2-5.

 連絡を入れてから数分もしないうちにスティーリアがやって来た。

「この人を寮に連れて行けばいいの?」

 コベリと目が合うと、青い目が細くなった。

 ずっとシズの部屋を掃除していたらしく、服が埃だらけだった。飛んだ塵が鼻に入ったらしくコベリが小さく咳き込む。

「着替えは無かったのか?」

「まだ洗濯中なの。ねえこの人、本当に人間?」

「難しい事情があるんだよ。ここの言葉は話せねぇから、ジェスチャーで頼む」

「異文化交流ってやつね、了解」

 やおらスティーリアは袖をめくってみせた。継ぎ目のある手首があらわになると、コベリが息を呑んだ。スティーリアのことを人間だと思っていたらしい。


「スティーリア」

 そう、スティーリアは胸に手を置いて名乗る。

「すち……」

 コベリは口をすぼませる。外来語は聞き取りにくかったようだ。

「スティーリア。言いにくい? ティリーでもいいけど」

「すてぃ、いあ……?」

「うん、だいたいOK。じゃ、行こっか」

 うなずくが早いか、スティーリアはさっさとコベリの手を引いて出て行った。


 談話室のドアが閉まると、大佐が興味深そうにトツカを見た。

「学生にしては、ずいぶん高級な機種だね」

「部屋に初めから置いてあったんです。ほら、詞子シズの家で事故を起こした……」

「おお、あれが。なるほど。トツカのご子息が引き取ったのか」

 大佐はひげを撫ぜて言った。

「もう不具合の方はいいのか?」

「前の持ち主のコマンドが悪さしてたんですよ。取り消したので問題ないです」

「それはそれは」

 この人はヒトに擬態した棄械スロウンのことなど知らないのだろう。

 あのときの騒動を思い出すと後頭部がずきずきと痛んだ。幸い英雄の忘れ形見のおかげで収拾が付いたものの、次も上手く行くとは思えない。

 今もときおり、彼女たちの瞳がひどく空虚に見えることがある。


 ――あなたは、何を考えてるの?

 いつもそう問うように見つめてきて、少しの間を置いて、そしてスティーリアは微笑む。反射的な行動かもしれないし、何か意図があるのかもしれない。

 トツカは頭の傷痕を掻いた。

 これじゃ言葉が通じないコベリとどっちがマシかも分からない。

 

 そんなことを考えていると大佐が腕時計を確かめて、黒々とした眉を上げた。

「いい時間だ。こちらも出発しようか」


―――★


 講義で陸軍のクルマはひと通り叩き込まれたつもりだったが、四輪起動の装甲車にオープンカーが存在するのを初めて知った。

 シルエットだけなら小洒落たパレードカーといったところか。

 畳んだほろが後ろにあった。四気筒のエンジン音に合わせて萎びた生地がかさかさと揺れている。払い下げられた偵察車輌という話だった。バイクのカウルみたいに絞られたフロントや、後部座席の両脇にあるカーゴスペースは、確かに軍用の装備だ。

 ステアリングを握っているのは大佐だったが、運転には慣れていないようで、ギアを変えるたびにガツンと車がつんのめっていた。


「オレ、運転できますよ」

 トツカは顔を外に向けて言った。

 駅の北側は来たことがない。再開発が進んでいないらしく、未舗装の道路や規制線を張られた雑居ビルが目立つ。浮浪者が歩いているのもちらほらと見えた。

「こういうときしか運転できないんだ」

 大佐は仏頂面だった。

「自分のフネがあるのに、ですか」

「あれは基地だ。俺が操縦してるとは言わん」

 ミラーの位置を直すふりをして、後部座席を見たのが分かった。

「どうされましたか?」

 窮屈に座ったシズがきょとんと見つめ返す。

 返されたばかりの腕時計が手首で光っていた。軍用みたいに無骨なデザインが彼女には少し不釣り合いに思う。

「きみ……あー……いや。どうしたものか……」


 事務室に外出届を出しに行ったとき、図書を返却しに来たシズと出くわした。

 腕時計を返すついでに軽く誘ったのだが、どういうわけか大佐はさっきから渋面になっている。

「こっちに遊ぶ場所が?」

 トツカはバス停に立つ托鉢僧を見た。

 実家の道場にも、よくああいう坊主が来ていた。近所の法要のあとで茶を一杯飲んで帰るのだが、たいてい総本山への愚痴と墓の管理の話がセットだった。

「まあ。小料理屋がな……おっと、ここだ」

 路地裏の入り口でクルマが止まる。今度もクラッチを踏むのが遅くてエンストしてしまった。大佐は舌打ちしてキイを抜くと、ドアを開けた。


 明らかに遊びで来る場所には見えなかった。

 酒焼けした男がビルの前にあぐらを組み、その隣で茣蓙ござを抱えた女がタバコを吹かしている。大佐が前を通り過ぎると、女はじろりと浮ついた目で見送っていた。

 カタギじゃない――という感想がまずひとつ。

 男も、女も、何もかもだ。


「……ナニ考えてんだ、あの人」

 すぐ後ろに別の公用車が止まり、大佐と同じ軍装の男たちが降りてきた。

 彼らを見るなり大佐は「参ったな」と言いたげにトツカたちに肩をすくめてみせた。

「出世するのも考え物でね、おちおち独りで息抜きもできん」

「ここ、赤線ですよね……」

 シズがクルマを降りて細い声で言った。

「大昔の呼び名だがね。君の兄さんも利用したことが?」

「いえ。でもよく手紙に書いてました。軍の人は金払いがいいから優遇されるって」

「優遇もなにも元々が我々と陸軍殿の管轄だからな……まあ手続きのゴタゴタで法務省に持っていかれてしまったが」


 慣れた足取りで大佐は路地裏を進んでいく。

 奥に行くほど夜鷹の数は増えていった。どうやらガイノイドやアンドロイドも混じっているらしいが、一様に唇に艶やかな紅を引いてはだけた服で着飾っている。

 外にいるのはひどく足を痛めているのがほとんどだった。安い客を相手にしていると、連れ込む宿が無いせいだ。化粧と比べて髪も艶がない。

「トツカくん、怖い顔してるけど」

 珍しいものばかりだからか、シズは特に気にした風もなく辺りを見渡している。

「まあな……ちょっと」

 かしいだままの看板や細道のすえた臭い、油の浮いた貯水槽。ここに居るだけで喉に苦いものがこみ上げるのが感じられた。慌てて飲み込んで、はあ、と大きく息をつく。


 最終的に、大佐は外れにあるカフェに入って行った。

 ホテルの一階と二階を抜き出したような建物で、薄暗いホールにはボックス席が並んでいた。奥に階段があって、暇そうな顔の女給たちがタバコを喫っている。

 レジカウンターの前で待っていると、派手な化粧の女給が席まで案内してくれた。こういう場所の店なのに、思ったより上品な服をしているのが意外だった。


「スズシロは今日も出ているか」

 大佐がコーヒーを注文するついでに、女給に尋ねる。

「ええ、海軍さんのご贔屓ですもの。こちらのお若い方々は?」

「空気を吸わせに連れてきただけだ。一階だけでいい」

 と、トツカたちに一瞬だけ目を向ける。

「……それとも利用するか? その、最近は女性向けプランもあるんだが」

「結構です」

「オレも隣に同じく」

 大佐は注文分の紙幣を机に置くと、やって来た女と一緒に二階へと上がって行った。

 迷いもなく、チップの出し方も慣れた様子だった。

 トツカはコーヒーをすするついでに横に目をやる。隣接したボックス席には護衛の将校たちがふんぞり返っている。こちらも女給と気安く会話をしていた。


「ねえ、どれが良いと思う?」

 向かいのシズがメニューを見せてきた。茶渋ちゃしぶのついたプラスチックバインダーの品書きには、そこらへんのファミレスと変わらない食品がつらつらと並べてある。

「やめとけ。こういう店はぼったくられる」

 トツカは目もくれずに言った。

「知ってるの?」

「一般知識としてな」

「トツカくん、たまに物知りだよね」

 シズは通りすがりの女給を呼び止めて、「いちごパスタ!」とオーダーを伝えた。

「……人の話聞いてるか?」

「私も知りたいもの。ダメだった?」

「別にいいけど知らねぇぞ」

 この人の場合は、たまにじゃじゃ馬になると思う。

 トツカはメニューを手に取って、いちごパスタなるものを見た。どうやら本当にイチゴとホイップクリームがトッピングされたスパゲティらしい。

 シズの顔を見つめる。彼女は「楽しみだね」と笑った。

「マジで美味いと思ってんのか?」

「お団子だって小麦粉でしょ。パスタをおかずと思うのは先入観だよ」

「いや……これはパスタ屋さんにゴメンナサイすべきじゃねえかな」


 じきに大皿が運ばれてきた。わざわざフォーク二本と取り皿付きだ。

「こういうの、好きなの?」

 女給が伝票を置くときトツカに尋ねてきた。サクラ色の瞳がぱちぱちと瞬きをする。

「あ、オレじゃなくてこっちです」

「珍しいですよね」

 シズがナプキンを膝に乗せる。

「これね、昔に有名なお店が作ってたらしいの。それの再現ってやつ」

「再現?」

「そそ、無断コピー。アングラなお店らしいでしょう?」

 お構いなく、と言ってきたのでトツカたちはフォークを手に取った。

 パスタは確かに変わり種だった。

 大鍋で茹でまくった麺はぶくぶくと太っているし、ソースもいちごのシロップになってて甘ったるくて仕方がない。どこを食っても舌が疲れるものだから野菜代わりにいちごのヘタをむしって食ったが、それすらマシに感じられる味だった。

「なあ」

「うん?」

 シズは既に大皿の半分ほどをたいらげていた。さすが優等生は舌が違う。

「トツカくん、甘いの苦手だっけ」

「嫌いじゃねぇよ……常識の範囲なら」

「にぎやかな味してて面白いと思うけどなぁ、こういうの?」

 トツカがいちごのヘタをむしゃむしゃするあいだに、シズはそのまま残りの半分も片付けてしまった。この人とは食事に求めているものが違うのだ、と思う。


 ふたりで伝票を確かめていると、女給がお冷のおかわりを入れてくれた。

「それ、私とお揃いよね」

 シズのグラスにぐついでに、彼女の腕時計を指す。

 見ると女給の手首にも無骨な腕時計が巻いてあった。

「ん、にぃ――兄から譲ってもらって。有名なんですか?」

「分からないけれど、こっちのはさっきの軍人さんにもらっちゃった」

「やっぱり軍の時計なんですね」

 シズは時計を外して、机に置いた。

 思ったより古いらしく、すり切れたバンドと、大きめのケースが目を引く。普通の時計より文字盤が多いのはクロノグラフというやつなのだろう。

「大佐はよく来るんですか」

 トツカは水を飲みながら言った。舌が甘さで痺れていて、冷たさを感じない。

「まあ。でも、こういうところに女の子を連れ込むタイプじゃないのよ?」

「今回はオレが頼んだんです」


 間近で女給を見ると、意外なくらい地味な顔をしていた。

 化粧で顔のパーツを大きく見せているようだ。サクラ色をした瞳もアイラインで強調しているから派手に感じるだけで、素の部分は優しげな顔立ちに見える。

「ここで勤めてるの、長いんですか」

 グラスを下ろす。かちりと氷が鳴った。

「私?」

「失礼だったらすいません」

「そうね、二十年と少しってところ?」

 ふふっ、と微笑んだ女給の顔にはわずかにこなれが見られた。

 何となく見てはいけないものを見たように思えて、トツカは視線を落とす。半分ほど残った水がグラスの中で揺れて、情けない顔をした自分を映していた。

「どうしたの?」

「オレの母親もたぶん、こういうところで働いていたんで」

 向かいでシズが身じろぎしたのを感じた。

「……ふうん?」

「四歳くらいまでの話ですけど。なんかカネが尽きたとかで、寺に預けられました」


 家で、母親はほとんど留守だった。

 仕事の時間はばらばらで、台所で夕飯を用意しているときもあれば、トツカが起きると机の上に紙幣が一枚だけというときもあった。とにかく、よく働いている人だった。

「お母さまの名前は?」

 女給は手首を押さえて、静かに言った。

「分かりません。はなから預ける予定だったみたいで、教えてくれなかったんだと思います」

「今はどうしてるの?」

「母ですか?」

「その、手紙とか。一枚も寄越さないなんて薄情すぎるでしょう」

 トツカは女給を見上げた。彼女はぼんやりとカフェの奥を眺めていた。

「さあ……相変わらず忙しい人やってるんでしょうし、たぶん文字も書けなかったんじゃないんですか? 絵本を読んでもらったとかも一度も無かったんで」


 女給がそろそろと目線を下げていく。

 さっきからしきりに手首をさすっていた。しばらくしてから腕時計を外し、シズの時計の隣に置く。まったく同じ時刻を指す文字盤が、ミミズクの両眼のようにトツカを見つめてきた。

「ここ。色んな人がいるでしょう?」

 ボックス席の将校たちに他の女給が挨拶していた。ずいぶんと背が低い。

「私のようにたまたま天職みたいな人もいれば、そうじゃないのに個人の事情で入るしかなかった人もいて……」

「ふつう、仕事ってそんなものでしょう」

 トツカは腕時計を拾い上げた。ケースの裏にアルファベットが彫ってある。

「少なくともオレは、そういう仕事の母親が後腐れなく諦めてくれたおかげで自由にやれてるわけですし、あの人がギリギリまで育てようとしてくれたのには感謝してる」


 階段を大佐が下りてくるのが見えた。

 トツカは時計を置いて席を立つ。シズも続いて、腕時計を置いていた場所に財布から紙幣を一枚置いた。女給がお釣りを渡してきたのを、大佐の真似をしてチップ代わりに返す。

「次はオレが奢る」

 空っぽのポケットに手を入れて、トツカはうなるように言った。

「トツカくん、振れる袖とか無いのに?」

「……恰好つけさせろ、と言ってんだ」

 後ろから視線を感じたが、強いて無視して大佐に歩み寄る。

 きっと、彼はどういう店か知っていたのだろう。もしかしたらトツカの来歴も。

「今日はありがとうございました」

 大佐は訳知り顔でうなずくと、無言で護衛の将校たちに合図した。


―――★


 学校に着いたのは昼過ぎ。三時限目が始まる前だった。

 大佐は大げさに制帽を振りながら帰って行った。艦長職というのはひどく休暇が少ないと聞くから、これからすぐに空母に戻るのだろう。


 寮に立ち寄ると、スティーリアが洗濯物を畳んでいるところだった。

 いつもながらどの服も寸分の違いもないぴっちりとした折り目が付いていた。シズの服も同じだから、あの家の作法なのかもしれない。

「キョウカとのデート、どうだった?」

 台所のシンクでグラスに水を注いでいると、彼女の方から尋ねてきた。

 トツカは彼女の痩せた背を眺める。

「おまえの言うこと、たまに冗談かマジか分からねえんだよな……」

「それが面白いでしょ?」

「思うんだが、話してると疲れるとかよく言われるだろ」

「かもね」

 スティーリアは軽く首を傾けて、「それで?」と促してきた。


「ま、大失敗しちまったよ。行き先のリサーチ不足だった」

 ここの水はカフェで飲んだのと違ってカルキ臭くて、もどしそうだった。

「マスターも面白いよね」

「その面白いって、珍獣とか遊園地のマスコットのたぐいじゃねぇだろうな」

「あ。またバレちゃった?」

 振り向きざまにスティーリアがシャツを投げてくる。

 トツカは受け取ってテーブルに乗せた。まったく、この機械は実にそつがない。


「ンで、そっちはどうだった」

「コベリさん、ちょっと厄介かもね」

 スティーリアは乱れた髪をけずって言った。

「見た目は若いけど軍属だと思う。肉の付き方がG慣れしてるし、身体も傷だらけだった」

棄械スロウンの腹から出てきたんだよ。ヨーロッパ産のやつ」

「でも人間だよ?」

「分かんねえな。とにかく言葉が通じねぇことには……」


 顔を洗いに洗面台に立つと、陰険なつらが鏡から見返してきた。

 トツカはひと息ついて、虚像と目を合わせた。

 サクラ色の瞳――この眼窩にも同じものが収まっている。

 すぐに目をそらして水をすくう。顔にぶっかけるとスペクトル光がまぶたの裏に散った。


 蛇口を締めるころには、どうにか落ち着くことができた。

 スティーリアは相変わらず畳んだ服の隣に腰かけて、窓の方を見ていた。トツカも隣に立ってみた。西の空に分厚い雲がかかっている。明日はきっと雨だろう。

「カフェの店員がシズと同じ時計を着けてた」

 トツカは呟くように言った。

「たぶんシズの兄ちゃんも着けてた。おまえも知ってんだろ」

「クロノグラフの飛行時計?」

「たぶん」

 ケースの裏に彫ってあった文字を思い出す。きっとローマ字読みするのだろう。

 トツカは手をポケットに入れた。何か、重要なことを見つけてしまった気がする。


「なあ、?」

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