直ぐと、それでいて不愉快そうにノルドを睨んだ。
「サラの母親……? サラのためだったらなんでもする……? 全てを犠牲にしてでも? ……本気で言ってんのか?」
サラのためなら。
その言葉はノルドにとっても身近な言葉だ。何せノルドもまたサラのためになんだってする覚悟を持っているからだ。
だがそんなノルドでも、女神と決定的に違うものが一つある。
「それでサラの幸せを考えてるって言えるのか?」
「……何が言いたいのです?」
「サラの幸せを考えるなら! どうして先にサラの想いを考えねぇんだって言ってんだよッ!!」
その叫びに、白銀の空間が震えた。
「人を犠牲にしてサラは喜ぶと思っているのか!? サラの気持ちを捻じ曲げて、それでサラは幸せなのか!? そうじゃねえだろ幸せってのは!! アンタがサラの親だったら――」
叫ぶ。
ここまで育ててくれた養父の姿を思い出しながら、心の底から叫ぶ。
「――願いを押し付けるんじゃなくて、サラの想いを尊重しろよ!!」
少なくとも、ノルドとサラを育てて来たカラクはそうだったのだ。願いを押し付けず、それでいて子供たちの願いを尊重し、導く。
血の繋がりはなくともノルドとサラ、そしてカラクは心で繋がっていた。それが肉親という繋がりを持つ女神が、こんな体たらくなのだ。
「あの村でサラを置いてからアンタはサラを見てたか? 誰かのために頑張って、誰かの悲しみに寄り添い、誰かのために戦うサラを見てたか?」
見てなおそれなら、言えることはただ一つ。
「アンタはもっと、サラという人間を見た方がいいぜ」
女神の重圧など何するものぞ。
ノルドの覚悟は、女神を前にしても微塵も揺るがない。
「……戯言を。貴方にサラの何が分かるのです? この子の苦しみを。この子の絶望を。たった十数年しか共にしてこなかった間男が何を語るのです?」
女神の声には怒りが込められていた。いっそ殺意と言っていいぐらいの重圧が周囲を包み込む。
「娘に近付く害虫が」
女神は手の平を前に突き出す。その瞬間、根元世界に存在する膨大で濃密なマナが女神の手の平に集まっていく。
その尋常じゃない事態にノエルが叫ぶ。
「何をするつもりだ!」
「もう、あなた方の存在はいらないのです」
『!?』
「サラの旅路を支える戦力としては惜しいのですが、我が子の幸せを邪魔するのならいりません。それに――」
女神の視線が倒れているサラシエルの方へと向けられた。
「――この子に仇なした報いを受けさせねば」
実の子ではないとはいえ、サラシエルもまた『女神の加護』を持つ存在。女神にとってサラシエルとは寵愛すべき子供の一人でもあるのだ。女神にとって、サラを除いた勇者一行は最早排除すべき邪魔な存在となっていた。
「勇者ノエル」
「っ!」
女神の目がノエルへと向けられる。
「貴女は前の勇者と違い、サラを幸せにしてくれると思っていました。前世でサラと親友だった貴女なら大丈夫だと」
でもだからこそ女神は疑念を抱いた。
「事実、貴女とサラの関係は良好でした。そう遠くない内に結ばれる筈だろうと期待を抱くほどには」
だがその期待も今や、裏切られた。
「それがどうして、親愛以上の愛を抱いてくれないのです?」
ノエルが抱く特別な感情はサラではなく別に向けられていたのだ。
「大丈夫ですよね? 貴女はサラを幸せにしますよね?」
確認というには体に掛かる重圧が酷い。まるで言葉を違えればその存在を押し潰すというような圧力だ。しかし、そんな女神の重圧を受けて冷や汗をかこうとも、ノエルは毅然と女神に立ち向かう。
「当然だよ。サラのことは大切だ。僕は彼女の幸せを願っている」
「……願っている?」
「そうだ。サラを幸せにするのは僕じゃない――彼だよ」
確かにノルドのことは好きだ。心の底で恋をしていると言ってもいい。でもだからこそノルドの恋を全力で応援したいし、サラの本当の想いが叶えられると願っていた。それがノエルが好きになったノルドだからだ。
いつだって全力で、サラのために頑張るノルドのことを愛している。
それがノエルの答えだ。
嘘偽りのない、ノエルの想いだ。
「……はぁ」
そんなノエルの言葉を聞いて、女神はため息を吐いた。心底失望しているというような深い、そんなため息だった。
「……サラの相手として用意したにも関わらず、よりにもよってそこの間男に懸想するとは。やはり貴女も用済みですね」
明らかな死刑宣告。
だがしかし、それでもノエルは臆さない。
「僕の気持ちは僕の物だよ。そしてサラも――」
――サラだけの物だ。
「……」
そんなノエルの言葉に女神は無視した。
『……っ!!』
女神の手に集まる膨大なマナがより一層集まっていき、圧縮されているのが分かる。聖術として放たれれば先ず死を免れないほどの量だ。
『……っ』
一先ず女神の射線上から離脱する――そうしようと思った瞬間だった。
「無駄ですよ」
「!? な、なんじゃ!? 足が、動けん!?」
「くっ!?」
それぞれの足がまるで縫い付けられているかのように地から足を離すことが出来なかった。
驚異的なのは足を動かそうとする意識を持つまで何も違和感を感じなかったことだ。まるでその場に立っていることが正しいと思ってしまうほどの自然さに、彼らは気付くのが遅れたのだ。
「マナライン上流から流れる川が運ぶのは『過去』。下流に向かって進んでいるのが『未来』。ならば『現在』とは、今立っているこの場所そのもの」
そして、この『根元世界』に存在する全ての生命体はこの立っている『現在』から『
ただし例外として、直線状に並ぶ同じ『現在』に位置する者同士ならば『空間圧縮』の聖術で距離を縮めることは出来るのだ。
「『現在』の位置からはどこへも行けない。それこそがこの『根元世界』の絶対の理であり――」
――ズン!!
『ッ!?』
女神の言葉を遮るように突如として大きな音が鳴り響く。
それはノエルたちの後方。
ノルドがいる場所だった。
「何が、どこへも行けないって?」
足元を見れば、ノルドの片足が一歩前に進んでいた。どこへも行けないと定められた空間で、ノルドは足を踏み鳴らしたのだ。
「な、何故!?」
女神でさえもこの空間内では『空間圧縮』の聖術なしでは動けない。だというのに、何故ノルドだけが動ける? 一歩、女神の下へと近付く度にノルドに対する得体の知れなさに女神は困惑を増していく。
「そう言えばアンタは腐ってもサラの母親だよなぁ……だったら――」
メイスを肩に担ぎながらノルドは駆け出す。
それと同時に女神は困惑の様相を隠せないまま、それでも駆け出してきたノルドに向かってマナの塊を解き放った。
「――娘さんを俺に下さいってなぁお義母様ぁああ!!!」
「誰が貴方なんかにやるものですかぁっ!!」
女神の放ったマナの塊と、ノルドのメイスが激突する――!!
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