2-3.

 無駄に明るいな、というのが第一印象だった。

 女子の部屋は見たことがないが、シズに関して言うなら極端に整っているか、ひどく散らかっているかのどちらかだろうと予感していた。


「……マジかよ」

 トツカは外で表札を確かめる。3号室。ここで間違いない。

 下駄箱にはローファーが一足きり。

 台所のシンクを覗くと、プラスチックの器が丹念に重ねてあった。固く絞ったスポンジが洗剤と一緒に隅のケージに入っている。

 家具はあったが、どれも目線の高さの棚だけ埋まって、残りは空っぽだった。

 木目調のフロアは真ん中だけつるつるとしていて端には埃が積もっている。

 トツカは本棚に触れてみた。参考書も、教科順ではなく出版社と本の高さで揃えているらしい。電信の隣に戦史、その隣には補給といった妙な具合に並んでいる。


「トツカくん?」

「のわっ!?」

 いつの間にか後ろにシズが立っていた。

 彼女はトツカの隣に立つと、射表の背表紙をとん、と押した。

 離れていくとき、制汗剤のにおいがした。襟足は少し汗に濡れていたが、糊をきかせた制服にはちり一つ付いていない。どのみちこの部屋では汚れる方が難しいだろう。

「ウルミさんが心配してたから来たんだけど」

「なんで?」

 シズは手首を揉みながら言った。

「授業があるだろ? 連絡くらいしろってさ」

「そんな時間だっけ」

「もう一時限目だぞ?」

 トツカはベッドの前にどっかりと腰を下ろした。


 部屋に時計のたぐいは置かれてなかった。それ以前に調度品がほとんど無い。

 入居したときの内装そのまま、といった風情だった。そこいらのモデルルームの方がまだ生活感があるだろう。

「キョウカ、また食べ忘れてない?」

 スティーリアが冷蔵庫を開けて言った。トツカの場所からでも水のボトルだけの中身が見えた。

「ん、大丈夫。昨日食べた」

「ダメだよ、三食じゃないと。倒れて怒られるの私たちなんだから!」

「……え、オレも?」

 スティーリアは力強くうなずいてくる。肩をすくめるしかなかった。

 だが教練の飯盒炊爨はんごうすいさんのとき、シズは炊具を使いこなしていた。簡単な料理くらいならできるはずだ。

 やらないのは、きっと理由がないからだろう、とトツカは思う。

 クローゼットを開けなくても、中は予備の制服と帰省用の服が一着きりだと予想がつく。必要が無ければ何もしない。まるで修行僧みたいな清貧っぷりだ。


「腕時計か?」

 トツカはベッドを見た。そこだけシーツが派手にめくってあった。

「ん、見つからなくて……」

「探してぇならどっか行ったんだろ。学生課に連絡しときゃいい」

「でも……もう少し調べたら見つかるかもしれないじゃない?」

「なるほどな。スティーリア、よろしく」

「はい。了解!」

 スティーリアは部屋の隅からカバンを拾い上げると、シズに放り投げた。

「わ、わっ」

 慌ててキャッチした彼女を、トツカはドアへと連れていく。玄関に着いてもまごついていたので、下駄箱からローファーを押し付ける。そうやってどうにか外へ押し出しても、シズはまだ手首をさすりながら未練たらしく部屋を見ていた。

「あいつを信用できないか?」

「そうじゃないけど……」

「分かったよ、今やることの優先順位言ってみ?」

 シズは嫌そうに見てきた。オレンジの瞳が二度ほどまばたきする。


「……授業に出る、ご飯を食べる、腕時計を探す」

「じゃあ一つ目からやってこう」

「でも」

「せめてハバキさんには報告しろ。目先のことで動くんじゃない」

 シズは黙ってうつむくと、ぽかりと一度だけトツカの肩を打った。

「トツカくんはもっと優しいと思ってた」

「踏ん切りついたか、優等生どの?」

「紙切れの点数だけで決まる世の中ってなんか間違ってるよね……」

「それ、普通はできない側のセリフだからな?」

 シズは口角を上げて、「そうだね」とつぶやいた。


 二時限目はハバキ教官の授業だった。

 黒板にベン図が描かれるあいだも、シズはずっと手首をさすっていた。

 失くした腕時計は古めかしいアナログ式のものだった、と記憶している。バンドがすり切れた骨董品だったから、きっと兄から譲ってもらったのだろう。


 命題の説明を終え、ハバキ教官がひと息つく。シズを一瞥したとき、安堵の表情を浮かべていた。

 ベルが鳴り、宿題がアップロードされる。

「皆さん、ゆめゆめご無理はなさらぬよう。では入舞いりまいと致しましょう」

 授業が終わると、シズはいつもの女子グループと歓談していた。

 こちらは問題ないようだ。トツカも気を取り直して次の教室に向かう。戦史研究の講義はグループワークだから、遅刻すると面倒なことになってしまう。

 廊下を小走りに通るあいだ、さっき見たシズの部屋が脳裏にちらついた。

 どうにもシズには自分のことを後回しにする癖がある。必ずしも悪いこととは思わないが、そのせいで同じ寮生が倒れるというのは寝覚めがよろしくない。


「花でも買いに行くか……」

 思うに彼女に必要なのは習慣だ。



「それ完ペキにデートじゃんよ」

 はす向かいの優男が呆れたように言った。

 その隣の女も肩を震わせていた。こっちは香水の匂いが鼻につく。

「そういう話でまずお花が出るところ、トツカって意外とロマンチストだよね」

「うるせえ。おまえら張っ倒すぞ」

 グループワークは好きなように組め、という話だった。

 そんなわけで自然と顔なじみで集まるものだからどうしても雑談が増える。

 特にこの特機小隊の連中はユルいところがあって、話すといつも気が抜けて仕方がない。

 

「怒らない、怒らない。これでも感謝してるんですよ、ん?」

「あのままサメの餌にでもなっちまえば良かったのによ」

 へへ、と笑いながら男――ハモンは治ったばかりの鼻の傷を引っかいた。

「それで、何買う予定なんだ? バラ? スイートピー?」

「知るかよ。向こうは地方の豪族サマだ」

「私だったら花よりアクセの方が嬉しいかも。ネイルとかいい趣味じゃね?」

「そういう店、オレが入りにくいんだよ……」

 わかるー! と五番機パイロットのクスネは手を叩いた。

 実家は製鉄工場だと聞く。シティガールというか、何に付けても浮ついて見える。

「で、あんたはどう?」

 さっきから黙ってる四人目にハモンが首を傾けた。

 だが返答は無く、困ったような笑みが返ってきただけだった。


 彼女は授業前からこの席にいた。かなり小柄だ。貴族みたいに腰まである長い髪を編み込みにしているから、経理か技術か、とりあえず前線士官には見えない。

「あ、名前。オレはトツカ・レイギ」

 トツカが自分を指さすと、女子生徒は黒い瞳で見つめ返してきた。

 珍しいな、とトツカはふと思う。何の色もない瞳なんて。

「ぁ……」

 彼女は口を開いて何か言おうとした。しかし途中でやめて、決まり悪そうに微笑む。

 トツカはハモンたちと顔を見合わせた。

 誰の知り合いでもないのは雰囲気で察した。もしかすると教室を間違えたのかもしれない。

 ちょうど教官が歩いてきたので、トツカたちは慌てて兵站の民間委託について議論するフリをした。こういうとき、弁の立つ知り合いは助かる。


 授業が終わっても女子生徒が立ち上がる気配はなかった。

 ハモンたちは数量限定のジャージャー麺を食いに行くといって、早々に教室を出てしまった。どうせいつも頼む素うどんは残っているので、トツカは女子生徒の横に席を移した。

「さっき、オレたちばっかり盛り上がってごめんな」

 やはり女子生徒は何も言わず、困惑したように見てくるだけだった。

「あー……で、そっちはどこの科なんだ? それだけ聞きたかった」

「とつか?」

 急に声が返ってきた。黒い瞳がぐるりとこちらを向いて、トツカの顔を映す。

「ン、そう……士官科の。たまに学校の新聞に出てるだろ、またORBSをぶっ壊しただの、変なロボットと同衾どうきんしてるだの。ナゴシさんも困った人だよ」

「とつか。こべり」

 女子生徒は自分の胸を叩いた。

 トツカがきょとんとしていると、彼女はもう一度同じことをした。

「こべり」

「えっと……コベリさんって言いたいのか?」

「あ、あ!」

 ぶんぶんとうなずいてくる。

 ついでに何事かを早口で言っているが、発音が独特で上手く聞き取れない。

 ようやくトツカにも分かってきた。この人、おそらく日本語が話せないのだ。


 その瞬間、トツカは棄械スロウンの腹から出てきた女の子を思い出した。

 あのときは汚れていて顔の造作が掴めなかったが、確かにこれくらいの背格好だった。よく見ると目の前の子も、制服のサイズは合っていないし、靴だって官給品のブーツだ。

「……まさか、あんた!」

「ファーストコンタクトは大成功のようだな」

 野太い声と一緒に、男が教室に入ってきた。

 トツカと目が合うと、彼はにんまりと笑みを浮かべた。羽織ったジャケットの分厚い胸には、海軍大佐を示す階級章が光っている。

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