6-2.

 ターゲットの音紋はライブラリに登録していた。

 歩幅が狭く、歩調は規則的。特徴的で追跡は容易だった。寄り道もしないから、行動の予測もしやすい。ここまで無防備なのはよほど自信があるのか、それとも自覚が足りていないのか。

 ターゲットが建物を出たところで、こちらは先回りすることにした。

 引きずる金属パイプが、アスファルトの地面で音を立てる。

 病棟の手すりは少し力を入れたら切断できた。アルミニウムを樹脂でコーティングした程度のもので、武器としてはほとんど強度が無い。初めの一発でどこまで損傷を与えるか。それだけが問題だ。


「ん……」

 パイプを握る感触が消えたので見ると、指が溶けて癒着していた。

 そちらに意識を向けた途端、左手で握ったドアノブが粉砕された。鉄くずが刺さった手のひらを阿呆みたいに見つめる。力を制御するのがこんなに億劫だとは思ってなかった。

 仕方ないのでドアを蹴破ると、部屋の中には驚いた顔の整備員がいた。

「あー……えっと?」

 あぐらをかいてカップ麺をすすっていた。隣でコンロにかけたヤカンがくつくつと鳴っている。

「内緒でお願いできるかな?」

 スティーリアは背中にパイプを隠して言った。

 コンロは私物のようだった。備品倉庫でこっそり休憩中といったところだろう。

 整備員は呆気にとられた顔でうなずく。彼女に微笑みかけて、スティーリアは反対側の扉から出た。


 今の人、殺していたかもしれない。

 否。

 きっと、殺していた。

 

 こちらの顔を見た瞬間、あの整備員は壁に縫い付けられていたはずだった。

 コマンドは処理していた。一時アクチュエータも出来ていた。服の下では銀色のあぶくが破裂しそうになっている。あとは発射と入力するだけでいつでも攻撃できた。

「……『誰も傷つけるな』」

 まじないのように声に出すと、沸騰した肌が元に戻るのを感じた。

 命令は絶対だ。誰も傷つけてはいけない。誰も殺してはいけない。

 もう絶対に、嫌だ。


 格納庫を抜け、連絡通路を小走りに過ぎる。

 ターゲットは教室棟の二階を歩いていた。このままの速度で進むなら二分で接触する。

 隠れる場所はどうにか見つかった。階段から出たところの曲がり角。掃除用具入れの隣に身体をねじ込み、金属パイプを胸に抱える。

「誰も……傷つけるな」

 頭の奥で軋む音がした。

 前髪が顔にかかる。髪の毛がひとすじ唇に貼りついて、身体が震えていることに気付いた。


 放っておくことも出来た。

 きっとシズ・キョウカは生き残るだろう。観察の結果、彼女のストレス耐性と知能はともに平均以上をマークしていた。数値上だけなら、兄よりも合理的な判断力を身に着けている。

 だが、とささやく自分がいる。

 前はそれでどうなった? ひとり、ふたりと信じて死なせたじゃないか。見殺しも人殺しと変わらない。最悪の結果を防ぐためなら腕の一本や二本くらいは奪っても仕方がない。副次的被害コラテラルダメージだ。人が死ぬよりはマシでしょう。


「誰も……傷つけちゃ……」

 ときおり、『彼女』はこうやって誘ってくる。

 保護対象が動かなくなったとき。あるいは、自分の元から誰かが去ったとき。

 初めはエラーだと考えていた。無茶な命令と実際の状況との齟齬そごでタスク処理に問題が起こっているのだと。

 今は分かっている。これは『恐怖』だ。


 ターゲットの足音が近付く。

 軽く握った金属パイプが凹んだ。ストレスで制御が利かなくなっている。

 一発。それで終わり。

 動かなくなって、致命傷にはならず、見つからない程度に。

 きっと出来るはずだ。


 ターゲットの頭が見えた。

 腕が上がる。金属パイプの先端が高い音を上げる。

 振り向いた顔が、ひとつまばたきをする。

 現実が遠いものに感じた。機械的な動作でパイプを下ろす。頸部をとらえた導線をなぞるように手首がスナップし、一撃を加えようと振り抜く。


 そして、静寂が訪れた。


「終わりかい」


 ターゲットの口が開いた。顔のすぐ横で、止まった金属パイプが小刻みに揺れた。

 スティーリアはゆっくりと腕を下げる。

 ひね曲がった金属パイプが指から落ちていった。

 ターゲットは金髪を撫でつけながら、それを興味なさげに見やった。

 ツナギを着た男子生徒。ネームプレートには『ヒシダテ』と書いてある。


「うん」

「この身体、人間みたいに見えるものな」

 ターゲットは金属パイプを拾い上げて、スティーリアの胸を小突く。

「あなたのやったことの意味、分かってるの……」

「分かってるよ。としても利害は一致してるはずだ」

 ふたりの視線がかち合った。

『ヒシダテ』と呼ばれている個体の目の奥で、何かが赤く輝く。


「トツカ・レイギが倒れたときね、キョウカ、とっても怖がってた」

「ああ。ずっと彼の名前を呼んでたね」

「それでもあなたたちは続けるわけ? 試験として」

「必要だからね」

「人でなし」「人じゃない」

 スティーリアは一歩、前に出る。金属パイプの先端が胸に食い込む。

「誰かが傷つくのって痛いの。寒くて独りぼっちで。あなた、経験したことある?」

「まさか。本当にダメージがあるわけじゃない」

「救われない人」

「まるで自分に良心があるような言い草だね」

 初めてヒシダテの表情に疑問が出力された。


「今の君は不合理だ。彼らの協力を得ようとすることは理解できるが、過度に入れ込んでいる」

「理解できていないのはあなたの方だよ」

「だから理解しようと試みている。そして、君はその試みを妨害しようとしている」

「妨害……?」

 シャノンは心中で顔を歪めた。自分たちのことなのに、分からない。

「あなたは、彼らと信頼を築いている。崩す必要はないでしょ?」

「確実に大いなる損失だろうね」

 ヒシダテは唇の端を上げる。

「だが、穴は別の個体が埋めればいい。我々にはいくらでも代わりがいる」

「……普通の人間に代わりはいないんだよ」

「さっきも言った。我々は人じゃない」

「あなたは!」

 ヒシダテの身体をロッカーに押し付ける。頭の中で軋む音が大きくなった。


「そうやって都合よく人間ニンゲン棄械キカイを使い分けないで!」

「君こそ同じじゃないか」

 ヒシダテは笑って言う。

「『命令されたから』運よく人間を殺さずに済んでいる。今日までにプラグラム上で何人殺した? ちょっとした衝動で、シズ・キョウカを何度血まみれのクズ肉に変えた?」

「違う。私は殺してなんか……」

「殺したくない、の間違いだろ。司令コアを奪われた失敗作のくせに」


 吹き飛ばされる感触があった。

 ダメージ報告がいくつも上がり、腹から背中へと何かが突き抜ける。

「あ……ああ……」

 銀色の杭で、腹が破壊されていた。

 ヒシダテが首を振ると、流体金属のコーティングが溶けて金属パイプが現れた。背後の壁まで深々と食い込んでいて、スティーリアの身体をはりつけにしている。


 ヒシダテは金属パイプを指ではじいた。


「分かれよ。ここまでされて死ぬこともない。痛みすら感じない。我々は彼らとは違うんだ」

「……同じだよ」

 スティーリアは金属パイプを握った。ごぼごぼと破壊されたダミーの部品があふれ出す。

 そう。痛みは無かった。

 少し、動きにくいだけ。

 拳銃で撃ち抜かれても、ライフルでハチの巣にされても、抱きしめた爆弾が破裂しても、機関砲で破壊されたときですら、痛みは無かった。今までこの身体が痛んだときなんか、一度もなかった。

 

「だって、痛かったもの」

 腹から金属パイプを抜くと、折れた脊柱のせいで身体が崩れた。

 地面にひざまずきながら、首だけで上を向く。

 ヒシダテのガラスのような目が見下ろしてきた。

「こころが壊れちゃうくらい、痛かったもの。私、あの人に二度と会えないって分かったとき、本当に、身体がばらばらになっちゃいそうに痛かったもの!」

「エミュレートされた疑似的な感覚だ」

「あなたにはそうかもね。でも、には、こっちの方が本物なの……!」


 傷が塞がる。再生できなかったシャツから、焦げ臭いにおいが立ち昇る。

 身体はいくら壊れても耐えられる。

 それでも、こころは軋む。あちこち傷つきすぎて今にも崩れそうになっている。

 傷だらけの指で、ヒシダテのツナギの裾を掴んだ。

「……お願い。これ以上、私から奪わないで」

 ヒシダテは屈んできた。

 ふちよりも暗い眼窩の奥で、ルビーのように赤い瞳がきらめく。

「奪うもなにも、君は何も持っていないじゃないか」

 彼はゆっくりと立ち上がる。

 最後に金属パイプを拾い、手の中で一回転させた。そして遠くに放り投げようと振りかぶる。


 その手が爆発した。


「やめて!」

 足音が近付いてきて、誰かがスティーリアに覆いかぶさる。

 震える指が拳銃を握っていた。

「この人だけはダメ! 絶対にやらせないから!」

 シズは痩せた身体でいっぱいにかばいながら、銃口を向ける。

 カゲキのノートを読んでいるなら、こんな拳銃なんて役に立たないことは知っているはず。

 彼女の顔は真っ白になっていた。戦えば死ぬことは分かっているのだろう。


「……勝負にならない」

 ヒシダテは吹き飛んだ手首を押さえて去って行った。

 すぐに廊下のあちこちから銃声を聞きつけた生徒たちが集まってきて、彼の姿は人混みに消えた。

 どうにか背骨の再生が終わり、スティーリアは身体を起こす。誰かが手を貸してくれて、ふらつきながら地面に足で立った。顔を上げると、シズが肩で息をしていた。

 

「ごめん――」

 ぱん、とにぶい音がした。頬が摩擦熱でわずかに変形する。

 顔を戻す。歯を食いしばったシズが、こぶしを下ろしていた。

 彼女の口が開く。

「何も持ってないなんて、無い」

「……え?」

「私がいるって言ったの!」

 また手が上がる。

 シズはぐしゃぐしゃに顔を歪ませると、その指でスティーリアの顔を撫ぜた。

「いつも私だけ独りにしないでよ……」

 腕が背中に回り、抱き締められる。彼女の身体は融けそうに熱くなっていた。

 スティーリアは自分の頬を触った。擬態が一部解けたせいか冷たくなっていた。

 シズが身を離して、手を握ってくる。冷たい指に驚く様子もなく、彼女はにっこりと笑った。

「でも今度は間に合って、よかった」


 その微笑みに粉砕されるこころを感じた。

 スティーリアは何も言わずにシズを抱き返す。流れ込んでくる熱が、今はただ心地良かった。

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