第57話 「かわいそうに……」

 サラは地面に横たわるサラシエルに近付いた。

 戦闘によって服はボロボロになっているものの、『女神の加護』や『聖術・教導王の円環』による回復で外傷は見当たらない。

 ただヴィエラの放った『怒りの炎』による影響で、彼女の精神、魂は廃人の一歩手前の状態になっていた。


「精神が回復する可能性はあるけど……」


 しかし、その可能性は恐ろしく低い。

 ヴィエラの『怒りの炎』というのはそういうものだ。魂に直接怒りを刻み付け、ヴィエラが受けたトラウマを体験させる。

 それで死ぬことはないが、苦しみをずっと体験させるのだから、目が覚める可能性は低いのだ。


 そう、この廃人一歩手前というのはヴィエラの慈悲ではない。

 ずっと、ずっとずっと苦しめと言う、彼女の怒りによる結果だ。


「……」


 治そうと思えば治せる。

 だがそれをサラはしなかった。サラシエルに向かって伸ばしかけた手を戻し、彼女は踵を返した。


 ――彼女は、敢えて人を救わないことを選んだのだ。


「……サラ」

「ノルド……」


 そんな決断が出来る自分に、どこか『変わった』といや――『』と思いながら、サラはノルドに向かって笑みを浮かべる。

 ノルドは、その笑みがどこか悲しそうに見えた。そんな彼女を見て、ノルドは咄嗟に口を開く。


「サラ、これはお前のせいじゃ――」


 その時だった。


『!?』


 その場にいるマナを感知できる全員に、異変が起きたのは。


「なんだ、これ!?」


 ノルドの言葉に同調するかのように、仲間全員が警戒をする。


「ん、んぅ――……っ!? な、なんじゃ!? このマナの量は!?」


 思わずさっきまで気絶していたノンナまでが飛び上がる始末だ。彼女の言葉通り、周囲のマナが一つの場所に集まり、膨大な量のマナと化していたのだ。その場所とはつまり――サラシエルの額。


 ――『女神の加護』がある部分だった。


「……倒したと思ったら今度は何よ」


 サラシエルの度重なる再生にヴィエラは苦戦を強いられてきたのだ。その上でようやっとサラシエルを倒したというのにこの異常現象。彼女を含めた全員が顔を顰めるのは当然のことだった。


「何かが来るぞ……!」


 マナの変化を察したノンナが周囲に警戒を促す。


 その次の瞬間だ。


『っ!!』

「聖術陣じゃと!?」


 額にある『女神の加護』を中心に広範囲な聖術陣が広がったのだ。その聖術陣はノルドたちがいる場所すら呑み込み、既に逃げ切れる暇などなかった。


 そんな中、ノンナは咄嗟に聖術陣の構成要素を見渡す。


「これは……場所ガラヤ上位エスト届けるポルカの単語……? ……もしや、転移の聖術陣か!?」


 構成されている聖術の単語は複雑に絡み合い、完全に解読するのは不可能に近い。しかし辛うじて読み取れた一部分に見慣れた単語があることに気付いたノンナは咄嗟に聖術陣の効果を予測する。


「っ! みんな、ノルドの体に捕まって!!」


 ノンナの言葉に、ノエルが咄嗟に命令を下す。流石勇者パーティーのメンバーだろうか、ノエルの言葉を聞いて彼らは瞬時に従う。

 どこかに飛ばす聖術陣ならば、バラバラに飛ばされるよりかは固まって飛ばされた方が都合がいい。そう考えたノエルだが、それでも転移の聖術陣が発動される方が速い。


 ――これはもう、間に合わない。


『ノルド!!』

「みんな!!」


 その瞬間、彼らは光に包まれた。




 ◇




「ん……ここ、は……?」


 目が覚めると、ノルドたちは白銀色に彩られた空間に立っていた。ノルドの元へ集まろうとしていたノエルたちは今、バラバラの位置で離れている。


「なんじゃ、あれ……」


 何かを見つけたノンナが呆然と口を開く。

 その言葉をよく確かめなくても、ノルドたちはノンナの見つけた何かについてすぐに理解した。何故なら遠く離れた場所には巨大な翠と蒼の二種類の川が大きく横断していたのだ。


「どこまで続いてるんだこの川……」


 ノルドから見て右側の上流から左側の下流へと流れていた。

 上流下流の先はどちらも遠すぎて肉眼では見えず、巨大すぎて近くにあると錯覚してしまうほどの巨大な二色の川だ。


 その時だった。


「嘘……このマナ、まさか」

「姉御?」


 何かに感付いたのか、ヴィエラはあの二種類の川を見て目を見開いていたのだ。そして次に放った言葉にノンナは己の耳を疑った。


「私がいつも接続しているマナラインと同じ感覚……」

「なんじゃと?」


 ヴィエラの言葉にノンナが改めて前方の川を見る。

 先ほどの言葉と己の知識を照らし合わせたところ、ノンナの脳裏には目の前の川の正体が浮かび上がった。


「もしかしてこの川は……マナラインか!?」


 思わず出してしまったその言葉にノエルが驚愕した。


「マナライン……! ノンナ、まさかこの空間は!?」

「……根元世界、ということかの」


 マナラインに接続出来た者たちにはとある共通の認識があった。それは『根元世界』に対する認識だ。

 接続者たち曰く、普段我らの住む世界には生命の循環を担う根元が存在しているという。彼らはそれを『根元世界』と呼び、その世界には過去から未来へと流れるマナラインが流れており、それこそが世界が生きていることの証、とのことだった。

 彼らの言葉によって広まった『根元世界』と『マナライン』。接続者でなければ知り得なかった概念。それがノルドたちの目の前に広がっていたのだ。


「……あれ?」


 その時だった。サラはマナライン付近に誰かがいることに気付いた。サラはその存在のことを仲間に知らせようとして。


「ねぇみんな、あそこに――」


 その瞬間、突如として全員に強烈な重圧が降りかかる。


『!?』


 息をするのもやっとの状況の中、ノルドたちとサラが見たその人影との間にある距離が瞬時に縮まり、その人影の全貌が見えた。


「……あ」


 誰かが声を漏らした。

 その人物は神聖な法衣を纏い、誰もが見惚れるほどの容姿をしていた。だがそれは『彼女』のことを知らない場合の話だ。

 ノルドたちのいる世界で、それがラルクエルド教を信仰している人ならば、誰もが礼拝堂で見る機会はあるだろう。魔王の脅威から世界を守り、勇者と聖女を支え、人々に愛と調和を齎す天上の存在。


 人は彼女を――。


「女神、ラルクエルド……」


 ――神と呼んだ。


 疑問の余地さえ抱かせないほどの存在感。理屈ではなく本能で目の前の存在が正真正銘超常の存在、つまり女神であると認識してしまう。


 だからこそ。


『……っ』


 この場に現れた女神に誰もが警戒をする。

 これがラルクエルド教国、ひいてはサラシエル・ラルクエルドに関する問題に直面しなければ警戒の度合いは薄かっただろう。


 だが今なら分かる。


 この女神の存在こそが、元凶であると。

 女神が下した神託にせいで無数の人生が狂わされたのだと。


 だからこそ、この場で女神に対する警戒を高めない存在はいない。いや寧ろ、女神に対する敵意を抱く者もいる始末だ。


「……」


 女神は倒れているサラシエルの下に膝をつくと、ゆっくりと彼女の頭を撫でた。そして女神は。


「かわいそうに……」


 まるで怪我した我が子に対して悲しみの言葉を吐く母みたいにそう呟いたのだ。


「かわいそう、だって?」


 ヴィエラが怒りを込めて言葉を吐く。


「その女が何をしたか、分からないアンタじゃないでしょ……!」


 サラシエルに直接神託を下したのは女神だ。そして彼女の行いを常に許し、あまつさえサラシエルに『女神の加護』を授けたのもこの女神なのだ。

 サラシエルを敵視するヴィエラにとっては、目の前の女神もまた彼女の怒りの対象とも言える。


 ヴィエラの怒りは当然のことだ。

 しかし。


「何を言っているのです? この子は私の頼みを聞いて、世界と聖女のために働いてくれたのです。憐れむことはあっても、その行いを咎めることなどありえません」


 その言葉にこの場にいる全員が耳を疑った。

 当然のように言い放った女神の言葉に誰もが呆然としたのだ。誰がもが呆然と言葉を失う中、すぐさま我に返ったノルドが怒りを込めた眼差しで吐き捨てる。


「……ふざけるなよ」


 ノルドの言葉に、女神は初めて険しい表情を浮かべた。


「周りを不幸にして何が世界と聖女のためだ! 神託を下せるなら止められたはずだろ!? 女神ならそいつの行いだって理解してるはずだ!!」


 だというのに女神は止めなかった。

 それどころか力をも貸していた。


「アンタのせいで……! ヴィエラやライたち、サラでさえ悲しむ必要はなかったんだ!!」


 その一言によって女神の、サラシエルを撫でる手が止まった。心なしか女神を中心に重力が重くなっている気がする。女神はゆっくりとサラシエルの頭から手を離し、ノルドを睨みながら立ち上がる。


 そして。


「黙りなさい」

『!?』


 一言。女神のそのたった一言によって経験したことのない重圧がノルドたちに降りかかったのだ。


「……サラが悲しむ?」


 皮肉を言うかのような様子で女神が呟く。


「サラが悲しむのは寧ろ、貴方のせいでしょう――」


 ――ノルド。


 殺気と共に言い放ったその言葉に、誰もが気圧された。


「貴方がいなければサラはもっと幸せになれた。貴方が私の計画を邪魔しなければサラは苦しむことなどなかった。貴方がいなければ。貴方がいなければ!!」


 まるで怨念のように呟く女神に誰もが死という重圧に冷や汗をかく。


「計画の、邪魔……? 貴様はいったい、何を言っておるんじゃ」


 そう言いつつも、ノンナにはある予感があった。


「貴様は……サラに何をさせようとしているのじゃ!?」


 女神の、サラに対する執着心は異常だ。それは先程の言葉が証明している。ならばその理由とは。ノンナはまるで長年抱いていた謎が解き明かされる。そんな予感を感じていた。


 そんなノンナの問いに、ついに女神は言い放つ。


「当然――」


 単純で、それでいて理解しがたい、そんな言葉を。


「――サラを幸せにさせることです」

「……え」


 その言葉に、サラは呆然と目を見開いた。


「サラ。私の可愛いサラ。貴女はもっと幸せになるべきです。前世のようななんじゃなく。勇者と結ばれ、今度こそ幸せになるそんな人生を」

「あ、え……?」

「前の勇者は本当に失望させられました。でも今の勇者ならきっと大丈夫です。だったの魂ならきっと、貴女のことを大切にしてくれます」

「……え?」


 サラも、そしてノエルも、女神の言葉にどうしようもないほど動揺してしまう。それほどまでに女神の言葉は衝撃的だったのだ。


「おい、おい! 何を、何を言っておるんじゃ此奴は!?」


 怒涛の情報に、ノンナでさえも処理しきれていなかった。しかし、それでも分かったことがあった。サラのこれまでの異常な認識について、ノンナはようやく答えを掴んだ気がしたのだ。


「まさか……! まさか貴様は!」


 聖女と勇者が結ばれれば世界が平和になるというあんな神託を下した女神だ。当然、女神の影響とされる事象はそれだけじゃないだろう。


 サラの、勇者に対する盲目的な想い。

 ノルドの告白をいつも断るその理由。


 嫌な予想が、点と点を結んでいく。


「貴様が、サラの気持ちをずっと捻じ曲げていたのか……?」


 ノンナのその言葉に、誰もが目を見開く。

 そんな幼いエルフに対し、女神は――。


「勇者以外の男など、サラには相応しくないでしょう?」

『――』


 肯定と捉えられるその言葉に、聞いた全員が絶句した。

 そして、サラは。


「……あ」


 ぺたん、と。力が抜けてその場に座り込んだ。

 女神の言葉に心当たりがあったのだ。それが例え理解しがたくとも、徐々に理解していくと目の前が真っ白になる感覚がする。


「わ、私……は」


 勇者が好きだ。

 勇者に憧れ、勇者と結ばれることがだ。

 なのだ。


 苦しくても、悲しくても。***からの告白を断る度に胸が締め付けられても、勇者に対する想いは本物の筈なのだ。


 ――それが違った。


 勇者への憧れも、勇者への想いも、全てまやかしだった。全ては女神が用意した偽りの想いで、そこにサラの想いはない。


 ――じゃあ、自分の本当の想いは?


「あ、あぁ……っ!」


 それすらも、握り潰されていた?

 幼い頃から抱いていた***への想いを、ずっと?


「私、は……!」


 罪悪感が、後悔が、悲しみが、想いが、心の中から溢れてくる。そしてそれすらもやがて消えるのだ。他ならぬ、女神の手によって。


「っ、女神ラルクエルド!! お前はいったい何の権利があってサラの想いを踏みにじるんだ!?」


 激昂し、女神に向かって聖剣を抜いたノエルが叫ぶ。

 ノエルはサラのノルドに対する想いを知っている。それこそこんな毎回告白を断る嫌な女と付き合うぐらいなら、自分から身を引こうと思うぐらいにはノルドを大切に想っていることぐらい知っている。


 その想いを女神が操っていた。

 それをノエルは許せなかったのだ。


 そんなノエルに女神は首を傾げる。


「……権利? 我が子の幸せを願うことになんの権利があるのです?」


 人類を支え、人類を守り、人類を愛す。そんな彼女のことを『偉大なる母』と呼ぶ人もいる。だが女神の本性を知った今、母と子という言葉が女神の口から飛び出してくることに反吐が出る気分だった。


「お前はまたそうやって――」


 そんなノエルの苛立ちに対し女神は――。




の幸せを願うのは母として当然のことでしょう?」




 ――あっけらかんとそう答えたのだ。




「……え?」


 サラが、信じられない様子で女神を見た。

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