幕間 とある日の出会い

 ある日、二人の赤子を拾った。

 一人はすくすくと元気に育ち、そしてもう一人は――。


「……このままでは、後一ヶ月で」


 ――余命宣告をされていた。


「……そうか」


 カラク村の村長であるカラクは医者の診断を聞き、ため息を吐く。と言っても、彼がため息を吐いた理由は長くない先行きを宣言されたわけではない。


 というのも。


「先月も、先々月も同じ事を聞いたのじゃが」

「……それは、はい」


 カラクの言葉に医者が気まずそうに顔を逸らす。しかし彼が別に誤診をしたわけでも質の悪い冗談を発したわけでもない事をカラクは知っている。


「正直、今でも生きているのが不思議な程です」


 拾った二人の赤子の内の一人。

 ノルドと書かれた紙が側にあったその赤子は、常に死にかけていたのだ。

 その理由というのも、その赤子の体質に因る物だった。


「体内マナが低すぎるせいで、体内のあらゆる機能が機能していないのです……」


 カラクは何回も聞いたその言葉を聞いて、顰めっ面を浮かべる。

 あらゆる機能が機能していない。それはつまり突然心臓の鼓動が止まる事や、呼吸が止まる事があるという事。

 事実、ノルドを育ててきたカラクはそのような状況に遭遇した事があるのだ。


「免疫機能も正常に機能していないのか、太陽の光さえも肌の毒になる。だからあの子は常に、一人日の光が入らない清潔な部屋の中で過ごす事になっているのじゃぞ……」


 欠乏したマナはあのエルフの老婆から教わった聖術で自身のマナを注ぎ込んで肩代わりをしているため、最低限の生存を実現している。

 元はといえば聖術の大量発動で枯渇した体内マナの充填を行う聖術だが、それがたった一人の赤子の命を救っているとは、世の中分からない物である。


 だとしても。


「貴方のマナ欠乏症の患者に対する迅速な対応は見事です……ですが、それらの対応を行なってなお、私は余命一ヶ月と診断したのです」


 成長する過程で得られる体力も今のノルドには当て嵌まらない。

 つまりどう足掻いてもノルドは死ぬ運命にあるのだ。

 言うなれば、体を循環する血液が少ない、もしくはない人間と同じなのだ。心臓の鼓動も肺による呼吸も全てマナによって動くこの世界では致命的なのである。


「じゃがあの子は今でも生きている」

「そう、生きている……まさに奇跡としか言いようがない」


 それらを踏まえてなお、ノルドは生きていた。

 本来ならマナ欠乏症を持って生まれた赤子はその瞬間、例外なく死亡する。成長するまでもなく、そして生きる事なく死に至るのが先天性マナ欠乏症と呼ばれる体質なのだ。


 だがノルドは。

 ノルドだけは。


 生きる事も、成長する事も出来る唯一の先天性マナ欠乏症の人間だったのだ。

 まるで生きる事を諦めていないかのように、ノルドは常に死に瀕しても生き続けていた。


 だがその理由が分からない。

 どうして生き続けていられるのかは分からない。

 分からない内は、奇跡だ。

 そして奇跡とは。


「……長く続かない物なのです。突然奇跡が無くなり明日にでも……という可能性もある」

「……っ」


 何回も、いや何年も聞いた言葉にカラクは歯軋りをする。

 何年もこのやり取りを続ければ慣れて楽観的になる、という事はない。

 カラクはこの先待ち受けるノルドの突然の死に常に覚悟をしなくてはならない。そしてその間ノルドは自身の体質に苦しみ続けるしかないのだ。


「私も出来るだけ早く、この謎が解明できるよう診察していきますので……」

「あぁ……今後ともよろしく頼む」

「えぇ……私ももう二度とマナ欠乏症で死ぬ子供を見たくありませんからね……」


 何故、運命はノルドに過酷な試練を与えるのか。

 何故、ノルドは苦しみに耐えなければならないのか。

 カラクはそう思わずにいられなかった。




 ◇




(きょうは……ちゃんと目が見える日だ……)


 ベッドの上で横たわるノルドはそう思った。


 ノルドは常に暗闇の中にいた。

 耳は聞こえず、目は見えず、口も喋れず、痛みも感じず、匂いも感じない毎日を過ごしていた。しかし、そのような状態でもたまに調子がいい時があるのだ。


 今日が、その日らしい。


「目が覚めたかノルド」

「……じい、ちゃん」

「! そうか、今日は調子がいいのか!」


 久しぶりに聞くノルドの声に、カラクは喜びを露わにする。

 カラクは常にノルドの側にいて、常にノルドの様子を診ていたためこうして調子がいい日がある事を知っていた。


「そうかそうか……! なら今日は童話の読み聞かせをしようではないか!」

「……うん」


 こういう日に限り、カラクは貴重な絵本を用意してノルドに読み聞かせをする。

 これはノルドの言語能力を教育する為のものだ。

 何年もカラクはノルドに言葉を聞かせ、発声を行わせ、意味も、そして絵に写る万物を教えてきた。こういう日にしか、ノルドに世界についてを教える事が出来なかったからだ。


 そうした成果もあって、今日のような調子のいい日にノルドは他人と言葉を交わす事が出来るようになった。そこから自身の思いを伝えられるようになったし、知りたい事も知る事が出来たのだ。


「――それで話は……ノルド? ……寝よったか」

「……」


 知らない人が見れば死んでいるように見える。

 それでもちゃんと生きているので、その度にカラクはホッと息を吐く。


「……お休み、ノルド」


 今日は短い調子のいい日だった。

 そう思って、カラクは今日も寝ずの番をした。


 翌日。


 意識が戻ったノルドは自分はいつから寝てしまったのだろうかと思った。

 何も感じないという事は、自分がいつ寝たのか、もしくはどのぐらい起きていたのかすら記憶に残らない物だ。

 下手すれば数日間ずっと寝ていたという日もあるし、全く寝ていないという日もある。つくづく自分の体を制御出来ていなかった。


「〜♪」

(……?)


 ふと気付けば、近くで誰かがいると思ったノルドは目を開けた。


「……きみ、は?」

「フフ〜ン……ってあれ? あっおきたんだ!」


 どこか心地の良い鼻歌を歌っていたその人が目を開いたノルドに近付いてくる。


「あたしはサラ! おじいちゃんのてつだいにきたんだよ!」

「……!」


 その姿を見て、全身が固まった。

 長く、美しい黒髪の少女。

 彼女の笑みは見る者に元気を与えて、まるで彼女のいる空間だけが輝いて見えた。


 一目惚れだった。

 彼女の瞳に吸い込まれたかのように目が離せなかった。


「あ、あ……」

「あー?」


 パクパクと口を開閉するノルド。

 思えば今日初めて無駄な動きをするようになっていた。


(そういえば……目も見える)


 調子のいい日と同じ、いやそれ以上の調子の良さ。

 もしこれが昨日から一日経った出来事だとノルドやカラクが知れば、きっと驚く事だろう。それぐらい連日して調子がいい日は無かったのだ。


「どうしたのー?」

「あっ、うぅ……」


 貴重な声を出せる日だ。

 しかし話したいという意思に反して、声はまるで壊れた鈴のように音が出ない。そんなノルドを不思議そうに見たサラは、何かに気付いて急いでノルドから離れた。


「あっ……」

「はいこれみずー! のどかわいたんでしょー! サラはわかってるもんねー!」


 と思ったらサラが水をなみなみと注がれたコップを持ってきたのだ。

 それにノルドは困惑しながらも、サラの助けを借りて水を飲んだ。どうやら声は出ずに空気だけ出てきたせいで喉を痛めていたのだ。

 清涼な水が喉を通り、痛めた箇所が癒されていく状況にノルドはもっと水を飲もうとするが、サラはノルドの口からコップを引き離した。


「いっきにのんじゃ、めっ!」

「あぅ……」


 この場合、サラの行動は正しかった。

 水を一気飲みする事は当然ダメだが、水を飲み慣れていないノルドの場合、それで溺死する可能性があったのだ。

 見るからに自分と同じ年齢の子供。それなのに口に出さずとも何が欲しいのか察してくれ、それでいて適切に対処をするサラにノルドは益々惹かれていく。


「サラ〜お爺ちゃんが帰ったぞ〜」

「はーい!」

「あっ……」


 家の外からカラクの声が聞こえる。

 これでカラクへの手伝いは終わり、サラはいつも通りの生活を送るのだろう。

 ノルドはそう思うと、どうして自分だけこのような体なのか思い悩む。


 ノルドは常に暗闇の中にいた。

 常に心細く、いつか自分が暗闇の中に溶けるのではないかと思っていた。それが近い将来でもおかしくなく、そのせいで無意識の内に泣いた事もあった。


 離れていくサラの背中を見て、ノルドは行かないでと手を伸ばす。それでも、上げた腕の自重に耐えられず、上げた腕は力尽きてボスッとベッドの上に落ちる。

 あぁ、これが自分の限界なのだとノルドは思った。

 そしてこれが自分の生きる世界なのだと思った。


 根本からして住む世界が違う。

 そう思ったノルドはもういいやと思った。


 最後の最後に、別の世界に住む人間と……キラキラ輝く人と出会えて良かった。


 そう思ったら心が軽くなった気がした。


 まるで必死にしがみ付いていた何かを手放せる、そんな気持ちがあった。


 ――なのに。


「あっ」


 ふと、背中を向けていたサラが立ち止まる。

 そして見惚れるような笑顔でサラは言った。


「だいじょうぶ! きっとなおる!!」

「……え」


 何の根拠があるのか。

 それでもサラだけは何か確信するように胸を張る。


「いきてれば、きっとだいじょうぶ!」


 そう言って、サラは部屋から出て行った。

 一人残されたノルドは、ポカーンとサラが出て行った扉を見る。

 まるで意味が分からなかった。

 それでもノルドはサラから激励されたのだと思った。


「いきてれば……きっと……」


 冷たかった心が、その言葉をきっかけに熱くなった気がした。








 翌日。


「ノ、ノルド!? だ、大丈夫かベッドから降りて!?」

「ふぅっ……! ふぅっ! だい、じょうぶ……!!」


 初めて、ノルドが誰からの助けを借りずに上体を起こした。

 それどころかノルドはベッドから出ようとしていた。


「む、無理をするな! ノルドの筋肉や骨はまだ歩行に耐えられる程じゃ……」

「もういちど……あのこにあいたい、から……!」


 初めて、笑みを浮かべてカラクを見る。

 あの時見たサラの笑顔を思い出して、自分もあの顔になれるよう力を込めて浮かべていく。


「……!!」

「いって、きます……!」


 ノルドは、そう言って杖を使いながら部屋から出る。

 あぁ、その言葉は一体どれほど待ち望んでいたのか。その言葉がノルドの口から出た瞬間、カラクはもうノルドの行動を止めなかった。


「あぁ……! 行ってらっしゃい! 気を付けるのじゃぞ……!!」


 その日、カラクは人知れず涙を流した。

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