2-4.

 ドック入りした艦船の手続きのついでに、ムラクモに寄ったのだと大佐は言った。

 あまり陸上には出ないらしく、彼の歩みは遅かった。これも「艦長はブリッジの椅子に根っこを生やしてるもんだからな。木は歩かんのだ」と笑って説明された。

 結局、談話室に着くまでに事情をほとんど聞き終わってしまった。


「それで海軍さんの意見としては、ムラクモ学校でこの人に基礎教養を教えると?」

 トツカは談話室のソファに座り込んで、紙コップの水を飲んだ。

 まだ早い時間ということで、広いホールに他の学生は見当たらない。テレビの前には迷い込んだ黒猫がいて、トツカと目が合うと「みい」と面倒くさそうに鳴いた。

「に、お」

 とコベリが猫を指さした。大佐が微笑む。

「ネコだ。ね、こ」

「ねー、こー……?」

「そう。ねこ」

 彼女は難しそうな顔をしてネコ、ネコ、と繰り返す。

 発音はトツカたちと大して変わらないように聞こえた。単語の違いには苦労しているようだが、これもちょっと勉強すればすぐに解決しそうだった。


 棄械スロウンの腹から出てきた少女。

 意思疎通が上手く行かないから、まずはこちら側の知識を与える。ついでに監視も付ける。軍人の家から出た生徒が多いムラクモ学校なら不測の事態にも対応できてうってつけだ――という話だった。


「彼女、何語なんですか」

「分からん。人種ならニッポン人だ」

 トツカは目を上げて、大佐を見た。彼は気まずそうに目の下を掻いた。

「……箸が使えるし、好物は納豆巻き。配給の行列に何時間並ぼうが意に介さず、顔立ちもバリバリのモンゴロイド系と来た。今どきこんな外国人がいるか」

「探せばいるかもしれませんよ。――納豆巻きだって?」

「ウチで色々と試した結果だ」

 大佐はちらりとコベリを見た。彼女はさっきからネコに向かって手を振っている。

「暗号班にも彼女の話し言葉を解析させた。きみ、英語は?」

「まあ、基礎教養レベルですが……」

「あれは主語と述語が並んでるだろ、この子の話し言葉は述語が文章の最後にきて、主語はしょっちゅう省略される。我々とまったく同じ文法で、単語だけが違うんだ」


 足元から鳴き声がした。

 見るとさっきのネコが来ていて、ルビーみたいな瞳でトツカたちをひとりずつ眺め回している。トツカがコベリを指さすと、ネコは理解したように彼女の膝に飛び乗った。

「わ、わっ」

 コベリは一瞬だけ手を広げたあと、恐る恐るネコの首もとを撫ぜ始めた。

 しばらくするとネコの方も喉を鳴らして、彼女の手のひらにあごを乗せる。光沢のある毛並みからして、どこかの飼い猫が散歩ついでに立ち寄ったのだろうか。

「海軍にも学校はあるでしょう」

 トツカはネコを見ながら言った。大佐が口元をゆるめる。

「もともと陸軍サクラが取っていた案件を横取りするのは不味かろうという話でな」

「オレ、政治には配慮できないですけど良いんですか?」

「所詮は調査が終わるまでの一時預かりだ。細かい話なら教官に通してある」

「ハバキ教官ですか……」

 またあの人は勝手に話を進めているらしい。

 正直のところいい気分じゃない。

 あの教官、こちらが旧友の義弟だからと妙に気を遣うところがあって、やたらと手回ししたがる。しかも不器用なものだから、だいたい空回りする結果に終わる。


 トツカがコップの水を飲み終えたところで、大佐が「そうだ」と思い出した風に軍装のポケットに手を突っ込んだ。

「君たちの使っていた士官室ガンルームにこれが残っていたんだが」

 差し出されたのは古めかしい腕時計だった。

 すり切れたバンドを見て、トツカもピンと来た。シズが喜びそうだ。

 受け取ってみると、見た目より重量があることに気が付いた。からくりがぎっしり詰まっているらしく、かすかに本体部分も振動している。

「わざわざ大佐殿にすいません。オレたち、飛ぶときは腕時計を外してるんで……」

「ウチのパイロット連中とはえらく違うな? 時間はどうするんだ」

「ヘルメットにビルトインで入ってるんです。その方が合わせがラクですから」

「それでは墜落したとき困るだろう」

 トツカはちらりと目を上げた。手の中でシズの腕時計がこりこりと歯車を鳴らす。

「堕ちるときは、だいたい死にかけです。時間ばっかり判っても仕方がない」

「裸で飛んでいるものな」

 大佐は親指を回した。

 彼の指は潮風で皮がむけていて、レンガみたいに角ばっていた。もしかすると船乗りというのはパイロットよりも整備士に近いのかもしれない。


「なあ、空を飛ぶってどうなんだ?」

「はい?」

「我々も今年度中には海軍型のORBSを導入することになっているんだ」

 大佐は親指を握りこぶしの内側に隠して、微笑んだ。

「ああ……分かりました」

 きっと海軍ならもっとタフな機体になる、と思った。このあいだの空母の発艦オペレーションは、『カリバーン』の繊細な筐体では何度もこなせない。

「オレ個人の経験なんですが、空は思ったより暑いですよ」

「生身なのにか?」

 怪訝そうな大佐に向かい、トツカはしかめ面になってうなずく。

「確かに途中までは寒いんですけど、それ抜けて昇ると急に暑苦しくなるんです。たぶん冷える空気が無くなって、直射日光で炙られるからだと思うんですが」

「それで?」

 トツカは苦笑した。

「訓練の後のブレイクで出るのってコーヒーなんです。酸素マスクで喉もカラカラなんで。でも、オレとしては氷菓子の方がありがたくなる……」

 口を閉じた後も大佐が何も言ってこないので、「一応、本気です」と付け加えておいた。

 海軍のことは何ひとつ分からない。

 お空を飛ぶのはは楽しいです、とでも言うべきだったか。さっきから、この人が何を知りたいのかイマイチ掴めない。


「分かった」

 と大佐は微妙な顔で言った。

「すいません、お役に立てず」

「いや、楽しい話だった。さっそく空母用にアイスクリームメーカーの手配をしよう」

 大佐はニヤリと笑い、立ち上がる。

 袖をめくって真新しい腕時計を見ると、彼は何事かを思いついたようだった。とんとん、と盤面を叩きながらざっと計算して、隣のコベリを見る。

「みぃ?」

 ネコが彼を見上げると、つられてコベリも視線を上げた。黒々とした瞳が不思議そうにまばたきする。


「トツカ君、誰かに頼んで彼女を寮まで送ってやってくれないか」

「オレのですか? あー……それなら私物のガイノイドが一体いますが」

「二号室だ。手配を頼む」

 そう言って、大佐は片目をつむった。

「話の礼をしたい。士官のハメの外し方なんぞ、陸軍では習わんだろう」

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