1-4.

 視界が銀の膜に覆われて、まばたきした次の瞬間には吞み込まれていた。

 濁流としか形容できなかった。不定形のうねりが四肢を巻き取り、大質量のかたまりがぶつかる。目を開ければ離合集散する流体金属が層を作っているのが見えた。


 チャフは早々に投棄した。無誘導の散弾にはただのデッドウェイトだ。

 どうにか逃れようとトツカは手を伸ばした。そのあいだも、さかしまに降りかかる鉄の雨が装甲を穿うがつ。

 通信機からは数人分の叫び声が飛び出してくる。

 軽くした身体でも、動くたびエネルギーを吸われるのが分かった。上下の感覚すら失われて、今進んでいる方向が正しいのかも分からない。


 遠くで泡の音が聞こえた。棄械スロウンも目方が軽くなって、逃げる準備に移っている。

 どのみち余分なパーツは捨てる予定だったのだろう。たまたまトツカ達が襲い掛かったから、都合のいい射撃の的にされてしまった。そういうことだ。

 

 交戦時間は二〇秒も無かったはずだ。

 唐突に暴力の波が引いた。流体がしなやかさを失い、急速に落ちていく。

 明るくなった視界に、白波の立った海面がいっぱいに迫る。

「く……」

 高度計の数字が狂ったように減っていた。

 ヘルメットのバイザーにステータスを呼び出し、ぎしぎしと軋む各部に信号を送る。やはりメインエンジンが半壊していた。残ったバーニアエンジンで逆噴射。まだ足りない。燃料移送システムを制御系から切り離す。

 グリーンウェアの電力で無理やりタービンを回すと、ようやく減速が始まった。


 海面にはアルミニウムやチタン板の破片が散らばっていた。

 いくつかは既に沈み始めていたが、その中に人の形をしたものは見当たらない。

 ホバリングしながら、さっきやられた四番機を探す。

「CDC、こちらORBS隊、一番機」

 トツカが目をすがめていると、上空でシズの機体が翼を振った。艦隊は交戦中なのか、遠くで派手な水柱が上がっている。

 ふたたび海面に目をやると、翼の残骸に男がしがみついていた。

 男はどうにか重たいブーツを脱ぐと、トツカに向かって力なく手を振ってきた。こっぴどくやられたわりに、大きな怪我をしているようには見えない。


「迎撃に失敗しました。四番機を喪失、パイロットは脱出済み。回収を頼みます」

「こちらCDC、当艦隊は交戦中で回収機を出せない。貴官の隊で対処できないか?」

「こっちで? えっと……」

「私、やれるよ!」

 シズの隣で五番機が煙を噴きながら飛んでいた。

 こちらはどうにか避けきれたらしいが、脚部の燃料槽が壊れて、エンジンも片肺飛行になっている。

 それでも人間ひとりくらいは運べるだろう。救命ザイルも捨てていない。


「ん、ありがと。損傷した五番機に回収させます。着陸甲板に消火班を待機させてください。これより当機と三番機でターゲットの追跡に向かいます」

「CDC、了解コピー。早くしてくれると嬉しい。こちらでは手に余ってる」

「CDC、ORBS隊。行動了承ウィルコ。アウト」


 通信が切れると、シズは大きなため息をついた。

「聞こえてんぞ」

「何が?」

「だから、ため息。海軍さんも不慣れだから仕方ねぇって」

 トツカは降下してきた五番機からガトリング砲を受け取った。

 重量オーバーの警告が鳴ったのを、手動で黙らせる。どうせ着艦までには弾倉を空っぽにする予定だ。

「あいつ、ゼロ距離で喰らってよく生きてんね……」

 五番機のパイロットは酸素マスクを外して、日焼け跡だらけの顔を拭った。

 同じホームルームの女学生だった。

 実戦は初めてだったはず。緊張と疲労で目に大きなクマができていた。


「弾が軽くて助かったんだ。あと数グラム大きかったら貫通だった」

「だね、死ぬかと思ったよ」

「ついでに戻ったら晩メシのメニューを聞いてくんねぇかな。チェック忘れちまって」

「任された。じゃ、きよっぺをヨロシク!」

 五番機のパイロットは大げさに敬礼してから、海面にザイルを放り投げた。


 トツカが高度を上げると、シズが機体の点検パネルに指を突っ込んでいるところだった。ぐちゃぐちゃになった配線から流体金属をえぐり出しては捨てている。

「行けるか?」

「ん……大丈夫」

 シズがパネルを閉じるまでに、トツカは装甲の下でこっそりと伸びを打つ。

 敵の位置はレーダーで確認するまでもなかった。海面にはまだ白い泡が浮いている。

 ガトリング砲とロケットの一斉発射で損傷を与えられなかったのは、この泡のせいだ。

「頭が回る野郎だったな」

棄械スロウン?」

 トツカはうなずいた。

「見ただろ。泡の層で身体をくるめば海水の抵抗が小さくなるし、押しのけた水はそのまま空間装甲みたいになる。あいつ、文字通り海を『飛んで』来たんだ」

「間に合うかな」

「どっちにしろ海軍サンに合わせねぇと。次は叩き落されるぞ」


 通信機からはダメージを受けた駆逐艦や攻撃機からの報告が矢継ぎ早に流れていた。

 この分では援護はアテにできない。見込みが甘かったのは、この場の全員だ。


 最後の報告が上がったのは一〇た。


「あー……西だ。そっちに行った」

 指揮所の大佐も投げやり気味だった。

 空母の上空は着艦待ちの航空隊でいっぱいになっていた。後ろから聞こえてくる管制官たちの声も疲れ切っていて張りがない。

「オレたち、追うんですか?」

「ああ、頼む。君たちのハバキ特務中尉が要請して、増援の陸軍が沿岸にいるはずだ」

「陸軍の援助なんて、よく軍令部が許可を下ろしたもんですね」

「トツカくん、私語が多い」

 シズが口をとがらせる。それを聞いて大佐は笑ったようだった。

「これでも俺は水雷屋上がりでね、専門外のことに頭を下げるのには慣れたもんさ」

 どうやら素の性格は軽いらしく、大佐はふふんと鼻を鳴らした。

「そいつはご苦労さまです……シズ?」

「ORBS隊、ターゲット追跡。コピー」

 シズはうんざりしたように言って、通信を切った。


 巡航クルーズモードで泡の航跡を追いかける。

 陸軍に連絡が行ったならば、近くに駐屯地があるはずだ。かき集めた砲兵隊を並べるくらいの時間的余裕はある。

 見えてきた海岸では、分厚い硝煙が空を覆っていた。

 煤まみれになった陸軍の観測ヘリがトツカたちの眼下を通り過ぎていく。あらかた戦闘は終わったようで、砂浜では兵士たちがレーダー車にほろを掛けていた。


「ムラクモの特機小隊です! 現状の報告をお願いします!」

 シズが通信を入れると、中隊長の怪訝そうな声が返ってきた。

「ムラクモだと? 士官候補生がなぜ飛んでいるんだ」

「あ。訓練中に棄械スロウンと遭遇したので……」

「指揮はハバキ中尉だな? まったく、生徒を信頼なさってるもんだな」

「ん、ありがとうございます……?」

「皮肉だぞ」

 大きなため息が聞こえた。シズが「分かんない」と言いたそうに見てきたので、トツカは苦笑を返す。

「……例のクジラ野郎は東に逃げた。捜索は出しているが、手伝ってやってくれ」

「はい、了解しました!」


 シズは通信が終わると、肩を小さくすくめた。

「私、やっぱり宇宙人だなぁ」

「力を抜けってことだろ。そんだけりきんでると持たねえぞ」

「ん。了解」

 彼女が真面目すぎるとは、トツカも思う。前もそのせいで大怪我をしていた。

 じゃあ自分は――と考えると、気まずくなってきたのでやめた。

 どうもこの部隊は、はたから見ると極端すぎるらしい。


 海岸をなぞっていくうちに、シズが海面に浮く破片を見つけた。

 銀色の金属が焼け焦げて固化している。棄械スロウンから剥がれたものだ。

 本体もすぐに見つかった。


「こちら三番機、座標を送ります」

 報告しながら、トツカは顔をしかめた。

 浜辺の森がなぎ倒されたところに、泥まみれの金属塊が横倒しになっている。

 剥離した銀色の表皮の隙間からは、セラミックの耐熱プレートやエンジンのまるいノズルが覗いていた。多段式ブースターだ――弾道ミサイルの燃料槽が丸ごと呑み込まれている。

「こいつ、ミサイルが泳いできたのか?」

「文字にウムラウトがある……ドイツの空軍基地かも」

 ランディングギアを出して着陸するとき、残骸から落ちた組織を踏みつけてしまった。

 赤い眼球のようなものがぐちゃりと割れて、ぬめったシリコンの汁をこぼす。眼球の中身は即興で繋ぎ合わせたジャンクばかりで、何かの機能を持っているようには見えない。


「こいつ一機だけか」

「やられるまで突撃したしただけ?」

「この構造じゃ小回りも利かねぇ。お試しってやつかもな」

 今回は陸軍が間に合ったが、これが何機も来たら間違いなく上陸される。

 そのときを考えると薄ら寒くなった。居住区に上がって弾をぶちまけられた日には大惨事だ。

「ねえ……そこ」

 シズの機体がマニピュレータを伸ばした。引きちぎれたヒレの部分を持ち上げる。

 腹には大きな亀裂が走って、内部の構造があらわになっていた。

 泡を出すための空気を溜めるためか、空洞の部分がかなり大きい。残りも装甲とセンサを兼ねた部分がほとんどで、表皮は思ったよりも薄く出来ているようだった。


 真っ暗なスペースに、シズがフラッシュライトを向ける。

「どうした?」

「トツカくん、医療班を呼んで。早く!」

 むんずとマニピュレータを差し込む。数度ほど指を動かすと、シズは棄械スロウンの腹から何かを引き抜いた。


 ずるりと地面に落ちたそれは、全裸の女の子だった。

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