3-2.

 コベリが『道場破り』をやった噂はムラクモ学校中に瞬く間に広がった。

 どうも別の日には柔道の教練中にも相手を投げ飛ばしたとかで、ナゴシが一回生にインタビューをしているのを昼食の席で見かけた。次はウチかと、どこもかしこも浮ついている。


「何考えてんだかね……」

 トツカはベンチに寝転がった。ORBSの整備研修でオイルまみれになった指をツナギにこすりつけると、安い墨汁みたいなにおいが鼻腔をついた。

 ドアの向こう側からは機械の動く音がしている。コンプレッサ、ウェルダー、リフター。さっきまで使ってたものばっかりだ。聞こえの悪くなった耳を揉むと、奥の方がまだ痛かった。

 戦闘服組グリーンカラーと言われがちな軍隊において、整備科と土木科はツナギ組ブルーカラーと呼ばれることの方が多い。整備の仕事は疲れるが、土木も土木でエンピとツルハシを担いで日がな一日コンクリートミキサーをくるくるさせる仕事が終わった頃には、心身ともにぼろぼろになっている……正直どっちも似たようなものだった。

「これどうぞ」

 休憩室のドアが開き、スティーリアが紙コップを持ってきた。

 受け取って軽くコップを揺らしながら、トツカは周りをうかがう。今は昼休みだが、格納庫の壁際で『カリバーン』の外装を整備している作業員が何人かいた。

 どことなく居心地が悪くなってきて、コップを押し返した。

「喉、渇いてなかった?」

「コベリさんはどうした」

「図書館で言葉の練習中だってさ」

 剣道の次は日本語か。また練習台に誰かを掴まえてそうだ。


「おまえはどうやって覚えたんだ」

 トツカはウェットティッシュで胸を拭きながら言った。スティーリアが首をかしげてきたので、あごをしゃくる。「あんたら元々入ってないだろ、声を出す機能って」

 ああ、とスティーリアはひたいに指を当てた。

「初めて聞いたときはヒトの駆動音だと思ってたかな」

「言葉が?」

「はい。私には空気の震えでコミュニケーションするって発想が無かったから」

 スティーリアはコップの水を飲み、がらがらと喉を鳴らす。

 そうして飲み込んでから、ね? と片目を閉じた。

「だいたいこんな感じ」

「それが言葉って気付いたのは?」

「キョウカが私の膝に乗って絵本を読んでたとき。文字の方は知ってたから、それが音を表す暗号だと分かったときは『なんだ、いつも話しかけてくれてたんだ』って。嬉しかったよ」

 深刻ぶった顔のシズの兄が来る日も来る日もわざわざ自分の前まで来てうがいをする――なるほどスティーリアにはシュールな光景にしか見えなかっただろう。

 トツカは改めて彼女の顔を眺めた。

 この棄械スロウンは、シズの兄の話をするときわずかに目が大きくなる。


「……あんまりコベリさんのアドバイスにはならねぇな」

「私の頭が良すぎてごめん」

 スティーリアが舌を出してきたので、トツカは「アホ」と苦笑を返す。

 大きくなった目の意味はトツカには分からない。本人も分かっていないだろう。


 着替えて昼食のサンドイッチを買ってくると、格納庫では整備科のヒシダテが居残りしていた。空母のときにトツカを案内してくれた女生徒と談笑している。

 トツカを見つけると、彼はおやおやとインチねじを工具箱に放り込んだ。

「あ……続けてくれ。オレも暇つぶしで来た」

「普通、ヒマで格納庫に来る士官はいないんだけどね」

 ヒシダテは女生徒を帰すと、ORBSの「04」と塗装されたバーニアエンジンに触れた。

 整備したばかりの義装は、ねじを締めるときに削れたアルミニウムのにおいがする。どことなく紙のにおいにも似ているから、義姉のことが思い出された。

「たぶん観艦式には間に合う。ばらばらだしズブ濡れだしで、苦労させられたよ」

 ヒシダテは足元に溜まった金属くずを蹴りながら言った。

「文句はヘマした二組のハモンに言え……これ、直すっても総とっかえだったろ?」

「さっき研修で使ったんだっけ」

 トツカはうなずいた。

 講義でいじったのは破損した四番機のパーツだった。貫徹した弾痕だらけの機体は外見と比べると内部メカの損傷が少なく、構造を把握するにはうってつけだった。

 ずっと部品を押さえつけていた指は硬くなっている。配線を繋ぎ直すときもラジオペンチとワイヤーストリッパーの力加減でずいぶんドヤされた。


「あんなのが実戦で役立つのかねぇ。パイロットが自分でヒコーキを直すか?」

 研修を振り返ってみると、座学の方がいくらかマシなように思われた。

 もし戦地でエンジンが壊れたら、機体は放棄されることになっている。一日二十機ペースでパーツが量産される兵器と数年かけて養成されるパイロット。どちらの補充が難しいかは考えるまでもない。

「別にいいんだよ。現場の仕事を知ってる上官は信頼される」

「ン、『経験者は語る』か」

 ヒシダテは笑うばかりだった。この男も、昔の話をするときは目が大きい。

 そのときさっきの女学生が戻ってきた。相変わらず空母用の安全帽が目立っている。


「ヒシダテくん。ハバキ教官が……」

「また来たのかい」

 こつこつと聞き慣れたブーツの足音が後ろを横切った。

 あまり格納庫に来る人ではなかったはず。トツカが横目で見ると、ハバキ教官は点検報告書を開きながら、旧式のORBSの前をぐるぐると歩き回っていた。かぶった作業用ヘルメットが落ち着かないのか、ひもをひっきりなしに直している。

「この数日、ヒマさえあれば『グラム』にかかりっきりでね」

 ヒシダテは腕を組んだ。どうやら彼もハバキ教官は苦手らしい。

「ハバキさん、ここでもうるさいのか?」

「そりゃもうキャンキャンと」

 隣で女学生が噴き出す。ヒシダテはにやりと笑った。

「昨日は狙撃砲の零点規正ゼロインが数センチだけズレてるって。信じられるかい、レーザーカノンだよ?」

「仕方ねえよ。地球は丸いし光だって落ちるんだから」

「あの人、神経質にしとけば万事上手く行くと思ってるから始末におえなくてね」

 ヒシダテたちが工具を片付け終わったところで、ちょうど予鈴が鳴った。整備科の先輩たちも戻ってきたので、これから忙しくなりそうだった。

 トツカが休憩室に行ってもスティーリアはいなかった。着替えを洗濯室に持って行ったらしい。さっきのまま置いてあったカバンを肩に引っ掛けて、彼は格納庫を出た。


―――★


 部活動も終わってトツカが寮に帰ると、談話室でコベリがシズたちと勉強会を開いていた。

 給仕をしていたスティーリアがこっちを見てきたので、片手を上げて構うなと伝える。彼女は唇の片方だけつり上げて、紅茶を淹れる作業に戻った。

 今日は珍しく副委員長も一緒だった。彼女はノートを取るのが上手いので、もしかするとシズが誘ったのかもしれない。今日のコベリはこのところの『活躍』で疲れていたらしく、講義中にしばしば船を漕いでいた。その補習も兼ねているのだろう。


「そこで座標をサインとコサインに直して。傾きを漸化式で表せば場合分けがひとつ減ってラクになるから……」

 シズの言葉が通じているとは思えないが、ノートに数式が書かれるとコベリは納得した様子だった。どんどん応用して次の問題を解いていく。

 きっと彼女もスティーリアと同じなのだろう。ある程度は文字も共通で、発音だけ違う。あとは気付けばどんどん学習していく。


「みぃ」

 急に足元で鳴き声がした。見るといつぞやの黒ネコがブーツの甲を踏んでいた。

「なんだおまえ、コベリさんを追いかけてきたのか?」

「みゃう」

 トツカが脇を持って抱えると胴がびよーんと伸びた。鳴き声で抗議されたので地面に下ろす。にゃごにゃごとネコは愚痴っぽく鳴きながらその場で回り始めた。

 トツカはポケットを探ってみたが、オモチャや食べ物になりそうなものは持ち合わせていなかった。シズたちも相変わらず勉強していて話しかけにくい。

「オレ、イヌ派なんだよな。ネコか……じっとしてる生き物じゃねえもんな」

「ふー?」

「コベリさんも今は忙しいから帰りな。そろそろ飼い主が探してるんじゃねえの」

 ネコは赤い瞳でじっと見つめてきた。

「みゅ?」

「飼い主だ。ネコちゃんには下僕か、ん?」

 げぼく、と言った瞬間にネコがうっとりと目を細めた。正解らしい。

 それにしても毛並みが良い。首輪が無くても飼いネコだと分かる。このまま帰しても、これなら保健所には捕まらないだろう。

 どうしたもんかと腕を組んでいると、奥の部屋からナゴシが出てきた。

 入り口で棒立ちするトツカを胡乱うろんに見やったあと、その足元のネコに気が付いて眉を上げる。

 

「おや、そろそろ部屋が寂しくなったかな」

 大股で来ると、ナゴシは冷やかしみたいに笑った。

「今でも手狭なんですが。だいたいペットは禁止でしょうが」

「ここの寮、ウチの資金で運用してるから多少の融通は利かせられるけどね」

 これだから金持ちは。トツカはため息をついた。

「後輩に袖の下を勧めんでください」

 みぃとネコが鳴くと、ナゴシは屈んで頭を掻き始めた。動物の扱いには慣れているらしく、ネコの方も気持ちよさそうだった。

「こういうのはちゃんと『今から撫ぜるからな』って分からせるのが大事なんだよ」

 ナゴシはビロードみたいな毛皮を撫ぜながら、独り言のように言った。

「何かあったんですか」

「観艦式の配置換えで教官たちが揉めてるらしくてね」

 ナゴシは立ち上がって、まだ物足りなさそうなネコを一瞥する。

「特にハバキさんとコイグチ教官――元特機小隊組が実弾の携行を強く求めてるもんだから、こっちも通すために親のツテを頼って方々に圧力をかけるのがもう大変で」

「ハバキさんの無理を聞くんですか」

「現場が欲しいって言ってるなら寄越すのが上の役割だ。私は生徒会長だけど、動かす力があるなら使っておかなきゃ肝心なときに錆びついちまう」

 こういうとき、この人と自分は見えているものが違うことを強く感じる。帝王学というやつだろうか。上に立つ人間ともなると世界が広いから大変そうだ。


「……また棄械スロウンが来るなら市街地は嫌ですよ、オレ」

 初めてこの街に来た日を思い出す。

 超音速で飛ぶORBSは少し低空飛行するだけで家屋の窓を割ってしまう。ミサイルや対地ロケットを道路に向かって撃った日には町中が火の海だ。

 ナゴシは何度もうなずいて言った。

「今度の陸軍は砲兵連隊で沿岸を固めてる。ハバキさんたちの要望も、もしものときの備えという程度だから安心していい。晴れの舞台で気を抜くなってことさ」

「あれか。馬子にも衣裳ってやつですか」

「日の丸を背負っておいて馬子はなかろうが。頼むから胸を張りたまえよ?」

 じゃ、と手を振ってナゴシはシズの方に向かった。

 後輩たちのノートを見て難しい顔をする彼女を横目に、トツカは自室に入った。


 買いだめした食材を漁ると、ちょうど未開封のかつお節パックがあった。廊下でネコに見せるとついてきたので、ソーサーの上に開けてやった。

 がつがつとネコが食い散らかす音を聞きつつ、トツカはぼうっと食器棚を見た。

 スティーリアが欲しいと言うのでずいぶん調味料を買ってしまった。クローブ、カルダモン、ローズマリー……八角なんてものまである。まったく何に使うのやら。

「ここに来てから変なことばっかりだ」

 ネコが顔を上げた。うみぁ、と鳴いておかわりを要求してくる。

「おまえ床に落としすぎなんだよ、丁寧に食えば足りるだろうが」

「なーお?」

「ネコは良いよなぁ。言葉が全然分かんなくても苦労しねえもんな……」

 ぱらぱらとかつお節のパックを振りながら、だんだん情けなくなってきた。ぐったりと椅子にもたれて、壁際で処分待ちになっているささくれの立った竹刀を見やる。


 今日は先輩に協力してもらって上段の対策をした。

 そこそこ上手くやれた自信はあるが、わだかまりが残っている。

 上段は、その苛烈さから火の構えとも呼ばれる。威圧しながら敵との距離を詰め、構えに乱れが見えた瞬間に電光石火の一撃によって打ち取る――いざ相対すると重戦車のような迫力だった。

 対処側は平正眼で守りながら、上段の死角となる向かって右側を狙っていくのがセオリーとされるが、そのことは相手も先刻承知。こちらが逆胴や逆小手の振り出しを見せたが最後、豪速の面が飛んでくる。しかも逆打ちは一本が決まりにくいときた。

 つまるところ、あれは敵の選択肢を絞るのが狙いだ。

 やる側は動きの固定された相手よりぶちかませばいい。

 

「……やっぱりおかしいぞ」

 これまで見たところ、コベリにそこまでの体力は無い。

 体格は問題ない。力もある。しかしスタミナが不足している。あれなら上段を織り交ぜながら攻め立てる戦闘スタイルよりも、中段から鍔迫り合いに持ち込んで仕切り直す方が向いている。

 身体と動きのあいだに妙な齟齬があって、そこが前からずっと気になっている。

「む、むぅっ!」

 考えているとネコが寄ってきた。またかつお節かと思って見ると、口に何かをくわえていた。

「なんだ?」

 イヤホンのように見えた。ネコは器用にトツカの膝に飛び乗ると、ぽとりと落とした。

 拾ってみると軍でよく使っているモデルだった。ところどころプラスチックの外装にヒビが入っていて、そこまで新しいものではない。

「みゅ!」

 ネコはぽんぽんと前脚でトツカの腹をたたく。着けてみろと言われているようで、思わず笑ってしまった。こんなネコの恩返しとは。

「分かったよ。くそ、スパイごっこは好きじゃねえんだけどな」

 耳に装着した瞬間、イヤホンの電源が入っていることに気付いた。ノイズがじりじりと鳴っている。トツカが外す前に男の声がスピーカーから飛び出した。


「外に出ろ。狙われているぞ」

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