第18話 拷問(Torture)


 まだまだ俺は混乱中で、自分を取り戻せている気がしない。

 死刑囚がロープからぶら下がったときに、そのロープが切れちゃったりしたらこんな気分だろうな。

 本当に今、生きているのかって疑問、もう一度ぶら下げられちゃうのかって疑問、万に一つ、これで無罪放免になったりしないかっていう虫のいい疑問。すべて、あなた任せの疑問だ。自分にはなんの決定権もない。

 俺と取引をした悪魔がどういう判断をするか、すべてはそれに懸かっている。


「で、アンタじゃなきゃ、なんて呼べばいいのよ?

 どーせ、名乗っていたハンドルネーム自体が偽名でしょ?

 私だってアンタの本名知らないわけじゃないけど、きちんと自分から名乗りなさいよ」

 そこで、そう改めて美子さんに言われて……。

 ようやく俺は自分を取り戻した。


 悪魔との取引が無効になるはずはない。

 つまり、彼女は生き延びた。

 ここで俺のやるべきことは終わった。

 だから、悪魔の借金取りが来て俺を殺すということは、もはや彼女の人生とはなんの関わりもない。

 ならば、即刻この場を離れるべきだ。

 彼女は生き延びたんだ。

 それを心の中でだけなら誇ってもいいだろう。俺はその誇りとともに、この場を離れればいい。


「呼ぶもなにも、偶然通りかかっただけだから。

 帰ります」

「ふざけるなっ!

 さっき、アンタは『俺は自分が死ぬと思っていた!』って言ったじゃないっ。

 聞き流せるわけないじゃないっ。

 さあ、話しなさい」

「話すことはない。

 じゃあ」

 俺はそう言って、その場から逃げ出そうとした。これで2度目だ。俺は逃げてばかりだな。


 がっしり。

 小柄な見た目なのに、力が強い。

 俺の腕を両手で掴んで、彼女は俺の逃亡を阻止する。


 俺は腕を回してそれを振り払う。

 高校の武道の時間がなんの役に立つんだって思っていたけれど、こういうところで役に立つんだな。

 って、これ、暴力になっちゃうのかな。


 そんな思いを振り切って、俺は一気に走り出した。

 ……なのに次の瞬間、俺は思いっきり転倒していた。

 くっそ、力で人の足を掬ったな!?



 とっさに地についた手のひらが痛い。

 左手は、手首のあたりから出血している。

 膝も痛い。

 立とうにも立てないし、痛くて声も出ないまま口をぱくぱくさせる。ズボンが破けてなきゃいいけど。

 やっぱり、力の加減ができないだけあって、それが俺に向けられたときにはひどい有様だ。

 そして、背中も痛い。


 背中が痛いのは、転倒し、あまりの痛みに動けなくなっているところへ、美子さんの膝が落ちてきたからだ。

 背中への容赦ない攻撃は、俺の呼吸を止めた。

 吸うことも吐くこともできない。


 苦しさに悶える俺の頭の上から、声が降ってくる。

「話しなさい」

「い・や・だ!」

 ようやく答える。

 そして、その合間になんとか空気を吸いこむ。

 必死で見上げて、視界に入る彼女は、目が爛々と輝き怒れる女神の美しさだった。


「話しなさい」

 一転して優しい声。でも、俺を責める力は緩んでいない。

「いやです」

「ふーん。

 じゃあ……」

 俺の背中が「みちっ」と言うような音を立てた。筋肉と腱が引きちぎられかけている。

 膝を介して感じている、彼女の体重だけじゃない。もっと遥かに強い力が俺の背中に掛かっている。

 あまりの痛みに、再び呼吸ができなくなった。

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