4-5.

 カーテンのように拡散していく荷電粒子によってアスファルトがどろどろと融け落ちていく。広がる熱波とともに辺り一帯に強いタールのにおいが溢れた。


 射撃が終わると、ダイヴブレーキを展開した黒いORBS小隊が次々と降下してきた。

 カリバーンじゃない。どいつも見覚えが無い型式だった。

 ジェットエンジンは四発。背中にも増槽を囲むように三次元偏向ノズルがくっ付いているせいで全身が推進器まみれだ。わずかに残った部分も分厚い積層装甲が覆って、レドームのように平たいヘルメットをかぶった頭部は、ほとんど肩に埋没している。

 カリバーンの識別装置が反応し、NBS――『海軍特機小隊』とHUDに表示される。

 海軍機たちが長砲を構えた。軋む機体のフレームに青い紋様が浮かび、サーキット上を重粒子がぐるぐると巡りながら加速していく。


「そうか。海軍は防空に特化したんだな!」

 男が駆けだす。そのすぐ後ろをおびただしい光の奔流が追った。

 焼かれた伝達ケーブルの切れ端がオレンジの軌跡を描く。火焔に肌を焼かれながら、男が道路をスライディングしていく。懸架フレームのロックが外れ、機関砲の銃口が上空を照準した。

 破裂音とともに一機、落とされた。海軍機たちも構わず撃ち続けるが、また一機撃たれて胸から火を噴きながら落ちていく。


 トツカの耳から数センチの地面に、エンジンのブレードが刺さった。

 いま落ちた海軍機のやつだ。秒間何百回転もする勢いのまま突っ込んできたから、大きく地面がえぐれていた。

 そっちにトツカが目をやったあいだに、また爆発音が轟いた。


 今の男はさっきと動きがまるで違う。

 その気になればいくらでも対空戦闘はできたのだろう。トツカたちは相手にされていなかったのだ。

 あの男はORBSによる地上戦というものを熟知していた。

 どんなに運動性の高い航空機でも、その加速は線形となる。速度が飛び値を取るのは墜落したときだけだ。


 一方、陸の獣はどうだ。

 踏み出せばひと足で最高速に到達し、地面に爪を食い込ませば一瞬で静止する。最高速は時速80キロメートル程度でいい。それだけあればミサイルも機関砲も避けられる。

 ジグザグ機動によって偏差射撃はかわされ、まっすぐ進む上空の部隊は的確に当てられていく。この戦場で、狩人は最初から男の方だった。


「……させない!」

 海軍機の3機目が落ちた瞬間、ふたたび地面すれすれにシズが突っ込んでいく。

 機関銃がばらばらと弾幕を広げ、直撃した一発が男のヘルメットを砕く。衝突の瞬間、シズは左手をひるがえした。緊急用のサバイバルナイフがきらめき、相手のひたいを浅く裂いていく。

 ぱっと噴き出た血がカーテンとなって広がった。

 相対するふたりの顔が歪む。鳥のような甲高い叫び声が空気を震わせるなか、互いの顔にこぶしがめり込んだ。

 吐き合ったねばつく血があごを伝って落ちていき、朱色に染まったふたつの顔にオレンジの瞳がぎらつく。


「英雄ゴッコには腕が細いな」

「あなただけは……ここで殺す!」


 ふたりがもつれ合う周りに、強風雨スコールのような銃弾が降り注いだ。

 道路に炎のラインを刻みながらシズと男は打ち合う。ぶつかったマニピュレータがひね曲がり、振り上げた腕がレーザーで焼かれる。次第に叫びは狂った笑い声に替わり、爆ぜる装甲が不協和音を添える。

 原型を留めなくなったエンジンが吹き飛んだ瞬間、男のみぞおちにシズのこぶしがねじ込まれた。

 パン、と重機関銃の音が響き、男が苦悶のうめきを上げる。

 笑みを浮かべるシズを、カウンターに繰り出された膝蹴りが吹き飛ばした。

「殺すつもりなら甘い見通しを持つな。敵をちゃんと見ろッ!」


 グリーンウェアの隙間からしとどこぼれていく血が、男の足元に赤い水たまりを作った。

 その背に弾雨が降る。流体金属と肉片が一緒になって散り、とうとう男が膝をつく。

 シズも腕を持ち上げたが、機関銃は今の衝撃でダメになっていた。舌打ちとともに亀裂の入った装甲が排除され、生身になったシズが立ち上がる。だらりと垂らした右腕には先端の欠けたナイフが握られている。


「見てるよ」

 血まみれのブーツがぐちゃぐちゃと音を立てる。

 一歩踏み出したところで流れ弾が肩に当たり、シズの身体が大きくよろめく。

「だから……見てる私だけでも……」


 その光景を前にして、トツカは拳銃を握ったまま震えていた。

 予備のホルスターから取り出して、そこで撃つ機を逃してしまった。萎えた指はトリガーに引っかけたまま微動だにせず、双眸は照星の向こう側をよろよろと歩くシズをただ追いかけている。

 男が顔を上げ、眼前に立つ妹を見つめる。

 シズの顔は分からなかった。上空では海軍機たちが射撃準備を整え、青い光をまとっている。


 シズを撃てばいい、とトツカは一瞬思った。

 少し、彼女には我に返る時間が必要だ。このままではふたりともレーザーで焼かれてしまう。

 男を撃とう、とも思った。

 それですべて終わる。ここからではシズにも当たってしまうが、仕方がない。


 トツカは祈るようにひたいに銃尾を当てた。景色が遠いものになっていく。

 撃とう。どっちに当たっても、これ以上悪くはならない。

 トリガーにかけた指の節が白んだ。ゆっくりと引き金が軽くなる。

 シズがナイフを振り上げる。刀身がレーザーの青を反射して、クリスタルのように輝いた。男は血まみれの口を開き、何かを言ったように見えた。シズもうなずいて腕に力を込める。


 そのとき白い光芒が地面を撃ち貫いた。

 男の瞳が大きく見開く。わずかに残った装甲が内側から熱でめくれて、男の身体を覆っていく。

 獣じみた絶叫が上がった。

 焼け焦げた身体を衝撃の余波が吹き飛ばし、シズの姿もガレキに包まれて見えなくなる。


 トツカは思わず立ち上がった。

「今の光……まさか!」

 ジェットエンジンの爆音が銃声をかき消し、焼き切れた雲を機影が突き抜ける。

 次の瞬間、音を後方に置き去りにしながら翠の躯体が急降下してきた。

 ドラグシュートが展開すると、摩擦熱で傘の縁が赤く燃えた。ぶちぶちと背中と傘を繋ぐ紐が切れるたび『グラム』のバーニア・エンジンが火を吐き、ランディングギアを展開した脚部が鷲の爪のように地面を捉える。


 なだれのように地面が巻き上がった。

 土くれに覆われた視界に、ヘルメットの識別灯が鋭角的な光を放つ。やがて煙の向こうから長銃を掲げたシルエットが現れると、トツカのインカムに通信が入った。

「そこの男を確保なさい……」

 空をいくつもの機影が横切っていく。海軍機たちが高度を上げて牽制に向かった。

「しかし、ハバキ教官――」

「殺してでも連れ行けと申したのです。海軍の前でまだ無功を晒すおつもりで!」


 男は液体金属にまみれて倒れていた。

 トツカが近寄ると、金属がアメーバのように仮足を出して剥がれていった。残された男の胸が上下するたび、喉から不気味な水音が立った。

「……今の、ハバキ・マロミだろ」

 男は呟いて、焼けた唇を捻じ曲げた。

「あの女、今も脚は見せないのか?」

「シズ・カゲキだよな」

「そのつもりで来た」

 トツカが腕を掴んで立たせると、男の反対側からシズがやって来た。近付くなり拳銃を男のこめかみに突き付けて、大きく息を吸う。ゆっくりと肩を下ろしたとき、口の端で血のあぶくがはじけた。


「いつでも殺すから」

 吐き捨てながらトツカを見て、行くように促した。

 やがて陸軍の高機動車が合流してきて、憲兵隊の少尉が男に手錠をかけた。

「派手にやられたなおい!」

 小隊付の軍曹が、墜落した海軍機を見てあごを落としていた。

 シズに微笑みかけて、彼女の見開いた目を見るなり口を閉じる。トツカも顔を上げて、ぎこちなく笑った。

 憲兵たちが去った瞬間、トツカは膝から崩れ落ちた。


 最善を尽くしたつもりだった。

 ただ、何もかも足りなかった。それだけの話だった。

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