第42話 サラシエルの力

 ラルクエルド教の神官は皆、聖術士である。

 マナを扱う力が無ければただの信者として過ごせばいい。だが神官になるためには魔獣といった様々な脅威から人々を守るために聖術士として力を付けなければならないのだ。


 そんなラルクエルド教のトップである彼女もまた聖術士。

 それも並みの神官を超えた実力を持つ神官の頂点だ。


「一斉に行くぞ!!」


 ヴィエナを守るように前に出ている護衛たちが、一斉にサラシエル女教皇へと手を向けた。


大炎線の鉄槌イスナ・フォルエスト・マギカ!!』


 火の上位聖術が護衛全員の手から放たれる。

 完全に過剰攻撃だ。およそ個人に向けられる攻撃ではない。彼らの聖術によってここら辺一帯がまるで火山のように熱くなり、野次馬が逃げ惑う。


 地形すら溶かすその聖術を受ければ形すら残らない。

 しかし。


「『水の罰をサルエ・マギカ』」


 たった二つの聖術語。

 聖術を強化する単語もない、初歩級の初歩。


 それなのに。


「なん、だと……?」


 サラシエルから放たれた水が火の上位聖術を飲み込み、ライたちに襲い掛かろうとしていた。


「っ、炉心……起動!!」


 その言葉を発すると同時にライの周囲に雷が迸る。


「はあああああ!!」


 膨大なマナの取り込みによって加速していく神経と物理法則すら超える肉体。その二つによってライの肉体は正真正銘勇者となる。


 紫電が、迫り来る水を穿つ。


「サラシエル――!!」


 雷のように可視化されるマナを身に纏いながら、ライがサラシエルの懐へと入り込もうとする。しかし、誰も追い付けない世界の中で見たのはサラシエルの笑みだった。


「大丈夫――」


 ――見えていますよライくん。


「!?」


 唐突に聞こえた彼女の声に驚愕する間も無く、顎に強烈な衝撃がやってくる。


「……え」

「実は私……近接戦も出来るのですよ」


 ライの顎に叩き込まれたのは、サラシエル女教皇の持つ杖による一撃だった。彼女は接近してくるライに対し、瞬時に杖を振り上げ、杖の石突きをライの顎に叩き込んだのだ。


「あ、く……っ」


 脳を揺さぶられ、ライの視界が一瞬明滅する。

 勇者であるが故に僅かな時間で回復する程度の軽傷ではあるがしかし、相手が女教皇であるが故にこの一瞬の隙が致命的だった。


「『土よ、汝の動きをグラエ・イラ・ムー――」


 その時、サラシエルは頭上に気配を感じた。


「ライに、何してるの?」

「あなた――!」


 が、楽しそうに笑うサラシエルへと手のひらを向けた。


「『極炎よ、切り裂けフォルエスト・スラガ』」

「『我に守りをマナ・カルナ』」


 ヴィエナが出した炎の刃がサラシエルの守りと衝突する。その隙を突いて、ヴィエナはライの体を抱き抱えると二人の姿が陽炎のように消えた。


「ヴィエナちゃん!」


 気が付けばライを抱えたヴィエナはナレアのいる位置へと後退していた。

 ヴィエナは顔を顰めてサラシエルを見る。


「……まさか」


 炎が消える。

 そしてそこに現れたのは守りを維持している無傷のサラシエルだった。


「炎の上位聖術を至近距離から放っても打ち破れないなんて……」

「それが貴女の勇者としての姿ですか」


 ヴィエナの今の姿をサラシエルが興味深そうに見つめる。

 ライの場合、体外に漏れている過剰なマナがまるで放電しているように可視化されているのに対し、ヴィエナの場合は炎が彼女の周囲を揺らめくように動いていたのだ。


 そんな中、護衛の一人が声を出した。


「流石は女教皇と言いたいところだが……異常過ぎる」


 護衛の言葉に誰もが頷く。

 最上位聖術語である『アー』を使っていないとはいえ、上位聖術語である『エスト』を何発受けてもサラシエルの放つ初級聖術によって突破されているのだ。体内マナが異常にあるにも限度がある。最早ただの人間に収まる力ではない。


「ふふ……己の非力を嘆いてはいけませんよ」

「何……?」

「と言っても私はズルをしているのですよ」


 彼女の言葉に誰もが頭上にハテナを浮かばせる。


「ズル……?」


 ようやく思考がクリアになったライが無意識に呟く。

 そんなライに、サラシエルは喜びを見せた。


「あはっ……! ライくんが知りたいなら話しましょうかっ!」

「……っ」

「まぁそう難しいことではないですよ〜」


 微笑む彼女に誰もが首を傾げる。

 彼女は人差し指を出すと――。


「私のズルは」


 ――ゆっくりと、その指をへと差す。

 その行為の意味を理解できた人間はこの場では数人。


「ここです」


 一瞬、その場を静寂が包み込む。

 そして、誰かが叫んだ。


「――逃げろぉ!!」


 護衛の誰かがそう叫ぶ。

 彼の表情は青褪めて、サラシエルに恐怖を抱いていた。誰もが彼の恐怖を理解出来ない。しかし彼と同じ恐怖を抱いた他の人も、彼と同じように撤退を勧めていく。


「逃げろ! 我々が戦っても絶対に敵わない!!」

「判断が早いですねぇ……ですが逃げちゃやだですよ」


 サラシエルの言葉と共に彼女の持つ杖が不気味に輝く。

 そして気が付けば。


「……あ、え?」

「か、体が……」

「い、嫌だ……!!」


 逃げようとした数人の護衛が光の粒子となって消えたのだ。


「な、何が……?」

「『聖術・教導王の円環』」


 空気が凍る中、サラシエルの言葉が辺りに響く。

 動けば光に帰る予感を抱きながら、誰もが微笑む彼女を見た。


「これは――」


 ゾッとするような穏やかな声音でサラシエルが解説する。


「――これはを通じて対象に膨大なマナを送り込み、マナへと還させる聖術です」


 目を見開く。

 彼女の言葉の意味に、その事実に戦慄する。


「マナライン、接続者だと……!?」


 護衛の一人が放ったその言葉に誰もが恐怖を抱く。

 マナライン接続者。それは自身のマナを根元世界に流れるマナラインと接続出来る者を指す。そして接続出来る者は例外なく、全ての聖術士を超える力を持つと言われるほど。


 だが、そのマナラインとの接続も欠点はある。


「馬鹿な、マナラインと接続出来る暇なんてなかった筈だ!!」


 護衛の一人が叫ぶ。

 確かにマナラインに接続すれば莫大な力を得られる。だがそのためには複雑な準備に加えて長い詠唱をしなくてはならない。そして接続しても繊細な制御のために大抵の術者は棒立ちになることが多い。


「チィッ! あとは頼んだぞ!! 『極炎線の災罰イスナ・フォルエスト・アー・マギカ』!!」

「無駄ですよぉ『我に守りをマナ・カルナ』」


 護衛の一人がサラシエルに向かって『アー』の聖術語を使った火の最上位聖術を放つも、まるでマナライン接続者である証明をするために初級聖術で防御するサラシエル。


「そんな……!? 『アー』の聖術でも効かないのか……!」

「クソ! 維持しているだけでもキツイ筈だろ!? あの女騎士と同じなのかよ!?」


 護衛の誰がも規格外な才能を持つヴィエラ・パッツェを思い出す。

 そう、サラシエルはマナラインを接続している筈なのに制御に苦しむ素振りを見せないどころか余裕すらあるのだ。その光景はまるでヴィエラ・パッツェと同じに見える。

 もしかしてサラシエルもまた彼の女騎士と同様の才能持ちである可能性もあるが、それを信じたくない。もしそうならばマナライン接続者以上の絶望が自分たちを包み込むからだ。


 そんな中、ヴィエナだけが顔を顰めてサラシエルを見ていた。


「……貴女のそれは、お姉ちゃんと同じじゃない」

「ほほう?」

「マナラインと接続出来る才能はあるかも知れない。でもお姉ちゃんみたいな才能じゃない」


 ヴィエナがサラシエルに向かって指を差す。

 正確には、彼女の持つ杖へと。


「その杖なんでしょ? 容易にマナラインと接続出来るようになったのは」

「……あらら」


 ヴィエナの言葉にサラシエルは目を丸くした。

 そして。


「バレちゃいましたかぁ〜」


 楽しげに、ヴィエナの言葉を肯定したのだ。


「っ、ならその杖を壊せば!!」

「でもねライくぅん」


 動こうとしたライにサラシエルが微笑む。

 その眼差しに、ライは脳裏に何かが過った。


「それが分かったとして……何か問題でも?」


 その瞬間、ライ含めて周囲の人間が胸に強烈な苦しみが走った。


「こ、これは……!?」

「『聖術・教導王の円環』の対象に膨大なマナを流し込む力を加減すれば苦しみだけを与える事ができるのですよ」

「はぁ……! はぁ……!」

「懐かしいでしょう? 別の方法ではありますが、あの頃の実験を思い出しませんか?」


 あの頃の恐怖がライを包み込む。勇者になるための試練と言いながらその実、非人道的な実験を施された地獄の日々をライは思い出す。

 いやそれだけじゃない。彼女のあの眼差しに対して、ライには見覚えがあった。

 愛おしむような眼差しを浮かべながら、真逆のような残酷な行動を取るその姿を、ライは見た事があった。


「お前……お、前ぇ……!!」


 自分の喉から泣き叫ぶ声が出る。

 自分は絶望しながら誰かに手を伸ばしている。


 これは、この記憶は。


 封じていた記憶が、蘇る。

 ライは、サラシエルに向かって憎悪の表情を見せた。


「お前……! お前が、父ちゃんと母ちゃんを……!!」

「あら、思い出してくれたんですか!?」


 ライの反応をサラシエルはびっくり顔を見せる。

 そして恍惚そうな顔を浮かべ、ライに向けて両手を広げた。


「あの日――」


 蘇る悪夢の記憶。

 ある日、村に一人の女性神官がやってきた日をライは正確に思い出した。

 家族を殺し、自分を攫った元凶の姿を、ライは思い出せたのだ。


「私とライくんが出会った運命の日のことをようやく思い出せたんですね!!」

「サラ、シエルゥウウウウ!!!」


 憎悪の叫びが、街中に響いた。

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