第23話 生命の代償(The Price of Life)


 俺の問いに美子さんは答える。

「この力ってね、できると思うから使えているのよ。

 できないと思っていたら、絶対できない。

 だから、今からはできないと自分に暗示を掛けて、『できる』ということを『できた』という過去の記憶にしてしまう。

 心の中に、そういうフィードバック障壁を作るの」

 なるほど。


「……つまり、自分の右手が動くことはないと、自己暗示を掛けるわけだ」

「そう、そのとおり。

 ただ、私は生まれた時から、なんの抵抗もなくこの力を使えてきた。

 だから、その心理障壁を1年や2年で完成させることはできないと思う。10年、20年かかるかもしれないし、一生できないかもしれない。

 でも努力はするし、力自体は落ちていくはずよ。

 ま、莉絵には叱られるだろうけど……」

 そうか……。

 それで十分かな。


 だんだんと彼女の力が落ちていくならば、俺のしたこともバレないで済むだろうし。

 それに、莉絵さんに叱られるってことは、それはそれで良いことかもしれない。この力の世界から遠ざかるってことだから。


 無条件に力の世界を否定するわけじゃないけれど、圧倒的多数の普通の人たちの世界との摺り合わせは、果てしなく難しい。

 どうしたって生きる上での価値観は普通の人たちと同じものになってしまうのに、個としては別の生き物なのだから。だから、普通になれるのであれば、その方がきっと楽に生きられるし、人生も破綻しないんじゃないだろうか。

 逆にこの力の世界から離れないままだとしたら、莉絵さんはどんな人生を送るんだろうな。



「わかったよ。

 もう未来なんか見ないようにしてよ。

 そして、力も使わない方向で……。

 俺も、いろいろ頑張って手を打ってみるから」

「うん。

 私も頑張るから」

 そう言って、軽く笑みを浮かべた美子さんは、表情から険が失せて果てしなく優しく綺麗に見えた。

 俺は、半ば強引に彼女から視線を外す。

 そして、「じゃあ」と手を上げかけて……。


「ねぇ、それはそうと、これ」

 彼女はそう言うと、俺に財布から取り出した1000円札を押し付ける。図らずも、手を上げかけていたタイミングだった俺は、思わずそれを受け取ってしまった。

「えっ、なに?」

「なに、じゃないわよ。

 ここから歩いて、君は自宅までどのくらい時間がかかるの?」

「4時間か5時間……」

「でしょ」

 いや、そんな得意そうな顔で言われても……。


「いや、でも、受け取れない……」

「言っとくけど、ちゃんと返しなさいよ」

「あ、それは当然返すけど……」

「君のこと、今一つ信用できないのよ。

 私に嘘ついて、あっさり死に逃げしそうで。

 でも、たとえ1000円でも返さないと、そう思うと死ねないでしょ」

 あ、それは図星かもしれない。

 たしかに、お金のこととなると、これとそれとは話が別、って気になる。

 やっぱり鋭いな、この娘は。


「だから、絶対返しなさいよ。

 あなたの生命の代償なんだから」

「……ありがとう。

 でも、酷いなぁ。

 俺の生命、1000円かよ……」

「うだうだ言わないっ!」

 どうにも敵わないな。まぁ、いいけど。

 せっかくとれたと思った主導権も、一瞬だったな。

 ただ、俺の生命、せめて一万円くらいの価値は欲しかったぞ。

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