第37話 ノエルの願望と……

 ノルドとノエルは夫婦である。

 二人の出会いは、育ての親の付き添いで王都にやってきたサラとノルドが子供を相手に恫喝しているチンピラを仲裁した際に、騎士を務めているノエルと会った。


「仲裁してくれてありがとう。僕の名前はノエル・アークラヴィンス。この国の騎士だよ」

「わぁ……きれいな人……あっ! 私はカラク村のサラ! それとこっちが……」


 サラはノルドの方に顔を向くが、ノルドはノエルの顔を見たままボーッとしていた。

 今まで見た事ないノルドの様子に訝しんだサラだが、ふとノエルも同じような表情でノルドを見つめている事に気付き、困惑する。


「……」

「……」

「えと……あの、二人とも?」

「あっ悪い……俺はカラク村のノルド……えーとその、よろしく!」

「あ、うん……よろしくね、ノルド!」


 この時点で無意識ではあるが、互いにをしたのである。

 だがそのような感情はのもので、ノルドとノエルはそれに気付かないまま、友人として意気投合をした。


 それから数ヶ月後。


「その……ノエル、俺さ……その、うぅ……よし!! ノエル! 俺はお前の事が好きだ! 俺と付き合ってくれ!!」

「……っ!」


 紆余曲折を経て、自身の感情と向き合ったノルドはノエルに告白をしたのである。

 ノエル自身、緊張しながら二人きりで話したいとノルドに誘われた時は心のどこかで期待していたものの、いざ告白される状況に陥るとその場で何も言えなくなった。


 そして数瞬の間が空き、ノルドはその僅かな沈黙でそわそわし始めた頃。


「……うん、僕も……僕もノルドの事が好き! だから、その……よろしくお願いします!」


 湧き上がる歓喜と愛情の気持ちに抗えず、ノエルは顔を赤く染めながらようやく、ノルドの告白を受け入れたのだ。

 そして幼馴染であるサラやノエルの大切な姉であるヨルア、騎士繋がりで付き合いのあるヴィエラなどから祝われながら、二人はその年の内に結婚したのである。




 ◇




「それで、今日の騎士の仕事はどうだった?」

「うん、今日も平和だよ」


 結婚してから数年の月日が経った。

 ノエルはアークラヴィンス公爵家から離れ、今はノルドと共に考えた木造の一軒家を住んでいる。務めていた騎士業は継続しており、それが主に家の収入源になっている。


「今日は俺も声を掛けられたなぁ」

「ノルドってば頼りがいがあるもんね」


 一方ノルドは謂わば何でも屋をやっていた。

 類稀な体力や腕力を駆使して、王都中を駆け巡りながら依頼をこなしていた。これも立派な収入源の一つではあるが、ノエルの騎士業とは雲泥の差である。

 それでも、第二の故郷であるラックマーク王国の手助けが出来るのならと、ノルドは今の仕事に誇りを持っているし、ノエルはそんなノルドの事を理解していた。


 尤もノルドの場合収入といった面よりも人との繋がりが最大の報酬のようなものであり、出来た伝手でノエルの騎士業を手伝った事もあるなど、公私共に互いを支えていた。


「ん……何か狭くなってきたねこのソファ」

「おいおい……密着しすぎて説得力ないぞ?」

「ふふ……ノルドの体が大きくなったんじゃないのー?」

「そんな事を言うと……ほれ」

「あっ……」


 からかいの表情を浮かべるノエルにノルドは苦笑しながらノエルの肩を抱き、更に体を密着させる。その唐突な行為にノエルは顔を赤らませ、笑みを溢す。


 友人達には見せられない光景だ。

 二人きりの時は決まってわざわざ二人用のソファに、密着するように座るのが習慣になっていた。その際に行われる遊びも甘える行為も彼らにとって最早当たり前の事で、数年経っても飽きる事はなく続けていた。


(……幸せだなぁ)


 確かに騎士業は大切な仕事だ。

 人を守り、生活を守り、日常を守る立派な仕事だ。

 それでも日々蓄積される人間関係に対するストレスや、治安維持組織という性質上どうしても気分が落ち込む状況に遭遇する事もある過酷な仕事でもある。


 それでも家に帰れば最愛の夫がいる。


 ノルドの存在はいるだけで幸せになれるし、ノルドの人柄は癒しにもなる。

 何だったら近い将来、不治の病にも効くのではないのかとノエルが思う程だ。何年経っても恋愛ボケし過ぎである。


「……ノエル、顔ニヤけ過ぎだぞ?」

「ふふ……こんな顔、サラ達には見せられないなぁ」


「――私達がどうしたって?」


「ひゃあっ!?」

「おっと」


 見知った声によってノエルは悲鳴を上げてひっくり返る。もしノルドが咄嗟にノエルを支えなければそのまま転がり落ちていたと思うぐらいのひっくり返りようだ。


「ど、どどどうしてここにみんなが!?」

「あら? 今日はあなた達の家で食事をする日でしょう?」

「しょうがないよヴィエラさん。ノエルってばあんなに幸せそうな顔をしてたからねぇ〜」


 混乱するノエルだが、思い返せば今日は月に数回の友人同士の食事会だという事を思い出す。だがその直後に見られていけない顔を友人達に見られた事を思い出したノエルは、顔を真紅に染め上げてノルドを睨んだ。


「……ノルド……何で言わなかったの……?」

「いやぁサラ達が普段の俺達の様子を見たいって言うから……」


 ノルドも甘々な生活を友人達に見せるのを恥ずかしがっていたが、ノエルの可愛い姿を見たいと言われたとあっては見せるしかないと腹を括ったのである。


「ずっとあっつあつでご馳走さまでした」

「ノエル可愛かったよ〜!」

「あわ、あわわわわわっ!?」


 ヴィエラとサラのからかいにノエルは顔を真っ赤にし、ぽかぽかぽかぽかとノルドに八つ当たりを始めた。


「痛い、痛いってノエル!」

「む〜! むぅ〜!!」


 苦笑いを浮かべながらノエルに止めるよう懇願するも、ノエルの力のない暴力は止まらない。恐らく、この羞恥幸せはノルドに当たらなければ晴らす事はできないだろうから。




 ◇




 幸せだった。

 嬉しかった。


「あら? ノエルあなた……以前よりも綺麗になってるわね」

「やっぱり恋をすると綺麗になるんだね〜」

「そ、そうかな〜……へへ」

「それに前より胸が大きくなった気が……」

「サ、サラっ!!」

「そう言えば前に一緒銭湯に入った時気になってたのよ」

「ヴィエラまで!」

「あの……そういう話は俺がいない時で良いか……?」


 家を継ぐ必要もない。

 必要もない。


 ここにあるのは本当の自分だけ。

 大好きな姉もいて、大好きな友人達がいて。


「惚れ直す毎日で、心が休まらないぜ」

「ノ、ノルドったら!」

「うわぁ……ノルドも見ない内に殺し文句を平気で言えるようになってる……」

「よく見なさい、耳のところが赤くなってるわよ。大方知り合いの誰かから、そう言うと妻が喜ぶよーって言われて実践してるんじゃないかしら」

「う、うるせー!」


 ちゃんと自分を見てくれる大好きな人と結ばれた。

 今までも、これからもずっと幸せな毎日が続くと信じて疑わない。


 でも。


 それなら。


「あー! パパと〇〇がまたイチャイチャしてるー!」

「おっ、もうお使いから帰って来たか〇〇〇〇!」

「――」


 ――どうしてそのを考慮に入れなかったんだろう。


「? どうしたんだノエル」

「変な〇〇ー!」


 ノルドと似た雰囲気の幼い少女が、ノルドによって抱き上げられている。

 彼女はノエルに指を向けて笑いを向け、〇〇と呼んだ。


(……なんて?)


 聞こえない筈はない。

 理解出来ない単語ではない。

 なのに拒否している。

 少女から向けられる親愛の目も、全てを信頼し切った眼差しも、共にいて当然という空気も、ノエルには受け入れられない。


「どうしたの〇〇ー?」

「その……子は……」

「おいおいどうしたノエル? 〇〇〇〇は俺達の〇だろ?」

「そうよ? あなたとノルドの〇でしょ」

「いやぁ今日も〇〇〇〇は可愛いねー!」


 ノルドだけじゃない。

 ヴィエラも、サラも、この子の存在を受け入れている。


『どうして受け入れられないんだい?』


 ノエルの脳内で不快な声が聞こえる。

 楽しげで、事の成り行きを愉快そうに見ているかのような声だ。


『嫌いな家から出られて、大好きな姉と大好きな友達と一緒にいられて、大好きな人と結ばれて……極め付けには彼との〇〇もいるじゃないか』

「だって……それは」


 その言葉を聞いた瞬間、ノエルの体は崩れ落ちる。

 はぁはぁと呼吸を荒くして、心を締め付けるような痛みに顔を顰める。


『それで想像すら出来なかったって? まぁそうだね、そこの彼と結ばれる想像も夫婦として暮らす想像もつい最近出来たものだ』


 それはきっと無意識の内に恋心を抱いたからだ。

 ふとした瞬間、目線は彼の方へと向ける程彼に惹かれていたのだ。暇を持て余した瞬間には彼とのやり取りを想像するようになったから、この願望が現れた。


 でもそれだけだ。


 それ以上の事は、無意識の内に避けていた。

 だからいざ、目の前にそのような光景が出てくると心が苦しくなる。


「……ノルド」


 何が何やら分からず、助けを求めようと俯いた顔を上げる。

 するとそこには全ての時が止まった光景があった。談笑していた仲間も、こちらに笑みを浮かべる夫も、そしてその腕に抱かれている少女も、全てが止まっていたのだ。


「……え」

『ここは願望の世界さ。持ち主が気付けばそこで終わりの儚い夢なのさ』

「気付くって……」

『普通は気付かないよ? 何せここは心地良い世界。普通の人ならあまりの心地良さに現実を忘れ、一生ここを過ごす』


 それなのにノエルはここが夢の世界だと気付いた。

 気付いてしまったのだ。


『まさかそれが〇〇の存在で気付いてしまうとはね』


 また理解を拒んでしまった。

 それが嫌で、切なくて、苦しくて、羨ましくて、頭を抱える。


「どうして……? 僕は……」

『〇〇という存在を受け入れられないとは可哀想に……相当深く心に刻まれているんだね』

「あ、ああ……」


 無意識の内に時が止まっている少女の頭へと手を伸ばす。

 まるで割れ物を触るかのように恐る恐ると少女の髪に触れる。時が止まっても体は暖かく、髪もスルリと手を抜けていく程滑らか。

 相当愛され、そして大切にされてきたと分かる手入れだ。


「……やっぱり僕は」


 愛おしいと思うと同時に、より目の前の存在を受け入れられない気持ちが高まっていく。

 嫌いではない。憎いという訳でもない。

 ただノエルにはその資格がないだけ。


『そう思っているから、自分がを持つ想像が出来ないんだ』

「……子供」

『そう! 自分は子供を持つ資格がない! そう思っているからこそ、いざ自分の子供が出てくると願望の世界が崩れるんだ! 相当強い拒否感がそうさせているんだろうねぇ!』


 そうだ子供だ。

 そして何よりもその子供が発した言葉がトドメとなっていた。


 ――どうしたのー?


「あっ……」

『その子供から母と呼ばれる事が、よりこの世界の崩壊を加速させた』

「僕は……」

『そうだ君は母親になる資格なんてない。そもそも君じゃになんてなれない』

「やめて……」

『何せ君は正真正銘――』

「やめて!!」


 ――男として生まれて来たのだから。

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