1-3.

 格納庫のある階層はレベル1と言われていた。

 これが最下層かと思いきや、この下にさらにゼロワン、ゼロツーと四つ階層が続くらしい。そう言われてみると確かに、足元から機関の音が聞こえる気がする。


「皆さん、申し訳ございません」

 ブリーフィングを終えたときのハバキ教官は渋面だった。

 普通なら断る話だが、海軍に被害が出た手前、陸軍が協力しないというのは不味いという話だった。今は形だけでいい。とりあえず飛べ。恰好をつけろ。


「学生に無責任な……」

 トツカが耐圧扉をくぐると、整備班が『カリバーン』の最終チェックを行っているところだった。

 相変わらず無機質な機体だった。継ぎ目のない外装に、レーダー反射を抑えたのっぺりしたアウトライン。どこも合理性のかたまりみたいで、落ち着かない。

 トツカ達がムラクモ学校から持ち込んだ工具類はひどくオンボロで、傷ひとつない耐熱床の上では悪目立ちしていた。整備員たちもジャージと野球帽に耳栓付きのヘッドセットを当てただけで、ジャージを羽織った空母の作業員と比べると貧相で仕方がない。


「三番機はトツカ・レイギで出る。担当は!」

 内部義装グリーンウェアを抱えた作業員が手を挙げた。

 チューブから外したテスターを台車に置くと、彼はトツカに向かってウインクしてきた。帽子のへりからツンツンと尖った金髪が覗いていた。

「お待ちしてました、かな」

 げ、と思わず声が出た。

「おまえ……今度こそ小細工してねぇだろうな!」

 トツカは渡されたグリーンウェアを着込んで、ソケットのゆるみが無いか確かめる。

「した方が良かったのかい?」

 整備員は唇の端をひん曲げた。その背後で、エレベータに載った攻撃機が飛行甲板へと上がっていく。空っぽのウエポンベイには、じきに爆雷と魚雷が満載されるだろう。


「オレたち、これからおたくのお仲間をブチのめしに行くんだが」

「ヨーロッパの連中は管轄違いだ。どうでもいい」

 整備員――ヒシダテはトツカのヘルメットを直すふりをして、耳打ちしてきた。

「敵の敵は味方というやつでね。手伝いをする方が、合理的だと判断した」

「合理的じゃなくなったら?」

「仮定の話をする時間はない。我々はもっと実践的プラクティカルになるべきだ」

 ぱん、と肩を叩かれる。


「パイロット、義装よし! 外装コーテックスの接続を頼む!」

「了解!」

 他の整備員が声を張り上げる。

 トツカは吊り下げられた外装に身体を収めながら、シズの一番機に向かうヒシダテを眺めた。

 飄々ひょうひょうとしたあの顔の下には、人類種の天敵が潜んでいる。先だって哨戒機を落とした連中と同じ奴らだ。この場にいる他の整備員も、もしかするとパイロットだって、すべて人間とは限らない。

 だが彼らは――極東地域の連中に限っては――友好的だ。今のところは。

 トツカがヘルメットをかぶったとき、ヒシダテが歩いてきた。遮光バイザー越しだと、彼のぼんやりと光る瞳がよく分かる。

 手が伸びてきて、無線機のジャックを外した。


「連中は人間のことをまだ知らない」

 ヒシダテは低く言った。眼窩の底で、赤い光が大きくなる。

「……どういうことだ?」

「本気で殺しに来るよ。彼らにとって、人間は兵器だから」

 無線機のジャックを元に戻すと、ヒシダテは他の整備員に振り向いた。もう目は光っていなかった。

「三番機、完了。さっさと揚げるぞ!」

 誘導に従ってエレベータの土台に載ると、青色のシャツを着た作業員が足元にチョークを噛ませてきた。牽引車が無い土台は広くて、ひどくスカスカに感じられた。


棄械スロウンってどうなんですか」

 エレベータがのろのろと上がるあいだに、作業員が話しかけてきた。

 トツカはバイザーを上げた。相手は自分よりも若く見える。

「別に。普通にマニュアル通りにやれば勝てる」

「本職たちは、彼らの駆除の経験がありません。参考にしたい」

「構わねえけど……駆除ってのはやめた方が良いかもな」

 格納庫が見えなくなる一瞬、ヒシダテが手を振ってきた。

「連中も考えてる。本能とアドレナリンで動く獣とは全然違う。これは戦争なんだよ」


 飛行甲板に上がると後方へと誘導された。脚部に燃料ケーブルが接続され、ケロシンが流れ込んでくる。武装の取付けまで済むと、トツカは電装を起動した。

「滑走路は二番です。発艦は許可を待ってください!」

 牽引車から黄色いジャケットの女が言ってきた。

「格好良くカタパルト使いたかったんだよな……」

「帰りの配送機CODでいくらでも体験できますよ」

「あの棺桶みたいなやつか? 行きの着艦でまだ腰が痛いんだけど」

「カタパルト射出も似たようなものです。ま、ラッキーだと思えばいいんじゃない?」

 牽引車がエレベータに載って降りていく。

「……了解だよ」

 トツカは腰をぽんぽんと叩いた。


 一番機のシズも合流してきて、駐機スペースでランディングギアを固定する。

「お先に行くぞ」

「ん。なんだか潜水艦みたいなのだって」

 シズの顔はバイザーと酸素マスクで見えないが、緊張した声をしていた。

「潜水艦か。ロケットを数本ぶち込めば終わりだな」

「本当に?」

「二回は倒したんだ。三回目もやり方は分かってるだろ?」

 適当だな――と自分でも思う。

 対潜戦は初めてだ。研修はあったが、実際にソノブイやロケットを使ったことはない。

 やれるさ、と自分に言い聞かせたとき、デッキ士官が指示を出してきた。

 作業員のひとりが機体重量をボードで見せてくる。トツカがうなずき返すと、彼は次の機体に向かった。

「こちら特機航空隊三番機、発艦準備よしクリアード・フォー・テイクオフ

「進路クリア。タイミングは任意でお願いします」

「了解。出撃する!」

 アフターバーナーを焚いた瞬間、飛行甲板が眼下に消えた。

 高度を上げた途端、風にあおられて姿勢が崩れた。直進する空母から発進したせいで、変な慣性が残ってしまっている。


 ヘルメットの通信機からは指揮所と航空部隊のやり取りがひっきりなしに流れていた。

「……150ノット?」

 哨戒班の悲鳴のような声が、敵の速度を言っていた。

 だいたい時速280キロだ。艦船どころかほとんどの魚雷より速い。

 潜水艦にそんな速度が出せるわけがない。

「急ごう」

 シズも上がってきた。彼女の装備はガトリング砲とロケットの対地仕様だ。


 艦隊はすでに空母を中心に散開していた。駆逐艦と巡洋艦がミサイルサイロを開いて、潜水艦も海面すれすれで航行している。あとは誰かが照準するだけで、数十トンもの火薬が一斉に発射される。


 先行した攻撃機部隊を追い抜くうちに、遠くに白く泡立つ海面が見えてきた。

 慣性航法装置によると、空母から180キロメートルの地点らしい。これが陸なら遠距離だが、海の距離感ではすぐ隣にいるようなものだ。


「向こうの対空兵器は何だ」

「分からない。たぶん、身体の表面を切り飛ばす質量弾……」

「全身が対空機銃かよ」

 話すうちにみるみる海面を覆う泡が大きくなっていく。綿くずのようだったサイズが、今はこぶしより大きい。さっきの150ノットの報告は嘘ではなさそうだ。

「ORBS隊、先行を頼めるか?」

 指揮所から通信が入った。聞き覚えのある声だから、例の大佐だろう。

「良いですが、火力は足りないですよ!」

「ビビらせてくれればいい。速度を落としたところにブチかます」

「了解です、落ちたら回収はお願いします!」

 火器管制を切り替えながら、これも『形だけ』に入るんだろうかと思う。


「まだ海軍仕様は納入されてないから……」

 シズが気休めみたいに言ってきた。

「分かってるよ。海ってやつはフクザツだもんな」

「もしかしてトツカくん、怒ってる?」

「向こうも撃墜されてるんだ。おあいこになれってことだろ?」

 後続のORBSたちも合流してきた。二手に分かれて、敵の潜水艦を包囲する。


「なんだこれ、泡だらけじゃないか!」

 高度を落とした四番機が素っ頓狂な声をあげた。

 上空まで近付いてみると、棄械スロウンの姿はまったく確認できなかった。赤外線センサは全長八十メートルほどの影を捉えているが、トツカの高度からでもゴボゴボと石鹸みたいに泡立つ海面が見えるばかりだった。

「この音紋、スクリューじゃないぞ。この野郎、どうやって進んでるんだよ」

「四番機、こちら一番機。ターゲットをリンクできる?」

 シズは指示を出すと、ガトリング砲を構えた。

 艦艇としては異常に速いと言っても、相手の速度はせいぜい時速300キロメートル程度だ。航空機を振り切れるものではない。

 全機で相対速度を合わせ、照準リンク。四番機のロックオンに同期して、全員のバイザーに真っ赤なレティクルが表示される。


「ファイア!」

 翼にぶら下げたロケット砲が火を噴いた。シズと五番機もガトリングを発射し、海面が水柱を上げる。

 泡の中に火が見えた。命中したロケット弾頭が破裂したのだ。RDX爆薬の閃光がきらめいて、水蒸気と混ざって淡いピンク色の煙に変わる。

 金属が軋む音がした。

 黒い何かが泡を突き破って、空を舞う。


「クジラか!?」

 誰かが呟いた。

 葉巻のようにふとった胴に、分厚いヒレを付けたようなシルエット。そんな巨大な物体が、空中で身体をくねらせる。

 トツカ達が撃っていると、そいつの横腹が赤く光った。ビシビシと氷が割れるような音が連続し、わずかに胴体の輪郭が崩れていく。

 その動きには見覚えがあった。頭から血が引いた。


「まずい、ブレイク――」

 トツカが叫んだ直後、四番機が炎に包まれた。消失LOSTの文字が表示される間もなく、銀色の金属片が散弾めいて空間を飛び交う。

 クジラが叫ぶ声がこだました。

 泡が消えた今、そいつの表皮にびっしりと並んだ複眼があらわとなっていた。石炭のように赤く燃える無数の眼球がうごめいて、トツカたちの姿を捕捉する。


 ヒシダテの言う通りだった。


 今さらになって、トツカは飛んだことを後悔した。

 これまでとは違う。こいつは、本気で殺しに来ている。

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