第56話 最高の仕返し
「あ、ああ……あああああっ……!!」
痛い。痛い。
神聖な顔面を強烈な一撃によって殴られた。この屈辱、その痛みは最早想像に絶した。息を吸うのも苦しく、苦悶の声しか上げられない。あまりの痛みに治療を施すのも忘れるほどだった。
しかしその苦しみは一瞬で消え去った。
彼女の持つ『女神の加護』が勝手に彼女の顔を治療していったのだ。まるで彼女をまだ戦わせるように。まるでノルドを殺すことを強要しているかのように。
「ノ、ルドォォォ……!!」
立ち上がる。
その姿はまるで正気を失い、亡霊と化した姿のようだ。
だがノルドはその姿を見てもなお、恐怖に怯えることもなく、かといって未だに怨念を露わにする彼女に対し警戒に身構えたりはしていない。
その時だった。
ギャリギャリ、ギャリギャリ。
何かを引きずるような音が、サラシエルの耳に入った。
「……っ?」
まるで心の底の何かを掻き立てるような音。聞けば聞くほど焦燥感が増し、体が竦むような音だ。
その感情に困惑した彼女は、堪らずその音の方向へと目を向ける。向けてしまった。見なければこの感情の正体を知らずにいられたものを、彼女は見てしまったのだ。
白銀のメイスを引きずりながらこちらにやってくるヴィエラの姿を。
「――ヴィエラ……パッツェ……っ」
その歩き方はまるで幽鬼のようだった。
ヴィエラでもノルドのメイスを持つのは無理だったようで、彼女は白銀のメイスを引きずることで強引に持てていた。顔を俯き、前髪によって彼女の眼は見えず、だからこそただ黙ってメイスを引きずりながら歩くその姿に恐怖を抱く。
(……恐怖?)
そう、恐怖だ。
ギャリギャリとメイスを引きずる音。
幽鬼にようにこちらに向かって歩く姿。
それらによってサラシエルの心を掻き立てるのは恐怖だ。この焦燥感も、体が竦むのも、自分が断頭台に怯える罪人と同じ感情を抱いていたからだ。
それに気付いた彼女はギリィ、と歯軋りをした。
「どうして!! どうしてどいつもこいつも私の邪魔をするのですか!!」
度重なる妨害と追い詰められたこの状況にサラシエルの感情が爆発した。
自分は正しいことをしている。自分の行いは女神に認められている。だからこそサラシエルは自分の行いに罪を感じない。罪を感じないからこそ、どうしてヴィエラを始めとした有象無象に追い詰められているのか分からない。
そんな彼女の言葉を、ヴィエラは一蹴した。
「今更口で言うつもりはないわ」
「え……」
やはりヴィエラの顔は俯いていて表情は見えない。だがその声から伝わる感情だけは恐ろしいほどに理解できてしまう。
「アンタがどう思っていようが思っていないがどうだっていい」
何故なら、どう足掻いてもこの話は復讐に帰結するからだ。
正義感で動くのではなく、自分の感情のために動く。
だからぶっ飛ばす。理屈こねて道理を説教するのではなく、ただぶっ飛ばすために敵対する。
だからこそ。
「やっと、この時が来た」
ヴィエラの口から底冷えがするような、熱にうなされるような言葉が出てくる。彼女は顔を上げると、その表情を見たサラシエルが「ひっ」と怯えるような声が出た。
何故ならそこには。
怒りを込めた眼差しと『笑み』があったからだ。
「……来るな」
無意識に、口が開く。
「来るなぁ!!」
恐怖のあまりサラシエルはヴィエラに向かって聖術を詠唱し、放とうとする。彼女が詠唱したのは『
このままではヴィエラは死ぬ。
しかし先程からずっとこの状況を見守っていたノルドに焦りはなかった。
何故なら。
「『あなたに愛は訪れない』」
この場に頼りになる仲間が来てくれたからだ。
「――は?」
突如として現れたその言葉によって、サラシエルが放とうとした聖術が霧散した。聖術の強制解除という現象に見舞われたサラシエルはあまりの状況に思考が真っ白になる。
そんな彼女を追撃するように、彼女に向けて声を掛ける存在がいた。
「もう終わりだよ」
「勇者、様……?」
勇者、ノエル・アークラヴィンス。
そして聖女、サラ・ラルクエルド。
二人がついに、この場にやってきたのだ。
「どうして……お二人が、ここに……?」
信じられなかった。
勇者と聖女はラルクエルド教、つまりサラシエル側の味方の筈だと彼女は認識している。それなのに、どうして二人は敵意を込めた眼差しでサラシエルを見ているのか、信じられなかったのだ。
まるで、二人もまた自分の敵であるかのような――。
「貴女はもう終わりなんだよ」
「っ、違う!! まだ始まってすらいないのです!!」
これまではただ神託が成就するための保険作りをしてきたに過ぎない。こうして人工勇者を含め、勇者が出揃ってきたこのタイミングだからこそ、サラシエルたちは勇者と聖女が結ばれるように行動する必要があった。
だがそのこれからというタイミングにヴィエラとノルドが邪魔しに来た。
これまで練ってきた計画が全て、崩されようとしているのだ。
「今ここであの二人を倒せばまだ持ち直せる! 勇者と聖女が結ばれれば世界は平和になる! これからなんです! これまで費やしてきた時間も研究も全てこの日のために!! なのにどうして、どうして邪魔をするのですか!?」
「いい加減にして!!」
「っ!?」
サラシエルの言葉を聞いたサラが、声を張り上げて遮る。その表情には、彼女に似つかわしくない怒りがあった。
サラの発した言葉はそれだけだ。
ただ睨みつけるようにサラシエルを見て、それ以上は言いたいことがあり過ぎて何も言えないまま。
ある意味、自分という聖女の存在のせいでこうなったとも言えるのだ。それを感じているからこそ、彼女はそれ以上言うことが出来ない。
出来ることと言えば、ただこの状況が終わることを祈ることだけだ。
「あっ――」
サラシエルはここでようやく、ここに味方がいないことに気付いた。
「違う……!」
逃避するように否定の言葉を出す。
「私は何も間違っていない!」
見苦しいほどの言葉だ。
当然その言葉を受けてなおヴィエラの歩みは止まらない。
「全ては世界のためです! そのために尽力してきた私がどうしてこのような仕打ちに遭う必要があるのですか!?」
ヴィエラが近付けば近付くほどサラシエルの焦りは増していく。
「何故!? どうして――」
「――知りたい?」
「ひっ」
ヴィエラの言葉と共に、地面に引きずっている白銀のメイスから炎が吹き荒れた。
(あれは……)
その光景をノエルは知っていた。古代都市でノルドがザイアを相手に見せた現象と同じだったからだ。
『元来マナとは中立的な力! 外的要因によって自らの性質を変化させるエネルギー! あなた方人類が使う聖術も! 私たちが使う魔術も! マナと呼ばれる力を変質させて、動力にしているに過ぎないのです!』
ディーシィーの言葉が脳裏に過る。
外的要因によって性質を変化させるエネルギーがマナの正体ならば、怒りという感情によってマナが聖術を介さずに炎として変化したと考えれば辻褄が合う。
(普通はそんなことはないけどね)
感情によってマナが容易く変化するのなら、人類はもっと前にマナの性質に気付けた筈だ。マナが瘴気へと変化するのも魔王側に特殊な力があると考えた方がいい。だが今のヴィエラにはノルドの白銀のメイスがある。
白銀のメイス自体にマナに直接干渉する機能があるからこそあの炎が生まれたのだ。でなければノルドが生み出す、マナを爆発させる現象が説明付かない。
だからこそ言えるのだ。
「あの炎は、ヴィエラの怒りそのものだ」
と。
「思い知りなさい」
「や、やめ――」
怒りの炎を纏った白銀のメイスを振り上げて、そして。
――振り下ろした。
「あ、ああああああああっっ!!!!!」
炎が辺り一帯に広がり、燃やしていく。
だがその炎は仲間や建造物に傷を付けることはなく、ヴィエラの敵ただ一人に対してだけ効力が及んでいた。
「あついっ! あつ――」
体が燃えるように熱い。
しかし、サラシエルの体を燃やしているわけではない。白銀のメイスから放たれる怒りの炎は、彼女の魂だけを燃やしていたのだ。
「あ、あっ……!?」
誰かが彼女の足を掴む。
『許さない……許さない……っ!』
「だ、だれ!? 誰ですかあなたたちは!?」
無数の人型の炎が彼女を引きずり降ろそうと掴む。サラシエルは最早訳が分からなかった。炎の亡霊が恨み言を放ち続けながら彼女を襲う。その度に魂を焼き尽くす炎が燃え上がる。
『思い知って』
『苦しんで』
『惨めに泣いて』
『許さない』
『絶対に許さない』
「いや! いやぁっ!!」
これはヴィエラの怒りだ。
マナの炎に込められた彼女の怒りが炎の亡霊として幻覚を見せているだけに過ぎない。だがその幻覚に触れてしまえば、サラシエルはヴィエラの怒りを直接その魂に焼き付けられることになる。
姉と慕ってくれた子供の記憶。
妹をその手にかけた苦しみ。
サラシエルの所業に対する怒り。
怒り。怒り。怒り。怒り。
「お願いっ! 助けて! 女神様っ、女神様ぁ!」
魂を焼かれる痛みと魂に刻まれる怨念に堪らずサラシエルは己が信仰する女神に助けを求める。その度に『女神の加護』が彼女を守ろうと力を注ぐが、それが返って怒りを助長させて苦しみが増していく。
「ゆるして……ゆるしてぇ……!」
何も好転せず、地獄のような苦しみにサラシエルはついに許しの言葉を放った。己が犯した罪を強引に刻まれ、心が完全に折れたのだ。
「もう……やりませんからぁ……!!」
それがきっかけにより、怒りの炎は徐々に消えていく。
そうして残ったのは、魂を完全にやられて廃人ギリギリに追い込まれたサラシエルの姿だった。
「……」
そんな彼女の姿を見て、ヴィエラは腰を下ろした。
晴れ晴れな笑顔で、空を仰ぐ。
「はぁ~……」
己の心を蝕む怒りが、もう残っていない。
「すっきり、したぁ~!」
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