第53話 見上げた先に

 ヴィエラの『メテオ・バニッシュ』を受けたサラシエルは、胴体と四肢を引き裂かれて地に倒れ伏した。完全な致命傷だ。普通の人間ならあの状態で蘇生できるはずもない悲惨な状態。


 更には技の衝撃でサラシエルの持つ杖も真っ二つに割れた。杖に備わっていた重要そうな紫色の宝石すらも粉みじんだ。

 杖の補助ありでマナラインに接続していた彼女だ。杖を失くした今、龍脈聖術による回復もできないだろう。


 そう、完全なる勝利。

 巨悪を倒した瞬間である。


「はぁ、はぁ……」


 限界を超えて、体力も集中力も完全に切れた。肩で息しながら凄惨な遺体となったサラシエルをただ茫然と見やる。

 サラシエルを殺した実感はない。ただ無我夢中で己のできることをやったまでで、気が付けばサラシエルが悲惨な状態になっていた。


「やっ、た?」


 無意識にそう呟く。


「ノンナ……ヴィエナ……」


 まるで燃え尽きたかのような感覚だ。何をしてもしばらくは身に入らないだろう。仲間や妹の名前を呟いたのは心の中で浮かんだ大切な存在だからだ。

 焦点が合わない視界を必死に定めながら、ヴィエラはサラシエルから背を向けて、ただ本能のままに仲間たちの元へと歩く。


「みん、な」


 終わった。終わったのだ。長年の後悔も、失ってしまった時間も、全てこの日をもって清算された。


 もう、これで――。




「――あ、あ」




「……え?」


 声が、聞こえた。


「い、たい」

「……嘘」


 幻聴だ。

 もう死んでいるはずだ。

 あの状態で生きていけるはずがない。


「で、も」


 ゆっくりと、後ろを見る。

 そこには、マナによって体を繋いでいくサラシエルの姿があった。


「生、きて、ます」

「……バケモノが」


 杖を破壊した。

 体を引き裂いた。

 その生を殺した。


「なんで、なんで生きてるのよ……」


 バラバラになったパーツがマナという糸によって繋ぎ合わせていく。血は止まり、鼓動が始まり、生命が戻っていく。


「――あぁ、女神様」


 そして最後には額に奇妙な模様を光らせながら、再起する女教皇がいた。


「ありがとうございます……この私にをお与えくださって」

「加、護?」

「えぇそうです。これぞ女神のお慈悲」


 杖を持っていなくても感じられる圧倒的マナの奔流。

 ――これは、本当にサラシエルなのか?


「『女神の加護』……我に罪はなく、全ての行いは女神に許される」


 ヴィエラはその光景に何も言えない。

 額に『女神の加護』らしき文様があるとか、どうしてサラシエルに『女神の加護』があるのかとか、色々なものに対する言葉が見つからない。


「あぁ――」


 分かるのはただ一つ。


「――女神も、腐ってたか」


 人を守る女神なら何故、彼女らの蛮行を許したのか。何故子供たちを救ってくれなかったのか。超常の存在でも、架空の存在ではないはずだ。助けられるなら助けられたはずだ。それなのに。それなのに――……。


「……はぁ」


 ……だったらもうしょうがない。

 女神もサラシエルたちと同じだった。

 同じなら、対応も同じだ。


「ぶん殴る相手が一つ増えたわね」


 こんな神様が人の世を守っていただなんてとんだ詐欺だろう。信じられない。こんな大事な時期に何を考えているんだか。


「……貴女」

「なによ」

「信仰を失いましたね? 我が神に対する信仰を。神を信じる心を」

「へぇ、あぁそう」


 サラシエルの言葉にヴィエラが面倒臭そうな表情を浮かべる。大方彼女の持つ『女神の加護』で一人一人の信仰心を見分けられるのだろう。どうでもいいことだが。


「もう本当に失望したわよ。そういえば神託の内容も自分勝手だし、やることなすこと神にしては愛がない。愛を貴ぶ内容の経典が聞いて呆れるわ」


 前なら、辛うじて信仰を保てた。

 魔王を討伐するのにラルクエルド教に対する信仰心が必要だった。自らの犯した過ちに押し潰されそうになった時、女神に対して懺悔をしたこともあった。

 他の騎士より熱心ではなかったものの、それでも多少は信じる心があった。

 教会の狂気によって人生を狂わせられようと、自らの運命に対し神に嘆いたこともあったのだ。


「アンタたちを見てると、骨の髄にまで刻まれた信仰もなくなるってものよ」

「……貴女、本当に救いようがありませんね」

「あら、お生憎様。私はアンタたちに救われたくないの」


 まぁでも。


「残念です。ですが『女神の加護』を貰えるほどに私を追い詰めた恩があります。精一杯楽に召せますのでご安心ください」

「……」


 体はもう動かない。『メテオ・バニッシュ』を相手に与えた瞬間の衝撃で制御が狂い、体中の神経と細胞がダメージを負ったのだ。立っているだけでも一苦労。それどころか意識を保つのにも龍脈聖術を使うレベルの集中をする始末。


 なのに相手からは規格外な量のマナを感じるのだ。


(……はは)


 最早笑うしかない。


 言うなれば相手は人類そのもの。

 信仰心によって力を増す『女神の加護』を持つ相手だ。遥かな先祖から現代の子孫まで続く何千万人の信者が力を貸す、人類の切り札を持つ存在。


 そんな加護を持つ相手に、ただの人が勝てるわけがない。


「終わりです」


 それでも、この女にだけは負けたくない。


「――『風よカラエ』」


 たった一つの単語。

 たったそれだけで『アー』に匹敵する威力が彼女の手から放たれる。


「……!」


 その光景を前にして、それでもヴィエラは諦めない。

 盾を持っている手に全神経を注ぐ。持ち上げろ。構えろ。守りを固めろ。そう心の中で叫んで、目の前の暴風を睨む。


 しかし。


「あっ」


 盾はなんとか間に合った。

 しかし暴風を受けた盾は木っ端微塵となり、手には盾の取っ手らしきパーツが残るのみ。彼女の体は暴風によって吹き飛んでいき、地面を転がっていく。


「……」


 転がって、最終的に自分は空を仰向けるように寝ていた。


(こりゃあ、駄目だ)


 否応なく自覚してしまう。

 先程の衝撃で一瞬気を失った。そして気を失えば、例え意識が戻ってもあれだけ張り詰めていた力は二度と戻らない。

 もう、体を動かせないのだ。たった一瞬、ほんの一瞬命の延命をするためだけに、全ての力を使ってしまった。


「哀れなものですねぇ。あんなに頑張っていたのにこの結末とは」

「……」


 目だけ動いてサラシエルを睨む。


「貴女の身勝手さに私たちは幾度も計画の邪魔をされました。まるで自分が正しい行いをしているかのよう。ですがどうです?」


 額に浮かぶ『女神の加護』を両手で示して、彼女は笑う。


「女神は私を選んでくれました」

「……」

「私の方が正しいと証明されたのですよ」

「……はっ」


 呆れた物言いだ。

 間違っている存在が間違っている存在に賛同しただけ。正しさを証明したのではく、その歪みを肯定しただけである。

 こんなのがノエルやサラにも『女神の加護』として体に刻まれているとしたら、とんだ不幸なものだと思ってしまう。


(いや、面倒臭い役目を押し付けられてる時点で……か)


 生まれた頃からずっとこんな宗教の手の平の上という彼らの現実に同情を禁じ得ない。こんな奴らならいっそ魔王によって滅ぼされてしまえばいいと思ってしまう。


(……人を守る騎士として失格ね、私)


 かつて古代都市で戦った悪魔ザイアの言葉を思い出す。


 ――『憤怒』。


 確かにヴィエラという自分を表すなら『憤怒』だ。

 大切な人を守れず。

 何も守れない自分に無力感を感じ。

 こうして巨悪にやられる自分に苛立ちを感じている。


 今でも怒りを感じているのだ。


 最後の最後まで、この怒りは消えないだろう。

 この理不尽な世の中に。日常を壊した敵に。全てを奪われた者ではなく、全てを奪った者についた神に。


 決して、怒りは消えはしない。


 例え死んでも。


 例え、


 ――怒りで、全てを壊そう。


 それが――。




「――……あ」




 ――見上げた先を見た前だったら、の話だが。


「は、はは……!」

「? 何を、笑っているのです?」


 これが笑わずにいられるのだろうか。

 こんな非常識、誰だって笑うものだ。


「どこを見て……?」


 ヴィエラの視線が自分に向いていないことに気付いたサラシエルは、彼女の視線を追うように後ろの空を見る。


 そこには。


「……馬鹿、な」


 あまりの光景に自分の目を疑った。それでも目の前の光景が事実であることは、己のマナを探知する感覚のせいで否応にも理解してしまう。


 加護を得た自分でさえも身震いするような。


 ――そんな白銀の太陽が、明るい空を更に照らしていたのだから。


「何が、起きて……」

「決めたわ」


 ヴィエラの、力強い言葉が響き渡る。


「……何ですって?」

「決めたのよ。やっぱり仲間を信じるって」

「仲間?」

「神を信じられないなら仲間を信じるしかないでしょ?」


 サラシエルの目に侮蔑のような感情が宿る。


「神を信じる以外に価値があると?」


 手の平をヴィエラに向ける。もうこれ以上の問答は時間の無駄で、ヴィエラよりもあの白銀の太陽の正体を調べることが重要になった。

 だからこの一撃でヴィエラを殺す。

 そう決めたのだが、それでもヴィエラは笑みを浮かべている。


「……不愉快ですね」


 死に瀕した敵はそれ相応の行動をとるべきだ。

 己の罪を反省し、涙を垂れ流して神に許しを乞うべきだ。

 我が神の敵ならば、それをするのが義務であろう。


「……『神なる暴嵐の災罰をサラ・カラエスト・アー・マギカ』」


 女神によって『女神の加護』を手にした後の手加減なしの聖術。それは今までの聖術よりも遥かに強く、そして暴力的な光景だった。

 人どころか街、いや山ですら飲み込む大災害がヴィエラの命を奪うためだけに使われた。


「……ふふ」


 それでも彼女は、ヴィエラは未だに笑みを浮かべていた。


「――あれは、アンタがやったんでしょう?」


 あの見るだけで心が温かくなる太陽はきっとあの太陽な男がやったに違いない。あの男はいつも不可能を可能にしてくれるとんでもない男だ。だからこそ、あのとんでもない光景もあの男の仕業だろう。


「アンタ、言ったわよね」


 最高の仕返しって奴を用意してやる、と。


「私の怒りを吹っ飛ぶぐらいの奴を、って。だから」


 ――ノルド。


 そんな最高の舞台を、用意して――。





 嵐がヴィエラの命を奪うその瞬間。

 上から何かが降ってきて、嵐を吹き飛ばした。ズゥウウウンと重たい地響きによってサラシエルが思わず転ぶ。尻もちをつきながら、彼女が見たのは。


 地面に突き刺さっている白銀のメイスの姿だった。


 更には。


「――……ぅうおおおおお!!?」


 上から誰かが降ってくる。

 それに気づいた瞬間、その誰かが先程のメイスと同じぐらい大きな地響きを鳴らしながら、地面に着地した。


「あっぶね……危うく死ぬところだった」


 二メートルを超える巨体。

 はちきれんばかりの筋肉。

 太陽な笑みを浮かべて、彼はヴィエラに微笑む。


「勝ってきたぞ姉御」

「……言われなくても分かってるわよ」


 カラク村のノルド。

 勇者パーティーの戦士にして、最高の仲間。


 彼が、やってきたのだ。

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