6-4.
撃ち出した30ミリ砲弾はローリングで回避された。
この男も人間にしては反応が速い。戦い慣れた者の動きだ。
『グラム』の集束ロケットから叫び声じみた噴射音が轟いた。
かすめた砲弾で装甲を焦がしながら、巨躯が爆炎を吐き出して急加速する。ヒシダテたちのシーカーでは速度に追尾が間に合わず、ロックオンが外れる。
レーダー網から外れたその一瞬で、『グラム』はバーニア・ロケットを焚いて垂直上昇を始めた。
機体が成層圏に到達した瞬間、全身を覆う白い装甲が開き、大量のミサイルランチャーとレーザー発振器が顔を見せる。ボディフレーム内の加速サーキットを重粒子が循環し、腕部が血のような赤い光を帯びた。
「来るぞ」
ヒシダテは小隊全機に命令を送り、自らも姿勢を背面に入れる。
ワンテンポ遅れて、頭上から自己鍛造弾の雨が降ってきた。急降下で回避したところにレーザーと荷電粒子の嵐が吹き荒れる。大気で発散したコヒーレント光が、真っ赤な帯を
一機の『カリバーン』が光に呑まれた。ぱきぱきと表面装甲が沸騰し、爆発が起きる。
「フル装備か」
決戦兵器としての『グラム零号機』の運用コンセプトは単純だ。
誘導・無誘導問わずあらゆる火砲が捕捉不可能な超高々度から作戦区域に進入し、満載された火器で敵中枢を無力化する――ほとんど有人の弾道ミサイルと変わらない。
シズ・カゲキはそれにちょっとした改良を加えた。
『グラム』が再び急旋回し、稲妻のようなジグザグの軌跡が成層圏の藍空に描かれる。
軌道がまた変わった、と思った刹那、ハウリングのような雑音が響いて一番機の姿が消えた。『グラム』の白いボディが瞬間移動のようにヒシダテたちのフォーメーションの背後に回り、クローに握ったORBSの残骸をはらはらと落とす。
やはり使いこなしてきた。
自衛用に追加された白兵クロー。対拠点戦に特化した『グラム』において、ほぼ唯一の対空兵装だ。常人では追従できない速度でも、コンピュータ任せなら対応できる。
高速度域では同等以上の相手。ならば低速に追い込めばいい。
三機の『カリバーン』たちはミサイルを発射した。
雲を棚引かせて殺到する弾体に、『グラム』は離脱しながらフレアチャフを射出する。天使の羽のように広がる囮の熱源に、数本のミサイルがベクトルを変えた。だが残りはターゲットを正確に捉えていた。
爆発が起こった。
破損したロケットエンジンのユニットが空を舞い、黒煙に包まれた『グラム』が落ちていく。
フォーメーションの二機が追撃に向かった。乱射されたライフル弾で純白の装甲が次々と剥がれ落ちていく。盾のつもりか展開していたダイヴブレーキも、すぐに切り飛ばされた。
『グラム』が苦し紛れに伸ばした竜の爪のようなクローが開く。
ロケット噴射とともに片方の『カリバーン』の胴が掴まれた。ミチミチと音を立ててフレームが歪み、真っ二つに引き千切られる。
『グラム』はもう片手の爪を開いた。間髪入れず、残りの一機も火に包まれる。姿勢を立て直した『グラム』のマニピュレータから、使い捨ての
「これで一対一だな」
荒い息のトツカの声が、通信越しに聞こえた。
剥がれた『グラム』の装甲はほとんどが後付けのもので、バイタルパートへのダメージは少ない。初手で装甲内のミサイルを撃ち切ったらしく、誘爆も起こっていないようだ。
「初めからそのつもりだよ」
ヒシダテはライフルを構えなおす。
メインの推進器を失った『グラム』は大きく推力重量比を落としているはずだ。先ほどの瞬間移動と見まがうばかりの機動はもはや不可能だろう。そして目視できる速度域ならば、こちらに分がある。
相手は補助のジェットエンジンを回していた。高度は二万五千フィートが限界、と見た。上昇力が無い以上は直線で仕掛けてくる。そのはずだ。
「我々を倒すのは楽しいかい?」
激しい戦闘だというのに、頭は醒めている。
今回も理解できそうにない。
いつもそうだった。きっと終われば倦怠感だけしか残らない。
「あんたはどうなんだよ」
「勝利はただの過程だ」
ORBSを乗っ取ったときは何も感じなかった。直接殴っても、同じことだった。
「戦術的な成果を得るために戦う。勝利そのものには何の価値もない。だから、我々は君たちが分からない。勝つこと自体に、何の意味があるんだ?」
ごうごうと乾いた高空の風が吹き抜けていった。
トツカは沈黙していた。肯定の沈黙ではない、とヒシダテは感じた。
「シズ・カゲキは戦闘が終わっても、笑顔を見せなかった」
ヒシダテはライフルを持ち上げた。フォーカスしたカメラに、トツカの頭が映る。
「君たちの目的は何だ? 君たちの言う勝利とは、我々を打ち倒すことじゃないのか?」
胸の
困惑とは異なる。疑念でもない。
同じ『グラム』を駆っていたあの男――この身を裂き、それでも最後まで倒すことの叶わなかった兵士。彼も最後まで沈黙していた。
「我々は、君たちを理解したい。なのに……君たちはどうして我々を無視するんだ!」
演算がおかしい。
正常な思考から出た言葉ではない。あるいは、あの失敗作のように己も狂っているのか。
「勝利か」
トツカは酸素マスクを外した。
霜の張ったバイザーをぬぐい、唇を舐める。
「……今のオレは、おまえをブチのめしたい」
彼の目は燃えるように輝いていた。
何か、強烈な恐怖を感じた。反射的に銃口が下がる。
「収まらねえんだよ。だから、これから一発ぶん殴る」
「君は負けるよ」
「殴ればオレの勝ちだ。なんならシズの分を足してもいい」
トツカはマスクを着け直して、言った。
「シズの地形図を見たか? あいつは兄貴よりずっと上手く戦えるようになってる。二度と同じことにはならねぇ。オレも、ここでおまえを倒して証明する」
「それだけかい」
この男は、勝つつもりだ。シズ・カゲキの虚ろな目とは違う。この身体を砕くためだけに、これから全身全霊をぶつけようとしている。
「人を殴る理由にしちゃ高級だろ?」
初めて、視線が合った気がした。
ヒシダテは気圧された理由を悟った。
これ以上戻る場所は無く、行く場所も無い。ここが終着点だ。
こういう戦いを望んでいたのかもしれない。純粋に個の力が支配する戦場。勝者は去り、敗者は消える。あるいはこういった形なら、あの男も自分たちを見てくれたのか。
今度こそ死ぬかもしれない。その恐怖すらも、今はとてつもなく愛しい。
ヒシダテは笑みを浮かべた。
「じゃあ、やろうじゃないか」
ふたりは同時に空を疾駆した。
突撃コースは予測済み。白兵戦の間合いまで四秒。
この男の全力を打ちのめしたい。心の底から望んだ。
間違いなく、高揚していた。
勝利したい。この男の確信する勝利を、持てるすべての力で否定したい。
対空ミサイルの破片は数えて六百七十五。
四方八方を飛び交う金属片は、すべて機械構造を破壊することを目的としている。
ヒシダテは危害時間を一秒と計算した。避けきれる人間はいない。
『グラム』のボディが黒い弾幕で塗り潰される。
幕の向こうで火炎が見え隠れした。もがく巨獣から爪がもぎ取られ、残るマニピュレータも一瞬で形を失っていく。弾かれた欠片も散弾のように装甲を劣化させ、後続の突破口を作る。
音は無かった。
加速した知覚により、感じられるのは光だけだった。数瞬、
ヒシダテは黙して『カリバーン』のアフターバーナーを起動する。
伸ばした右手が銀色のブレードへと変化し、切っ先が正眼を指す。
弾幕を突き破った瞬間、世界が音を取り戻した。
白い装甲に刃が沈み、摩擦で
ヒシダテは咆哮する。勢い任せに刺し込んだ切っ先が四層の防弾装甲を食い破り、アクチュエータのフィラメントを切断する。わずかな緩衝材も裁断して、その奥でがら空きになった腹腔を
身体をばちばちと破片が叩いた。
変化した右腕を『グラム』の腹に刺したまま、ヒシダテは力なく笑った。
「……負けたな」
相手のORBSには首が無かった。パイロットに脱出されている。貫いた手応えも薄く、そして逃げるには深く刺しすぎた。
間もなく頭上から影が落ちてくる。
外装を外したトツカは、全身を破片に撃ち抜かれながらも、まだかろうじて動いていた。
彼はヒシダテを見た。ヒシダテも彼を見つめた。
視線が交差した一瞬に、互いの
ヒシダテが
『カリバーン』の躯体が、『グラム』ともつれ合って落ちていく。
開いたドラグシュートの紐にぶら下がりながら、トツカは自分の身体を見た。電源を切ったグリーンウェアは炭と弾痕で黒ずんでいる。妙に動かしにくい腹を見るに、肋骨も折れたかもしれない。
ヘルメットの下でヒシダテの頭が銀色に変わり、どろどろに崩れていく。
顔から最後の一片が溶け落ちる直前、形を失った舌が何かを言った。トツカがうなずき返すと、唇が笑みを作って消えていった。
――俺は強かったかい?
ああ、強かった。一瞬たりとも目を離せなかった。まさに好敵手だった。
「満足かよ」
強く念じると『カリバーン』の動翼が上下して、機首が起きる。力を失った『グラム』の外装だけが地面へと落ちていった。そのまま滑空していると、じきにムラクモ学校のグランドが見えてきた。
トツカが地上に降りると、走り寄ってくる者がいた。
ハバキ教官が立ち止まり、何か言いたげにトツカを見る。トツカは無視してORBSの残骸に振り向いた。ヒシダテと呼ばれていたものは、今は銀色の水たまりになっていた。
「じゃあな」
トツカは呟いて、ハバキ教官の脇を通り過ぎた。
校舎の前には生徒たちが集まっていた。中には双眼鏡をぶら下げたやつもいる。どいつもトツカが近付くと道を開けてくれた。ふらつく足で医療棟へ向かう。
階段のところで、ようやく彼女を見つけた。
段差に腰かける銀髪のガイノイド。彼女のシャツも腹の部分が破れていて、トツカと同じくらいボロボロだ。遠くを見つめたまま、ときおりむき出しの肌を引っかいている。
「ただいま」
我ながら品のない声だと思った。
アドレナリンが引いて身体の節々が痛みだしていた。身体をかがめたとき、ガイノイドがシャカシャカと鎮痛剤のボトルを振ってみせた。
「……待っててくれたのか」
「うん。必要だったでしょ」
トツカは受け取って、中身を口に入れて噛み砕いた。
市販品の鎮痛剤では気休めにもならないが、やっと終わったのだ、という実感があった。
胸に目を落とすと、グリーンウェアに埋め込まれた石がほのかに赤く光っていた。
伝達回路が焼き切れて、ほとんど動かなくなっている。次が最後のコマンドだ。
顔を上げる。こちらを見るスティーリアと目が合った。
彼女のことだから、やることはすべて終わらせたのだろう。
周りを窺うと、教官たちが生徒たちを教室に戻していた。しばらく邪魔は無い。
「……オレは、何に見える」
「
いつものように彼女は言った。じっと瞳を見返すと、そこに映る男が見えた。
トツカが命令をしても意味はない。だが、本人が『人違い』をしていたならば。
「そういうことだったんだな。やっと分かった」
カゲキはどんな声をしていただろう。
あ、あ、とトツカは喉を押さえる。しばらく声音を調節して、どうにか納得がいったところで、真っ直ぐにスティーリアを見つめる。
「本当に良いんだな?」
「努力する」
彼女は微笑んだ。初めて見るような穏やかな笑みだった。
トツカは少し待って、そっと言った。
「マスターとして命令する。これまでの命令はすべて解除する。誰でも傷つけていいし、傷つけなくてもいい。おまえの好きにしろ」
スティーリアは目を閉じる。
「了解しました、マスター」
赤い石からの光で、頬が薄紅を差したように色づいていた。
「……ありがとう、トツカ・レイギ」
「ああ、どうも」
トツカも瞑目して、身体の力を抜いた。
彼女の戦争もようやく終わったのだ。
今はとにかく、どこかに帰りたかった。
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