第26話 汝の隣人を愛せよ

「兄ちゃん生きてたか!」

「宿屋の親父! 良かった、何ともないみたいだな!」


 師匠によって助け出された人々と合流したノルドは、そこで地上で火事騒ぎに遭っていた宿屋の店長である男と再会した。


「いやぁ……火事に加えてまさかの崩落とはな……」

「物理的に宿が潰れちまったな親父……」

「まぁいいんだ。人の命あっての物だからな……それにここは探索者達が潜ってるっていう例の遺跡だろ? ここで何か見つければ儲けが出るかも知れないしな!」


 現実を受け入れ、切り替えの早い性格の元宿屋の親父ガルドラは笑みを浮かべて心配するなとノルドの肩を叩く。


「親父……よしじゃあ俺も親父を助けるぜ!」

「いやいや、お前さんは勇者パーティーの戦士だろ? お前さんは勇者様方と合流した方がいぞ。きっとお前さんを心配しているさ」


 受付時にノルド達の素性を知ったガルドラがノルドの助けを遠慮する。だがそんな彼らに、露出の少ない炭鉱夫のような装いをした女性が声を掛けてきた。


「なぁアンタ、勇者パーティーの人だって? なら人を探す前に先ずは今いる場所を把握した方がいいよ」

「アンタは?」

「あぁすまないね、アタシの名前はグラニ。古代都市の探索者さ」


 グラニと名乗った女性は、胸元にある探索者教会認定の探索者章を見せながらそう自己紹介をする。


「よろしくな! それで把握というのは?」

「古代都市の地下にある遺跡は複雑でねぇ、下に長く横にも広いんだ。今いる場所を把握しないと、人を探す前にこっちが遭難する羽目になるんだよ」

「そんなにか……じゃあこの場所の手掛かりについて何か分かっているのか?」


 グラニの説明にノルドが顔を顰めながら現在地の情報を尋ねる。

 だがそんなノルドの言葉にグラニが首を振った。


「すまないがそれはアタシも分からないんだ……何せ崩落の影響によって地下遺跡が潰れてて、この場所がどういう場所なのかすら分からない有様さ」

「そんな……」


 ガルドラが頭を抱えて今の状況に絶望を抱く。

 彼だけではない。彼女の言葉を聞いた誰もが、この絶望的な状況に表情を暗くしていた。

 そんな中、暗い雰囲気の中呟かれる言葉があった。


「ここは囮家おとりがじゃよ」


 え、と誰もがその言葉を発した人物の姿を見る。

 その人物はどこからか持ってきた背もたれのある高級そうな椅子に座り、足を組みながら優雅にワインを飲んでいるエルフの聖術士師匠であった。


「いや余裕あり過ぎるだろ」


 あまりの贅沢さにガルドラがツッコミを入れる。

 そしてよく見ればそのエルフの使っている椅子やワインはうちの宿の物であると気付いたガルドラは白目を向いた。


「嘘だろ……うちの年代物のワインが……」


 そんなガルドラを無視して、ノルドが何か知っている師匠に対して詰め寄る。


「何か知っているのか師匠!?」

「師匠? アンタの師匠なのかい?」

「いや名前が師匠ってだけの師匠」

「は?」

「うーんこの芳醇さ……実に最高だがわしの秘蔵ワインの方が美味いのう」

「アタシの困惑を無視しないでくれるかい?」


 その上人の秘蔵ワインを飲んでこの失礼な品評である。

 師匠を殺そうとするガルドラをなんとか抑えながら、グラニが目の前で優雅にワインを飲み続けるエルフに確認をする。


「囮家ってあの囮家かい? 迫り来る魔王軍の注意を逸らすために作られた囮の居住区の?」

「え、何そのえぐい場所は?」


 グラニの口から発せられた説明にノルドの顔が引き攣った。


「読んで字の如くさね」


 罪人などを囮家に閉じ込め、襲撃してきた魔王軍の注意を逸らす事で地下にいる善良な市民を守るための区画が囮家だとグラニが説明する。

 どうやらこれは地下遺跡の構造に関わっているらしく、一番上は罪人や貧民が住み、下に行くにつれて一般市民、上級市民などの市民等級と重要施設や貴重な技術が増えていくらしい。


「とんでもねぇ格差だな……」


 なんとか冷静になったガルドラがグラニの説明に引きながら反応する。


「まぁねぇ……アタシも探索する前は浪漫溢れる遺跡だと思ってたのに、蓋を開けてみれば至る所に格差社会を象徴するような遺跡の構造や遺物が出てきて幻滅したよ……」


 因みにそういった赤裸々な社会情勢に対する不平不満を書いた罪人の日記が、今この古代都市で売られているらしい。


「欲しくねぇなそんな闇……」

「でもどうしてここが囮家だと思ったんだい? 囮のためとはいえ外見は一般的な居住区で、その上今は全部潰れてここがどこだか分からない始末だよ」

「ふっ……知りたいかい尻大会」

「明らかについさっき思いついたボケを入れてくるのやめろ」


 唐突なボケにすぐさま反応するガルドラ。

 そんなガルドラに、師匠は笑みを浮かべてこう言った。


「簡単な事じゃ。そこの店主の真下が囮家だったわけじゃ」

「……は? え? この闇深そうな場所の上に立ってたの俺の宿」

「囮なのに本命のような訳あり土地に当たるとははっはっは!」

「はっはっはじゃねぇよこのババァ!!」


 再び殺しに行こうとするガルドラを何とか宥めて、ノルドとグラニが話し合う。


「そうか……俺達は真下に落ちてきた訳だから、把握するのは地下遺跡じゃなく地上の場所!」

「地上の場所さえ分かれば地下遺跡の場所も分かるって事かい!」

「確かノエル達はラルクエルド教会に行くって言ってたな……とするとその場所付近の真下と言えば……!」

「あぁ待ってな今地図を見るから……っとあった! 距離や場所を見るに地下図書館だね!」


 希望に溢れる可能性。

 状況を打開できる手掛かり。

 勇者様であれば何とかできるかも知れないという考えが周囲の人々の脳裏に浮かび、一行はこの場所の出入り口を見る。


 ――そこには。


「出入り口が崩落しとるねぇ」

『……』


 師匠が一人、少ない食料であるワインを啜りながら他人事のように呟いた。



 ◇



 場所は地下図書館と呼ばれる地下遺跡の一角。

 崩落によって一部を押し潰されたものの、未だに本が床に散らばっている状況の中、一人の少女が本を読んでいた。

 そしてそんな少女に、ヴィエラが呆れながら頭を小突いた。


「アンタねぇ……こんな状況なのに何を読んでいるのよ」

「……ん? おぉヴィエラ嬢か……いや何、この本を読んでいたのじゃよ」

「この本って?」


 ノンナから渡された本を手に取る。

 厚さは薄く、力を入れればすぐ破けそうな本だ。中を慎重に開いて見ると、文字は風化して所々掠れて読めなかったが、恐らく聖術に関する何かの本だという事だけは確かだ。


「聖術の本? 貴女ほどの聖術士が興味を引く内容の本なの?」

「ただの聖術じゃないぞ〜? これは聖術陣に関する本なんじゃ」

「聖術……じん?」

「左様……恐らくこの地下遺跡に住んでいた古代人は、聖術に関する知識が一般市民にまで普及されていたのだろう。じゃからその入門書のような聖術本がある訳じゃな」


 入門書、とそう呼ばれた本をもう一度見てみるヴィエラ。

 その顔は怪訝な表情で満ちていた。


「こんな……未知の知識が記されている本が入門書?」

「それぐらい当時の人々は普通なのだろう……まぁそれが何なのかを説明する前に、先に説明しなければならないものがある」

「何を話してくれるのかしら?」

「聖術を齧ったお主なら分かるじゃろう。聖術を学ぶ時は他者から聖術の単語を教えられるのじゃが、教えられる聖術の単語は全て現代の大陸語で代替したものなのじゃ」


 それは自分達の言いやすいよう自分達の言葉で変換しただけの文字と音だ。

 火を意味する聖術の単語を大陸語では『フォルエ』と書くが、それを見た、聞いた人はその言葉を火を意味する単語だと誰も思わないだろう。

 風を意味する『カラエ』を知ったノルドが実際に聖術を発動出来なかったのがその最たる例だ。ノルドに関しては別の要因があれど、ただ単に教えられたとしても自らその言葉の意味を知り、実感し、理解を深めなければ聖術を習得する事はできないのだ。


「じゃがこの本に書かれているのはこれまでの考えを根本から覆すものじゃ」


 トントンと、ヴィエラの開いたページを指で叩く。

 そこにはヴィエラの知る文字とは違う『何か』が書かれていた。図形もしくは紋章らしき絵がそこに描かれていたのだ。


「この本に書かれているのは、恐らく聖術語の本来の文字オリジナルじゃな」

「本来の、文字……?」

「一部の種族を除き、ワシらは視覚からの情報の方が理解しやすい。特に文字や単語、文章の方は聞くよりも実際に目にした方がその単語の持つ意味を理解しやすいのじゃ」


 死という文字が不吉に思えると同じように聖術語にも言える事だった。

 この本に書かれている聖術語の本来の文字とは象形文字の一種であり、そこに書かれていた一つの文字を見た瞬間、ヴィエラはその文字にとある印象を抱いた。


「……暖かくて、熱そうな文字ね」

「それはフォルエじゃな」


 ノンナからその言葉の読みを教わった瞬間、ヴィエラは聖術としてフォルエを真の意味で理解できた。今ならば言葉と共にマナを込めれば詠唱聖術を習得していないヴィエラでも聖術による現象を引き起こす事ができるだろう。


「そしてこれらの文字を図形として変形し、一つの紋様にしたのがこの頁の絵じゃ」


 ヴィエラの手にあった本の頁を捲り、目当ての頁を見つけたノンナはとある紋章に指を差す。


「外側は円形を意味するラキナ……その内側には火を意味するフォルエと鉄槌を意味するマギカの図形が合わさって一つの絵になっておる」

「つまりこれはラキナ・フォルエ・マギカの聖術陣……対象に火で攻撃する紋様ね」

「流石ヴィエラ嬢じゃ、理解が早い!」


 そしてこれは詠唱聖術における革命でもある。

 この予め描かれてある聖術陣にマナを込めれば、詠唱もせずに聖術を発動出来るようになる。つまりは詠唱聖術よりも遥かに早い速度で聖術を発動する事が出来るのだ。


「まぁそれでも誰でも、というわけには行かないんじゃがな」


 結局はどの聖術でも訓練と理解は必要という訳である。


「じゃがお主は違うじゃろ?」

「……どういう意味?」

「お主ならこれを使いこなせる。ワシがお主の鎧に聖術陣を刻めばお主は自分で聖術陣を発動出来る。これならば一々ワシの援護が無くとも、お主は聖術の力を借りて戦えるじゃろう」


 予想外の場所で、予想以上の力を手に入れる機会を得た。

 その事実にヴィエラはノンナの言葉に呆れながらも笑みを浮かべ、皮肉るように言葉を返す。


「……やっつけ仕事は駄目よ?」

「はっ! このワシを誰だと思っておる? 宮廷聖術士にして勇者パーティーお抱えの凄腕聖術士じゃぞ?」


 胸を張り、自信満々に笑みを浮かべるノンナ。

 確かに彼女でなければ聖術語の本来の文字や聖術陣に構成されている聖術語の図形を解読をする事は出来ないであろう。


「流石天才ね。頼りにしてるわ」


 そう言って、ヴィエラはノンナの頭を撫でてその場から去っていった。

 一人残されたノンナは撫でられた部分を触り、天才か……と先程ヴィエラの言った言葉を思い返していた。


「……ふふ、そのような言葉は聞き飽きたもんじゃが……」


 エルフの中でも好奇心に溢れ、成人していないまま外の世界へと旅立った神童。

 同じ宮廷聖術士の中でも、彼女の才能に触れたものは皆彼女の事を天才と呼び称えた。それが純粋な称賛でも、醜い嫉妬からでも、彼女は多種多様な天才という言葉をその身に受けた。


「じゃが……仲間からそう呼ばれるのは、些かむず痒いのう……」


 心を許した戦友。

 友とは違う、対等な仲間からの評価。

 それが妙に慣れない。


「……しかし天才か」


 だが、それでも真の天才と呼ばれるものがいる。

 幼少の頃からいつもその伝説と比較され、生きてきた。

 まるで自分がその伝説の引き立て役のようだと錯覚するほどに。


「あのは、どこで何をしておるんじゃろうな……」

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