第37話 傷心中兄貴

「……」


 パクパクと口を動かす。しかし想像とは裏腹に声は出なかった。どうしてと考えたら、自分は声を出していないことに気付く。どうやら声を出すのを忘れてたようだ。


「……あー」


 真っ白な頭で取り敢えず声を出してみた。大丈夫。ちゃんと声は出た。どうやら自分はまだ声の出し方を忘れていないようだ。ただ何も考えず、無意味に声を出しているとふと、自分は何をやってるのかと我に返る。


「俺は……今、どこだ?」


 どうして自分はこんなところで膝をついているのか。どうしてここにいるのだろうか。どうして今、何も考えたくないと思っているのか。


「あー」


 取り敢えず声を出す。いや声を出してどうするのか。出して何が意味があるのかと今更ながらに考える。そこでふと、脳裏に何かの光景が過ぎる。その光景を良く思い出そうとすると、脳が拒否反応を起こしてノイズばかり流れる。


「なんで?」


 なんで、とはなんだ。

 どうして考えることを拒否するのか。

 どうしてこんなに苦しいのか。

 どうして、どうして。


 混沌とも言える光景がノルドの脳を埋め尽くす。もう何も考えられない。もう全てがどうでもいい。そんな自暴自棄な考えがノルドを包み込む……その瞬間。


 一瞬、誰かの涙が見えた。


「っ……違う。違う違う違う違うッ!!」


 ゴンッ! と地面に頭を叩き付ける。

 額から血が流れ、いくらか思考が正常に戻った。


「俺は何現実逃避してんだ……!!」


 拳を握り締め、不甲斐ない自分の頬に一発殴り付ける。


「俺のことは良いんだよ……!」


 今回の断りの言葉は過去一強烈な物だった。もうこれまで告白を断られて気分が沈んだ過去とは別格の絶望感だった。それでも、それを超える光景があったのだ。


「サラが泣いていた……! サラが泣いてたんだぞ!!」


 もう二度とサラに涙を流させないと誓ったのにこのザマだ。

 生憎とノルドには、サラがどうしたあのようなことを言ったのかも、どうして涙を見せたのかも分からない。


 自分のことを嫌いになったのならまだ諦め切れる。

 だがあの涙のせいでどうにも諦めきれない。


「サラと結ばれたい……でも一番はサラの幸せを考えることだ!」


 立ち上がる。

 サラが逃げた方向へ走る。


「でもどこ行ったか分かんねぇ!! うおおおどこだサラアアアア!!」




 ◇




「……ここ、しかないよな」


 暫く走り回っていたが当然サラの居場所など分かる筈もない。これがカラク村だったらまだ探せていたが、土地勘も分からない教国では無理な話だ。


 だからこの国で唯一心当たりがあるのはここ、ラルクエルド城だった。

 ノルドはラルクエルド城の出入り口付近にある茂みに隠れながら、どうやって侵入しようか考える。


「大丈夫かな……今の俺、神官服とか着てないけど」


 そもそも神官服を着ていてもアウトな体型をしているため無意味である。

 そう考えていたところに城門から二人の神官が出てきた。

 ノルドは体ごと茂みの中に隠し、そっと息を潜める。


「――しかしシルヴァの奴、下手を打ったよなぁ」

「あぁ、あの人は『俺は好き勝手やっても裁かれない!』って豪語してたんだが……やっぱり天罰ってのは下るもんだなぁ」


 どうやら今日ノルドが戦った神官について話し合っているようだ。


「どんなに暴れても上司やら取り巻きやらが庇うから、告発した何人ものの神官が逆に処罰されてきたんだよな」

「ところが今回、大勢の信者の前で見知らぬ誰かにボッコボコにやられて情けない姿を晒したんだろ? それでシルヴァに関わってた奴らに見放されてさ、とんでもねぇ顔してたぞ」


 はっはっはと笑いながら遠ざかっていく彼らを茂みから覗いていたノルドは、ゆっくりと茂みから出てふぅ、と息を吐き出した。


「……神官の世界っておっかねぇなぁ」


 クウィーラが聞けば「そんなことないですよ!?」と怒られそうなことを言うノルド。だが今はそんなことはどうでも良いのだ。重要なのは城に入ること。そのためにノルドは、城門に誰もいないことを確認してこっそりと侵入する。


 そして。


「何やってんのよあなた」

「うわぁ!?」


 入ってすぐ横に誰かから声を掛けられた。


「ってなんだ姉御かぁ……びっくりしたじゃねぇか!」


 ノルドに声を掛けたのはここ一週間離れ離れになっていた勇者パーティーの仲間の一人、女騎士であるヴィエラ・パッツェだったのだ。


「いやびっくりしたのはこっちよ……」


 彼女はノルドに向かって呆れたような表情を浮かべる。


「あなたこの国の神官に目の敵にされてるんでしょ? なのでなんでこんな神官の本拠地に入ろうとしているのよ」

「……そ、それは」


 ヴィエラの疑問を受けたノルドは、次第にその目から涙を溢れさせた。


「ぶわっ」

「え、え!? ちょ、ちょっとあなたなんで涙を流してるのよ!?」

「姉御おおおお!! 俺、俺どうしよう!?」

「ってかあなたって涙出せたの!? 悲しみという感情の代わりにサラへの愛に全振りしたようなあなたが!? いったい何があったの!?」


 流石に城門付近だと目立ちすぎるため、ヴィエラは泣くノルドを連れ出して人気のない場所へと移動した。

 そしてようやく落ち着いたノルドはヴィエラにことの経緯を説明したのだった。


「……なるほどあの子がねぇ」

「だから俺……もう一度サラと話したいと思ってここに……」

「……そう」


 正直に言ってヴィエラはどうしてサラがそのようなことを言ったのか見当がついていた。昨日発覚したサラの矛盾について、ノンナと二人で色々と質問をしてある程度把握できていたのだ。


 勇者という役職、あるいは概念に対する盲目的な感情。

 自分自身ですら気付かない認識の歪み。

 いくらそのことを指摘してもその数分後には忘れている現象。


 それらの問題をサラが抱えていたのだ。


 はっきり言って今の自分たちには何も出来ない。ずっとサラを慕っていたノルドも常日頃からあのような対応を受けていると思うとかつてないほど同情が出来た。


(『俺が諦めればきっと何もかもが終わる』か……無意識だろうけど、まさかあの時の大会で言ってたことがこれとはね……)


 確かにノルドがサラを諦めてしまえば、サラに関わる何かが手遅れになる。

 自分でさえそう予感させたのだ。

 ノルド当人ならきっと、自分たち以上に危機感を抱いているのだろう。


(でもそれならあの子の言葉だけでこいつがここまで悲しまないと思うわ)


 ノルドの話を聞いた限り、どうも拒絶した言葉は昨日のような不気味な感じを纏っていないように聞こえる。恐らく本心はどうであれ、歪められていない本当の彼女の言葉なのだろう。


(だとしたら考えられるのはもう一つの問題……)


 考えられるのはノエルの存在だ。

 もうこれしかない。

 勇者パーティー内で三角関係を構築した挙句、この短期間でこいつらは修羅場ったんだ。


「……そう考えると、きっとあなたたちのことだから丸く収まるわね」

「え?」

「なんでもないわ。でもそうねぇ……流石に今はあの子と会わない方がいいわね」

「え、でも……」

「もうちょっとお互い頭を冷やしなさいって言ってるのよ」


 そう言って、ヴィエラは微笑みながらノルドの額にデコピンをかます。


「……そっか姉御がそういうなら」


 額を抑え、ノルドは取り敢えずヴィエラの言葉を信じた。

 と、ここでノルドは彼女に対して些細な疑問を抱いた。


「それで姉御はどうしてここに?」

「え? ……あーそれは」


 ノルドの疑問にヴィエラは言いにくそうにしている。

 個人の問題だから気にしないでと言ってもいいが、さっきのノルドの表情……涙を浮かべていた表情を見て何故だか無性に放っておけない気持ちになった。


「……私って母性を擽られるのに弱いのかしら」

「なんて?」

「なんでもないわ」


 はぁーとため息と吐いて、ヴィエラはようやく決心した。


「……まぁいいわ。それじゃあ暇してるなら私の探し物に付き合いなさいよ」

「何を探してるんだ?」


 ノルドの疑問にヴィエラは真剣な眼差しを浮かべ、こう言ったのだ。


「この城にある――」


 ――人工勇者計画についてよ。

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