4-3.

 いつも一番疲れるのは飛ぶまでの作業で、いざフライトに挑むと姿勢だとかアビオニクスだとか隊列だとか、気を遣うことばかりで考える暇もなくなってしまう。

 地上作業というのは、むしろ空の上よりも頭脳労働なのかもしれない。

 そんなことを考えながら、首にかけたタオルで汗をぬぐった。

 腕もいつになく重かった。慣れないやり方で稽古をやったせいだ。潮風が吹き付けるたびに小さな傷がひしひしとうずく。この痛みを忘れるためにも、さっさと飛びたい。


「トツカ、大丈夫か」

 エプロンに駐車されていた消防車に寄りかかっていると、ハモンが声をかけてきた。

 わざわざ端っこで休んでいたのに、目ざとく見つけやがる。こいつも集中できていないらしい。

「あ?」

「セッティング、適当にやっただろ?」

 本当に、目ざとい野郎だと思う。

「ああ……ラダーのことか」

 トツカは野球帽を深くかぶりなおした。ロッカー室に余ってる帽子があって助かった。空港の滑走路というのは照り返しが眩しくてたまらない。


「街の上を真っ直ぐ飛ぶだけのことにヨーイングは要らねえよ。あんなの飾りだ」

「その真っ直ぐ飛ぶためのチェックじゃないのか」

「オレが見たときはまともに動いた。ああいうのはパイロットがいじくれば必ず良くなるってもんじゃねえ。違うか?」

 消防車から背中を離す。汗で張り付いたシャツがばりばりと音を立てた。

 つい太陽がまぶしくて手をかざすと、ハモンがペットボトルを投げてきた。

「おまえ、ひどいクマだぞ」

 疲れた声で言うこの男も、負けないくらいひどい顔をしている。

 ここに着いてから、こいつはずっと担当のORBSに付きっきりだった。この休みが終わっても、どうせまた整備に戻るのだろう。

 その理由は分かっている。こいつは敵を殺したことがない。だが、そういう経験の問題は、こいつ自身で折り合いを付けることだ。


「シズは何してんだ」

「教官どのとミーティング中。発砲条件について細々こまごまやってるらしい」

「なるほどな」

 トツカはペットボトルの水をひと口だけ含んで、ぺっと吐き出す。粘ついた唾が唇に張り付いた。

「またマジメちゃんをやりやがるんだから……」

「なあトツカ、本当に撃つのか?」

「オレが知るか。上から撃てって言われて兵隊が撃てねぇ方が問題だろ」

「敵は誰になると思う?」

「だから、知るかと言った」

 いつもそうだ。実力はあるのに肝心なところで日和ひよる。不安になるとすぐやらない理由ばっかり探して二の足を踏んでいる。

 トツカはペットボトルを投げ返した。キャッチに失敗してまごつくハモンに歩み寄って、そのあまり肉のついてない肩を平手ではたく。


「五番機のクスネはいつも通りにやってる。同じ分隊エレメントだろ?」

「あいつと同じにしないでくれ。八歳のときからイノシシを撃ってた女なんだぞ!」

「おまえこそ全国に出て推薦もらったクチだ」

「トツカだってそうじゃないか」

 だな、とトツカは笑った。

「お互い出来ることは同じってわけだ。せいぜい同じくらい頑張ろうや」


 格納庫に入ると、整備員たちがカリバーンのエンジンにカウルを取り付けるところだった。

 こうして並んでいるところを見ると、チタンとアルミを繋ぎ合わせた『グラム』と比べて、ハニカム構造のメタルマトリクス・コンポジットを採用した『カリバーン』はのっぺりしていてエイリアンの乗り物みたいだ。

 平べったい推力偏向ノズルがカウルに隠れたところで、整備員のひとりが、装甲の白い枠に燃料の搭載量を書き込んだ。こっちのセッティングも最終段階に入ったらしい。


「今回の槽は腹八分ってところです」

 ハモンが四番機のセッティングに向かったのと入れ替わりに、整備員がやって来て敬礼してきた。聞き覚えがある声だったが、名前はソクイだったか。

「あれってオレの機体か? 一番機に見える……」

 と、トツカは組み上げられていくカリバーンを指さす。ソクイは眉をひそめたが、振り向いて、「ああ」と納得したように言った。

「三番機でしたら奥で、もうすぐ電装チェックが終わるはずです。まずは隊長機でバランスを見てから他の隊員に合わせていくって聞きました」

「本番直前でセッティングを変えるのはやめて欲しいんだけどな」

「ハバキ教官からの指示ですよ。苦情は私も申し上げました」

 ソクイもどこか不服そうに見えた。いつものヘルメットをかぶってない頭を勝手が悪そうに掻きながら、ずるずるとオイルまみれの鼻をすする。

「ま、教官もプロの兵士なのでしょう? これも合理的な判断だと思うことにしています」

「乗り込むオレの意見は学生の生兵法なまびょうほうってか」

「私だって先輩からドヤされて必死なんです。マニュアル通りにやるだけマシだと思っていただけませんか」

 ちょっぴり、この人に振り回されるヒシダテの気持ちが分かった。

 下に視線を向けると、彼女はグローブを着けてなかった。さっきまで回転するものを扱っていたらしい。機関部を調整してくれていたのだろう。トツカはペットボトルを握った自分の手と見比べる。こっちも皮が剥けて硬くなっている。


「オレの命、あんたらに預けるからな。ヒシダテにも言っておいてくれ」

「了解です」


 それから少しすると格納庫にシズと上級生たちが入ってきた。

 さっきまでクーラーの利いた部屋で会議していたらしく、どいつも炎天下で汗ひとつかいていなかった。

 ハバキ教官と並ぶ男は中尉の階級章とは別に名誉除隊章を着けているから、今回の観艦式に引っ張り出された予備役らしい。その三歩ほど後ろではシズが砲兵科の先輩と話していた。こういうお偉方と並んでも見劣りしないあたり、彼女も貫禄がついてきたようだ。


 整備主任と教官たちが話し始めたところで、学生たちは解散した。シズも先輩に礼をすると真っ直ぐトツカたちのところに向かってきた。

「ASレーダーだけど、追尾数を落としていいから走査インターバルを短くできる?」

 カリバーンの隣に立つなり、シズは早口でソクイに告げた。

「え、今からですか!?」

「そ」

 ソクイはちらりとカリバーンを調整中の上級生たちを見た。どうにも聞きに行ける雰囲気ではないと分かると、あごをつまんで、うなずいた。

「ビデオ誘導と併用すればある程度は改善します。ただ、ミサイルが使えなくなりますが……」

「ん、大丈夫。お願い」

 指示を受けてソクイが上級生たちの元へと走って行く。手順というものを理解している動きだった。この人も優秀な整備員なのかもしれない。


 シズは書類の束に挟んだペンを胸ポケットに差し直すと、会議室から持ってきたお茶のペットボトルを呷った。ぐるぐると中身が渦巻きながら白い喉へと落ちていく。

「教官はなんだって?」

「とりあえず飛んで、降りたら適当にやれって」

 かさついた声が飛び出して、シズは顔をしかめる。

「適当?」

まさかなうべし、の方」

「ああ。なるほど。上級生の皆さんは?」

「私たちには関係ない。……トツカくん、知りたいの?」

 シズはペットボトルを下げると、乱暴にフタを閉めた。

「一応聞くけどな。オレたちの代表で出席したんだよな、隊長どの?」

「私たち、余計な情報が入ったら変に考えちゃうでしょ。みんな他人の気遣いができるほど上手くやれないもの」

 シズは仏頂面のまま、ゴミ箱を探して歩き出した。

 トツカが目で追っていると、苦笑する整備員たちと視線が合った。さっと中指を立ててやると、向こうも親指を下げてきた。今回は5対1で負けだ。

「仲良しどもがよ……」


 今回、飛ぶのは一回生ばかりだ。

 上級生は前年度までグラムで飛行訓練を受けていた。カリバーンのことだけを考えるなら、トツカたちの方が慣れている。機種転換が必要ないだけ新入生を飛ばす方がお手軽とすら言える。

 どうせ今度はナゴシの提案だろうな、という確信があった。

 あの人は建前をよく分かっている。

 観艦式を狙ったテロがあるとして、英雄と同じ装備を付けた妹が衆人環視のもと成敗する。じつに美しくてメディア映えするシチュエーションだ。世間体へのダメージも少ない。こっちが死ぬかもしれない、ということを除けば。


 いっそ名誉の戦死でもしてやろうか。少なくとも強敵を何百何千とブチのめすよりは、よっぽど楽に『英雄』になれるだろう。

 トツカはそこまで考えて、かぶりを振った。

 駄目だ。まだシリアスになれてない。何もかも現実離れしすぎている。


 牽引されてきた三番機の面倒を見てやっているうちに、また肩が痛みだした。

 心配そうに見てきた専属の整備員に「大丈夫だ」と返しながら、稽古のことを思い出した。

 上段で相手してほしい――とシズに頼まれて、昨日は四本ほど打ち合った。

 コベリのことを言っているのは理解していたから、ハンデ無しの本気の仕合だった。体格と技量の差からトツカがほぼ一方的に打ちまくる中で、シズがまともに返したのは最後の一本だけ。それも逆小手がかすっただけのラッキーヒットという程度だったが、彼女は満足して他の部員のところに去って行った。


 あの人は可能性がゼロじゃないことを試したかったのだ、とトツカは思う。

 五〇本打たれても一本は取れた。ひとつ出来たなら、次もきっとできる。もう無理という言い訳はできない。

「諦めの悪いやつだもんな」

 トツカは呟いて、グリーンウェアに袖を通した。こっちだって負けるために戦いたくはない。


―――★


 歩兵戦闘車が配備されたときから嫌な予感があった。

 朝、いつもみたいに上等兵にどつき回されながら整列すると、鬼の伍長どのから配置換えのお達しがあった。しかも指令書の署名は中佐だった……連隊長からチンケな小隊へのじきじきのご命令だ。


 それで機甲科の連中と合流すると、このご立派な戦車モドキがウチの部隊に並ぶことになった、というわけだ。

 それにしても貴族連中が乗るリムジンみたいなにぴかぴかの高級車だった!

 中には自走砲と違って全員分の座席があったし、周りもぺらぺらの鋼板じゃなくて、レンガみたいに分厚い積層装甲でガチガチに固めてあった。おまけに武装ラックには人数分の銃だ。ちゃちな拳銃じゃない、正真正銘のライフル。弾も予備分含めてたっぷり支給された。


「貴様たちの分だ。俺もこんな上物は触ったことがない。下手に撃つなよ」

 伍長は任務前の煙草をすぱすぱと喫いながら言っていた。吸い殻が五目飯に落ちるのも気にせずに、耳障りな笑い声と一緒に紫煙を吐き出す。

「しかし……本職はこれで棄械スロウンは討てないと学んでいます」

「じゃあ敵は他にあるということだな」

「伍長どの、あの海軍の噂は本当なのでしょうか」

 口が過ぎたらしく、伍長は煙草をくわえたままボカンと殴ってきた。こちらが張られた頬をさすっていると、「俺は推測を言える立場にはない」と伍長はうなるように言った。


「しかし、本職は安心したいのです」

「いつになくしつこいな、貴様。殴られ慣れちまったか?」

「かもしれません……伍長どののおかげであります」

 言いやがる、と伍長は唇をへの字に曲げて笑った。

 こういう器用な笑い方をするとき、この人はだいたい気分が良い。今回も煙缶代わりに置いた空き缶で煙草をもみ消すと、伍長は真面目くさった顔つきに戻った。


「統合軍の話は、向こうでも反対派が多いのは事実だ」

「はあ、予算に口を挟めなくなりますからな」

「それだけじゃないぞ。あれは防衛用の軍隊でな。『我々は棄械スロウンに負けました、あとは少ない領土を守るために足掻きます』と言ってるわけだ」

「海軍にはそんなことで怒る夢想家がるのですか」

「連中は棄械スロウンと戦ったことが無いからな」

 伍長は五目飯を頬張って、うんうんと独りで相槌を打った。

「実状を知らん人間ほど、感情で決めたがる。いつの時代もそういうものだ」

「相変わらず伍長どのは現場より椅子が似合う男でございますなぁ」

 今の皮肉は通じたらしく、今度は顔面に鉄帽テッパチが飛んできた。



「第五連隊か?」

 通りを眺めながらぶつけられた鼻を撫ぜていると、規制線の向こうから男が話しかけてきた。

 子供連れだった。娘の方は小学生くらいで、どっちもぼろぼろの服を着ている。

 観光客じゃなさそうだ。活動家にも見えないから、騒がしさに飛び出してきた野次馬というところか。

「あ、はい……?」

「いいライフルだ。口径は.308ってところか」

 男は若々しい声のわりに、浮浪者みたいな恰好だった。破れた防砂マントでかろうじて陸軍の退役軍人だと分かるが、そのわりに隊章も何もない。

「失礼ですが、用件は?」

「そっちのIFVも機甲科から融通してもらったってところか。なるほど、街で動かすならトラックよりも都合がつく。発案はナガノの生き残りか……」

 男が規制線をまたぐ。そばを通り過ぎて歩兵戦闘車の前に立ち、隣の少女に「どうだ」と尋ねる。


「想定よりちょっと重いです。演算に回せなくなるかも」

「銃は遠隔式だ。砲熕ほうこうのコントロールはこいつの回路を流用すればいい。あとは僕がどうとでもする」

 隣の二等兵が妙な顔をしていた。こちらも肩をすくめてみせる。

「申し訳ありませんが、一般の方には開放してないので――」

 男の背に触れた瞬間、異様な凹凸の感触にぎょっとした。

 思わず手を引くと、男がゆっくりと振り向いた。くぼんだ眼窩にオレンジの瞳がぎらつく。

「陸軍航空隊の演技は終わったか?」

「あ、は、はい。つい先ほど……」

「海軍は、十五時からで間違いないな?」

 すぐ隣で二等兵が咳払いをした。仕方ないので男の胸を手で押す。

「とにかく、困るのです。あなたも従軍経験がおありならご存知でしょう」

「なあ。海軍もこれからORBSのお披露目だってな?」

 男が手を払う。「陸軍と海軍、どっちが強いと思う? まあカリバーンもほとんど実戦経験は無いから乗る野郎どもは五分と五分だ。コンペ後の模擬戦じゃ海軍が18:1でボロ勝ちだったわけだが、お互いがヘッドオンした状態から始めてアンフェアな条件だった。ありゃお遊戯だね」

「知りませんよ。さっさとどいてくれませんか」

 とんだ酔っ払いに絡まれちまった。拳銃をちらつかせることも考えるうちに、女の子が「あのー」と声を上げた。


「分かってる。僕も緊張してるんだ」

 男は女の子の頭をそっと撫ぜると、片手で防砂マントをめくった。

 身体に絡みついたオリーヴドラブのチューブが見えた。胸にベルトで固定された空っぽのソケットが太陽光を反射してきらめく。

「……え?」

「ニックス、『起動しろブートアップ』」

「了解しました」

 女の子が笑みを浮かべる。

 次の瞬間、夏場には場違いな冷たい風が吹き抜けた。

 つかの間の沈黙があり、何かが割れる音がした。

 霜がぱりぱりと音を立ててアスファルトを覆い、ダイヤモンドダストが空気を白く染める。女の子の口が開き、凍り付いた歯が合わさって氷を散らす。ほぼ同時に彼女の服を内側から何かが押し上げ、古びた生地を食い破っていく。


 そして現れたのは、歩兵戦闘車を貫く金属の杭だった。見ているあいだにもどろどろに溶けた女の子の身体から次々と杭が射出され、車体から砲塔を切り離す。ぽかんと口を開けた兵士たちが道路に投げ出され、パワーユニットと移送パイプがでたらめに絡み合って宙を舞う。

 吹き荒れる嵐の中、オレンジの光が灯った。

 ぼろぼろになった男のマントを銀色の液体が伝い、燃えるように輝く伝達チューブを被覆していく。男の全身が銀色に染まり、空のソケットに真っ赤な宝玉オーブがはまると、歩兵戦闘車から剥がされた装甲板が砕けながら集まっていった。金属のコンポジットがみるみるうちに異形の怪物を形作っていく。


「ほ、本部に……」

 二等兵の引きつった声が聞こえた。こちらもこわばった手で通信機を耳に当てる。凍り付いたケースが頬の皮に癒着するのを感じながら、送信ボタンを押す。

「HQ、Pt3。緊急通信。攻撃を受けている。敵数は2……いや1。棄械スロウンだ。至急、応援を求む。HQ、Pt3……」

 そのとき男が顔を上げた。

 鋭角的なヘルメット、平面で構成されたボディ。再構築された装甲板が軋みながら踏みしだいた地面をめくりあげる。

 指の力が抜けて、通信機と一緒に頬の皮膚がべりべりと剥がれ落ちるのを感じた。本部からの応答がノイズになって通信機のスピーカーから飛び出す。拾い上げる気力は無かった。手も足も萎えて、気が付くとへたり込んでいた。夢だと思いたいのに、尻の下には冷えた地面の感触がはっきりとあった。


 怪物が地面を蹴ると、巨影が残像となって通りの向こうに消えた。

 やがてじんわりと夏の暑さが戻ってきて、溶けた霜が戦闘服のズボンを濡らした。もしかしたら本当に漏らしていたかもしれない。

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