第5話 生贄(Sacrifice)

「本当に、俺は普通の生き方に戻れるんですか?」

 こう確認したのは、あと数年でこの力を失ってしまうのは惜しいという、どうしようもない俺の未練の露呈だった。

 あれほど、嫌な思いをしていたはずなのに。

 俺は、なにもわかっていなかったんだ。


「アンタ、いい加減にしなさいよ」

 莉絵さんが俺をたしなめる。語調は怒りをも含み、どこまでも冷たかった。この娘は、俺の未練を見抜いている。俺はそう思った。


 俺の心は折れかけたけど、それでも食い下がった。

「いや、君たちはいろいろまだ隠しているよね。

 もっといろいろ教えて欲しい。

 たとえば、半世紀先の未来がわかるっていうことは、未来とは確定したものなの?

 僕が、それより前に自殺するとか、未来を変えようとするってことはありうるよね。

 そういう影響もありえないものなの?」

「そんなの、あなたの階梯が上がれば自然にわかること。

 答えを聞いたって、今の君には理解できないよ。

 帰りなさい」

 美子さんも、氷の壁のように俺を拒絶した。


 だけど、俺はそれでも諦めきれなかった。

「……君は、自分自身の寿命も判っているの?」

 再び「帰れ」と言われている中で、俺は質問という形で精一杯の抵抗をした。


 莉絵さん、思いっきりため息をついた。

「帰らないんだね。

 で、立ち入って来るんだね。

 もう知らないよ」

「ただ知りたいだけだ。知識は絶対だ。知って後悔することなんかない。

 教えてよ」

 こう聞いたのは探究心と好奇心もあったけれど、その反面で胡散臭い答えを聞いたら、がっかりもするけど安心もできるって勝手な打算もあった。


 そして、この言葉、俺は自覚していなかったけど、地雷を踏み抜いていたんだ。

 俺彼女たちに頼り、どれほど冷たくしようが彼女たちは救いを与えてくれていたのに、俺はなんの覚悟もないまま、人の事情に首を突っ込んでいた。



 美子さん、俺の目を正面から見、そして答えた。

「なら、言うよ。

 あと120日くらい。交通事故。

 来年の夏休みはない」

 さらっと返されて、俺は再度凍りついた。

「それって……。

 そんな、のんびりしていていいんですか。

 なんか、手を考えないと」

 思わず、俺の声は上ずっていた。


 それに対し、むしろ俺を諭すように美子さんは言う。

ひつじ年の牡羊座。名前も羊偏の美子と書いて、巫女に通じる『みこ』。

 生贄になるために生まれてきた。そういうことだから」

「いや、そういうことって……」

「私、綺麗でしょ?」

「は?」

 急転直下の話の飛躍に俺、ついて行けていない。

 思いっきりな間抜け面を晒した自覚はある。


 ただ、そう聞かれれば頷くしかないほど、この美子さん、綺麗なことは間違いない。ただ、「それを自分で言うのかよ?」という思いは湧く。


「生贄だからよ」

「は?」

 また芸のない反応をする俺。

 だけど、じわじわと理解が追いついてきた。


 殺されるからこそ綺麗。

 綺麗さの存在意義レゾンデートルは、幸せな将来のためではない。壊され、失われるため。

 綺麗であればあるほど壊された時の生贄の価値は高まり、代償として得られるものも増える。

 価値あるものを神に捧げるからこそ、だれかのなにかの願いは叶う。そして、神は自分に捧げられるものさえも創造する。そう、旧約聖書にだってあるとおりだ。

 このマッチポンプへの理解が、さらに俺を狼狽させた。


 なんと言っていいかわからない。

 殺されるためだけに生まれてきた娘。生贄と言えば聞こえはいい。でも、その存在の在り方は、決められた年齢に達したら食肉にされる家畜と変わらないように俺には思えた。

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