7-1. 春陽

 病院に担ぎ込まれてからの日々は案外ゆっくりと流れていった。

 授業ノートをクラスメイトに送ってもらって、写しては教科書と見比べる。連絡役は副委員長のウルミの場合が多かった。自分なりの恩返しだと言っていた。義理堅い性格をしているらしい。

 ある日、花瓶の水を入れ替える彼女に「シズはどうしてる?」と尋ねてみた。

「べつに? 真面目にやってると思う」

「本当かよ。いつも地図とにらめっこしてただろ」

「ああ、あれ?」

 ウルミは思い出したようにあごに手をやる。

「最近、見ないね。終わったんじゃないの?」


 頭の傷を留めていたホチキスが外れたのは2週間後だった。その頃になるとトツカもだいぶ動けるようになっていて、医者からも授業に出るべきだと言われた。

「今度はカッコつけるんじゃないよ?」

「ん、検討しときます」

 タブレットを取り出すと、退院パーティーの招待状がウルミから来ていたが、丁重に断っておいた。

 まだ頭が痛い。上級生の悪ノリで酒でも飲まされたらたまったもんじゃない。


 寮の部屋に戻ると、机に紅茶が淹れてあった。

「スティーリア、いるのか?」

 彼女には夕飯の買い出しを頼んでいる。これは出かけるときに淹れてくれたようだ。

 紅茶はミルクで煮出したロイヤルミルクティーだった。隣に肉桂ニッキと砂糖壺が置いてあるのは、好きに味を調ととのえろということなのだろう。

 トツカは椅子に座った。巻いたギプスが胸につっかえて、低くうめく。


 足元に置いたボストンバッグには菓子と果物がごろごろと詰まっている。

 棄械スロウンを撃退した、という話がどこかから広がったらしい。シズのついでという扱いだったが、クラスメイトや上級生からのカゴ盛りで入院中ずっと病室はパンク状態だった。

「ヒシダテか……」

 色とりどりの見舞いの品のなかで、やたら目立つ揚げ玉のパック。

 彼は翌日には『復活』したそうだ。何食わぬ顔で登校すると墜落したORBSを直して、今は中間テストに向けて課外授業を受講しているんだとか。


 あのとき、間違いなく仕留めたはずだった。きっと今のヒシダテは本人ではない。

 人間を理解したい――と彼は言っていた。その真意も未だ分からず仕舞いだ。

 肉桂で紅茶をかき混ぜながら、トツカはため息をつく。あと何回繰り返すことになるのやら。


 そのときドアがノックされた。

「開いてますよ」

 入ってきたのはナゴシだった。いつもの重たいカメラを担いでいる。

 トツカの顔を見るなり喜色満面でシャッターを切り始めた。

「ヒーローインタビューのお時間だぞー、少年っ!」

「すいません。取材料は年俸に入ってないんでお帰りください」

「つれないもんだね。国民サマの知る権利を無下にするもんじゃないよ」

 ナゴシは向かいに座って、「おや?」という顔で紅茶を見た。

「スティーリアには買い出しに行かせてます。晩飯はここで蕎麦を食おうと思うんで」

「今晩はハムエッグなんだけど」

「あんたの好物ってだけじゃねえか。とにかく、オレには関係ないです」

 ナゴシはふふ、と笑う。その顔が癪にさわって、トツカはわざと紅茶を音を立ててすすった。

 美味い茶だった。少し強めに利かせた風味がよくミルクと合っている。


「えらく濃く淹れてるねえ、そいつ」

「ナゴシさん、分かるんですか?」

 とんとん、とナゴシは指で机を叩いてきた。

「うん、安舌やすじた向けの味付けしてる。君、好かれたね」

 トツカは口を離して、カップの中身を見つめた。

 言われてみれば、前とは色が違う気がする。わざわざ合わせてくれたのだろうか。

 電話したとき、彼女が『マスター』と呼ぶ声音も前と違って、少し気恥ずかしそうだった。彼女の主人は今でもシズ・カゲキのはずだから、世話を焼いてくれているのも趣味みたいなものだろう。

 トツカは傷だらけの後頭部をさすった。

 彼女は棄械スロウンだ。嬉しいのか、まだよく分からなかった。


「あれで終わりだと思うかい?」

 ナゴシはまたシャッターを切りながら言った。

 そうして画面に表示された写真を見て、舌打ちする。「またピンボケだよ」

「ヒシダテはオレたちを理解したいって言ってました」

「それで?」

「いきさつは知りませんが、オレはまた話し合いたいって思ってます」

「殺されかけたのに、これまた菩薩ボサツだことで」

 ナゴシはカメラを置いた。紅茶の湯気でレンズのカバーが曇る。

 立ち昇る湯気を目で追いながら、彼女は呟いた。

「二度あることは三度あるって、思わないかな」

「……はい?」

「いや。ハバキ教官がお呼びだ。じつは、そっちの件でここに来た」

 ナゴシは立ち上がって、床からチョコレートを拾い上げる。

「最近、頭痛がひどくてね。こいつはもらうよ」

「あ、どうぞ……」

 彼女が部屋から出て行って、トツカは紅茶の残りを流し込んだ。


 ハバキ教官に会うために職員室に向かっていると、廊下で上級生の集団とすれ違った。幸いトツカに気が付く人間はいない――と思ったら女学生の一人とぶつかってしまった。

「あっ。すいません」

「こちらこそ、ごめんね」

 落としたファイルを集めていると、気まずいくらい肩が触れ合った。

 地味そうな女だった。埃っぽいにおいがするのが気になって見ていると、彼女も顔を上げた。


 トツカを見つめた瞬間、その瞳が赤く光った。

 まるで棄械スロウンのように。


「じゃあね、トツカ・レイギくん」

 他の上級生たちを追いかけて、彼女は立ち去った。

 トツカはしばらく立ち上がれなかった。青ざめた彼を見て、通りすがる学生たちが妙な顔をしていた。そのうちの何人かは赤い瞳をしていたかもしれない。もはや確かめる勇気はなかった。


 人払いでもしたのか、職員室にはハバキ教官だけだった。

 コイグチ教官の写真立てを手に持っていた。こうして黙っていると、彼女の幼い顔立ちが際立つ。以前、ナゴシが乙女だと言っていたが、確かにまだ十代と言っても通じるかもしれない。

「ここにいるの、人間だけだと思ってましたよ」

 トツカは隣に立った。シズ・カゲキが撮った写真は顔にきれいに焦点が合わさっている。

「……ええ」

 ハバキは咳払いをして、写真立てを置く。

 ひとつ深呼吸すると、彼女は弱々しく微笑んでみせた。

「ヒトだけを入学させる規定はありませんもの」

「ヒシダテとスティーリアの他に、何人いるんです」

「わたくしにも知らされておりませんの。存じておりますのは、『彼ら』はわたくしたちへの敵意を持っていないということだけ……」

「だから軍人の身内だけで固めたのか? いつトラブルが起きても、対処できるように」

「そう解釈することも出来ましょう」


 ハバキは自分の机から世界地図を引っ張り出した。

 もう半分以上が赤く塗り潰されている。前線の位置もアジアに迫っていた。

 新しい戦線に記入されている日付は昨日だった。

 これが本当の世界か。


「すでに人類は敗北いたしました」

 ハバキは静かに言った。

「広報では抵抗が続いていると仰っていらっしゃるけれど、僻事ひがごとですわ。ヨーロッパはとっくにロシアもドイツも陥落して、各地で取り残された軍隊が細々と難民を抱えて生き残っているばかり」

「じゃあここは……」

「極東の棄械スロウンは、わたくしたちと共生する意志を見せております」

 ハバキが一枚めくると、ノートの写しが出てきた。

 シズ・カゲキの日記だ。スティーリアとの交流がこまごまと記述してある。


「彼らもシズさんを通じて、わたくしたちに興味を持つに至りました。技術交流という名目なら、このまま宥和ゆうわしてもいいと……」

「嘘だ。このあいだまで戦争してた相手だぞ!」

「彼らには彼らの事情があるのですよ」

 ハバキは苦い顔で資料をしまった。


 もしかすると初めからトツカに目をかけていたのは、彼女にとって最後の抵抗だったのかもしれない。

 戦友の弟なら、きっと敵を討ち滅ぼしてくれる。

 彼女も大切な人を棄械スロウンに奪われている。この話を受けるまでに、どれだけ葛藤したことだろうか。

 それでも、とトツカは思ってしまう。

 簡単に片付けられる問題ではない。それを、このように隠すように進めるなど。


「納得いかねえ」

「無理は申し上げません。元はと言えば、わたくしたちで処理すべき問題ですもの」

「……じゃあ、オレたちにどうしろと」

「普段通りになさって」

 ハバキは椅子に浅く腰掛ける。

「彼らは、ただ何も分からないだけなのです。命の重さ、戦いに関わらない生き方、語り合うことでしか得られない経験。ゆえにわたくしたちが未知のものに見えてしまう」

「学んだらどうだって言うんだよ。何も変わらないんじゃないですか?」

「彼らを信じてさしあげて」

 ハバキは膝に手を乗せた。わずかに指が震えていた。


死に致る学びリーサル・エジュケーションであろうと、彼らと理解し合うことが、人類が生き残る最後のチャンスなのです」

 遠くで誰かの笑い声が聞こえた。

 人間だったかもしれない。それとも、人間をかたどった何かの鳴き声か。

「オレは、実験のネズミなのか?」

 夢で見たシズ・カゲキを思い出した。自由意志を持たない英雄――自分も同じだ。

「まだ存知上げません。友にも敵にもなりえましょう、としか」

「了解しました。じゃ……」


 職員室を出ると、スティーリアが買い物袋を抱えたまま廊下に立っていた。

 トツカが歩き出すと、一歩分だけ後ろを付いてくる。慎重な歩調だった。

「あの『グラム』、ぜんぶ積み込んであったんだよ」

 トツカは振り向かずに言った。

「きっとハバキさんがやったんだろうな。ああ言ってるけど、あの人はやっぱり人間側なんだよ。ポーカーフェイスっていうのか? つくづくこすい大人しやがって……」

「私、そんなつもりじゃないから」

 足音が止まった。

 トツカも立ち止まって、うなずく。

「おまえはそうなんだろうな。でも全員がそうだとは……」

 言葉を切って、振り向いた。

 手を伸ばして、スティーリアが抱えている荷物をそっと取り上げる。彼女は驚いた顔をしていた。

 

「シズが図書館で自習してる。あいつ、集中したら帰ってこないから、呼んできてくれねぇか」

「マスターは?」

「ひとりで考えたい。悪い」


 とぼとぼとした足取りでスティーリアが去っていく。

 彼女の姿が見えなくなると、廊下の角からナゴシが現れた。もうカメラは持っていない。


「あの子は例外だよ」

 右手に拳銃を握っていた。コイルガンとは違う、最新型だ。

「あんたも知ってたんだな」

「上層部は甘すぎる。どのみち彼らに飼われる未来にしかならないってのに」

 ナゴシは拳銃から弾を抜いて、ポケットに入れた。

「だからハバキさんと口論を?」

「最低でも生徒たちに公表すべきだ。危険性を知らせないのはアンフェアだろう」

 トツカは胸のギプスをさすってみた。

 もし初めからスティーリアやヒシダテが棄械スロウンだと知っていたら、近付いただろうか。

 たぶん、怪我はしなかったと思う。シズ・カゲキのことも調べなかった。

 それが良いことだとは、今はまだ思えない。


「オレ、もう少し勉強しようと思ってます」

 ナゴシは何も反論しなかった。ただ、寂しそうに笑うだけで。

「足りないものがあるなら言ってくれ」

「あんたもブレないでくださいよ。保険が利かなくなります」

「言われなくても。君も頑張ってくれたまえ」

 昇降口を過ぎると、ナゴシは新聞部の部室へと走って行った。


 トツカは下駄箱に寄りかかって、息を吐き出した。


 今日は頭がいっぱいで、身体の節々もずっしりと重かった。苦しさと疲労が交互にやって来て、だんだんと何を考えているのかも分からなくなってきた。

 誰もが正しい気がするし、どいつも間違っている気もする。

 でもみんな出来る最善を尽くしている。死んだシズの兄ですら。それは確かだ。

 スティーリアだけが例外? ――そうかもしれない。

 分かり合って、共生できる? ――これも、そうかもしれない。

 日はまだ高く、じりじりと肌を焼いてきた。地上はこんなに濁った空気だというのに、日差しは真っ直ぐ刺してくる。

 熱に浮かされたようにトツカは歩き出した。


 まだ焦る必要はない。

 たとえ世界が終わっても、考える手がかりは目の前にある。

 ゆっくりと考えればいい。

 答え合わせまでの時間はいくらでもあるのだから。

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