第17話 激突! 探求の悪魔ディーシィー

『よぉ今日も見舞いに来たぜ』

『……また、あなたですか』


 ベッドの上で果てるのを待つ老人は思う。

 寝たきりになってどれぐらいの時が経ったのだろう。

 家族も恋人も、親しい人すら作らずに研究に没頭して、それでも寿命という形で全てを奪われてしまう。それが絶望となり、生きる気力すら湧かない。


 唯一見舞いに来てくれるのは五十年前に知り合ったこの男だけ。その男は相変わらず、人懐っこそうな声音で老人に語りかけてくる。


『俺さぁ、ようやくあんたの研究について理解できたよ。複雑過ぎて理解するのに五十年も掛かっちまったがな』

『これはまた、冗談がお上手で……』


 男の言葉に老人が一笑に付した。

 それはそうだろう。天才と自負する老人が人生の大半を費やして研究してきた代物だ。たかだか五十年の月日で凡人が理解できるわけがないのだ。


『本当に冗談だと思うか?』

『……』


 男の声音に真剣味が増す。

 それでも老人は面倒臭さが勝ったのか答えずに無視を決め込む。


『あんたはいつだって人に興味を持たないな。俺とは五十年来の関係だと言うのに、俺の名前や俺のことをあんたは知ろうとしなかった』

『……あなたのことを知って、それで私の研究の足しになりますかね』


 そう言って、老人は自嘲するように鼻で笑った。

 何せ他人のことを知る機会すら投げ捨てて研究に没頭してきたのに、その研究成果は未だに求める水準に達していなかったからだ。一体どの口で、と老人は思ってしまう。

 そんな老人の心境を分かっていたのか、男は声の調子を上げて笑うように、挑発するように老人に話しかける。


『はは! そんなんだからあんたはこんなに弱り果てても気付かないんだよ』

『……勝手なことを』

『一回ぐらい他人のことを見たらどうだ?』

『……』


 それは不思議な響きだった。

 現状を打開する希望の言葉なのか。あるいは絶望に包まれた心が気まぐれに従おうと考えた故なのか。しかし老人は確かに、男の言葉通りに初めて他人という存在へと目を向けたのだ。


『……あ』

『改めましてって奴か? こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりだな』

『あ、ああ……』


 男の顔を見た瞬間、老人は心の中で抑えきれない感情が宿った。


『な、何故……何故なんだ……』


 男は何も変わっていなかった。

 自分がしわくちゃの哀れな老人になっているというのに、五十年の月日が経過していても男の外見は五十年前と同じ若い青年の姿をしていたのだ。


『妬ましいか? 悔しいか?』

『あ、ああああッ!!』


 憎しみや羨望、嫉妬という感情が老人の心を強く掴む。

 他人に何も求めていなかった自分が、初めて他人の持つ『若さ』が欲しいという感情を抱いた。その『若さ』があればまだ研究をし続けていられたのに。幼い頃から求めてやまなかった真実を探求し続けていられたのに。


『この若さが欲しいか?』

『あ、あぁ!』

『寿命という重りに縛られず、究明するまで探求し続けていたいか?』

『勿論だ!』


 男が楽しそうに破顔する。


に魂を売ってでもか?』

『黙って私の何もかもを持っていけ!! 私に研究をさせてくれぇ!!』

『良いねぇ、良いねぇ! あんたのその欲望が欲しかった! その欲望があるからこそ悪魔になる資格を得られるんだ!』


 男が老人の頭へ手をかざす。

 何かが老人の中へ流れ込んだその瞬間、老人はこれまで感じたことのない苦痛を感じた。無数の針に突き刺される痛みとも、全身を火炙りにされている痛みとも、ありとあらゆる苦痛が老人の内側から暴れ狂い、壊していく。


『はは! 爺さんになるまで待った甲斐があったな!』


 それでも老人は、笑みを浮かべていた。

 これらの痛みは全て自分の体を作り変えているためであると理解したからだ。痛みを乗り越えた先に、自分が求める生活が待っていると思っているからだ。


『あんたの研究は俺たちのためになる……成功することを祈っといてやるよ。まぁ――』


 男が老人から手を離すと、そこには老人ではなく若い男が寝ていた。

 未来に希望を持った、安らかな笑みを浮かべながら。




『――クソッたれ女神にではなく、愛しの魔王様にだがな』




 ◇




 探求の悪魔ディーシィーの言うマナを封じる術……『禁聖の術ギエド・ネメシス』という言葉を聞いたノエルは、鞘から聖剣を抜いて戦いに備える。


「ほう! それが聖剣ラヴディアですか! 遥か昔、女神ラルクエルドがドワーフの鍛冶職人に作らせた伝説の退魔の剣! しかしてその実態は女神に対する祈りを媒介に信者たちのマナを集積し、聖剣の担い手に膨大なマナを授ける集積装置! 実に興味深いですねぇ!」


 ディーシィーの怒涛の如く発せられる言葉にノエルは警戒を強める。

 そんなノエルに、ディーシィーは嘲るように口角を上げて「だがしかし!」と続いた。


「――所詮はマナを集め、使用者にマナを与えるだけの装置。剣としての性能は折れず、曲がらず、手入れ入らずのただ業物! この『禁聖の術』によってマナを封じられた今、そのただの業物が悪魔である私に敵うとでも?」

「それは、どうかなっ!!」


 足に力を入れて接近。

 確かに聖剣からはマナの力を感じないし、そのマナの力による強化も得られていない。サラからの『奇跡』による強化も見込めない今、ノエルの動きはただの人間並みになっている。


 しかし、それがどうした。


「はああああっ!!」


 ディーシィーに向けて剣を振るう。

 彼はマナを扱えないノエルのことを侮っているのか、その一撃を手のひらで受けようとする。確かに魔人の肉体ならただの人間の一撃はそれで防げるかもしれない。だがディーシィーは人間を、勇者を、そしてノエルを侮り過ぎた。


「っ? ……なっ!?」


 ノエルの一撃は、ディーシィーの手にひらごと彼の腕を断ち切ったのだ。

 予想外の出来事に遭遇したディーシィーは、後ろのテーブルごと巻き込んで後ろへと下がる。テーブルの上に置いてあったものが散らばる中、ノエルは静かに言葉を紡いだ。


「……確かにあの古代都市までの僕だったら心が折れていたかもしれない」


 聖剣を構え直す。

 思い返すのはこれまで歩んできた道のり。

 父の傀儡だった自分。

 義務として勇者をしていた自分。

 己を受け入れられなかった自分。


 そのどちらの自分のままであれば終わっていた。


「でも今の僕には仲間がいる。本来の自分を受け入れられる。勇者として世界を救いたいと思っている。そして……会いたい人がいる」


 引っ張って、支えて、並び立ててくれたあの太陽のように明るい、夏のような人ともう一度会うために自分は。


「――斬ってみせる。悪魔だろうと、魔王だろうと」


 何せ……恋する乙女は強いのだから。


「く、くく……なるほど。折れない心ですか。それによって体内マナが活性化し、聖術強化に迫る身体能力の上昇が起きたと……はは、人間というのは実に神秘的だ!」


 腕を切られてもディーシィーには余裕があった。

 それどころかこの状況に陥っても、彼は愉快げに笑っていたのだ。


「あーはっはっは! 確かにの言う通りたまには人を見るのも悪くないものですねぇ! 私の作った『禁聖の術』は対象の体を膜のような物で包んで体内マナを封印するもの! ですが封じた体内マナに関してはノータッチでした! はーはっはっは!!」

「敵に対しベラベラと……!」

「いやぁ失礼! 久しぶりの会話でつい気分が高揚してしまいました!」


 そう言って、彼は当たり前のように切られた腕を再生してしまう。

 やはりこの程度の傷では悪魔を不利にさせることはできない。前回のように悪魔の体内にある核を破壊しなければ倒すことができないようだ。


「さて、第二ラウンドと行きましょう勇者様! まだまだ『禁聖の術』で試したいことがいっぱいありますよぉ!?」

「言われなくてもっ!」


 飛び込んで体を両断するつもりで聖剣を縦に振るう。

 魔人、魔獣、悪魔の体内には共通して弱点である核がある。それは拳大の大きさをしている球体で、狙うには横や点ではなくより面積の広い攻撃が有効だ。故に、縦の攻撃。


「クク!」

「!?」


 だがその攻撃は、突如としてディーシィーを守るように現れた壁によって阻まれる。


「これは……土!?」


 そこでノエルは思い出す。

 今自分たちがいるのは巨大な魔竜ドラゴンの上……大亀魔竜ドラゴグランタートルの上だと。ならばその土はただの土ではなく魔竜の体だ。ノエルの放った聖剣の一撃は硬い金属のような音と共に弾かれてしまう。


「当然この魔竜は私の支配下ですよぉ!」

「……だったら!」


 現れた土の壁を斬れなかったのは予想以上に硬いというのも理由もある。だがそれ以上に、突然現れたことによる距離感の狂いが大いに関係していた。適切な距離であれば力を調整するだけで斬ることができるのだ。


「はぁっ!」


 壁に弾かれ体勢を崩したノエルだが、瞬時に体ごと軸足を回転させて体勢を立て直す。そして振り向きざまに左切り上げを行い、壁に一閃。

 先程の硬さはなんだったのかと思うほど、ノエルの一撃はスッと壁を両断し、綺麗な切断面を見せながら倒れた。


 ――だが。


「えぇそう来るのは予想していましたよ」

「っ!」


 壁の向こう側で、ディーシィーはその手に黒い筒のようなものを握り、その矛先をノエルに向けて笑みを浮かべていたのだ。


「――!!」


 あの筒の先にいてはダメだ。

 それはノエルの元騎士団長としての経験か、もしくは勇者としての天性の勘故か。黒い筒の矛先がノエルに向けられていると認識した瞬間、ノエルは半歩体を横にずらす。


 それと同時に、破裂するような音と共に何かがノエルの頬に傷を付け、通り過ぎた。


「これは……っ!」

「ノエル!?」

「おや? 躱しましたか……これは運が良いのか経験の為せる技なのか……ですがその判断は大当たりと言えましょう!」

「くっ……!!」


 見知らぬ武器との遭遇にノエルは一度距離を取ろうとするも、本能が必死に押し留める。ノエルの本能は寧ろ逆。距離を取るよりも接近した方がいいと警告した。


「っ、はああああ!!」

「ここで敢えて接近しますか!」


 聖剣を振るいながらノエルは思考する。

 恐らくディーシィーの持つ黒い筒の正体は高速で何かを射出する小型の大砲。ならば距離を取った場合聖剣は届かずに相手は一方的にこちらを撃てる事態になる。

 本能の判断は正しかった。ならばこのまま接近し、狙いを定まらないように攻撃し続けることが重要、とノエルは一瞬の内に判断する。


「あなたの判断は正解ですよぉ! これは私の時代に存在していた『銃』という携帯型武器! 距離を取っていればそのままあなたを蜂の巣にしていたんですがねぇ!」

「答え合わせどうも!」


 ――ならその答え合わせをしたことを後悔させてやる。


(スエド流剣術……雨天凄烈!!)


 ノエルの剣速が一段階跳ね上がる。

 それは対人に置いて最強の名を誇る剣士、スエドが編み出した対人剣術の一つ。豪雨のように無数の剣撃を相手に浴びせ、抵抗しようとする相手の動きすらも斬り、相手が死ぬまで斬り続ける絶殺の剣。


「これは……ッ!? キツイ、ですねぇ……!!」


 通常であれば、最初の五回の斬撃で相手の四肢と首を切断し殺していた。

 耐えていれば次の十回目の斬撃で相手は生命としての機能を断ち切られて死ぬ。

 それでもまだ死んでいなければ二十、三十と殺せるまで回数を増やし続ける。


 過去の歴史に置いて、この技を使用した戦いで繰り出せた最高斬撃回数は十五回。


 どのような手練れであれ、十五回目まで斬撃を繰り出せば相手を確実に殺せる。それがこの技の評価だ。だと言うのに――。


「っ!」


 斬撃の回数は実に百を超えていた。

 ディーシィーは本来戦士ではなく研究者。だと言うのにここまで打ち合っても生き残れているのはやはり悪魔としての肉体があるからか。

 だとすればこのまま不利になるのはノエルの方だ。この技は一息の呼吸のみで相手が死ぬまで常に全力運動をする技。長くは保たず、体に対する負担が大きい。


「はあああああ!!」


 それでも、ノエルの動きは止まらない。

 歴代剣士の中で戦い以外での最高斬撃回数は五十回だと言うのに、それを遥かに超える斬撃を繰り出せる時点で最早人間の動きではない。


(倒す! 絶対に倒す!!)


 負担は増えるどころか寧ろどこまでも斬撃を繰り出せると思えるほど。

 聖剣の恩恵はなく、それでも戦えているという点で成長を実感し、ノルドと共に並び立てると思えば寧ろ力が溢れてくる。


(これが! ノルドの言っていた恋の力!!)


 雨天凄烈中の精神は常に極限状態だ。

 であれば、最後に残るのは心の芯だけ。どんなに疲れても、体がボロボロになっても、相手を殺せるまで己を支える心の芯だけが原動力。


 ノエルの場合、それがノルドに対する恋心だったのだ。


「チィッ!!」

「くっ!?」


 だがそれも長くは続かない。

 焦り、痺れ切らしたディーシィーは魔竜の体を操作して、巨大な柱のような物を生み出してノエルを吹き飛ばした。


 これで距離を取れた。

 そう思った直後、ディーシィーはノエルの笑みを見た。

 そして、気付く。


「……な、んだと?」

「これでその武器は使えないよ」


 銃を持っていた自分の腕が断ち切られていた。

 ノエルを吹き飛ばしたと同時に、ノエルはディーシィーの腕を切っていたのだ。

 なんという剣速、なんという判断力。

 ディーシィーはノエルの才能に称賛したい気分になった。


 ……だからこそ。


「ははっ」


 ……もっと見せてくれと願う。


「『真無侵食マナ・インフェクション』、『魔装生成ギエドウェポン・ジェネレイト』」


 空中のマナが負の感情によって侵食され、瘴気となっていく。

 そして瘴気が空いたディーシィーの手へと集まり、固まっていく。


「――『魔銃マガン』、完成」


 もう一つの銃が、ディーシィーの手に誕生する。


「――な」


 その銃口をノエルに向けて。


「まだまだこれからですよぉ?」


 引き金を引いた。

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