第26話 ライ・ラルクエルド
ラルクエルド教国では雷鳴の勇者と言われ、女神が遣わしたもう一人の勇者と呼ばれている存在がいた。
彼の名前はライ・ラルクエルド。
サラと同じ苗字を持つそれは、女神の名を冠した女神の力を継ぐ者を意味する称号である。
「それでは三日後。そちらの戦士とこちらのライくんが、戦士枠を賭けた試合を始めますのでそれまでの間、ごゆるりとお過ごしくださいませ」
そう他国からやって来た勇者パーティーに告げるのはこの国の頂点。女教皇サラシエル・ラルクエルドだ。彼女はライの左隣にいて、相変わらず不気味な笑みを浮かべていた。
「……」
正直に言って、ライはこの女教皇のことが好きではない。いや、好悪を超えて恐怖を抱いていると言った方が正しいか。
勇者と呼ばれ、世界を代表する宗教の高い立場にいたとしても、ライはそれを光栄だと思ったことはなかった。寧ろこの立場にいるのは不本意だと言えるほどだ。
そう、彼は好きで勇者になったわけではなかった。
ライには幼い頃に家族と共に過ごした記憶があった。しかし記憶の中にある両親の顔も今や薄れ、あるのは家族がいたという事実だけが残っている。本当ならただの村人として生涯を送る人生だったはずのライが何故勇者になったのか。
それは単に――。
「……ライ、と言ったわね」
と、そこで。
先程サラシエルへと掴み掛かっていた女騎士がライに話しかけて来た。
どうやら物思いをしていた隙に執務室へ戻ったサラシエルに置いていかれたようで、気が付けばライは勇者パーティーと一緒にその場で佇んでいた形になったようだ。
「……何?」
彼女から発せられる声音はこの国の神官たちとは違う感じがした。しかしその具体的な違いを言葉にできないライは、いつも通りぶっきらぼうな声音で返事をする。それでも女騎士は気にしてないのか、不愉快そうな態度を見せずに話し続けてくる。
だが次に発せられた一言は、ライに衝撃をもたらすのに十分な物だった。
「逃げたいなら、逃してあげられるわよ」
「っ!?」
その言葉にライの心は僅かに揺れた。
しかし。
「……それは、そっちの戦士を勝たせたいから?」
よく考えれば立場的にはライと彼女たちは敵同士だ。
例えどんな屈強な戦士でも勇者の前には敵わない。勇者とは絶対的な存在であり、それを示すように絶大な力も備わっている。
だからこそ、戦士の身が大事な勇者パーティーにとっては戦わせて戦士の持っている枠をライに奪われたくない。そう考えれば先程の言葉も辻褄が合うわけだ。
だがそれを女騎士は。
「違うわよ」
否定して見せた。
「どんな相手だろうとアイツは必ず勝つ。でもそれとこれは別なのよ」
意味が分からないとはこのことだ。
戦士が勝つ? しかも勇者に?
いやそれよりも、違うというのならいったいどういう意図で女騎士がそう提案して来たのかはますます分からなくなる。
「ここにいてはいけない。こんな、自分のことしか考えてない国にいてはいけないのよ」
それは常日頃から考えていた物だ。
だからこそ期待する。期待してしまう。
本当に、本当にここから連れ出してくれるのかという考えが。
それでも。
「信用できない」
ライは彼女の言葉を拒否した。
大人はいつもそうだ。いつも都合の良い御託を並べて、最終的に裏切る。だからこそ信用できない。信用しちゃいけない。
恐怖が、心を苛んでいく。
「三日後。また」
勇者になりたいと思っていなかった。
ここにいたいと、過ごしたいと思っていなかった。
全て不本意で、望んだ物じゃなかった。
この力も、この立場も、全て押し付けられた物だった。
それなのにどうしてライは、ラルクエルド教国で勇者になっているのか。
それは単に――。
――ラルクエルド教国の神官に拉致されたからである。
◇
ラルクエルド教国では今、祭りが開かれていた。
世界を救う勇者パーティーがこの国にやって来ているからだ。それも、この国の勇者を戦士として迎え入れようとしているのだから喜びもひとしおである。
「いやぁ! 流石我らが雷鳴! やっぱりあの方こそ魔王を討伐する勇者だ!」
「史上類を見ない勇者が二人のパーティーだ! 俺はこの奇跡の時代に生まれて来て本当に良かったよ!!」
「これも全て女神様の思し召しだ!」
「女神様に祈りを!」
『女神様に祈りを! 女神様に祈りを!』
宗教国家らしく、街行く人々は女神に祈りを捧げながら祭りを満喫していた。些か、彼らの言葉には語弊があるが誰もそれを訂正する人はいない。そもそも自国の勇者が勝つことは当然であり、もう一人の勇者として魔王討伐に行くのが彼らの中で決定されていたからだ。
「……」
そんな彼らを見ながら、神官という監視付きではあるが変装したライが歩く。
「おっちゃん肉串を一つ」
「あいよぉ持っていきな坊主!」
美味そうな肉串を見てライはゴクリと喉を鳴らし、大口でガブリと噛み付いた。
「……もぐもぐ」
口の中で弾ける肉汁に多幸感を感じながら、周囲を見る。
監視付きではあるが、普段ライにはこのような自由はない。勇者としての出動がなければラルクエルド城の一室を過ごすだけの毎日だ。
しかしこの日だけは違う。
正確に言えば三日後に行われる試合までライは自由に過ごせるのだ。試合が始まり、勝利すればライはこの国から出て勇者パーティーの一員として旅に出る。つまりこの三日間こそ、ライがこの国にいられる期間である。
「あと、三日か……」
試合に勝てば自由になれるのだろうか。
そう思ってライは内心否定した。例え試合に勝利して、この国から出ても神官の監視は止まらない。きっと旅の中までライを縛り付けるに違いない。
この先ずっとライは自由にならない。
それが決まっているから、ライは憂鬱な表情を浮かべる。
思い出すのは逃してあげると言い放った女騎士の言葉だ。
彼女の言う通り逃げれば自由になれるのだろうか。そう考えてはいつも心の中で頭を振る。自由になれる筈はない。逃げ出しても神官の連中に捕まってしまうのが目に見えてしまう。それほどまでに、ライの中で諦観の念が染みついていた。
「……っ」
不意に涙が出てしまった。
家族に会いたい。逃げ出したい。
でも、無理だ。
逃げられないし、家族はもう――。
「――どうした? 何か困ったことがあるか?」
「!?」
誰かが自分に話しかける。
声がした方向へ目を向けようとしたら、あまりの高さに見上げてしまった。
「……だ、誰?」
「俺か? 俺はそうだな……」
身長は約二メートルを超え、誰もが二度見するほどの筋骨隆々。
その背に厳つい白銀のメイスを持ちながら、その笑みはどこか温かい気持ちをさせてくれる何かがあった。
「困った良い子に手を差し伸べる通りすがりの兄ちゃんだな!」
「……えぇ?」
答えになってない。
ひょっとして何か危ない人なのだろうかと、勇者としての立場と力がありながらライはその大柄な青年から距離を取ろうとした。
その時である。
「キャー!! ひったくりよー!!!」
通りから女性の悲鳴が聞こえる。
ライは思わずその悲鳴が聞こえた方向へ見ると、何か人相の悪い男性が手にバッグを持ちながらこっちに逃げて来ているのが見えた。
(速い……)
恐らくは『聖術強化』による脚力。
才能を無駄にした犯罪だ。
しかし勇者である自分には関係ない。
周囲に勇者であるとバレてしまうが放電を使って男の動きを止めようとする。しかし、その射線上を遮るように先程の大男が前に出た。
「っ!? 邪魔――」
「――良いから俺に任せろ」
心に響く、頼もしい声だった。
だから一瞬反応が遅れる。ひったくり犯が跳躍してライたちを飛び越えようとする。
その一瞬だった。
ひったくり犯が大男の頭上を飛んだ瞬間、その大男はひったくり犯の足を掴んで地面に叩き付けたのだ。
「え」
跳躍にも『聖術強化』が使われていた筈だ。
だがその力すらその大男の前では無力だった。
それを成した大男は後ろにいるライに向かって笑みを見せる。
「これにて一件落着! だろ、少年!!」
「う、うん……」
この時初めて、ライは頼りになる大人と出会った。
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