4-2.

 ヒシダテが薬瓶を持ち上げるあいだに、持参した揚げ玉をざる蕎麦に振りかける。

 あの日、寮に帰って初めにやったのは、襲撃の証拠を残すことだった。

 通信機は古い官給品だったが、管理ナンバーと製造年月日が記載されていた。撃たれて破れた服も、洗濯せずに保管してある。


 シャツに付着したジェルは思ったより硬く、簡単に取り除けた。

 いざ改めて手にすると、まったく覚えのない物質だった。摩擦熱で溶けた表面からは古い洗たく糊のニオイがしたが、感触はまるで違う。弾に使えるくらいだからシリコンの一種なのかもしれない。


「ハバキ教官には?」

 瓶の蓋を開けて一滴だけ指先につけると、ヒシダテは言った。

「いや。あの人に言ったら勝手に片付けられちまう」

「だから私情でこっちに持ってきた、と」

「悪いか」

 ヒシダテは苦笑しながらジェルを自分のハンカチに塗ると、ふたたび箸を手に取った。あえて残していた合成肉のチャーシューを口に運んでいく。

「ダイラタント流体だね。重くするために半金属メタロイドとクロム合金のカクテルになってる」

「ダイ……なんだ?」

「生クリームとか片栗粉のアレさ」

 ヒシダテはぐにぐにと左手を動かした。

「圧力がかかると粘度が高くなる。発射されたときのラム圧を弾に転用してるわけだ。命中すると貫通する前に液体に戻るから、ターゲットを殺さない」

 ずいぶんハイテクなもので撃たれてしまったらしい。

「そんなの見たことねえぞ」

「一般に配備されてないからね」


 トツカも薬瓶に指を突っ込んでみた。

 ピンクの流体は硬めに作ったゼリーぐらいの感触で、複雑に割れた表面が光を乱反射している。見た目より重いのは、クロムだったのか。

「これ、出所でどころは分かるか?」

「研究部門だろう。教導隊かもしれない。参謀本部、軍令部、それか民間の機関か……」

棄械スロウンを連れていた。十歳くらいの女の子に擬態してるやつだ」

「我々が、これを?」

 ヒシダテの瞳が赤く光る。わずかに顔をしかめたのが分かった。

「おまえも知ってる野郎だ」

 周りを見て、トツカは声を落とした。

 その言葉でヒシダテも理解したらしく、口を尖らせて「なるほど」と言った。

「あの子供、三百キログラムくらいあった。そういう妙な棄械スロウンと、7.62ミリの狙撃銃を装備できる部隊だ。整備班なら調達元もいくらか知ってるだろ?」

 ヒシダテはううむとうなって、腕を組みはじめた。

 彼が考えるあいだに、トツカはたぬきにした蕎麦をすする。揚げ玉はこの男がやらかしたとき、慰謝料代わりにもらったものだ。以来、こうしてちびりちびりと消費している。

 心を許したわけじゃないが、この男は棄械スロウンでも話をする気がある。

 少なくとも、理由も無いのに妙な動きをするやつではない。


「……二年前に新設された部門があると聞いた」

 何分か経って、ヒシダテはレンゲを手に取った。ぬるくなったスープをすすって、何かを思い出すようにうなずく。

「陸海軍の統合プロジェクトで、予算だけ組まれて細部は非公開になってる。ニュースを信じるなら、対棄械スロウン戦に特化しているらしい」

「ナガノの戦闘がきっかけか」

「というかリサイクルだね。ムラクモ学校がORBSのオペレータを育てるプランAなら、向こうは既存の兵装システムを使い潰すプランBだ」

 あの男はORBSを捨てたということか。

 トツカは指に付いたジェルをこすり合わせた。まだ何がしたいのか見えてこない。慣れない武装で観艦式を襲撃して、どうなるというのだ。

「おまえはどう思う?」

「無視するね」

 ヒシダテはレンゲで最後のチャーシューをすくった。「食うかい?」

「無視できねぇから困ってる……だから蕎麦には合わねえよ、そんな濃い味の肉」

「普通のゴム弾も調達できたはずなのに、わざわざ試作品を撃ったわけだろう? 彼にとっては、身分を明かすところまで織り込み済みということだ。きみは既に先方のプランに巻き込まれてるんだよ」

「だからってよ……」

「どうせ詞子シズの妹には話したんだろ? それとも問い詰められた?」

 無表情にそう言って、ヒシダテは最後のチャーシューを頬張った。


「きみたちには、暴力は攻撃以上の意味を持つ。そこのところをシズ・カゲキという人間はよく理解していた。あれの妹もきっと分かっているはずだ」

「先にブン殴って来たのはおまえらだろ」

「でも画面越しに我々を吹き飛ばす英雄に、きみたちは熱狂したわけだ」

 ヒシダテの赤い瞳に、冷たい銀色の血が流れるのが見えた気がした。

 スープをすする音がしばらく響き、ヒシダテは「美味いな」とつぶやいた。

「観客にとって、舞台で他人が殴られるのは面白いんだよ。きみたちもそこは認めなければならない。だからテレビ越しに、安全圏から見られるテロリズムは伝達手段として非常に有用なのさ……ショーを楽しめない民衆はいないから」

 この男は、たまにこうやってわざと極端なことを言う。

 これも人間観察の一環なのかもしれない。怒ってみせても喜ぶだけなので、トツカは鼻を鳴らした。

「冗談だよな?」

「当たり前だろ。まさか本気で聞いてたのかい?」

 ヒシダテは唇を曲げた。

「本気で言うなら、こっちも言葉を選ぶさ」

 つくづくムカつく物言いだったが、シズ・カゲキが何かを伝えるためのショーをやろうとしている、というのは納得できる考えだった。

 観艦式でテレビカメラが集まった目の前で、かつての英雄が襲撃してくる。そこで政治性のあるメッセージを発すれば、同調する人間はいくらでも現れるだろう。


「オレは、そういうので喜びたくねえな……」

「きみは気遣うわりに迷いすぎるね」

 本当にこいつ、口を開けば皮肉ばかりだ。

「おまえも相変わらず友達が少なそうで安心した」


 蕎麦を食い終わった途端、タイミングを計ったように整備科の女生徒がやって来た。

「ヒシダテくん! あとでミーティングだって」

 例の空母マニアだった。レジュメの束をぽん、とテーブルに置いて帰って行く。

 遅めの昼食のついでだったらしく、彼女の向かった先では他の整備科が食券を持って並んでいた。ツナギは脱いでるから、今日の研修は終わっているようだ。

 ヒシダテはレジュメをつまんで、うざったそうに表紙をめくると、すぐに元に戻した。

「発言しないメンバーを参加させる会議に何の意味があるんだか……」

「おまえは愚痴を言うタイプじゃないと思ってた」

 ああ、とヒシダテは少し気恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。

「理解が難しい、という意味だった。人間同士の交流そのものは眺めてて面白い」

 後ろを見ると、さっきの女生徒が発券機の前で騒ぎ合っているところだった。

 久しぶりに女の子を見た気がして、なんとなくトツカは目を細める。士官科は変人しかいないとよく言われるが、どうも本当らしい。


「彼女、面倒見がいいのか?」

「分からない。ただ、連絡先を交換してから買い物に付き合わされたりする」

「そうか……ん?」

 トツカはうなずきかけて、そのまま固まった。構わずヒシダテはボツボツと続ける。

「このあいだは友達の誕生日のプレゼントを選びたいからって、CD屋巡りだった。だのにこっちの好みばっかり聞いて来るからちっとも進みやしない……そんなのが毎週だよ」

「はあ。いい趣味してんな」

 この男に彼女の想いが通じることはないだろう。心の中でそっと頭を抱えた。


「それで、おまえから見るとどうなんだ、あの人」

「面白いとは思う」

 ヒシダテは一瞬、迷ったように目を泳がせた。「そう……名前がいい」

「本当に興味あんの?」

「アズマだそうだ。字は違うがあずま、つまり稲妻だ。苗字の続飯ソクイと米がかかっている。字形もバランスがいいから、センスに好感が持てる。そう、あの子は名前がいい」

 たぶん、この唐変木にしてはよく考えた言い訳なんだと思う。

「分かった。頑張れよ。お互いにな」

 トツカはさっさと席をあとにした。この男と話すと色々と吸われる気がして仕方がない。


―――★


 寮に戻ってレポートをまとめていると、ドアの前を足音が通り過ぎていった。

 ゆっくりとした歩調が二人分。

 シズは隊長として教官たちとの打ち合わせがあるから、片方はスティーリアだろう。コベリは無事に退院できたようだ。

 環境が変わって疲れてしまったのかもしれないな、とトツカは思う。

 たぶん、このニッポンはコベリの生まれ育った場所とはまったく違う。異郷で言葉も通じず、それでも周りとの交流は求められるのだから、そのストレスは想像を絶する。


「ホームシックかもな……」

 これまでの人生で大きな引っ越しは二回。そのたび名前が変わった。

 トツカ・レイギ。この名前は自分自身というより、背負った荷物のようなものに感じる。今度の名前はまた変わるかもしれないし、一生ものかもしれない。


 帰ってきたスティーリアは、疲れた様子も見せずにベッドの横で待機状態に移った。

 家事の大半はトツカ自身もできるので、彼女には時間が無いときだけ代行させている。やはり仕事の無い生活は暇らしく、パイプ椅子を用意したら彼女も自分から座るようになった。

 世間のガイノイド・オーナーたちもこんな具合なのだろうか。

 ふと気が付くと、部屋の隅にヒト型の何かがいるのにすっかり慣れてしまった。こいつは髪が伸びる人形よりよっぽど物騒な代物なのに、あまりに無防備な自分にそっと苦笑する。


「やっぱシズと勝手が違うか?」

 コーヒーを淹れてトツカが問いかけると、スティーリアはゆっくりと首を持ち上げた。

「うん……喉でも渇いたの?」

「ロボットが寝ぼけんじゃねえよ」

 トツカはベッドに腰かけて、マグカップに口をつける。どうにも薄い。手ずから淹れるコーヒーはいつも水っぽくなってしまう。

「シズが恋しくねえのかって話。オレたち、見ず知らずの他人だろ」

 青い瞳がじっと見つめてくる。微笑にほんのりと困惑が浮かんだのが分かった。

「……気を遣わなくていいよ?」

「好奇心だよ。おまえら、家とか家族ってどう捉えてるんだ?」

 返答はしばらく無かった。

 熱くなる指を感じつつ、トツカはふた口目を飲む。

 こういうときの彼女は、だいたい頭の中で『翻訳』をしている。待てば答えは返って来る。


「カゲキのこと、聞いた」

 はあ、とスティーリアのわざとらしいため息が響く。

「シズか?」

「はい。私も家族だから、教えてくれたんだと思う」

 そうか、とつぶやく。案外、あの人は口が軽いのかもしれない。

「仲間だと感じてくれるのは安心する。きっと同じ感情ではないと思うけど」

「プラスの意味なんだろ? 同じようなもんだ」

「マスターは、カゲキを殺すの?」

 今度はトツカが黙る番だった。

 あの男は、殺す気で行かなければ死ぬ。銃を持って向き合えば、撃たない選択肢はない。


「たぶんな」

 トツカは低く言った。

「それか、オレが死ぬ。そのふたつしかない」

 手加減できるほど強くない以上、死人はきっと出る。器用に外すのは熟練者だけに許された技だ。

「キョウカにも言ったんだけどね」

 マグカップにおかわりのコーヒーを淹れながら、スティーリアは背中越しに言った。

「優しさを弱さの理由に使わないでね。それって、誰かに押し付けてるだけだから。殺すのも死ぬのも自分の責任でやらないと、みんな弱くなっちゃう」

「兵器育ちとしてのアドバイスか?」

「受け売りだよ」

 はい、とスティーリアがマグカップを寄越してくる。今度はちゃんと濃い。

 これも慣れているように見える。彼女はこれまでも、誰かにコーヒーを淹れてきたのかもしれない。

「おまえには家族が多そうだよな」

「羨ましかった?」

「ああ、そうだな。オレのはいっつも借り物ばっか……」

 トツカは軽くむせながら、自分の言葉がまったく冗談に思えないことに苦々しくなった。

 マグカップを口から離す。

 ぼうっと水面を見つめたが、残念ながら真っ黒なコーヒーにはサクラ色の瞳は映らなかった。


「家族か。普通なら良いものなんだろうな」

 ぐいっと呷る。コーヒーの熱で喉が焼けていくのがはっきりと感じられた。

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