第16話 戦慄! 立ちはだかる壁

 屋敷の扉を開けると大広間があり、左側には二階へと続く階段が見える。一階からでは二階の様子を知ることができない。そして今いる一階の正面には大扉が一つあり、右側には通常の扉が一つ。所々ボロボロで年月を感じられるほどの風化具合だ。だというのに木材の腐敗臭やカビの臭いなどはなく、完全に無臭であることが気味悪さに拍車をかけていた。


 そんな屋敷の奥を、これから進むのだ。


『……』


 一列に並び先頭サラ。

 二人目ノエル。

 三人目ノンナ。

 最後尾ヴィエラ。


 はっきり言って、サラ以降の三人ががっしりと背中にくっ付いて動きにくい。先頭であるサラが一歩進もうとする度に背中を引っ張る力が強過ぎて足が進まないレベルだ。


「あの、じゃあ……奥の扉に行くけど……」

『……!』

「いたたたたっ」


 どうやら怖がり三人組は正面の大扉に行きたくないようだ。


「そ、それじゃあ左側の階段で……」

『……!!』

「いたたたたっ」


 左の階段もダメらしい。


「……右の扉で」

『……!!!』

「痛い痛いっ! もう! これじゃあどこにも行けないよ!?」


 三人組の我が儘で全ての選択肢が潰されてしまったが、結局のところ屋敷内を探索しないことには当初の目的も叶えられないのだ。ここは多少強引でも連れていくしかないだろう。


「ま、待って!? ちょっと心の準備が!」

「準備は後でする!」

「幽霊が出てきたら準備どころじゃないじゃろ!?」

「幽霊が出た時に考える!」

「出たら考える暇もないわよ……」

「じゃあ考えるより行動すればいいんだよ!」


 この聖女、発言が強すぎる。

 必死こいて言い訳を並べて駄々を捏ねる子供に母親がど正論で論破していくような光景だ。果たしてこれが人類の未来を担う勇者パーティーの姿だろうか。


「時間もないから先ずは正面の大扉に行くよ!」

『いやいやいや!?』

「頼もー!!」


 周囲のガチ拒否を無視してつよつよ聖女が大扉を勢いよく開けてしまう。

 その瞬間、一行の目に飛び込んできたのは半透明の男性に馬乗りして、手に持った包丁を振り下ろそうとしている半透明の女性の光景だった。


《ゆるさない……絶対にゆるさない……!!》

《ま、待ってくれ!! 私が悪かった! もう二度と浮気なんてしない!》


 修羅場だ。まごう事なく痴情のもつれだ。

 止めなくてはならないという考えが一瞬脳裏に過ぎるも、周囲を見ればその気が失せた。何せその半透明の男女がいる場所の窓や壁が血に染まっていたのだ。

 女性の持っている包丁はまだ振り下ろされていない。なのにこの部屋の惨状だ。二人の体が半透明であることから、もう既にこれは終わった出来事だと分かった。


「あ、お邪魔ぁ……しましたぁ……」


 なので見なかったことにしよう。

 ギィ……バタン。


『……ふぅ』


 バンッ!!


《み〜た〜わ〜ね〜!?》

『きゃああああああああ!!!??』


 扉そっ閉じ作戦大失敗である。サラたちはいきなり扉を開けて襲い掛かってきた女性の幽霊に悲鳴を上げると、全速力で右の扉の方へと逃げ出した。


「さ、サラあああああ!! い、今こそあやつに鉄拳をおおおおお!!」

「む、むりむりむりっ!」

「な、なんで!?」

「サラ貴女、幽霊平気なんでしょ!?」

「だってあれ……!!」


 サラが背後で追い掛けてくる女性の幽霊に指を差すとこう言った。


「カラク村で浮気されて旦那さんもろとも浮気相手をボコボコの血みどろにした奥さんと同じなんだよ!?」

『いや怖がるところそっち!?』


 どうやらサラは心霊現象よりも実在の人間関係の方に恐怖を感じるタイプだったようだ。

 それもその筈、夫とその不倫相手を血祭りにした後は村の中央で彼らを吊し上げて晒し者にした挙句、その側で二人の命乞いと悲鳴を聞きながら安酒を飲んでいる女性という光景は、誰が見ても恐怖を抱かずにはいられないだろう。


「いやそもそも! 貴女、聖術士なんだからあの幽霊を除霊する聖術とかないわけ!?」

「……そういえばそうじゃった!」


 どうやらそのような聖術はあるようである。

 怖がりすぎて肝心なことをド忘れしていたノンナに、ヴィエラは必死に頭を叩きたい衝動を抑えた。


「クックック! 気づいたからにはこっちの物じゃ! 幽霊とは人の思念とマナが共鳴して生まれた存在! ならば体が純マナで出来ている彼奴らには古来より聖術を扱う聖術士が対処してきた! ならば聖術士であるワシにとって恐るるに足らず!」

「前置きが長いのよ!」


 ノンナは走りながら後ろへと向かって手を向け、聖術を唱える。


揺蕩たゆたう思念、むくろなき生者、流れに還らず、嘆く不死しなずの亡者よ!」


 それはいつもの詠唱ではなかった。

 その言葉は古来より人の霊魂をあるべき場所へと導く、聖術という言葉が存在しなかった時代に死者を弔うための祈りの言葉が原点だった。

 そうした古の時代より続く儀式が、時を経る毎に姿を変え、力を含み、聖術の一つとして組み込まれた術のことを――。


「その苦難の道程に喝采と終幕を! 我が道標に従い安穏と開幕を!」


 ――人は、儀式聖術と呼んだ。


「簡易略式! 『根元世界に流れる蒼碧の川へと還れマナライン・マギド』!」


 その儀式聖術は幽霊と呼ばれる人の思念と共鳴したマナを強制的に分解し、マナラインへと還るマナと共に残された思念を送る聖術だ。

 数時間にも及ぶちゃんとした儀式を行えばどのような大悪霊でさえも成仏させる物だが、このような怨霊程度、簡易略式を用いた儀式聖術でも十分だ。


 ――そう本来なら。


「あ、あれ?」

『ゆるさない……ゆるさない……!!』


 後ろから迫ってくる幽霊には、何一つの変化が見受けられなかった。


「ノ、ノンナちゃん!?」

「ちょ、あれだけ啖呵切ってなんで失敗したのよ!?」

「し、失敗なんてしとらんもん!!」

「でもあの幽霊はまだそこにいるよ!?」


 ノエルの指差す先には未だに女性の幽霊がナイフを構えて走ってきている。心なしかその速度も速くなっているようで、徐々に近付いてくる恐怖にノエルたちは顔を引き攣らせた。


「例えこの儀式聖術が初めての行使だろうとこの天才宮廷聖術士であるワシに失敗などあり得ないのじゃ!」

「初めてなの!?」

「でも体内マナが動いていた感触はあった! なのに効果がないということは考えられることは一つしかない!」


 ノンナのその言葉と共に、突如として通路の景色が螺旋のようにグニャリと歪む。五感や平衡感覚でさえも狂わせるその光景にノエルたちは思わずその場で立ち止まった。


「一体何が起きてるの!?」

「聖術を封じられていた……ワシらはもしや罠に掛かってしまったのかも知れん……!」

「っ、幽霊がいつの間にかいなくなった……!?」


 空間の歪曲が進み、立っていられないほどになった。


「くっ……一緒に固まって逸れないことを意識して! 来るよ!」

「空間が壊れる……闇に、染まっていく……!?」


 サラの言葉通りに通路だった空間が崩壊していく。

 そして足場を含めた全てが壊れ、ノエルたちは下へと落ちていくのだった。




 ◇




「……う、ん? ここは?」

「良かった! 目覚めたんだねサラ!」

「ノエル……?」


 周囲を見渡すとノエルの他に二人の姿はいない。どうやら落下した際に逸れたようだ。


「二人は大丈夫なのかな……」

「取り敢えず固まるように言ったし、二人も二人で合流していると思う……」


 ノエルとサラがいるこの部屋にはテーブルの上に薬剤のような物が置かれており、イメージの中にある研究部屋と似ていた。しかし先程の匂いもしなかった上の階とは違い、ここには薬品特有のキツイ臭いが漂っており、生活感を感じられた。


「どうやらここが本命かな」

「ここの場所の……本当の持ち主ってことだよね」

「ノンナの言葉が本当なら僕たちは誘い込まれたんだ……そしてこの先に黒幕がいると思う」


 ノエルの視線の先には奥へと続く扉があり、その中から微かな話し声が聞こえた。

 二人は互いの顔を見て頷き、慎重に扉の元へと向かう。そしてドアノブに触れるその直前、扉が勢いよく開いてしまった。


『!?』

「おやおや……一人ずつ誘い込もうとしましたが二人同時に来ましたか」


 奥から男の声が聞こえる。

 部屋だと思われていたその先は外に通じており、木々に覆われた広場になっていた。奥にはテーブルがあり、黒ずくめの男が金色の腕輪を興味深げに観察している。


「ほう、しかも勇者と聖女ですか! これはこれは好都合!」

「……誰だ」

「しかもその反応。私の実験は成功ですねぇ!」

「……まさか」


 サラは未だにその男に対して瘴気も、ましてやマナでさえも感じない。

 ならその男の言う『反応』や『実験』、そして『成功』とは一体この状況において何を意味するのか。


「なら自己紹介も兼ねて、機能を止めましょう」


 その言葉と共に、男の近くの地面から土が盛り上がる。そして男がその土に触れると、突如としてサラたちの感じていた違和感が『解除』された。


「こ、これは……!?」

「嘘……! これって!?」

「改めて自己紹介しましょう。私の名前はディーシィー。ディーシィー」


 悪魔と名乗るその男からは、先程感じられなかった瘴気が嘘のように感じられる。

 何故気付かなかったのか。瘴気もマナも感じられなかった違和感に気付けたのに、何故その考えが思い浮かばなかったのか。


 瘴気やマナに対する感知能力が遮断されている事実に、何故。


「貴女たちの考えは手に取るように分かります。その上で私がその答えを言いましょうか」


 楽しげに笑みを浮かべて話すディーシィー。

 ゆっくりと、まるで生徒に教える教師のように分かりやすく。


「『もしそれが本当ならあまりにも不利だから』。つまりはそう! 人間は自分に不利な出来事は考えないように出来てる。貴女たちは魔王陣営がこのような能力を持っていることを考えたくはなかったのです!」


 その事実はノエルたちの心に絶望を刻んだ。

 そしてそれ以上に、自分たちの置かれている状況に恐怖を抱いていた。


「遮断された感知能力を解除したことで気付きましたね? 自分たちが今どこにいるのかを」

「……そんな……瘴気が、至る所に……」

「僕たちは今……どこにいるんだ?」


 瘴気は悪魔以外から感知できていた。

 それは扉からであり、部屋からでもあり、そして地面からでもあった。


「一言で言うと、私たちは今……魔獣の中にいます」

『……っ』

「それも魔竜ドラゴン……大亀魔竜ドラゴグランタートルの中です」


 急に現れた森も、屋敷も全て、大亀魔竜ドラゴグランタートルが生み出した体の一部。

 ノエルたちはまさに罠に誘い込まれたどころか罠に飲み込まれた哀れな犠牲者だったのだ。


「それと一つ訂正しましょう」


 ピンと人差し指を立てて、心底愉快な様子でディーシィーが喋る。


「探求の末に私が開発したのは感知能力の遮断機能ではない。マナに干渉することでマナを扱う全ての術を封じる術……『禁聖の術ギエド・ネメシス』です」

「マナを封じる……!?」

「あぁその表情、実にイイッ! ずぅっと一人で探求して人との交流に飢えていたんですよ! もう私の研究成果を語りたくて語りたくて仕方がない!」


 悪魔ディーシィー。

 大亀魔竜。

 そして禁聖の術。


 ふとした寄り道が、まさかの事態に陥るなんて誰が予想していたのか。

 勇者パーティーは知らない。

 まさかこの戦いが今後の魔王討伐に影響するなど誰も知らない。


 ノルドのいない悪魔討伐が今、始まる。

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