第38話 ノエルの秘密

「生まれた……生まれたぞ!」

「旦那様、御子息様の名を!」

「おおそうだ……よし決めたぞ! お前はジークゼッタの息子、ノエル! アークラヴィンス公爵家の後継にして今代の勇者を担う光! ノエル・アークラヴィンスだ!!」


 ノエル・アークラヴィンス。

 アークラヴィンス公爵家に生まれ、次期当主として期待を寄せられていたノエル。

 だがノエルは次期当主だけではない、今代の勇者を担う使命を当主であり父でもあるジークゼッタ・アークラヴィンスから与えられていたのだ。


「おぉこれで、これで我が公爵家に勇者が誕生する!」

「流石でございます旦那様!」

「マリアよ、よく息子を産んでくれた! 先にヨルアを産んだ時はどうなる事かと思ったが、これで我が一族の悲願が果たされる!」


 アークラヴィンス公爵家が勇者の血を引く一族なだけあって、歴代の当主は一族の者が勇者として選ばれる事を夢見ていた。

 誰も彼もノエルが勇者として大成する事をまるで決定事項のように喜ぶ中、ジークゼッタの妻マリア・アークラヴィンスだけが赤子のノエルを見て違う事を考えていた。


「……違う……この子は」


 抱き締めようと手を伸ばす。しかしその直前に赤子のノエルは乳母に連れ出され、マリアと引き離されてしまう。


「さぁノエルよ! 貴様は勇者として最高の教育を施すぞ!」

「待って……! 私の、私のを返して……!」


 マリアのその言葉は、誰の耳にも入らなかった。




 ◇




 そもそも勇者とは聖剣ラヴディアに選ばれた者こそが勇者だ。

 それでようやく勇者と認められるにも関わらず、ノエルは幼少の頃から勇者であると想定され、勇者としての訓練を強いられていたのだ。


「それでどうだ? 訓練の程は」

「それが旦那様! マナー、教養、剣術! どれも大変優秀でございます! 流石は次期公爵家の当主にして今代の勇者! 御子息様の教師役としての名誉を承った事を誇りに思います!」

「そうかそうか! 優秀か! これで我が公爵家は安泰だ! はははははははっ!!」


 公爵家にとって、全てが順調。

 この時、ノエルは十歳だった。


「……」


 だがノエル自身、誰にも言えない悩みがあった。


「……はぁ」


 ため息を吐いて、そっと鏡に触れる。

 鏡の中に写る自分は美しい母と似て、まるで少女のような外見だ。

 しかし性別は紛れもなく男のもので、胸はなく、男性器もある。


 それなのにノエルにとってこの体は、まるで自分の物ではないかのような違和感を感じていた。どこかが違うと、何かが違うと物心ついた時から抱いていたのだ。


「ノエル……ここにいたのね」

「……お母様?」


 そこに母が側付きに支えられながらやって来た。

 ノエルを産んだ後、マリアは体調を崩した。医者の診断からも余命は後僅かだという。


 それからだ。

 長男を産んだ事で用済みとなったのかマリアの待遇は目に見えて悪くなった。

 そういう事もあり、その責任の一端が自分にある気がしたノエルは、罪悪感から母から距離を取っていたのだ。


 しかしマリアはそれを分かっていて尚、ノエルを誘う。


「ノエル、一緒に買い物に行きましょう? ノエルに似合うドレスを見つけたの」


 それもどういう訳か男である筈のノエルに、女性が着るドレスを勧めた上でだ。

 ノエル自身心のどこかで綺麗なドレスを着た女性に憧れを抱いていた。


 だが父の存在が脳裏に過った瞬間、ノエルはぐっと我慢して母の誘いを断ろうとする。

 何もかも勇者訓練を優先させようとする父だ。もし母の誘いに乗ったら責が母に及ぶだろうと考えたからだ。


「お母様は体調の事がありますので外に行くのは止めましょう……それには男ですからドレスは着れません」

「……私の事は良いのよ……それに」


 マリアは優しくノエルの頭を撫で、穏やかな声音で言う。


「貴女は私の娘です。親が子供の性別を間違える訳がないでしょう?」


 その言葉にノエルは驚きながらも、不思議な事に違和感は覚えなかった。

 だがその言葉を受け入れる事は出来なかった。

 もしそれを受け入れば、アークラヴィンスの当主が何を仕出かすか分からないからだ。


 ノエルは父であるジークゼッタが怖い。

 あの自分の考えこそが絶対だと思っている男がもし、ノエルが女性である事を受け入れてしまえば当然のように激怒するだろう。

 それが自分だけであれば問題ない。だがもし母にまでその感情を向けてしまった場合最悪の可能性だってあるのだ。


「お、おれは男です……! これがおれの務めなのです!」

「ノエル……あなたはこの家に縛られなくても良いの」

「お母様……おれは訓練がありますので」


 そう言って、振り払うようにノエルは母の元から去った。

 そしてこれが母との最後の会話だった。

 訓練の後、ノエルは母が倒れた事を知った。そしてそのまま亡くなった事も知らされ、ノエルは呆然とした。


「どうして……倒れた事を知らせてくれなかったのですか……朝から訓練を始めて今はもう夜なのに……どうして……」


 ノエルの母が倒れたのは昼頃らしい。そして亡くなったのはそれから二時間後。ノエルに知らせる時間は確かにあった筈だ。

 やがて侍従から告げられた理由にノエルは言葉を失った。


「当然です。ノエル様の訓練に支障を出さないため、わざとその知らせを遅らせたのです」

「……え」

「次期当主として、勇者として、ノエル様はもっと研鑽を積まなくてはなりませんので」

「そのせいで……そのせいではお母様の最期に立ち会えなかった! 訓練なんていつでも再開出来た筈……っ! なのにどうして、どうして!!」


 生まれて初めての激情だった。

 涙が溢れ、上手く情緒が安定しない事態にノエルは更に錯乱する。


「ええいノエル、貴様は男だろ!! いい加減泣くのを止めないか!!」

「ですが……お父様……」

「女が一人消えただけだ! それ以上に貴様は我が家の未来と一族の悲願を背負う男だ! これぐらいの事で動揺するな!!」

「……っ」


 信じがたい言葉が父の口から飛び出てくる。

 父の頭には家族なぞどうでもよく、全て自分の目的しか考えていない。最早ここに居場所はなく、これからの人生は父の思い通りに過ごすしかないと絶望するその瞬間。


「ふん!」

「ぐほぉ!?」

『だ、旦那様ぁ!?』


 いつの間にかやって来た、鮮やかなオレンジ色のドレスを着た少女が、父の股間に拳を入れたのだ。しかもご丁寧にその拳に籠手を装備して威力を上げるという気合いの入れよう。


「お母様が亡くなり、隣国から急いで来てみれば何でしょう? この無能な大人の醜態は」

「お、お嬢様! 御当主様に一体なんて事を……!!」

「あら? この方が我が家の当主? おかしいですね……私はうるさいハエを叩き落とした筈ですが……ふん!」

「ぎゃああ!!」

『旦那様ぁーっ!!』


 更に追撃を入れる少女。

 ご丁寧にまた同じ箇所である。


「これで全治数ヶ月でしょう。その間我が家はお母様の葬儀を始め、その後のノエルの処遇は私が決めますので」

「そ、そんな事許される筈が……」

「あら侍従風情が何か言っているわね? ところで貴方、田舎は好きかしら?」

「ヒ、ヒィ!?」


 苛烈な存在感を発する彼女は、このアークラヴィンス公爵家の令嬢にして長女。ノエルの姉であるヨルア・アークラヴィンスだ。

 ノエルも姉の存在は知っていたが、ヨルアは幼少の頃から隣国へ留学しており顔を合わせたのが今日が初めてだった。


「貴女がノエルね……お母様の手紙からあなたの事は良く知っているわ」

「お母様……から?」

「そうよ。それにしても貴女は本当にお母様に似て可愛いわ。流石私のね」

「……っ!」


 まただ。

 母であるマリア以外にノエルを女性と認識している存在がいたのだ。


「どうして……」

「私とお母様の目は誤魔化せないわ。、貴女は男性の体として生まれて来たようだけど、貴女は正真正銘お母様の娘であり、私の妹なのです」


 そう言ったヨルアの眼差しは真っ直ぐで、そこに嘘はない。

 だから不思議と、ノエルは初めて会った姉を信じたいと思ってしまった。


「それじゃあ改めまして、私の名前はヨルア。気軽に姉様でもお姉ちゃんでも呼びなさい」

「わ、わた……いやおれは……その」

「……おれ? 貴女のその一人称おかしいわよ? まるで使い慣れていないような……もしかして強制された?」

「お、お父様が……女のような外見で私という一人称を使うな、貴様は男だから男らしい一人称を使えって……」


 そう説明した瞬間、この部屋の空気が下がった気がした。


「へー……ふーん……あの人が……一発どころか去勢した方がいいんじゃないかしら」

「ね、姉様……?」

「ノエルは素が『私』でしょう? 先程の言い争いで言っていたのを聞いてたけど……そっちは使わないのかしら?」

「そ、それは……」

「もしかしてあのクソ親父が怖いのかしら」

「く、くそ……!? え、と……はい」


 性格が苛烈過ぎるのか、それとも特定の人物だけに対して辛辣なのか。どちらにしてもヨルアをあまり怒らせない方がいいと学習したノエルである。


「まぁ追々意識を変えて行きましょうか。それじゃあ今度からは『僕』を使いなさい。市井の間では女性でも『僕』を使うらしいわ」


 使うには使うのだがあくまで一部である。

 尤も、ヨルアの狙いはこれまでノエルに植え付けられて来た『男らしさ』という強迫観念を徐々に解消するための物であり、先ずは一人称からと考えた。


「ぼ、僕……ですか?」

「……ふむ、僕っ娘ボーイッシュ系美少女妹……これが庶民の言うギャップ萌え……なるほど」

「姉様……?」

「いいえ、何でもないわ……ふふ」


 心なしか姉から邪な視線を感じたノエルではあるが気のせいと思い、スルーした。


「これからよろしくね、ノエル」

「……はい、姉様」


 こうして、ノエルは数ヶ月の間公爵家きっての問題児である姉と過ごす事になったのだ。




 ◇




 それから三ヶ月、ノエルは勇者としての訓練を止め、ヨルアの遊びに振り回されて来た。

 最初は父に言いつけられた『男らしさ』という物を意識してしまい、ヨルアの遊びに着いて行けなかったものの、ヨルアの巧みな話術でノエルは流される毎日。


 今ではこれまで抱いて来た興味に意識を向ける事が多く、気が付けば部屋の中は可愛いぬいぐるみで溢れる始末。


「……我ながら限度を考えた方がいいかも」

「いいえ、どんどん買いなさい! これまで抑圧されて来た感情を解放するのよ! そのついでにこの私が特注したドレスを着て欲しいわね!」

「あの……それはちょっと……」


 それでも女性ものの衣類を着る事は無かった。

 いや、着る勇気が無かった。


 真っ先に似合わないと考えてしまうからだ。

 ここ数ヶ月の生活で、ノエルの抱く違和感とは魂と肉体の性別が乖離かいりしているのだと曖昧ながらにも理解した。

 しかし魂が女性だとしても根本的な意識として、体は男のものという意識があるのだ。男の体である以上、姉から渡されてくるドレスを着ても似合わないと思ってしまっているからこそ、着る勇気が無かった。


「あらもっと可愛いのが良かった? それとも綺麗な方向性で? えぇ、えぇ! 大丈夫よノエル! 絶対貴女が着たいと思えるようなドレスを持ってくるわ!」

「あはは……」


 姉の発言に苦笑いでしか反応出来ない。

 だがノエルはヨルアの行動力を甘く見てしまっていた。

 更に数ヶ月後、ヨルアは何とノエルの興味を引くドレスを持って来たのだ。


「どうノエル? 貴女の好みドンピシャのドレスを見つけたの!」

「……」


 確かにヨルアの持って来たドレスはノエルの好みに合っていた。

 この数ヶ月の生活によってノエルの強迫観念は徐々に薄れ、今ではドレスを着てみてもいいかなという意識にまで改善されている。


 そしてここに来て絶対に着たいと思えるドレスが来たのだ。


「どう? どう?」

「……あ、あの……姉様」

「何かしら何かしら! その表情からでも分かるけど、貴女の口から聞きたいわ!」

「その……このドレスを、着たいかな……って」

「きゃー! 私の妹が可愛いわー!!」


 あれよあれよという間に、ノエルはヨルアとメイドによってドレスに着替えさせられた。

 数ヶ月前まで勇者として訓練して来たのに、母の血のお陰かノエルの体は華奢のままだ。

 それが幸いしてか否か、ドレスに着替えたノエルは男女問わず屋敷で働いている使用人全員の心を掴む程可憐で美しかったのだ。


「あ゜っ!」

「あーっ! ヨルアお嬢様がまた尊死しておられますわ!」


 何やら後方で騒がしいようだが、ドレスを着た自分の姿を鏡で見ているノエルは彼女らに気付かない。

 あるのは歯車が噛み合った感覚だけ。

 幼少の頃から抱いていた違和感は今もう完全に消滅し、ノエルは心の底から理解したのだ。


(そっか……僕は本当に、女の子なんだ)


 母からも姉からも女であると言われ、ノエル自身もそうではないかと曖昧に思っていた。だが今の自分の姿を見てようやく分かった。

 自分の本当の性別が女性である事。

 それがどういう訳か男の体として生まれて来てしまっている事。


 心が異常なのではない。

 体こそが異常であると、ノエルは理解したのだ。

 残念ながらどうして体の性別が違うのかは分からないが、それでもノエルは自分の本当の性別を理解したのであった。








「何を、している貴様ら……っ!」


 その姿を運悪く完治した父に見られてしまった事で、幸せな気持ちは吹き飛んだが。




 ◇




 腐ってもジークゼッタは公爵家の当主だ。

 ヨルアは当主権限によって公爵家を追放され、ノエルはより一層男として厳しく育てられる事になり、父の目論見通り聖剣ラヴディアを抜いて勇者として選ばれた。


 ノエルはこの件を経て更に父に逆らえなくなり、心にトラウマを刻まれてしまう。逆らえば姉のように大切な人達が消えるというトラウマがノエルに消えない傷を与えてしまったのだ。

 それに加え如何に魂が女性のものであろうとも、体が男である限り周囲は男としてのノエルを求めていると理解してしまった。

 

 母のようになりたいという憧れも、姉のように振る舞いたいという気持ちも全て封じ込めて、ノエルは次期アークラヴィンス公爵家の当主にして今代の勇者として歩み続ける。


 それでも、ヨルアとの生活は決して無駄では無かったのだ。

 本来であればノエルは自身の魂を殺し、人形になる筈だった。だが今のノエルには歯車が噛み合った影響によって女性としての魂を残している。


 その差が一体、ノエルの未来をどのように形作るのかは分からない。

 しかし、未来は確実に迫っている事だけは確かである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る