第55話 ノルドVSサラシエル

 敬虔な信者である両親の元から一人の赤子が生まれた。

 成長していくにつれ、容姿、才能、運を発揮していく彼女に、両親や周囲の人々は彼女のことを『神童』として褒め称え、その後決まって祈りを捧げた。


 ――我が子に才をもたらしてくれたことに感謝、と。


 それは女神に対する感謝の祈りだった。

 子供はそんな両親たちの祈りを聞いて、自分がここまでの才能があるのは女神のお陰だと考えた。

 挫折もない、苦労もない。おまけに他者より抜きんでた才能。ただ祝福された人生を歩む彼女は、次第に自らが神に選ばれた人間だと考えるのも当然の帰結だ。


 事実、その考えに間違いはない。

 実際に神託を受けて、こうして『女神の加護』が現れた彼女は、時代やタイミングが違えば聖女として生きたことだろう。


 だがそうはならなかった。


 聖女はサラがなっていた。


 だからこそ彼女――サラシエルは聖女ではなく、救世主として生きるのだ。人々を導き、世界を救う、女神の代行者として彼女はここに在る。




 それが、どうしてこうなった。




(違う、違う、まだ、まだ私の負けじゃない)


 かつて『神童』と呼ばれ、今では『女教皇』や『救世主』、『代行者』などと呼ばれていたサラシエルは、路傍ろぼうの石と見做みなしていた相手に追い詰められていた。しかし不幸なことにこれまで挫折ざせつを経験してこなかった彼女に『諦める』という選択肢はなかった。


(まだ、やれる)


 もうとっくに心がくじかれているというのに、その無知が彼女の逃げ場を塞いでいた。


「『大いなる光よアー・ソルエ』!」

「っ!」


 目眩ましの聖術を不意打ち気味に発動し、ノルドの視界を奪う。その隙に体を強化してノルドの懐へと入る。


(最上級聖術が駄目でもこれなら……!)


 ありとあらゆる聖術がノルドに効かないなら、物理的な手段で攻撃を加えればいい。それがノルドに対しサラシエラが思い浮かんだ作戦だ。

 どれほどの巨漢でも、例えそれが巨人族のような種族差による体格だろうとサラシエルの強化した拳はそれらの肉を貫ける威力を持つのだ。


(一撃さえ与えれば!!)


 彼女の拳がノルドの腹へと決まる。

 その瞬間だった。


「っ!!」


 僅かに彼女の拳がノルドの腹に触れた瞬間、瞬時にノルドの手が動き、彼女の伸びた腕を掴んで捻り上げたのだ。


「なっ!?」


 拳に凝縮された衝撃を放つ前に無力化された。その事実に流石のサラシエルも驚きを禁じ得ない。僅かな感覚でここまで反応できるのは人間ではない。まさに化け物の領域だ。


「油断も隙もねぇ――」

「『大いなる火よアー・フォルエ』!」

「――あっちぃ!?」


 掴まれて動きの自由がなくなれば終わり。そう咄嗟に判断した彼女は掴まれた手の平に火傷覚悟の火の聖術を発動させた。

 流石のノルドも至近距離で火を放たれれば、あまりの熱量に手を放すしかない。


「なんて、力……!」


 なんとかノルドの拘束から逃れたものの、掴まれた腕にはくっきりと手形の跡が残っていた。無敵を誇る防御聖術すら割られたのだ。やはりノルドの一撃を受けてはならないという意識が固まる。


(攻撃は不発。でも方向性は間違っていないはず)


 脅威的なのはノルドの化け物のような身体能力と聖術を掻き消す白銀のメイス。しかしタフそうではあるが、攻撃に対する肉体の強度はそこまでの化け物ではないとサラシエルは考えた。


(一撃……そう、一撃を入れれば)


 これまでの戦いでノルドは無傷だった。だがそれは直撃を受けたというわけじゃなく、ノルドは己に向けられた攻撃を対処したからだった。


 もしそれで攻撃を直撃させてしまえばどうなる?

 そう、倒せる可能性は十分にあるはずだ。


(そのための手段は、無限にある!!)


 これが女神による試練なら、これまで聖術士として修練してきた人生はこの日のためだろう。そう、サラシエルは考える。考えるしかない。


「『水よ、封力を纏わせ拡散せよサルエ・バルム・ポルカ』!!」

「これは、霧か!」


 二番煎じではあるが、『アー』を入れた光の聖術でも僅かな時間でしか目を潰せなかったことを考えれば霧による視界封じはこの状況では最適だろう。


(感覚が鋭いならこの霧でも十分なノイズになるでしょう!)


 事実、この霧には感覚妨害の力が宿っているため、霧に包まれたノルドは己の感覚が狂うのを感じる。しかしそれはあくまで霧に包まれている時のみの状態だ。


「吹き飛ばせ!!」


 メイスが爆発を起こし、周囲の霧を吹き飛ばす。それによって己の感覚も正常に戻ったノルドは、先程の霧を生み出したサラシエルを探す。するとヴィエラが砕いた杖の宝石部分を手に取る彼女の姿があった。


(宝石は、無事!)


 この杖はあくまで女教皇の見栄えのために用意された飾りだ。これの本体は寧ろ杖の先端に備え付けられていた宝石の部分だ。


「『己に土を纏わせマナ・グラエ・バルム』!」


 土を操作し、手にした宝石を巻き込みながら自身の腕に纏わせる。そうしてできたのは手の甲に宝石を固定させた土の手甲だ。


 宝石の力は使用者とマナラインを繋ぐための補助道具だ。


 から購入したこの宝石はサラシエルの力を増してくれるものだ。今でこそ『女神の加護』のお陰で補助なしでマナラインに繋げられるが、ノルドとの戦いならこの宝石の力がなければ負けると思ったからだ。


「神の代行者と敵対する者の末路を、その身に刻みなさい!!」

「――やれるものならやってみろよ」

「――っ!!」


 ノルドの静かで、こちらを侮る返答にサラシエルは顔を歪ませた。


 ――だったら、死ぬまでそうしてなさい。

 その言葉を心の中で叫んだ彼女は、己のマナを練り上げた。


 マナライン接続者は、マナラインからの供給によって無限のマナを扱える。だが一度の聖術によって注ぐことが出来るマナの量は有限だ。注げる上限を上げるには『アー』などの強い単語を使えば気軽に上げられる方法がある。

 だがそれ以外だとすると詠唱の長さを伸ばすか、もしくはよりマナラインと深く接続することで上げるしかない。


(――単語による強化は当然のこと)


 だがそれだけじゃ足りない。

 もっと強い聖術を唱えるには、もっと工夫が必要だ。そのためには詠唱を長くし、接続を深くする必要があるのだ。


 詠唱の長さを伸ばすにはより洗練されたマナ制御術が必要だ。

 ――これは、『女神の加護』でクリアした。


 注げる上限を引き上げるにはより深くマナラインと接続する必要があった。

 ――これは、宝石の力を使えばクリア出来た。


 そう、これで二つの厄介な問題はクリアした。

 今の彼女を止められる存在はいなくなったのだ。


「『神なる四つのマナよサラ・スーオ・マナ難攻不落の力となりてサラ・アー・カルナ・ソラ我が敵を滅ぼす災罰をマナ・ギエド・アー・マギカ』!!」


 火、水、土、風。

 四つの属性の力が激しく吹き荒れ、サラシエルを中心に集まって一つの空間となっていく。火は生命の鼓動を。水は生命の循環を。土は生命の土台を作り、風は生命を運ぶ。それら四大元素で構成された存在を『世界』と呼ぶなら、サラシエルが作り上げたその空間はまさにもう一つの『世界』である。


 全てを焼き尽くすような火が渦巻き。

 重く苦しいと感じさせる水の重圧が体に掛かり。

 歩む者を阻む過酷な大地が咎人を待ち。

 全てを削る暴風が吹き荒れる。


 その全てに『聖術・教導王の円環』が施されていた。

 触れれば消滅する『世界』が、サラシエルを中心に出来ていた。


 それは最早己の国すら巻き込んで、ただ一人を殺すために全てを破壊しようとしているものだ。


 勝ちを誇る。

 これで終わりだと確信する。


 ――それなのに。


「……どうして」


 ――どうして、貴方はそんな顔をしているんですか……っ!


 ノルドの顔を見てもそこに焦りはなかった。

 終末のような光景を見ても決して揺るがなかった。


 勝っているはずだ。

 それなのに、それなのにどうして。


 ――まさか、心が負けているのか。


「死になさいっ! ノルドォオオオオ!!!」


 その思いを払拭するように叫ぶ。

 それと同時にノルドの持つ白銀のメイスが爆発した。


「吹き飛べぇっ!!」


 ノルドに迫る来る災害たちが白銀のメイスの爆発によって吹き飛ばされる。だがそんな光景にサラシエルが「にぃっ」と口角を上げると、吹き飛ばされた災害が一瞬空中で止まり、まるで意思を持ってノルドへと殺到した。


「消えない……?」


 目の前の不可解な現象に目を細めるノルド。

 それもそうだ。サラシエルが展開した『世界』の聖術の真骨頂は、お互いの属性を補完し合う再生力にある。

 例え火を潰えさせても、水を枯渇させても、土を破壊し、風を吹き飛ばしても。まるで世界のように他の属性聖術が補い、再生させる。


「故に、貴方は何もできないのです……ッ!」

「チッ」


 爆発による推進力で加速しながら『世界』の猛攻を凌ぎ続けるノルド。火が肌を焦がし、水が体を鈍くさせ、土が支えを失わせ、風が肉を抉る。着実に傷を負わせている事実にサラシエルが歓喜に震える。


 しかし。


「……え? なんで、消えないの……?」


 全ての攻撃に『聖術・教導王の円環』が付与されている。かすり傷一つで莫大な致死量のマナが流れ込み、許容量を超えて肉体が消滅する。


 それなのに、何故。


「マナが、通用しない……!?」


 許容量が人並外れて大きいのか。

 それともヴィエラのように完全制御しているのか。

 どちらにせよ言えることはただ一つ。


 彼はマナによって害されない。

 マナによって死ぬことはない。

 まるでマナが、彼の味方をしているようで――。


「あ、あああああっっ!!!」


 度し難い想像を叫びで掻き消す。

 そうだ。マナラインの影響がなくとも、ちゃんと傷は負う。傷を負わせるなら殺せる。殺せるなら――それでいい。


「死ね。死ね死ね死ね死ねっ!! 死ねええええ!!!」


 癪に障る。殺したいほど憎い。そんな殺意の激情をマナに込めてノルドへと向かわせる。だが――。


「――ッ」


 ノルドの速度が、更に加速していく。


「なっ!?」


 慣れてきているのだ。この短期間の内にサラシエルの『世界』の動きを把握し、己を加速させている爆発の勢いを増やしたのだ。

 最早掠りもしない。

 最早傷を負うことはない。


「ふざ、けるなあああああ!!!」


 全力を以てしても追い抜かれる。

 こんなぽっと出の相手に全てを否定される。


 ――嫌、嫌だ、受け入れたくない!


「なんで、なんで貴方みたいな人が――!!」

「――ッ!」


 頭一直線に来る攻撃を首を横に傾くだけで回避。メイスの爆発によって低空飛行しながら全ての方角から迫る四属性を捌き、遥か上空へと上昇する。


「……」


 眼下にはサラシエルが展開した『世界』の聖術によって壊滅的な被害が広がっていた。まるで大災害後の光景だ。


「――覚悟しろよ」


 上昇したノルドに迫る『世界』。火が、水が、土が、風が、ノルドを殺すために迫り来る。それらはノルドの視界いっぱいに広がっており、逃げ道はないに等しい。


 普通ならば。


「……ふぅ」


 息を吸い、メイスに爆発感情を込める。


「――今だ」


 初手は、視界を埋め尽くす四属性攻撃を吹き飛ばす。


「ふっ!!」


 次に、吹き飛ばした衝撃で空いた隙間へと超高速飛行で突っ込んでいく。


「く、来るなぁ!!」


 直下するように迫り来るノルドに恐怖を抱いたのか、サラシエルは攻撃を激しくさせていく。だが余裕がないのか、皮肉なことにそれらの攻撃は一塊になって避けやすくなっていた。


「何が救世だ。何が神託だ……!!」


 ノルドの怒りを込めた眼差しがサラシエルを射抜く。


「そんなもの――」


 メイスを振りかぶる。

 それと同時にサラシエルは周囲に広がる『世界』の聖術を一つにまとめて迎撃しようとする。


「――ッ!」

「あ、あああああああ!!!!」


 メイスと『世界』がぶつかった。

 二つの攻撃は完全に拮抗しており、周囲に衝撃波をまき散らしていく。


(そんな……お、重いっ!?)


 全力を一か所に込めた一撃だ。

 それなのにサラシエルの『世界』はノルドのメイスを相殺できていない。その事実に心が折れそうになるも、必死に対抗策を練っていく。


(そうだ、この人の力は武器が関わってる……! 一瞬でもいい、その武器を弾き飛ばせば……!!)


 力の源はその規格外な武器。

 そう断じたサラシエルは、己の全力を相殺することではなくノルドの武器を弾き飛ばすことだけに集中する。


 それだけならこの全力でも為せる。例え規格外だろうと、人の握力には限界がある。行ける、行けるはずだ。


「ああああああああ!!!!」


 叫ぶ。一縷の望みを抱いて、全力で武器を弾き飛ばす。


 その時だ。


「ッ!」


 ノルドの顔が僅かに顰めた。

 握力が限界に達したのだ。

 ここだと思ったサラシエルは更に力を引き出していく。


 そして。


「……ッ」

「――あ」


 ノルドのメイスが、彼の手から弾かれる。

 勝った。これでノルドは無力となった。


 そう思った瞬間、ノルドは彼女の懐に入っていた。


「え」

「俺の演技も中々なもんだろ」


 メイスが手から弾かれたのはわざとだった。

 全ては隙を見せたサラシエルの顔面を殴るために。


「や、やめ――」

「――この世界に、お前らの勝手なんていらねぇんだよ」


 拳を振り上げ、そして。


「ぷぎゅ」


 全力で、顔面に叩き付けた。




 ◇




「本命は俺じゃねぇ」


 メイスで決着をつけることは出来た。

 だがノルドはそれをせずに、わざわざ手加減して拳を叩き付けた。


「さぁ、姉御――」


 全てはそう。


「準備は整ったぜ」


 最高の仕返しを作るために。




「……えぇ」


 彼女が、立ち上がる。

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