第36話 サラとノエル

 視界は涙で歪み、己が真っ直ぐ走っているかどうかも分からない。

 ただひたすらに逃げて、遠く離れたい気持ちで走り続けていくだけ。その道中、いったい何人ものの人とぶつかり、よろけたかも分からない。


「はぁ……はぁ……!」


 荒く呼吸しながらようやく立ち止まる。

 周囲を見れば花畑と大きな城が見える。

 どうやらラルクエルド城の庭に辿り着いたらしい。


「……はは」


 渇いた笑いが自分の口から飛び出してくる。

 それと同時に先程の光景が思い浮かぶ。


「なんでこんなに……痛いの」


 かつてなく胸が苦しい。両目から涙が流れて情緒が不安定になる。

 ノルドの告白を断ったのはこれが初めてではないのに。何回も、それも物心ついた時から彼の告白を断ってきたのに。何故今更、とサラは考える。


 そんな彼女の疑問を答えるように、後ろから声がやってきた。


「そんなの、分かってるじゃないか」


 いつになく真剣な目を浮かべるノエルがいた。


「……サラはノルドのことが好きだから、だよ」

「……っ、ノエル」


 気まず気にノエルから目を逸らす。

 今は出来ればノエルに会いたくなかった。自分はつい先程、ノエルの好きな人を自分から振ったのだ。今までと違い、完全に自分の方からだ。

 そこまで考えて、どうしてここにノエルがいるのかと今更ながらに気付く。そしてどうしてノエルが先程の言葉を自分に向けて言ったのかもだ。


 それを考えれば答えは一つしかない。


「見てたんだ……」

「……うん」


 ノエルは先程の出来事をどこかで見ていたのだ。それをノエルが肯定した瞬間、まるで自分が深海にいるような錯覚を感じた。心臓の鼓動も、手足も、何もかもが重くなった感じだ。


「サラは」


 ノエルが声を掛ける。


「サラはそれでいいの?」

「……何が?」

「本気でノルドを拒絶するの?」


 ノエルの言葉にサラは息が詰まった。答えようにも口の動かし方を忘れたかのように固まっていて声を出せない。そんなサラの心情を理解しているのか、ノエルは顔を顰めて一歩サラの方へと近く。


「そんなになるぐらいなら、どうしてノルドにあんなことを言ったの」

「……ノルドは、私よりも良い人と付き合った方がいいんだよ」


 ようやく口に出せたその言葉は震えていて、自分でも驚いた。


「分からないよサラ……ノルドにとっての良い人は、君なんだよ?」

「私じゃ駄目なんだよ……」

「どうして駄目なの!?」

「いつも! いつもノルドの告白を断っている私にそんな資格がないからだよ!!」


 ノエルの言葉に釣られて、サラは声を荒げて叫ぶ。


「私、私じゃノルドの告白に応えられない……! 告白を聞いても頭の中じゃ『彼じゃない』って聞こえるの! ノルドは私の運命の人じゃないって……!」

「サラそれって……!?」


 だから彼からの告白を全て断ってきた。

 自分の運命の人は別にいる。その人と結ばれれば幸せになれる。確信にも似た感覚。直感とも言える感覚。そう言った思いが常にサラの中にあった。

 ノルドが隣にいても、認識が彼の存在を透過するように抜けていく。見ているようで本当にノルド自身を見ていない、いや見られないそんな感覚が常にあった。


「おかしいよね……? こんな、こんな私じゃノルドが不幸になるだけだよ……!」


 錯乱するように頭を抱えるサラ。

 そんな彼女を見て、ノエルは否定するように叫ぶ。


「そんなことない! 君の隣にいるノルドは幸せそうだった! いつもサラのために全力で戦っていた! 僕でも分かるノルドの幸せを君が否定しないでよ!!」

「でも、でも……!」

「それに今の君はノルドのことが好きなんでしょ!? 好きじゃなかったら拒絶してそんなに苦しむわけがない! 彼のことを大切な人だって思っているわけがない! 今のサラはノルドのことを好きになれてるんだよ!!」


 ノエルは初めてサラの抱える何かを理解した。

 サラの中には『何か』がいる。そしてその『何か』はサラの心をねじ曲げている。それをノエルはようやく理解した。でもそれだけだ。確かに心をねじ曲げていたとしても、今のサラはそれを超えて、本当の気持ちを抱けるようになっている。


(だからこそ僕は、ノルドにあぁ言ったサラを許せない)


 ノルドを拒絶したあの言葉はサラ自身の言葉だった。事情はあれど、サラは初めて自分の意思でノルドを拒絶したのだ。

 それはサラ自身の心も、ノルドの純粋な心を傷付ける行為だ。二人のことが好きなノエルにとって到底受け入れることが出来ない光景なのだ。


 そしてそれを作ったきっかけが自分にもあるとノエルは気付いていた。


 それで彼女を、こんな行動をさせた自分が悔しくてノエルは唇を噛んだ。


「……僕の好きな人、気付いてるんでしょ」

「っ! ……そ、それは」

「やっぱりそうだ……サラは僕に遠慮してあんなことを言ったんだね」

「ち、ちがっ」


 サラは告白に応えられない自分は相応しくないと思っていた。それはサラ自身が抱える悩みの一つでもあった。でも明確にノルドを拒絶しようとした理由の一つに、ノエルの好きな人が誰なのか気付いたというものがあった筈だ。


「僕のために身を引こうとしたんだね」

「っ……」


 サラはまるで図星をつかれたように俯く。

 そして彼女はノエルの言葉を肯定するように頷いた。


「……古代都市でノエルに言ったことを後悔してたの」


 ノエルは自分の性別に悩みを抱いていた。そしてノエルは肉体的に同性の人に対して恋を抱いていることも知った。

 そんなノエルに対してサラは応援すると言ったのだ。まさかその相手が自分のことを好いてくれるノルドだとは思わずに、だ。


 なんて自分勝手で薄っぺらい言葉なのか。


 ノエルのことを考えているようで考えていなかった自分に反吐が出る。そしてそんな好きな人を自分がいつも振っている事実に自分を軽蔑する。


「こんな嫌な女と付き合えば……ノルドもノエルもきっと不幸になる」


 自嘲するように呟いたその言葉にノエルは目を閉じ、わざとらしく息を吐いた。そんなノエルの動きにサラはビクッと恐怖を抱く。


「……確かに僕はノルドのことが好きだ」

「……」

「でも君は間違えてるよ」

「……え?」


 突然放たれたその言葉にサラは目を丸くした。


「僕はね」


 目を開く。

 そして静かにそれでいて力強く目の前の人へと宣言する。


「――サラのことが好きなノルドが好きなんだ」

「……へ?」


 言っている意味が分からない。そんなサラの様子が分かっていながら、ノエルは自らの思いをここにぶちまけていく。


「サラのためなら全力で真っ直ぐに突き進むノルドが好きだ。サラのためなら世界すら救おうとするノルドが好きだ。サラがいるから太陽のように輝くそんなノルドを――」


 ――僕は好きになったんだ。


「……あ」

「そんでもって僕はサラのことも好きだ!」

「え!?」

「僕の初めての友達で同じ人を好きになった者同士。サラと一緒ならより一層ノルドとの生活も楽しくなれると確信している!」


 ノエルの方向性が予想の斜め上へ行っていた。

 あまりの状況にサラの理解が追いついていない。


「この旅を通じて僕はサラと同じぐらいノルドに惚れさせて見せる!」


 更にズビシッ! とサラの顔へ指を突きつけ、ノエルは高らかに宣言した。


「そして僕の体が女性に戻ったらノルドとサラの三人で一緒に暮らそう!!」

「ええええええええええええ!!!?」

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