第41話 『勇者』と『戦士』
「ぐ、ああああ!!」
「嬢ちゃん!!」
魔人の一体であるカイネは、体の奥底から制御しきれない量の瘴気が流れ込んでくるのを感じる。先程聞こえた声は共に古代都市にやってきた仲間のザイアのものだろう。無意識ではあるがノルドの手を掴もうとしたカイネを裏切りと認定して、このような事をしたのだ。
(魔王様の瘴気が……っ、抑えきれない……!!)
魔王から魔人へと流れる瘴気は、まるで管のように魔王と繋がっているその管から注がれてくる。そして流れ込んでくる瘴気で魔人は瘴気の拡散を行い、瘴気を使って魔術を使うのだ。
しかし、だからといって無限の瘴気を扱えるわけでもなく、寧ろ己の限界を超える量の瘴気を際限なく取り込めば瘴気で出来た体の均衡が崩れ、体が崩壊する恐れがあるのだ。
だからこそ魔人は瘴気の過剰流入を防ぐために管に栓という物をしていた。
だがカイネの栓はもう、ザイアの魔術によって完全に解放されており、それによって管から莫大な量の瘴気が流れて苦しんでいるのだ。
「嬢ちゃん大丈夫か!?」
「来るな……ッ!!」
「っ!」
苦しむカイネに駆け寄ろうとしたノルドをカイネは制止する。
制止して、自嘲した。
「そうか……強欲な私でも、心を配れるか……」
何も知らないまま生きてきた。
誰も教えてくれないまま死んだ。
その人生で得られた物は一度もなく、欲しいと思った理由さえも言葉に出来ない。自分に何があるかも分からない。それ故に誰かに何かを与えた記憶もない。
そして訳も分からず罵倒されて、暴力を振るわれて、どうして自分がこんな目に合っているのか分からないまま死んで、瘴気に呑まれた。
そんな少女にたった一人だけ、手を差し伸べた存在がいたのだ。
初めて人から生きて欲しいと願われ、埋めようのない飢えを埋めてもらい、やがて自分の中に誰かに『何か』を与えられる物を見つけた。
その『何か』を名付けるとするならば、それは――。
そして魔人だった少女はふっと笑みを浮かべて、意識が反転する。
それと同時に体を構成していた瘴気が崩れ、少女の体が瘴気になる。
「そんな……!?」
呆然とするノルドを他所に、瘴気となったカイネはそのまま周囲の瘴気を吸収し続けている巨大
『……ア、ガ……アア』
勇者を模した白銀の鎧は瘴気に覆われ、黒く変色していく。まさに勇者から魔王へ。人類の守護者として作られた兵器が、魔へと変貌していく。
『ア、アアア……!』
全てを呪う産声が上がる。その瞬間、ただの置物だった筈の巨大
『ガアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
「くっ……ッ!?」
階層ごと震わす呪いの咆哮にノルドは顔を顰める。
そしてノルドは耳を疑う予想だにしない音が聞こえた。
『ああああ気持ち悪い……気持ち悪くて敵わん』
「……喋った……?」
何と無機物である筈の
その声にノルドは驚愕のあまりつい口から言葉が漏れ出す。その瞬間、ギョロリと
『……不遜な人類め。愚かにも我の前に存在するか』
「は? ……しまっ!?」
気が付けば、ノルドの目の前に巨人の拳が迫ってきた。
もう既に転がって回避出来る距離でもなく、ノルドは咄嗟にメイスの爆発を利用した飛翔で強引にその場から離れる。
『逃げるな命拾いするな黙して死に晒せぇ!!』
「くそ何なんだよコイツ!?」
巨体から繰り出す豪速の巨拳。生身で拳を受ければ即死は必至。それどころか原型すら留めない状態になるのは想像に容易い。
だからこそ逃げる、逃げる。
それに伴い、
『生き続けるな!! 大人しく拳を受けろ!! 我が願望の最初の糧となれ!!』
「無茶苦茶言うな!?」
その
『瘴気に混じり我が回路を汚染する愚者の呻き声が聞こえる……!! あぁうるさい、うるさい……!!』
「瘴気? 声? 何だ……何を言ってるんだ?」
安全に思えたシェルターが突破された時の王や権力者達の様子。
こんな筈ではと絶望した科学者達の絶望。
囮にされた奴隷に、見捨てられた貧民の憤怒。
瘴気を吸い込み続けた当時から続く不快な声が、回路に鳴り響いて止まない。
『あああああああッ!! うるさぁああい!!!』
そして事態を把握しきれていない足元のノルドに顔を向け、乱暴に拳を引き抜く。
『それは貴様ら人類の自業自得だ!! 貴様らの絶望に我を巻き込むな!!』
底冷えする怨嗟の声にノルドは自然と唾を飲み込む。
『音が消えない……消えない……! ならば、ならば滅却だ! 一人残らず、跡形もなく人類を滅ぼせばこの音も消える!!』
「なっ!?」
流石にその一言に対して、ノルドは黙ってはいられなかった。
「あ、アンタの悩みってのは瘴気のせいだろ!? だったらその瘴気の元である魔王を倒せばいいじゃねぇか! そのためにアンタが作られた筈だろ!?」
目の前の存在は脅威だ。
それが人類の敵になれば、サラ達が危ない。
そう思ったノルドは何とかその
『喚くな人類!! 瘴気とは負の力! その負の力の源流は貴様ら人類だ!! あぁそうだ! 元を断つというのなら貴様ら人類が先だ!!』
「くっ……!?」
まるで八つ当たりのように周囲を破壊する巨大
そんな巨大
『回路に響くこの憤怒と、絶望と、殺意と、嫉妬、憎悪、羨望、怨根、嫌悪、苦痛、空虚無念恐怖退屈失望不安逃避後悔不満苦悩愛憎孤独――が!! 果てしなくうるさいのだ!!』
「まずい……! このままじゃこの階層が崩落する!」
かなり広く作られている鉄の空間が
すると今度は
『ぐぅ……!! 愚者の音に混じっているこの音は何だ……!? まさかこの我を呼んでいるというのか!? この我をまるで召使いのように呼んでいると!?』
「こ、今度は何だ!?」
『……巫山戯るな、巫山戯るなァ!! 有象無象風情がこの我を呼ぶなど万死に値する!!』
その場で飛んで、天井に穴を開ける
「なっ、まさか地上に出るつもりか!?」
『殺す! 殺してやる!!』
「そうはさせるかぁッ!」
空を飛び、そのまま無防備な体へと叩き込んで白銀の爆発を起こす。
『ヌゥッ!?』
爆発によって目の前の巨体が吹き飛ぶ。
通常ならこれだけで決着が付く程の威力だ。
山も、穿壊魔竜も、魔人の壁も打ち抜いた衝撃を受けてただで済む筈がない。
「よし、これなら……っ!?」
その筈なのに。
『――やってくれたな貴様』
「……嘘だろ?」
あの巨体を吹き飛ばした筈だが、
『特別であれと作られたこの我を吹き飛ばすとは……貴様、名を名乗れ』
「……勇者パーティーの戦士、カラク村のノルドだ」
情緒不安定だなと思いながらも、自分に意識が向いているなら地上に出ようとしないだろうと考えたノルドは自己紹介をする。
『ほう……勇者パーティーか』
その声を聞いた瞬間、ノルドは急いで巨人から離脱する。
それと同時にノルドのいた場所を巨人の拳が通過した。
「危ねぇ!?」
『ならば直々に我の手で死なす権利をくれてやる!!』
「もうお前滅茶苦茶言い過ぎ!?」
『我が名は
「何が義務だ、全部てめぇの怨根じゃねぇか!」
今、
見かけに寄らない速度と巨大質量から放たれる拳を前に、ノルドがいつまでも躱し続けられるものではないからだ。
ならば取れる手段はただ一つ。
相手を倒すしかない。
(もっと……もっと爆発を溜めれば打ち抜けるか……?)
先程の攻撃で相手の防御力は大体把握した。
その上で相手の防御力を上回る威力をメイスに込めれば行ける筈だとノルドは考える。だがそれで問題なのは、込める際に多少の時間が必要である事。
『ヌウウウウウ!!』
「くそっ!!」
そして、その時間をくれる相手ではないという事だ。
『何か思案しているようだが無駄だァ!! 矮小の分際でこの我と渡り合えるものかァ!!』
相手の言うことも尤もだ。何せ相手は全高二十メートルの
古来から、体格差というものはそれだけで脅威なのに、その体格差という概念すら生温い相手にノルドは生身のまま戦っている。
もし攻撃が通じなければ反撃を喰らう。
反撃を喰らえば最後、その身は原型を留めない程の肉塊へと成り下がる。
これが今ノルドの置かれている状況なのだ。
『ええいちょこまかと――!!!!』
「なっ――」
苛立った
そして変形した鎧は更に一対の腕となり、計四本の腕がノルドに襲い掛かってきた。
「やば……がぁ!?」
一対の腕だけでも辛うじて回避出来ていたのに、二対の腕は明らかに許容外。気が付けば巨人の拳がノルドの体を捉え、ノルドの意識が明滅する。
「や、ろ……ぉ!!」
だが擦れゆく意識を何とか繋ぎ止めて生存への道を手繰り寄せる。
咄嗟にメイスの爆発で巨人の一撃を軽減し、更に地面に叩き付けられる直前に爆発の衝撃で威力を和らげる事で事なきを得る。
「はぁ……はぁ……!!」
『チィ……しぶとい奴め』
空中にいた事によって衝撃が分散されたのも良い。
全ての対処と偶然が間に合わなかったら、体の原型は残らなかっただろう。
だがメイスで防御したとはいえ、拳の一撃を受けてしまったのだ。メイスを持った右腕は折れ、ノルドの体力を限界まで削ってしまった。
「あぁくそう……卑怯じゃねぇかそんなデカイ上に早いとかよ……」
それでも足に力を入れ、腰に力を入れ、腕に力を入れ。最早どこに力を入れればいいのか分からないぐらい力を入れて、ノルドは立ち上がる。
「だけど諦めるわけにはいかねぇ……! こちとら計画練ってサラに告白しようと考えた矢先にこの事態だ……! 嬢ちゃんを救って、みんなを救って、気持ち良くサラと結ばれるために俺は……!!」
『今度こそ終わりだァ!!』
巨人が腕を振り上げる。
それと同時にノルドはメイスを構える。
『アアアアアアアアアア!!!』
「……来やがれデカブツ!!」
体は満身創痍。
それでも戦意は高揚している。
巨人が腕を振り下ろし、そしてノルドはメイスを振り上げる。
圧倒的体格差から来る結果は変わらないのかもしれない。だが未来は決まっていない。だからこそノルドは抗うのだ。
そう決めた。
そう決めた筈が。
『うぉおおおらああああ!!』
『ヌゥオオオオオ!?』
「……は?」
もう一体の巨人が鉄の壁を破壊しながら乱入し、瘴気の巨人を横から押し倒した事で何かが狂った。
◇
「え、ええ!? な、何!? 何なの!?」
「よし間に合ったか」
「師匠!? え、あれ何なの!?」
突如現れた無骨な鎧を纏ったもう一体の巨人と、ノルドの隣に現れた師匠の存在にノルドの思考は停止していた。
そんなノルドの混乱に師匠は、珍しく神妙な表情で無骨な巨人に目を向けた。
「……あれか」
「……師匠?」
「逃げろと言ったのにのう……それでもお主の事が見捨てられんとこの場にやってきたのじゃ」
「……は?」
師匠の言葉を直ぐに受け止めきれないノルド。
そしてふと、師匠の側にいた筈の二人がここにいない事に気付いたノルドは、徐々に表情を青ざめた。
「まさか……まさかあの巨人は……」
「左様……あれはここの開発者が作り上げた巨大
「は、はぁ!?」
師匠の言葉にノルドが驚く。
何せノルド達に着いてきた二人は純粋な一般人だ。探索者であるグラニはサラ達がいる大まかな場所への案内を買って出て、宿屋の店主であるガルドラは流れで着いてきただけの一般人。
本来ならこの階層まで降りる予定などなく、崩落事故が無ければ二人は早々に離脱する予定だったのだ。
「何考えてんだよ二人共!! 俺の事は放っておいて逃げろよ!」
『それは無理な考えだぜ兄ちゃん!!』
『年下の貴方を放って逃げるアタシ達じゃないんだよ!』
無骨な巨人が『勇者』の一撃を受けてよろけるも、必死に懐に入り泥臭く反撃をする。
『魔王連中と戦う兄ちゃんには感謝してるし尊敬もしてるさ! でもなぁそれで無責任に全部押し付ける訳にはいかないだろぉ!!』
「おっちゃん……!」
『ええい喚くな吠えるな
『キャアッ!』
苛つく『勇者』の猛攻に無骨な巨人が吹き飛ばされる。
明らかに二人が乗っている巨人の方の運動性能が負けていて、そのような光景を見た師匠が舌打ちした。
「チッ……やはり量産機じゃあ押し負けるのう」
「ど、どう言う事だよ師匠!?」
『知れたことよぉ!! 莫大な予算と技術の粋を集結し、特別であれと作られた
追撃を行う『勇者』を転がって回避する無骨な巨人。いっそ無様と言えるような動きは、まるで武人から逃げ回る只人のような光景だ。
そんな『勇者』の発する言葉に師匠は面白くなさそうに補足する。
「……まぁ彼奴の言う通り、二人の乗っている巨人は人が操縦する事を想定した量産機じゃ」
自立思考能力を排除し、数々の性能を落とす事によって量産を目指した機体が二人に乗っている機体だ。だが魔王との戦いが瀬戸際の状況だったため、作られたのは目の前の無骨な巨人が最初で最後の機体だという。
「確かに量産機じゃあ特注機には勝てないじゃろうな……」
無骨な巨人が攻撃しても『勇者』が悠々と躱す。
結局『勇者』に与えられた有効打というのは最初に不意打ちで押し倒した一撃のみ。単純な性能差から無骨な巨人は手も足も出ないままボロボロになっていく。
「……しかしな、それでも立ち向かうのが人なのじゃ」
ボロボロになりながらも無骨な巨人は立ち向かっていく。
例えやられようとも、吹き飛ばされようとも、ただの巨人は立ち上がる。
『あぁそうだ……勝てる勝てないんじゃねぇんだ……! 戦うんだよ俺達は!!』
『そうさ! 例え量産機でも、立ち向かえる力があるなら使ってやるさ!!』
必死に食らいつく様は、まるでどこかの誰かのよう。
その姿を見て、ノルドは自然と拳を握り締める。
「何故量産機は
勇者は特別であるからこそ誰にもなれない。
だが勇者にはなれずとも、立ち向かう勇気と覚悟さえあればなれる物がある。
人のため、家族のため、自分のため。
特別じゃないからこそ誰にもなれるその存在、それは――。
「対魔王用人型量産兵器……通称『
「……っ!」
「そうじゃ……ただの一般人だからこそ、あの機体に乗る資格がある!!」
例え流されるがままに巻き込まれたとしても、立ち向かうと決めたのならその者は『戦士』である。どんなに非力だとしても、そこに揺るぎない意志があるというのならその機体はその者に力を与えるだろう。
『いいかぁ!? 宿を経営してきた俺にはなぁ!! 色んな性格の奴らを見てきた経験があるんだよぉ!!』
主動作を務めるガルドラが拳を振り下ろす。
副動作及び精密動作を務めるグラニが軌道を修正する。
その一連の連携にようやく拳が『勇者』に届く。
『悪い奴もいれば良い奴もいる! 何も世界は負の感情だけじゃねぇって事を知っている!』
しかし根本的に力が足りない。
動力調整係もいないため、力の配分が滅茶苦茶なのだ。
それでも『戦士』はがむしゃらに拳を振り続けて、立ち向かっていく。
『世間知らずのアンタにただの一般人代表のアタシらが言わせて貰うよ!』
無骨な『戦士』の妙な勢いに気圧された『勇者』が体勢を崩す。
そして、その隙を二人は逃さなかった。
数千年もの間ずっと一人で居続けたある意味無垢な巨人に向けて一歩踏み込み、瘴気で人類の何たるかを理解したつもりの巨人に拳を振り上げる。
『うおおおおおお!!!』
『はああああああ!!!』
負の力の源流が人間? 確かにそうかも知れない。
それで巨人が人間を憎むのも無理はない。
だが、人間は負の面だけの存在ではない。
負の面だらけである人間のその奥に、一際眩しく輝く正の面があるのが人間なのだ。その正の面をこれでもかと見せてくれた戦士の姿を思い浮かびながら、二人は声高らかに叫ぶ。
勝手な決め付けで人類を滅ぼそうとした古の巨人よ。
『人間を――』
『――舐めるんじゃねぇ!!』
その鎧に、戦士の拳が突き刺さった。
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